圓窓五百噺ダイジェスト(し行)

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七の字(しちのじ)/十徳(じっとく)/品川心中 上(しながわしんじゅう じょう)/品川心中 下(しながわしんじゅう げ)
/死神(しにがみ)/写経猿(しゃきょうざる)/寿限無(じゅげむ)/尻餅(しりもち)/洒落小町(しゃれこまち)/洒落番頭(しゃればんとう)

圓窓五百噺ダイジェスト 148[品川心中 上(しながわしんじゅう じょう)

 品川の宿場女郎で二年ほど前まで板頭(いたがしら)を張ってナンバー1であった
お染は寄る年波で評判も落ちてきた。
 紋日(ものび)を前にして周りの者への祝儀や自分の着物の新調を支度をする余裕
もない。方々に工面の手紙をしたが、色よい返事はない。全盛を誇った女だけにこの
惨めさには堪えられない。「いっそのこと死んでしまおう」と思い立った。「一人で
死ぬのも、惨めだし……。そうだ」と心中相手に決めたのが、貸し本屋の金蔵。早速、
お染めは金蔵に手紙を出した。
 手紙を読んで飛んできた金蔵。お染めから理由を聞いて、それへの同情心と心中相
手に自分を選んだお染の心根に感激する。「金を工面するのは無理だから、一緒に死
のう」と約束をする。
 その夜は家に帰り、翌日、なけなしの道具類をバッタに売って、白無垢と匕首を用
意して親分のところへそれとなく暇乞い。
 夕方、お染のもとへ。一眠りして起こされて、刻限もよしと思ったが、匕首は親分
の家の水瓶の上へ置いて忘れてきたことに気が付いた。そんなことから、「億劫にな
ったから、死ぬのは日延べしよう」と言い出した。
 お染が「じゃぁ剃刀で死のう」と言うと、金蔵は「剃刀の傷はあとで医者が縫いに
くいそうだ」と気弱になっている。それなら、裏の海へ身を投げようと、いやがる金
蔵を無理に引っ張って裏木戸から海岸へ出る。桟橋の突端までくると、金蔵はガタガ
タを震えている。
 お染は「わたしもあとから行くから」と金蔵の腰を突いたので、金蔵はもんどり打
って海に落ちた。そのあと、お染も飛び込もうとすると、店の若い衆に後ろから抱き
止められた。
「花魁。今、番町の旦那が『金ができた』と言って持って来てくれましたよ。死ぬの
はおよしなさい」
「でも、今、貸し本屋の金蔵が飛び込んじゃったの」
「あんなやつは生きていても世の中の役に立つ男じゃないから、いいですよ」
「それもそうだね。じゃぁ金さん。都合により日延べにします。長々と失礼しました」
飛び込んだ金蔵。悔しさに立ち上がると、品川は遠浅だから水は膝までしかない。
 金蔵は頭から血を流し、足は貝殻で切って血だらけ。もう帰る家もないから、とり
あえず親分のところへ。
 親分の家ではサイコロ博打の真っ最中。金蔵が突然、表の戸を叩いたもんで、連中
は「取り締まりだぁ」と勘違いして慌てた。咄嗟に灯を消したので、梁へ上がったり、
戸棚へ頭を突っ込んだり、台所の上げ蓋を踏み外したり、はばかりへ落ちたり、大変
な騒ぎ。
 戸を叩いたのが、心中のしそこないの金蔵だとわかってほっとするが、この騒ぎの
中、浪人の楠木運平だけは端然として座っている。
 一同が「さすが、先生は偉いですね」
 浪人は照れて「いや、とうに腰が抜けております」

(圓窓のひとこと備考)
 この廓噺はとりわけ異業種の人間たちが絡み合うので、面白さは抜群。演者として
演りたがる人気作品だが、昨今はその回数も減ってきた。このことは廓噺全般に言え
そうだ。
2007.4.16 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 149[品川心中 下(しながわしんじゅう げ)

