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 ここに噺あり

ここに噺あり 5 落合の[らくだ]

文 窓樹

                                   
 今回は落合の火葬場を訪ねた。
 落合の火葬場は、桐ケ谷、小塚原と並び、かなり古くからあった。場所は新宿区上落合、
道一本むこうは豊島区だ。
 物語は、本名を馬、仇名をらくだという乱暴者の家に、兄貴分が訪ねると、フグに当た
ったらくだが死んでいる。そこへ屑屋が通りかかる。らくだに輪をかけた乱暴者の兄貴分
は「葬式の真似事をしたい」と言い出す。脅された人のいい屑屋は、家主や長屋の連中の
ところへ酒や早桶を貰いに行くが断られ、仕方なく、死人にカンカンノウを躍らせる。酒
と早桶が届くと、兄貴分は帰りたがる屑屋に無理矢理に酒を飲ませる。酔いが廻るにつれ、
屑屋が逆に兄貴分を脅し、二人で落合にらくだの死骸を担いで行く。
 落合への道中、「ここは姿見橋だ。これを渡ると高田馬場。道は右へくねったり、左へ
くねったりするが、つきあたって左へ行くと新井薬師。右へ行くと落合の火屋だ」という
件がある。今でもわかる道案内で、落語は実にリアルだ。姿見橋とは、面影橋の別名だ。
 カンカンノウは唐人唄の一つで幕末から明治初期にかけて大流行した。当時、知らない
者はいなかったそうだ。
 以前、大分へ行った時、トラフグのコ−ス料理をご馳走になったことがある。中で絶品
だったのがフグ刺しで、醤油に肝を溶いて食べる。通常、肝は禁止されているが、大分県
だけは、条例で許可している。もちろん免許のある板前しかさばけないが…。素人でも器
用な人は自ら包丁を持ち、食べているそうだ。そのかわり食中毒も年に数件ある。東京と
違い、フグは安く手にはいる。料理の鉄人を目指すのか、味への探求は計り知れないもの
があるようだ。



ここに噺あり4 柳橋の[船徳]

文 窓樹
 
 今回は柳橋を訪ねる。[船徳]の舞台。
 浅草橋駅から徒歩五分。神田川が隅田川に合流する手前に架っているのが柳橋。川には、溢れんばかりに屋形船が舫ってある。
 物語は、道楽の末、勘当の身の若旦那の徳兵衛が、馴染みの船宿の二階に居候。粋な姿に憧れて船頭になる。浅草観音の四万六千日、他の船頭は出払って徳三郎しかいない。そこへ馴染み客が友達を連れてやってくる。「大桟橋まで乗せてくれ」と言う客に、女将はしぶしぶ徳三郎をやらせる。船はぐるぐる廻ったり、石垣に寄ったり大騒ぎ。ようやく陸に上がった客に、徳三郎は一言「船頭一人、雇ってください」。人情噺[お初徳兵衛]の発端で、三年後に一人前の船頭となる。
 昔、柳橋の船宿は、芸者を呼んで遊ぶ座敷があったが、今は待合室ほどで、居候を置けるスペ−スは見当たらない。
 毎年、隅田川花火大会の日は川一面に屋形船が並び、若手落語家が船に乗り込む。よい場所を確保するため、三時頃には出航する。花火が始まるまでお客を退屈させないのが落語家の仕事だ。炎天下の船中だけに暑いのなんの。いよいよ花火見物となると、窓から見るだけに首がくたびれる。去年、歌る多姉さんが川沿いに住んでいるので、屋上で見せてもらったが、よく見えるし、涼しい。花火は陸に限る。
 以前、屋形船で一席頼まれた。お台場あたりに停めて、始めたが、船は停まっている方が揺れを感じる。気持ちが悪くなり閉口した。お客さんも、酔ってしまった。花火も落語もやはり陸に限る。
1999・10・3 UP



ここに噺あり3 向島の長命寺[花見小僧]

文 窓樹

 今回は、長命寺と桜餅の山本やを訪ねた。「花見小僧」の舞台。
物語は、ある大店の主が娘のお節に婿をとらせようとするが、お節は奉公人
の徳三郎と深い仲。ある日、娘と徳三郎の供をして向島へ行った定吉に、主は
様子を聞き出そうとする。なかなか口を割らないが、小遣いにつられ少しずつ
しゃべり出す。
「ばあやと四人で柳橋の船宿から船で三囲の土手に上がり、植半で食事。あた
しが山本やで桜餅を買って戻ると、お嬢さんは癪が起きて、奥の座敷で横にな
っていた。あたしが行こうとすると、『お嬢さんの看病は徳どんに限るんだよ。
気が利かないね』と言われた」と。
 主はこれを聞いて怒った。徳三郎は暇を出され、叔父の所へ預けられる。先
代の円遊師匠のが印象深い。これは[お節徳三郎]前半で、後半は[刀屋]と
いう。
 桜の名所となると、上野や飛鳥山だが、上野の山は鳴り物禁止で騒げなかっ
た。大店の連中は、芸者を連れて向島で花見をした。
 桜餅の山本やは、享保二年に山本新六という長命寺の門番が、土手の桜の葉
を塩漬けにして始めた。文政七年に、31の樽で77万5千枚の葉を塩漬けに
し、餅一個に葉を二枚つけ、38万7千5百個売った記録がある。現在は、伊
豆産の葉が三枚ついて一個150円。
 長命寺は、寛永年間に三代将軍家光が鷹狩りに出て急病になり、この寺の井
戸水で薬をのんだら、たちまち治ったのが名のいわれ。
 向島には花柳界がある。以前は噺家も座敷に呼ばれたとか。今では政治家の
密談の場となっている。



