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窓門リレー旬報




『 仕事 踊り 俳句の一年 』

2002・12・21〜31(十二月下席(しもせき))
報じ手 窓 輝


2002(平成14)年12月21日(土)
 レンタルビデオの延滞金3千円。またやってしまった。自転車の撤去代や定期
券の紛失など、なくていい出費の多い一年。


2002(平成14)年12月22日(日)
 新宿で友人と忘年会も、みな妻帯者なので早々に解散。未成年の頃の方がよく
飲んでた。


2002(平成14)年12月23日(月)
 池袋の早朝寄席。出番はないが、チラシ配りや呼び込みなどのお手伝い。


2002(平成14)年12月24日(火)
 クリスマスイブもまったく関係なし。洗濯と床屋に行っただけ。


2002(平成14)年12月25日(水)
 協会での高座舞いも今年最後のお稽古。6月の末広亭や年末の国立などに、お
師匠様、お世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。


2002(平成14)年12月26日(木)
 月例の四九八句会。こちらも今年最後。兼題の裘(かわごろも)で、秀逸・佳
作を計3点も貰えた。
  かわごろもまとう女は肉ばかり
 来年はもっと俳句らしく。


2002(平成14)年12月27日(金)
 大掃除でとりあえず風呂と便所と台所。寝室は積んである雑誌をもう一度読み
返してからやるつもり。


2002(平成14)年12月28日(土)
 年賀状とお年玉の用意完了。手元にあるお金は家賃と食費だけだが、今年もな
んとか暮らせた。


2002(平成14)年12月29日(日)
 母と車で祖父の家へ。やはり遊びに来ていたおば夫婦と家族麻雀を興じる。


2002(平成14)年12月30日(月)
 落語協会の寄り合いを帝国ホテルで。寿司とプリンがおいしかった。
 二ツ目の集まりで鈴本での早朝寄席のワリをもらう。


2002(平成14)年12月31日(火)
 千葉で仕事納め。今年最後の高座は[天災]。
 少ないながら仕事もあり、踊り、俳句に苦労しつつも楽しい一年でした。

2003・2・6 UP








『 落語ワークショップで 苦しむ 』

2002・12・11〜20(十二月中席(なかせき))
報じ手 萬 窓


2002(平成14)年12月11日(水)
 浅草演芸ホ−ル昼席[権助魚]から、鈴本演芸場[かつぎや]へ。
[かつぎや]は正月の噺。暮れのうちにさらっておかないと、正月に出来ず、一年間
やらなくなってしまう。


2002(平成14)年12月12日(木)
 鈴本昼席、[尻餅]。
 楽屋で扇橋師に「萬窓だからいいんだよ、千窓(戦争)だとえらいことだ(笑)」
と言われる。


2002(平成14)年12月13日(金)
 小唄の稽古。
 暮れは皆さん忙しいようで、休みの人が多く、普段よりたっぷり稽古をつけていた
だく。


2002(平成14)年12月14日(土)
 中野坂上のオフィス樹のアトリエにて、一門で今日、明日と[落語ワ−クショップ]。
 ワ−クショップとは芝居ではよく使われている言葉で、講習会という意味らしい。
 今回は珍しいネタを並べ、萬窓[つづら泥]、窓里[貧乏神]、圓窓[俵相撲]。
最後に、[謎掛けの秘密]。
 お客さんに謎掛けの作り方を説明しながら、ワ−クショップに入る。
 普通は「○○と掛けて、××と解く、その心は△△」の手順で、○○の部分のみお
客さんよりいただくのだが、今回は師匠の発案で××の部分もお客さんに決めてもら
うことになった。
 出た題が、「林家三平と掛けて」「ノ−ベル賞と解く」。
 三平師匠とノ−ベル賞は、どう考えても結びつかない。
 そこで「病床の林家三平と掛けて、ノ−ベル賞と解く。その心は、賞状(症状)が
気になる」とやって、勘弁してもらった。


2002(平成14)年12月15日(日)
 浜松にいる大学時代の友人が上京。
 拙宅に来て、4月に生まれた優樹を抱いたところ、優樹はご機嫌斜め。
もう、人見知りするようになった。