 金蔵から心中未遂の話を聞いた連中は、お染に仕返しをする相談をしはじめた。
 そして、翌晩、金蔵は生き返った風をよそおって品川のお染めに会いに行った。
お染や店の者も驚いたが、「まぁ、生きていてよかった」と二階へ揚げた。
 そのあと、親分と民蔵が店に揚がってお染に会って「金蔵が死体で上がった。今夜、
これから通夜をしますので、お顔出しを。位牌も作ったんですが、妙なことがあって
ね、それがなくなったんですよ」と言った。
 それを聞いたお染は笑い出した。「何を言ってるんだ。金さんは来ているよ。嘘だ
と思ったら、部屋へ来なさんよ。金さんはちゃんといますからね」
 二人を案内して部屋へ入ったが、金蔵はいない。布団をめくってみると、位牌が置
いてあった。
 お染は「じゃ、来たのは幽霊だったんだ」と、恐ろしさに震え出した。
 親分は「悪いことをしたと思ったら、髪を下ろして尼になりなさい」とすすめた。
 お染は黒髪をぷっつりと切ってくりくりの坊主頭になった。
 そこへ隠れていた金蔵が顔を出して、「ざまぁ見ろ。おれはこの通り、ちゃんと生
きているんだ」とはしゃぎ回った。
 お染は泣き声で「あまりのもひどいじゃないか。この頭じゃぁ客の前に出られない」
 金蔵が言った。「お前が客を釣るから、ビク(魚篭)にしたのさ」

(圓窓のひとこと備考)
 この落語、下までやると長すぎるし、それに上と比較すると、面白みに欠けるので、
演る者もいなくなった。



圓窓五百噺ダイジェスト 70 [死神(しにがみ)]