ここに噺あり2 新宿区新宿二丁目の元遊郭[文違い]

文 窓樹
                          
 今回は新宿遊廓跡を訪ねた。現在の新宿二丁目。明治時代は東京府下豊多摩
郡内藤新宿大字角筈、といやに長い住所で、東京のはずれだった。
 新宿は四宿(他に品川、千住、板橋)の一つで、吉原につぐ盛り場であった。
新宿の繁華街と言えば、今は歌舞伎町だが、当時は新宿三丁目の交差点から四
谷にむかう新宿通りの両側に貸し座敷が並んでいた。
 物語は、新宿の女郎お杉が「義理の父と縁を切りたいから」と色男気取りの
半七に「二十両都合してくれ」と頼むが、半七は十両しかない。そこへ田舎者
の角蔵が現れる。お杉は「母が大病」と言って、角蔵から十五両巻き上げてか
ら、下の座敷に待たせていた本命の芳次郎に二十両渡す。芳次郎は眼病で薬代
をお杉に頼んでいたのである。芳次郎が帰ったあと、お杉は手紙を見つける。
芳次郎が忘れていったもので、「眼病と偽りお杉からお金を騙し取ってくれ」
という他の女からの手紙であった。一方、二階では半七がお杉宛ての芳次郎か
らの手紙を見つける。何も知らない角蔵だけが色男気取り。客と女郎が騙し合
う廓噺の傑作である。
 この盛り場のはずれに成覚寺がある。文禄三年(1594)に建てられた新宿女
郎の投げ込み寺だった。女郎が死ぬと、着物から髪飾りまで剥ぎ取り、遺体を
米俵にくるんで投げ込んだ。その数三千体。境内に子ども合埋碑がある。「子
ども」とは、遊女のこと。
 現在、このあたりはゲイバーが軒を並べている。会話が楽しく、ショータイ
ムには歌や踊りがあり、お客の中に歌手や俳優を見かけることもしばしばある。
一度、ゲイ同士が口喧嘩をしているのを見たが、その啖呵たるや見事であった。
彼女(?)らは、自衛隊出身が多いと言う。
                            1999・10・3 UP



ここに噺あり1 港区の愛宕山[天狗裁き]     

文 窓樹
 今回は、港区の愛宕山を訪ねた。[天狗裁き]の舞台。愛宕山は標高26メートルで、頂上に愛宕山神社とNHK放送博物館がある。
 物語は、隣の旦那がヘビをまたいだ夢をみたところ、商売が大繁盛。熊さんの女房は「お前さんも夢を見な」と、亭主を無理に寝かせる。ニヤリと笑う寝顔を見てゆすり起こすと、熊は夢を見ていないと言う。「女房に隠し事をするのかい」と夫婦喧嘩。仲裁にはいった兄弟分が「女房に話せなくても、俺になら話せるだろう。どんな夢を見た」と大喧嘩。今度は家主が来るが、家主にも夢を話せず奉行所へ。白州で「奉行にならば言えるであろう」と問い詰められても口を割らない。そこへ一陣の風が吹き、愛宕山のてっぺんに運ばれる。見ると天狗が仁王立ち。またまた天狗までが夢の話を聞きたがる。元は上方噺で、天狗の現れる山は鞍馬山になっている。
 愛宕神社は火伏せの神様として信仰されており、江戸名所俗謡に"伊勢へ七度び 熊野へ三度 芝の愛宕は月まいり"というのがある。また、高層ビルのない当時は、見晴らしの名所でもあった。
 神社へ登るには、男坂、女坂、新坂がある。
 男坂は八十六の石段でかなり息が上がる。脇に"トレーニング禁止"の立て札があるが、星飛雄馬もタイガーマスクももうウサギ跳びはしないだろう。また、この坂は寛永年間に馬術の名人曲垣平九郎が馬で石段を上下したことから、出世の石段と名づけられた。
 NHK放送博物館は愛宕放送局跡で、時折、貴重なビデオ上映会を催している。もちろん落語のテープもある。
 愛宕山は東京の真ん中とは思えないほど静かで、木々も多く、天狗が出そうだ。一連のオウム事件を裁いてもらいたいものだ。                           
1999・9・26 UP