2002(平成14)年12月16日(月)
 大掃除に明け暮れる。


2002(平成14)年12月17日(火)
 子供を連れて外食。流動食を食べるようになったので、たまには世間を見せる。


2002(平成14)年12月18日(水)
 スキ−愛好会[ブラックキャッツ]の忘年会。
 ブラックキャッツとは、クロネコヤマトの宅急便でスキ−板を送っていることから
命名。
 メンバ−は、歌る多、扇好、白鳥、三太楼、駿菊、萬窓に歯科医の先生。今年は、
全員揃ってスキ−に行けなかったので、「来年は皆んなで」との案が出る。


2002(平成14)年12月19日(木)
 今年は方々からりんごを送っていただいた。
 食べきれず、近所の太助、窓輝におすそ分け。


2002(平成14)年12月20日(金)
 鈴本夜席[『尻餅』。4つの団体が入り、ほぼ満員で陽気なお客様。
2002・12・30 UP








『 17000円の熊手を 』

2002・12・1〜10(十二月上席(かみせき))
 報じ手 窓 里


2002(平成14)年12月1日(日)
 川越市制80周年式典出席。ここは埼玉県内で一番初めに市となった街。
 午後、大宮「文明開化寄席」。こちらは今回51回目。
 歴史は刻まれるという一日だった。


2002(平成14)年12月2日(月)
 本日より24日までの議会が開会。
 川越市は来年4月、中核市となる。全国でも30番目。
 今回も審議する内容は、たくさんある。


2002(平成14)年12月3日(火)
 川越酉の市へ。ここは毎年12月3日。
 今年は割合に暖かく、人も出る。
 熊手を購入。17000円。昨年よりも大きく買うのが、縁起物。数年後には、い
ったいいくらになるだろう。


2002(平成14)年12月4日(水)
 議会へ出席。
 夜、忘年会へ。雨の降る寒い日、日本酒がうまい。
 3軒、梯子する。明日つらいのはわかっているけど、やめられない。


2002(平成14)年12月5日(日)
 やっぱり酒が残ってしまう。今日は私の質問日。
 市営墓地、火葬場の計画について質問。人間死んだら必ずお世話になるところ。整
備しないと。


2002(平成14)年12月6日(金)
 今日も質問日。今日は私立保健所について。
 平成16年度の完成予定である周辺の道路、下水道の整備を強く要望。街は道から
出来るもの。


2002(平成14)年12月7日(土)
 お世話になった方の所へ、暮れのご挨拶に。政治家は金品を贈ってはいけないので、
手ぶらで。来年の春の選挙のお願いも兼ねて。


2002(平成14)年12月8日(日)
 午後、飯能へ。日曜だというのに会議、議会報告を20分程。
 終了後、忘年会。
 途中で抜けて川越に戻り、もうひとつの忘年会へ。
 気を使って、金を使って。


2002(平成14)年12月9日(月)
 朝、5時半起床。
 外を見ると大雪。都心では1cmというけど、ここは10cm位あるだろう。
 こんな日も委員会へ。交通機関の影響で、15分遅れで開会。
 私は雪の中30分歩いて登庁。


2002(平成14)年12月10日(火)
 議会へ。
 10月に助役が入札問題で逮捕されるという不祥事が起きている。今日はその事件
 の経過などについて報告を受け、質問となる。
 業者との癒着はいけません。私はご祝儀をくれるお客と癒着したい。
2002・12・30 UP








『 あたしの誕生日 45歳 』

2002・11・21〜30(十一月下席(しもせき))
 報じ手 吉窓


2002(平成14)年11月21日(木)
 本日は、あたしの誕生日。満45歳になった。
 多少個人差はあるだろうが、咄家は45〜55歳位までが一番脂がのってる時期と
いわれる。
 心して、一席一席、大事に取り組もう。


2002(平成14)年11月22日(金)
 浅草演芸ホールの夜の部へ代演に行く。[都々逸親子]をやる。
 木枯らしが冷たく感じる。明日は三の酉だ。


2002(平成14)年11月23日(土)
 昼、”本牧五人会”でお江戸日本橋亭へいく。
 毎年暮れにこのメンバーで忘年会をやるのだが、そのスケジュール調整をついでに
楽屋でする。もうそんな時期になった。
 高座は[探偵うどん]をかける。


2002(平成14)年11月24日(日)
 池袋演芸場、昼の部へ代演に。
 昨日やった[探偵うどん]をやる。


2002(平成14)年11月25日(月)
 協会2Fへ高座舞いの稽古にいく。
 来る12月上席は国立演芸場で企画公演"寄席手本忠臣蔵"があり、そこで踊る「槍
さび」「二つ巴」などを稽古する。
 今日はもう本番前の最後の稽古なので、皆、最終チェックに余念がない。