 仕事もなく借金だらけで好きな酒ばかり呑んでいる熊五郎はかみさんにはガミガミ
言われて外へ飛び出した。あてもないので、首をくくろうとした。
 そんな熊五郎に声をかけたのが死神。
「儲け仕事を教えてやろう。医者の看板を出しな。頼みにきたら出かけて寝ている病
人の周りを見ろ。必ず死神が座っている。お前だけには見えるようにしてやったから
な。病人の枕元に座っていたら、手を出すな。その病人は定命がきていて、助からな
い。もし、死神が足元にい座っていたら、治す法がる」
「どうするんです。なにか妙薬が…?」
「呪文を唱えるんだ。[アジャラカ木蓮 三笑亭 テケレッツのダボ]。死神は離れてい
くだろう。死神が離れりゃ、病人は治る。しかし、お前に治せる病人は八人だけだ、
いいな」
 死神に言われた通り、医者の看板を出した。
 すると、江戸の大金持ち、近江屋の番頭が来て「主の鉄兵衛が倒れて久しくなりま
す。一向に治る様子がありません。診てください」と。
 すぐに番頭に同行して近江屋へ。寝ている病人を見ると、死神は足元に座っている。
 早速、教わった呪文を唱えると、死神は消えて、病人はたちどころに全快した。
 運がついてきたようで、どこから声がかかっても、死神は足元に座っている。礼金
も流れ込むように入ってきた。病人を八人、治したときには大金が貯まっていた。
 人間、持ちつけぬ金を手にすると、気が大きくなるもので。裏長屋ではみっともな
いからと、表へ大きな家を建てる。毎日、好きな酒を呑んで仕事もせずに遊び回る。
かみさん、子供も金にあかして贅沢三昧。そのうちに、博打に手を出す。人に騙され
る。こんなことが度重なって、元の裏長屋暮らし。
 ある日、かみさんの怒鳴り声を背中に受けながら、ぼんやりと考えた。
「死神は『八人まで治せる』と言ったた。その人数も使い果たした。だが、他の人は、
そんなことは知らないだろうから、依頼人はくるだろう。来たら、出かけて行こう。
もう、今のこの俺に死神が見えるかどうかもわらない。呪文も通じないだろう。人は
治せなくてもいい。わずかでもいい、銭をもらおう」
 と、苦し紛れにまた医者の看板を出してみた。
 すぐに依頼人がやってきた。江戸の指折りの金持ちの千田屋金兵衛のところから使
いがきて「主を診てください」という。
 行ってみると、かすかに死神は見えた。しかし、病人の枕元……。
「ご主人は、定命です。あきらめてくださいな」
「先生のお力で、そこをなんとか。お礼のほうはいかほどでもお払いいたします」
「あたしも、なんとか、したいけど…、この枕元じゃ…」
「なにか、枕元がいけませんか」
「う〜ん…、これじゃ…」
「先生もお疲れのご様子。向こうで、ひと休みなさってください」
 他の部屋に案内された。そこへ女中が、茶と茶菓子を盆の上に乗せて持ってきて「
どうぞ」と差し出した。
 番頭が見ていて、女中に小言をいった。「なんという出し方をするのだ。先生が召
し上がるのだぞ。これでは逆だ」
 女中は盆をグルッと半分まわして、置き直した。
 これを見ていた熊五郎が番頭に耳打ちをした。
「力のある者を四人。病人の寝ている布団の四隅に座らせておいてくれ。あたしが膝
を叩く。これが合図だから、四人が布団を持ち上げてグルッと半分回してもらいたい
」「かしこまりました」
 再び、病間に入って手はずをして、枕元の死神の様子をジーッと見つめた。
 死神も疲れたのか、コックリ、コックリと居眠りを始めた。
 ここだなと思ったから、ポーンと膝を叩いた。四人が布団を持って、クルッと回し
た。間髪を入れず、[アジャラカ木蓮 三笑亭 テケレッツのダボ]
 死神が驚いたの、なんのって。急に足元に座っているので、ギャーッてぇと、あわ
てて消えた。
 とたんに、病人がムックリと起き上がって、「満漢料理を食べたい」と言い出して、
もう全快は間違いない。
 たっぷり礼金を貰って表へ出ると、死神が待っていた。
「お前は恩を仇で返したな。お前に見せるものがある。付いてこい」
 やってきたのは、見たこともない洞穴。
{高座の照明をじょじょに落とし、一端は暗くする}{しばらくしてから、演者のと
ころだけ、薄明かりのスッポト}
 奥へ入ると、たくさんの蝋燭が燃えている。
「これが人間たちの定命だ」
「これは誰の蝋燭だか、判りますか」
「さっき、お前が治した病人のだ」
「治ったから、威勢よく燃えてんですね」
「そうだ。お前は、あの病人の命の恩人になれたんだ」
「この短くて、今にも消えそうな蝋燭は…?」
「お前の蝋燭だ。お前はさっきの病人と定命を取り替えたんだ。もうすぐ死ぬんだ、
お前は」
 熊五郎はびっくりした。死神に助命を求めた。
「じゃぁ、この長い蝋燭を渡すから消えそうな火を移してみろ。うまくやれば、命は
助かる。が、火を消すと、そのまま死ぬぞ」
 熊五郎は全身汗びっしょりで、震えながらやっと火を移した。
「死神さん。これで、命は助かりますね」
「祝いに、好きな酒を馳走してやろう」
 と、死神は茶碗に酒を注いで熊五郎に渡す。
 熊五郎は右手に火の点いた蝋燭を持ったまま、左手で酒を一気に飲み干して、「フ
ーッ」と、一息つく。と、蝋燭の火に息がかかった…。
 熊五郎の体は前へ倒れる。
 {スポット消え、演者は客席へのお辞儀はせず、そのままの形。静かに幕が下りる}

(圓窓のひとこと備考)
 圓生のこの噺を少々ばかり構成やら演出やらを変えたいと思いつつ、だらだらと演
っていた時期が、あたしにはあった。
 落ちと布団を回すヒントを得る場面を設けたのは、75年(昭和50年)10月、
第17回「圓窓を聴く会」(ニューアサヒ銀座というビアーホールの三階を会場とし
て開催していた)でした。
 既成の落ちは素人の頃から疑問に思っていたので、自分のこの落ちは改良だと思っ
ている。
 死神は「火が消えれば死ぬよ」と言っている。その後、男が「消える」と言いなが
ら、体を前に倒す。つまり、その仕草が死を表現しているから、落ちだ、ということ
なんだろうが……。
 しかし、あたしは、「体を倒して、死を表現して、それが、なんなんだ」「死にゃ
ぁ、体は倒れるのは当然さ」「当たり前のことを表現しただけじゃないか」「これで、
落ちとは」と、言いたいのだ。
 そこで、改良の運びとなったのです。
 治せる病人の数の限度を設けたのは、この[圓窓五百噺ダイジェスト]にUPのため
の作業の最中に思いついたんですが、いかがでしょうか。
 恥ずかしい話だが、あたしのこの噺が本に載っているとは……。思い出しました。
そういえば、そうだった、と。
 改めて、読んでみました。懐かしや……。
2006・7・30 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 107 [七の字(しちのじ)](別名・按七)

