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続 圓窓ひとりごと 1

『 我 が 輩 は モ グ で あ る 』

                             文 圓窓
 
 数ある猫の中で、あたしが命名したのはあいつ一匹である。
 あいつが家の玄関の靴箱の下に潜り込んだのは、「平成5年の6月18日だ」
と女房は言う。「あなたの誕生日は忘れても、猫のことは」と自信たっぷりに
言うから間違いはないだろう。
「チー、チーチー」という鳴き声がするので、屈んで覗いてみると、黒っぽく
て小さいので、鼠かと思ったが、それが乳飲み子の猫だとわかるまで、丸一日
かかった。どうやら、近くの公園に捨てられたあと、迷いに迷った挙げ句、我
が家に入り込んだようだ。
 そいつは怖がってなかなか出てこないので、こっちも持久戦に持ち込もうと、
見て見ない振りをしていたら、玄関から上へ上がり込んで、ウロウロし始めた。
 もう、こっちのものと思ったが、そうはいかなかった。こっちの顔を見ると、
風呂場の横の洗濯機の下に潜ってしまった。それからは、いい隠れ家と判断し
たんだろう、きっと。チョロチョロッと出てきても、こっちの動きや音を感じ
ると、洗濯機の下に直ぐに潜ってしまう。
 そんなことが何日も何日も続いて、いつの間にか、家族の一員になってしま
った。
「潜り込むのが洗濯機の下だから、名前はウォッシュってぇのはどうだい」
 と言い出したのは、あたし。
 でも、女房は、
「いやよ、そんなのは。付けるのなら、真面目に付けてよ」
 と、即、拒絶した。
「じゃァ、すぐに潜るから、モグってぇのは?」
「ウーン、ウォッシュよりましね」
 てなわけで、あたしがモグと名付けた。
 名前のせいじゃないのだろうが、あたしには面白がって潜り込むように見え
る。そんなことが2ヶ月は続いた。
 しかし、育つに従って、次第に馴れてきたのか、逃げなくなり、しまいには、
「モグ」と呼ぶと、「ニャー」と鳴いて近寄ってくるようになった。
 あたしに反応を示す猫は、このモグ一匹だけ。それもどうやら、メスらしい。
 膝の上に乗るようになり、抱いてやると、あたしの耳たぶを噛んでくるとい
う、愛の行為も濃厚になってきた。
 たぶん、このモグは母猫の乳房の味も知らぬうちに、人間の手によって早々
に捨てられたのだろう。でも、生物として乳房を求める遺伝子はあるので、あ
たしの耳たぶをチューチューと吸うようになったのだ。人間の世界でいう難民
みたいなものかもしれない。
 今では、六歳。
 そんなモグの腹が十日ほど前から、妙に膨らんできた。避妊の手術はしてあ
るから、妊娠ではない。医者に診せると「猫の伝染病で、薬はありません」と
の見立て。
 ああ、なんということ……。
 今日の今日まで、ほとんど医者へもかかったこともなかったという丈夫一式
のモグが……。
 医者の言う通り、段々と飲食もしなくなり、歩行もヨタヨタ……。
 9月13日、まだ残暑の蒸し暑い朝。庭の雨戸の戸袋の下で、モグはひっそり
と、こと切れて、横たわっていた……。
 最初に家に来たとき、靴箱の下に潜り込んだように、最後も戸袋の下に潜り
込んで……。「我が輩はモグである」というような死に顔をして……。
 部屋の真ん中の畳の上で、往生させてやりたかった……。
 だって、モグだけだもの、あたしに寄ってきてくれた猫は……。
 固くなった体をさすってやりながら、「モグ」と声をかけると、その手に「ニ
ャー」という鳴き声が伝わってきたような気がした。そして、あたしの頭の中
で、大きく反響した。
 その声は、今までのどの鳴き声よりも、それはそれは大きく、明るく、元気
溢れた、いい声であった……。

 モグよ。
 お前は、これから、極楽へ行くんだろう。
 まず、向こうで潜り込む物陰を捜すだろうな、きっと。
 でも、モグよ。
 極楽の人や猫は、みんな、いい人、いい猫なんだ。
 怖がって、隠れることはないんだよ。
 そこらをゆっくりと一回りしてごらん。
 昔の仲間がやってくるぞ。
 犬のモモ、アラレ、ココ、ジャン。
 猫のゴンベー、クーコ、サン、チー、ポケ、フラ。
 しばらくは体を休めながら、みんなと、のんびりと遊びな。

 モグ。
 あたしの遊び相手になってくれて、ありがとう。
                            
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