2002(平成14)年11月26日(火)
 今日は一日、何もない空き日。
 とはいっても、明後日は池袋演芸場で独演会。
 初演のネタを三席並べてあるので、これを覚えるため、朝から、うろうろ、ぶつぶ
つ、ぼそぼそ、そわそわ。なんとか噺の粗筋、決まり文句など頭へ叩き込もうと、の
たうちまわる。
 毎度のことだが、しんどいけど楽しい作業だ。


2002(平成14)年11月27日(水)
 今日も協会の2Fへ。
 茶番「忠臣蔵五段目・山崎街道の場」の稽古。
 この茶番も、来月の国立上席の忠臣蔵特集の中に組み込まれていて、色物の方が休
演の時に茶番コンビの出番がある。客の前で演じる機会をもらえたので、メンバーも
張り切って、真剣に稽古に取り組む。
 しかし、人のやっているのを見ていると面白いが、いざやってみると難しい。まあ、
なんとかなるか、仕上げをごろうじろ。


2002(平成14)年11月28日(木)
 池袋演芸場で独演会。演題は[中村仲蔵][紙屑屋][戦え! 軍人君]。
 三つ目のネタは後輩の三遊亭白鳥君の新作落語。
 実に荒唐無稽な噺なのだが、あたしにもできるかしらと教わってやってみた。
 客の反応は賛否両論あるが、もう少し練り直してやってみよう。


2002(平成14)年11月29日(金)
 毎度のことだが、独演会がすんだ次の日の開放感はなんともいえない。女房と映画
を見に池袋へ。
 好きな作家だった故藤沢周平の小説を映画化した「たそがれ清兵衛」を見る。宮沢
りえがきれいだった。


2002(平成14)年11月30日(土)
 今日は、夜、大塚の"らくてん寄席"へ。
 会場は"まがりや"という小さな居酒屋。
 弟弟子の窓輝と一席ずつ演る。窓輝[看板のピン]、吉窓[唖の釣り]。
 終わって懇親会あり、ビールと酒を交互につがれて、いやぁ、すっかり酔っ払っち
ゃった。
 さあ、明日から国立上席「寄席手本忠臣蔵」。
 頑張ろうっと。
2002・12・30 UP








『 紀伊国屋にあった 圓生の高座湯呑み 』

2002・11・11〜20(十一月中席(なかせき))
 報じ手 圓 窓


2002 (平成14)年11月11日(月)
 # 毎朝、目を覚まして声を出して喉の調子を確かめるのが、ちょいと恐い。気が
  滅入っているのだろう。
 # 印鑑証明をとりに行ったら「カードに切り替えてください。手数料が100円
  安くなります」だって。故今輔師の演っていた新作[印鑑証明]を思い出す。も
  う、やり手はいないのではなかろうか。
 # 今、日本のどこへ行っても女のカルチャー意識は高い。あたしの居住する豊島
  区もそうなんだろう。今日は婦人団体で講演。
 # 末広亭 夜[俵相撲]。途中休業した六月以来の末広亭への出演。やはり寄席
  の高座はいい。
 # こっちも久し振り、末広亭のそばの桂花ラーメン屋へ。


2002 (平成14)年11月12日(火)
 # 末広亭 昼[俵相撲]
 #[俵相撲]をふくらませようと、サイトで横綱の資料をさがした。あった、あっ
  た。面白い。役に立ったよ。歴代の横綱の名前を覚えようかな。


2002 (平成14)年11月13日(水)
 # 末広亭 昼[俵相撲]
 # シアターX(カイ)で、ギィ・オフォシィ作の「王様と私たち」を観劇。役者
  たちは巧みだったが、フランス製ってぇのはどうもピンとこないなぁ。


2002 (平成14)年11月14日(木)
 # 国立演芸場上席の宣伝を兼ねて、泉岳寺で落語会。そのあと、一同でお参り。
  番組は[忠臣蔵根問い]世之介。[天野屋]馬桜。[掛け合い・五段目]馬生・
  菊春。[徂徠豆腐]圓窓。
   あたしのは勉強会で演って以来の講釈物。練り直してみようと、出してみる。
  受け持ちの時間はほんの15分。
   記者会見もやったが、集まった記者は2名。「ありがとう」と厚く礼を述べる。
 # 末広亭 夜[徂徠豆腐]