 貧乏長屋に住んでいた紙屑屋の七兵衞は叔父の遺産が入ってきて一遍に金持ちにな
った。長屋を出て一軒家に移って悠々たる暮らしを始めた。性格も変わってきて尊大
になり、長屋住まいの人たちを見下して「あたしはみなさんとは違います」と言って
はばからず、人が黒と言うと白、白と言うと黒。右と言うと左、左と言うと右と言い
張り、けして人に合わせることはしなくなった。
 ある日、七兵衛が床屋の前を通りかかったところを、その床屋でたむろしていた長
屋の源兵衛と太助の二人が見付けた。
 二人が七兵衞を見付けて呼び入れて見ると、腰に矢立を差しているので、二人は問
い詰めた。
「長屋にいた頃は、確か自分の字も書けなかったはずだ」
「いいや、長屋にいた頃はあえて書かなかっただけだ。叔父が死んでから書き始めた」
「じゃ、ここで名前の七って字を書いてみろ」
「書けたらいくら出す?」
「いくらでもやるよ。一文でも二文でも」
「さすが貧乏人だ。付き合いたくないな。一両出しなさい」
「今は持ってねぇから、これから一両集めてくる。昼過ぎにここへこい」
 二人は七兵衛と約束をすると、一両の工面に床屋を飛び出した。
 意地を張った七兵衞も床屋を出て「さて、誰に教わろうか」と考えた末、町内の手
習いの師匠の所へやってきた。生憎、師匠は留守だったが、奥さんに教わることにな
った。
「わかりやすく、この割り箸を使いましょう。横に一本、縦に一本置いて、案山子に
します。足を右に折って曲げれば七になりますよ」と教わり、自分もなんとかやって
みて納得をした。
 割り箸を余分に貰って勇んで床屋に戻ってきた。源兵衛と太助も一両集めてきて、
待っていた。
 七兵衛はもどかし気に割り箸で「横に一本、縦に一本置いて、案山子にします」と
始めた。
 二人は「こりゃ書けそうだ。一両取られる」と驚いて頭を下げて謝った。
「勘弁してくれ。謝る。確かに書けるよ。謝るからこの一両はなかったことにしてく
れ」
「いいや。そうはいかない。この足を……」
「わかったよ。右に曲げるんだろう?」
「いいや。左に曲げるのさ」

(圓窓のひとこと備考)
 原話は〈盲人の七兵衛〉ということになっているが、盲人でなければいけないこと
もなかろうと、紙屑屋の七兵衛に直した。
1999・12・28 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 8  [写経猿(しゃきょうざる)]

 今から千年前の寛平六(八九四)年。
越後の中条にある乙宝寺の行門和尚が毎朝、本堂で法華経をあげていると、裏山から夫婦
の猿がやってきて、聞き入り、昼過ぎ、檀家の衆が集まってきて、写経を始めると、また、
やってきて、その様子をジーッと見ておりました。
 そのうちに木の皮を持ってきて、写経をねだるようになり、そのつど、和尚が書いてや
ると嬉しそうに山に帰った。みんなはそれを木皮経(もくひきょう)、オスを法華(ほけ)
、メスを経(きょう)と呼ぶようになった。
 あれから、二ヶ月ほど経ち、法華経の写経も四の巻の終わり、五の巻にかかる頃、冬に
入って雪が吹雪に変わった。と…、ぷっつりと、夫婦猿が姿を現わさなくなった。
 十日ほどして、和尚は檀家の一人、茂十じいさんを伴って、裏山に捜しに行き、穴の奥
で法華と経は、木皮経をしっかりと握って抱き合って死んでいた。
 和尚と茂十は二匹の亡骸を抱きかかえて山を下り、丁重に葬って供養をし、和尚が木皮
経を握って抱き合った夫婦猿の木像を彫ると、「離れざる」ということで、これが大層な
評判となった。

 あれから、四〇年経った、ある日。
「お写経をさせていただきたく」と、四〇歳前後の旅の夫婦連れがやってきて、本堂で写
経を始めた。
 小僧が二人にお茶を運ぼうと、ひょいと見て、驚いた。二匹の猿が写経をしているでは
ないか。これを聞いて駆け付けた和尚もびっくり。和尚はなぜか、珍念に「他言するな」
と言っただけで、庫裏へ戻った。
 夫婦は毎日必ず来ては写経をして帰ります。四の巻が終わり、五の巻にかかって二人の
手がピタッと止まった。二人は抱き合って体を震わせて泣き出した。
 和尚が問うと、夫は昔を語り始めた。
「われら二人は四〇年前の夫婦猿でございまして、人間に生まれ変わったのでございます。
私は三年前、越後国司に任ぜられ、都より赴任しました藤原子高朝臣にござります。この
お寺のことを知り、伺えたました次第でござりまする」
和尚「雪の日以来、姿を見せなかったが?」
夫「はい。あの雪の日、お寺へ行く途中、妻は足を滑らせて、深手を負い、穴に戻りまし
 たが、飢えと寒さのため、木皮経を握ったまま抱き合って息を引き取りました」
和「それで、今、五の巻で写経の筆も留まったのじゃな。あの折り、抱き合ったあなた方
 を抱えて山を下りましたのが、わしともう一人。もうあの世に逝ってしまったが、今、
 毎日、あなた方の世話をしております、この珍念のじいさんです。
 あなた方お二人、他の者には人間としか見えませんが、縁あるわしと珍念には昔の夫婦
 猿に見えたのじゃ。わしも、三宝のありがたさを改めて知りました。あなた方もこの先、
 法華経の五の巻からのお写経をここでなさいませ」
夫「三年の任期が切れましたので、明日、都へ帰らなければなりません」
和「さようか。では都へ戻って続けなされ」
 本堂を出て参道を歩む二人は振り返り、振り返り、丁寧に何度も何度もお辞儀を繰り返
 した。そのたびに、本堂から手を振る和尚、珍念……。
 境内の鳥たちも名残を惜しんだのでしょう。高い杉の木の上で、コノハズクが、
「ブッ ポウ ソー(仏法僧)」
和「おお。珍念、聞いたか。コノハズクが三宝を唱えて鳴いておる」
珍「和尚さま。向こうの梅の小枝で、ウグイスが」
鴬「ホー、ホケキョウー(法華経)」

[写経猿]の関連ページ、圓窓HPクラブ/乙宝寺若住職逝去
1999・12・25 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 38 [洒落番頭(しゃればんとう)]

 さる商家の主人、老妻に「うちの番頭は洒落番頭と言われるほどの洒落の名人です」
 と聞かされたので、番頭を呼んで「洒落をやって見せておくれ」言う。
 番頭が「では、題をいただきます」と言うので、「庭の石垣の間から蟹が出てきた。
あれで洒落を」と主人は頼む。
 番頭は即座に「にわかには(急には)洒落られません」という。
 洒落のわからない主人は真面目に受けて「できないなら、題を替えよう。孫が大き
な鈴を蹴って遊んでいる。あれでどうだ」と言う。
 番頭、すぐに「鈴蹴っては(続けては)無理です」。
 主人は「『できません』『無理です』って、なにが名人だ!」と本当に怒ってしま
う。
 番頭は慌てて、部屋から退散して、「主人の前では二度と洒落はやるもんか」と独
り言。
 主人は老妻にその話をすると、老妻は「それは洒落になってます」。
「『できません』『無理です』って断わるのが洒落かい。」
「洒落になってますよ。番頭は洒落の名人なんですから、番頭がなんか言ったら、『
うまい、うまい』って褒めてあげなさいよ。それを怒ったりして、人に笑われますよ」
「じゃあ、番頭を呼んで謝ろう」
 呼ばれた番頭、主人に謝られて盛んに恐縮する。
 主人「機嫌を直して、もう一度、洒落をやっておくれ」
 番頭「いえ、もう洒落はできませんで」
 主人「やぁ、番頭。うまい洒落だ」