2002 (平成14)年11月15日(金)
 # 末広亭 昼[徂徠豆腐]
 # 17日の伊勢原の会は篠笛の坂本真理さんとのジョイント。あたしは落語紙芝
  居[ぞろぞろ]もやるので、笛を入れてもらう予定。その稽古。
 # 二口芝居"あした天気になぁれ"を観賞。病院の病室の人間模様。いい。
 # メール仲間のNさんから「昨晩の末広亭の夜席に行ってきました。客の中には
  協会のwebで当夜の末広亭の夜席の圓蔵師匠のところが圓窓師匠に代わると知
  って、『それじゃ行くか〜』と出かける私のような者もおります、はい」と圓窓
  サイト〔だくだく〕の掲示板に。
   協会のサイトも活用されているようで、嬉しい。
 # またNさんから「末廣亭の高座は上手の障子にいくつか穴が空いていますよね。
  あれは下座さん用の覗き穴なのですか? それともただの破れ障子なんでしょう
  か」
   あたしから答える。「本来、下座用です。しかし、前座が覗いたりもするし、
  破けたのもあるし、見苦しいですよね。楽屋から、勉強するためにも活用します
  ので、全部塞がられると困るし」


2002 (平成14)年11月16日(土)
 # 文落連の望年会。池袋の河豚屋。
   担任であったA恩師より、昭和22年に発行された、「日本芸能名曲番附」を
  いただく。能楽、狂言、人形浄瑠璃、歌舞伎、新派劇、筝曲、常磐津・清元、長
  唄、古曲、端唄、下座音楽、民謡、講談、落語が番附になっている。「落語下題
 (外題)番附」を見ると、東横綱[三軒長屋]、西の横綱[おせつ徳三郎]。残念
  ながら、[火焔太鼓]は載ってない。[百年目]は東前頭25枚目。「演じる側
  にも落語の流行廃りがあるんだな」と実感。
 # 末広亭 夜[俵相撲]


2002 (平成14)年11月17日(日)
 # 伊勢原の第35回「圓窓夢時鳩詣り」。末広亭は休み。
   噺と篠笛を聴く会
    ★ 篠笛 独奏         坂本 真理
    ★ 落語[飛んでも杭][俵相撲]三遊亭円窓
    ★ ジョイント 紙芝居落語[ぞろぞろ]
             語り・圓窓 篠笛・真理
    ★ 落語[蒟蒻問答]         円窓
   真理さんとは圓朝祭の落語会の[熱き思い]に笛をいれてもらって以来。今回
  は真理さんの独奏もあり、聞き甲斐もある。さすがいい響きだ。
   ところが、あたしが風邪声になり最悪。あたしが紙芝居をやったのは初めてな
  のだが、抜き方の難しさを体験した。


2002 (平成14)年11月18日(月)
 # 末広亭 昼[俵相撲]


2002 (平成14)年11月19日(火)
 # 末広亭 昼[俵相撲]


2002 (平成14)年11月20日(水)
 # コミカレ[俵相撲]。紀伊国屋落語会があるので、ここは19時半まで。あと
  を吉窓に託す。
 # 紀伊国屋落語会。トリで[蕎麦食い地蔵]。
   終演後、ホールの課長(阿部)さんが「圓生師匠が紀伊国屋落語会で使ってい
  た高座茶碗です」と、あたしにくれるではないか。 感動!!! 青色で中国の
  童子が林で遊んでいる図。
   常連のUさんから、「声にいいですよ」とかりん酒をいただいた。11年もの。
   これも、感動!!!
   サラに窓輝も出ていたので、彼も誰かに赤飯を貰っていた。それを貰って食す。

2002・12・28 UP








『 風 邪 と の 戦 い 』

2002・11・1〜10(十一月上席(かみせき))
報じ手 窓 輝


2002(平成14)年11月1日(金)
 巨人、松井選手のメジャー挑戦をニュースで知る。
 日本のホームランバッターがどこまで活躍するか、非常に興味がある。


2002(平成14)年11月2日(土)
 埼玉県、白岡町の興善寺にて、落語会。
 大勢の檀家さんの前で[天災]と踊り[槍さび]を熱演。


2002(平成14)年11月3日(日)
 12月上席に向けて笑生くんとピンの稽古。
 先月から和楽・喜楽両師に教えていただいて、今は原稿を覚えている段階。
 はたして間に合うか? 出番はあるのか?