(圓窓のひとこと備考)
 原話は小咄の[庭蟹]であるが、古い速記本にそれを膨らませて[洒落番頭]と題
した作品があったので、それを脚色したのが、この[洒落番頭]。
 主人の洒落のわからなさぶりは、演者の呼吸、聞き手のセンスで受けたり受けなか
ったりする難しい話でもある。
 狂言に〔秀句傘〕という曲(作品)があるが、これがまさに[洒落番頭]。

2002・4・5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 80 [洒落小町(しゃれこまち)]

 昼頃。竹田の旦那の家へガチャガチャのお松というあだ名の人妻が飛び込んできた。
「亭主が外に女をこしらえた。家に落ち着かない。あたしは別れたい」と嘆く。
 旦那は諭すように、伊勢物語に載っているという話を聞かせた。
「在原業平には幼なじみであった井筒姫といういい女房がいた。ところが、業平は河
内に生駒姫をいう愛人をこしらえて、毎晩のように通った。
 ある晩、大嵐。業平は『今晩はどうしようか。行くか、行くまいか』と迷った。
 すると、女房が側へきて『毎晩、いらっしゃってるのに嵐だから行かないとなると、
男は不実なものと思われます。どうぞ、お出かけくださいまし』と言う。
 言われるままに、業平は出かけたが、『どうも、女房が優しすぎる。女房にも男が
いるんじゃないか…』と思い、先方へは行かず、わが家へ戻ると、庭に回って家の中
の様子を探った。
 そのうちに、雨戸が開いて、外の雨風を見ながら、女房が歌を詠んだ。『風吹けば
沖津白浪立田山 夜半には君が一人越ゆらむ』。嵐の中、どうぞご無事に山を越えて
くださいまし、という歌だ。
 この歌を聞いて業平は『それほどまでに、女房はあたしのことを想ってくれてたの
か』と反省して、それ以来、浮気をやめた」
 これを聞いたお松は「足止めのお呪いですね」と感心をした。
 旦那は「歌の徳は他にもある。小野小町は歌を詠んで雨を降らせた。『理や日の本
ならば照りもせめさりとてはまた天が下とは』。つまり、我が国は日の本といいます
から、陽が照るのも理屈でしょうが、でも、天(雨)が下ともいいますから、降って
もいいでしょうに、という歌だ。途端に大雨が降ったというな」
「歌ッて、大したもんですね。でも、あたし、歌は出来ませんし…」
「お前は落語が好きなんだろう。洒落ぐらい言えるだろう」
「洒落ですか。洒落(晴)のち曇りってぇのはどうです」
「うまい、うまい。化粧の一つもして亭主と世間話をしながら、洒落を織りまぜて、
喜ばせてやるんだ。外より内のほうがいい。つまり、女房に惚れ直すだろう」
「洒落もやってみます。心細いから、お呪いの歌も教えて下さいな」
 お松は、井筒姫の歌と、ついでに小町の歌を紙に書いてもらって、自宅へ戻って、
亭主の帰りを待った。
 夜。わが家に戻った亭主の梅吉が驚いた。チンドン屋みたいななりをした女房が、
奥から出てきたからだ。
「なんだい、そのなりは?」
「なんだい…? 会津なんだい(磐梯)山」
 女房は、そのあとも、亭主の一言ひとことを受けて駄洒落を連発した。
 亭主があきれて返って、家を飛び出そうとしたので、女房はあわてて紙を取り出し
て、歌を読み始めた。
「理や日の本ならば照りもせめ さりとてはまた天が下とは……」
 ところが、亭主はさっさと出て行ってしまった。

 女房は、また、旦那の所へやってきた。
「歌までやったんですけど、亭主は出て行きました。効き目がありませんよ」
「歌はちゃんと言えたのかい」
「言いましたよ。理や日の本ならば照りもせめ、って」
「おい、おい、歌が違う。それは小町の雨乞いの歌だ」
「それで、あたしのほうが振(降)られたんだ」

(圓窓のひとこと備考)