2002(平成14)年11月4日(月)
 風邪。夕方になって発熱と鼻水、のどの痛み。母の運転手を断る。


2002(平成14)年11月5日(火)
 熱が下がらないので、近くの薬局で薬とのど飴を買う。
 仕事が当分なくてよくないけど、よかった。


2002(平成14)年11月6日(水)
 風邪ひいて3日目。薬とプリンと安静で37度台まで熱は下がる。
 笑生くんから借りたビデオ(特撮物)を一日中、見ていた。


2002(平成14)年11月7日(木)
 昨日とほぼ同じ。ビデオが小説になっただけ。


2002(平成14)年11月8日(金)
 落語協会ホームページ用の撮影で協会事務所へ。
 調子は悪いし、床屋にも行きたかったが、最終日なので仕方がない。


2002(平成14)年11月9日(土)
 一週間分の洗濯と風呂の掃除。夜は久しぶりに湯船に入る。
 湯上りに酎ハイを一本。だんだん調子が戻ってきた。


2002(平成14)年11月10日(日)
 群馬県太田市。せん八師匠の独演会に喜せん兄と一緒に呼んでいただいた。
 一席勉強[たらちね]したうえに、豪華な食事で栄養補給。
 師匠、ありがとうございました。

2002・12・28 UP








『 落語の参考になった大山 』

2002・10・21〜30(下席(しもせき))
報じ手 萬 窓


2002(平成14)年10月21日(月)
 友人が来月から月島でドックフ−ドの店をオ−プンすることになり、店内のペンキ
塗りを手伝いに行く。
 4時間ほどやり、さすがに腰が疲れたが、そのあとのビールの旨いこと。
 たまには、身体を動かすのもいい。


2002(平成14)年10月22日(火)
 窓門会の金子国昭氏より、私が出演した落語会の感想を手紙でいただく。
 氏は江戸時代の風俗に詳しく、とてもためになる。


2002(平成14)年10月23日(水)
 長男の優樹が今日でちょうど6ヶ月。体重も8キロになり、前歯も少し生えてきた。
 健康に育つことを祈るばかり。


2002(平成14)年10月24日(木)
 師匠と所沢の日大芸術学部へ。
 師匠は江戸風俗の講師をしており、今日は助っ人に呼んでいただく。
 江戸の火事について師匠と掛け合いをやり、私が[火事息子]を一席。
 約200名の学生は、思っていた以上に反応がいい。


2002(平成14)年10月25日(金)
 小唄の稽古。師匠をはじめお弟子さん方は、毎度の落語会に来てくださる。
 今日も稽古の合間にチケット売り。感謝、感謝。


2002(平成14)年10月26日(土)
 師匠と窓輝と一諸に信州中野へ。
 地元の落語研究会の方に声をかけていただき、物産フェスティバルの会場で研究会
のメンバ−と落語会。
 一席ずつやり(私は[厩火事])最後に大喜利。元小学校の先生(三流亭痴郎さん)
のボケが、大喜利で受ける。


2002(平成14)年10月27日(日)
 末広亭の夜席代演[万病円]。


2002(平成14)年10月28日(月)
 子供を連れ、カミさんの実家の鴻巣へ。
 カミさんと子供は実家に残り、今日から5日間、ひとり身となる。なぜかウキウキ。


2002(平成14)年10月29日(火)
 赤羽の"日の基青老閣"という老人ホ−ムで一席。[試し酒]。
 ここは身寄りのないお年寄りが住んでいる。健康状態は皆さんよく、反応はとても
よい。


2002(平成14)年10月30日(水)
 一泊二日で、神奈川県の大山へ。仕事ではなく、単なる旅行。
 メンバ−は、扇好、三太楼、駿菊、落語好きの歯科医の先生に私の5名。
 今晩は温泉に入り、猪鍋に舌鼓を打つ。臭みがなく、淡白で美味。[二番煎じ]の
参考になった。


2002(平成14)年10月31日(木)
 朝からバスで大山登山口へ行き、そこからケイブルカ−で阿附利神社の下社へ。
 上社までは歩くしかない。登山時間90分と聞いて、全員一致で断念。
 紅葉はまだ早く、11月中旬が見ごろとのこと。
 お参りをして、麓で豆腐のコ−ス料理を食べる。おから、白和え、湯葉、がんもど
き、湯豆腐、水がいいからどれも旨い。
 今日は[大山詣り]の参考になった。
2002・12・28 UP