 師匠(圓生(6))がよく言っていた。「文治(8)さんの[洒落小町]を聞いて、つまら
ない噺だな、と思ってた。こういう噺は嫌いだったんですよ。ところが、あるとき、
ふと「いじれば、面白くなるんじゃないか」と感じて、手がけるようになったんです。
演るたんびに、面白くなってくる」と。
 実はあたしも、文治のは生で聞いたことないが、圓生のを聞いてつまらない噺だと
思ってた。それに、サゲの〔穴っぱ入り〕という言葉が…。清らかな性格のあたしに
は汚らしく感じて…。「生涯、演るまい」と自分で決めてた。
 ところが、圓窓五百噺も在庫の噺がなくなって、しぶしぶ、手がけてみたんですが、
段々、面白くなってきて。
 つまり、圓生と同じように噺の面白さ、楽しさを味わった。嬉しかった、そう感じ
たときは…。
 文治、圓生、圓窓とそれぞれに生きた時代にずれがあるので、クスグリの変更は当
然でしょう。ちょっと、比べてみよう。
 旦那に題を出されて、主人公の女房が洒落る個所。
 文治:「草履で、洒落てごらん」「草履(童子)は狐の子じゃもの」
 圓生:「菜と蕪で、どうだ」「菜蕪ら(中村)歌右衛門」
 圓窓:「献金で、どうだい」「献金(遠近)両用眼鏡」

 サゲも二度ほど手直ししました。
 浅草演芸ホールであたしの洒落小町を聞いた文蔵さんが、「あれが、[洒落小町]と
いう噺かい?」と、からかうように言ってきたとき、あたしは「手直しは成功した」
と腹の中で叫んだほどだ。
 圓生も文治のようには演らなかったから、噺を甦らせた。あたしも、圓生のように
演るつもりは毛頭もなかったのだ。本来、落語ッて、そういうものなのです。
 最近は、後生大事にそのまま古物を扱うように演ってる噺家が多いような気がする。
2006・8・20 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 66 [寿限無(じゅげむ)]

 杉田家に男の子が生れた。父親の八五郎は檀那寺へ行って、住職に長生きするよう
な縁起のいい名前を付けてもらおうと相談した。 
 いくつもの候補を上げてもらったが、折角だから、そのまま全部を名前にしてしま
った。その名は「寿限無寿限無、五劫の摺り切れ、海砂利水魚の水行末、雲行末、風
来末、食う寝る所に住む所、やぶら柑子の藪柑子、パイポパイポ、パイポのシューリ
ンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナ
の長久命の長助」という、それはそれは長いもの。
 この長ったらしい名前のせいで長屋中で幾多の珍事が連発したが、縁起のいい名が
功を奏したか、病気もせず怪我もせず成長して学校へ上ることになった。今日は入学
式。近所の友だちが大勢揃って迎えにきた。
「寿限無寿限無、五劫の摺り切れ、海砂利水魚の水行末、雲行末、風来末、食う寝る
所に住む所、やぶら柑子の藪柑子、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シュー
リンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助
ちゃん。学校へ行こう!」
 母親が出てきて「うちの寿限無寿限無 ―――― 長久命の長助はまだ寝てるのよ。
起こしてくるから待っててね」
 奥に入って「これッ。寿限無寿限無 ―――― 長久命の長助ッ。起きなさいよ!」
 ところがまだ起きないので「ちょいとお前さんッ。寿限無寿限無 ―――― 長久命
の長助はまだ起きないんですよ!」
 父親は怒って「とんでもねぇッ、寿限無寿限無 ―――― 長久命の長助ッ。起きろ!」
 すると、外で子供たちが大きな声で「おじちゃーん! 学校はもう夏休みになっち
ゃったぁ!」
(圓窓のひとこと備考)
 落ちはいろいろある。
 一つは、この寿限無坊やが近所の子の頭を殴って大きなコブをこしらえる。殴られ
た子が訴えてくる。「おばさんとこの寿限無寿限無 ―――― 長久命の長助に殴られ
てコブができたぁ!」と。ところが「名前が長いからコブが引っ込んだ」という結果
に。
 それに、寿限無坊やが川に落ちてしまった。ところが、同じような経過から「名前
が長いから溺れて死んじゃった」というのもある。
 この二つは「喧嘩」「死亡」という後味の悪さがあるので、あたしは演らず、掲出
の落ちを考案した。「喧嘩」「死亡」の落ちはあり得るだろうが、あたしの落ちは絶
対にありえない。しかし、聞き手が落ちのオーバー、飛躍の面白さを掴んでくれたら、
改良は成功と言える。小学校での「落語の授業」でこの[寿限無]はよく演じるのだ
が、しっかりとした反応があるので手応えは掴んでいる。
 落語の中で[寿限無]は一番知名度の高い作品である。最近では「広辞苑」にもフ
ルネームで紹介されているのは嬉しい限りである。
2006・7・29 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 62 [尻餅(しりもち)]

 明日はお正月だというのに、貧乏長屋の八五郎宅は餅も搗けない貧乏暮らし。
 女房から「近所の手前、みっともないから、なんとかして餅を搗いておくれ」と言
われて八五郎は「長屋の連中に『餅を搗いているな』と思わせればいいんだろう」と
工夫することにした。
 夜中に起き出して、数人の餅屋が餅搗きに来たように思わせるために、八五郎は一
人で何人もの大きな声を出し、賑やかな餅搗き状況を作り出し、いよいよ、女房の尻
を臼に見立てて、叩き始める。右手の拳を杵に見立て尻を叩き、餅を搗いているよう
な音を出すのだ。
「へいッ、ポンポンポン。はッ、ポンポンポン」てな具合だ。
 あまりに、この尻叩きが続くので、おかみさん悲鳴をあげる。
「餅屋さーん。あとどのくらいありますの?」
「あと、ひと臼ですが」
「そのひと臼はお強飯(おこわ)にしてください」

(圓窓のひとこと備考)
 ユーモアだけでなく、ペーソスも感じさせる演出が大事である。気を付けなければ
ならないことがある。笑いを取るためであっても、けして、卑猥に陥ることがあって
はならない。
2006・7・12 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 16 [十徳(じっとく)]

 八五郎は隠居の家へ、隠居さんが着ている十徳の謂れを訊きに来た。
 隠居は「これを着て立ったところを見ると、衣の如く。座ったところを見ると、羽
織の如く。如く、如くで十徳だ」と教える。
 八五郎がたいそう感心をしたので、隠居は両国橋と一石橋の由来を聞かせる。
「下総と武蔵の二つの国に架かったから両国橋。お金後藤、呉服後藤という二軒の後
藤さんが金を出し合ってかけた。五斗(後藤)に五斗で一石だから、一石橋」
 またもや感心した八五郎は、これを他の者に聞かせようと、床屋へ乗り込んだ。
 ところが、橋の謂れはみんな知っていて、無駄になった。
 ならば、「十徳の謂れを教えよう」と始めるが順調にはいかない。
「これを着て立ったところを見ると…、衣のようだ。座ったところを見ると…、羽織
のようだ。ようだ、ようだで、やぁだ」
「嫌ならやめろよ」
「そうじゃなかった。着て立ったところを見ると…、衣…みたい。座ったところを見
ると…、羽織…みたい。みたい、みたいで、むたい」
「眠たいのか?」
「これも違うんだ。立ったところを見ると…、衣に…似てる。座ったところを見ると
…、羽織に…似てる。似てる、似てるで、よってる」
「酔っ払っているのか?」
「数がだんだんと減ってきたな。増やすからな、いいかい。立ったところは…、衣の
…通り。座ったところは…、羽織の…通り。通り、通りで、二十通り」
「数が急にふえてな」
「今度、思い切って減らすから。立ったところは…、衣に…一致。座ったところは…、
羽織に…一致。一致、一致で……、二進も三進もいかなくなった」

(圓窓のひとこと備考)
 十徳(じっとく)とは僧服の直綴(じきてつ)から転化したらしく、江戸時代は儒
者、医師、絵師などが外出着とし、形は今日の羽織に似ている衣装。
 今日、なかなかお目にかかれるものではないので、その分、この[十徳]は演りに
くいのだが、語呂の面白さから、まだまだ前座噺としての価値はある。
 歌舞伎で登場人物が着用しているのに出っくわすことがある。岩波書店の広辞苑に
は絵入りで載っているから、読むといい。
 故柳枝(8)から圓窓が最初に教わった噺が、この[十徳]。圓窓も弟子にはこの
噺を最初に教えている。
 原話は〔お伽草〕(安永2年)に載っているが、それ以来、落ちは「似たり、似た
りで、これはしたり」と継承されてきたが、平成18年、圓窓は本文に記したように、
語呂の面白さを増やし、落ちも改良した。
2006・6・25 UP