『 川越に 空港を造ろう(笑) 』

2002・10・11〜20(十月中席(なかせき))
 報じ手 窓里


2002(平成14)年10月11日(金)
 都市計画審議会。鶴見川改修工事の現場を視察に横浜へ。
 川越でも新河岸川の改修に取り組んでいる。往復5時間のマイクロバス移動は疲れる。


2002(平成14)年10月12日(土)
 9月議会の報告書が印刷できたので、配り歩く。
 途中でお茶をごちそうになったり話し込んだりして、思うようには回れない。


2002(平成14)年10月13日(日)
 市民から相談を受けていた答えを持って、2軒のお宅を訪問。
 非常に喜んでくれる。これが票につながればいいけど。


2002(平成14)年10月14日(月)
 市の式典に出席。日曜も休日もない。
 夕方、知人と会って酒を飲む。この時間が一番いい。誰にも気を遣わないで。


2002(平成14)年10月15日(火)
 朝5時起床。仕事をして羽田空港へ。
 本日より3日間、運営委員会の視察で旭川へ。
 昼食後、旭川市役所へ。議会運営について研修。
 夜は北海道の秋の味覚を満喫。やっぱり秋は北海道はだな、いや、視察は。


2002(平成14)年10月16日(水)
 10時に旭川を出発して、小樽へ。
 昼食後、小樽市役所へ。2時間の研修を受けて、市内見学。
 ここは年間900万人の観光客が訪れる街。川越は400万人。


2002(平成14)年10月17日(木)
 10時に小樽を出発して、千歳空港へ。
 買い物をする、といっても今年4回目の北海道。少しばかり買い物をして川越へ。
 着は午後5時。羽田からが遠い。川越に空港を作ろう!


2002(平成14)年10月18日(金)
 市内のある小学校へ。
 高学年の生徒240名ほどに[桃太郎]を実演して聞かせた後、父母の成人教室。
「学校教育について」講演。こういう演題で話せる落語家はそういないだろう。昨年ま
で文教常任委員会副委員長だもんね。


2002(平成14)年10月19日(土)
 関東三大祭のひとつ"川越祭り"開幕。今年は観光客80万人と見込んでいる。
 朝から町内の挨拶回り。
 夕方から盛り上がるという時に、雨が強く降り出す。残念。


2002(平成14)年10月20日(日)
 雨はやんだものの、降水量60%。空は曇っていて、いつ降ってもおかしくはない。
 しかし、なんと一日中、雨は降らず祭りは盛り上がる。
 夜10時半頃、降り出す。
 やっぱり神様はいるんだと思った。
2002・12・28 UP








『 高山へ6時間のバスの旅 』

2002・10・1〜10(十月上席(かみせき))
 報じ手 吉窓

2002(平成14)年10月1日(火)
 志ん朝師匠の一周忌で東京會舘へ。四百人以上の人が集まって故人を偲ぶ。
 可笑しかったのが、9月末日まで大臣だったのだが、昨日の内閣改造で更迭されて
しまった柳沢前金融担当大臣の挨拶。
「今日から急に暇になりましたので、師匠の一周忌にも出席することが叶いました。
これも師匠のお導きでしょうか」
 客は大受け。


2002(平成14)年10月2日(水)
 すでにプロ野球は両リーグとも優勝は西武と巨人で決まっているので、この時期の
ゲームは消化試合ということになる。
 それでもライオンズファンとしては日本シリーズをにらんで落ち着いてはいられな
い。西武ドームの西武―近鉄戦に足を運ぶ。
 試合は4−1で負けたが、カブレラの55号ホームランを生で目の前で見ることが
できた。
 ぜひ、巨人を破って日本一になってくれよ。頑張れ、西武!


2002(平成14)年10月3日(木)
 落語協会のホームページのプロモーションビデオ収録のため、事務所へ。
 一人の持ち時間は10分以内なので、自己紹介と踊りを一つ踊った。
 興味のある方はぜひご覧ください。


2002(平成14)年10月4日(金)
 先日、ある週刊誌で近所のラーメン屋が紹介されていた。
 あたしはラーメン大好きというわけではないが、家から歩いて10分程度の場所な
ので、散歩がてら中1の娘を連れて寄ってみた。わりとコッテリ系だったが、まあま
あの味。
 帰り道、娘に「どうだった?」と聞くと「おいしくないっ」と言い切った。
 どうも娘にはコッテリ系はお気に召さなかったようだ。


2002(平成14)年10月5日(土)
 新宿西口、朝9時発の高速バスに窓輝と乗り込み、岐阜県高山市へ向かう。
 仕事は明日なのだが、当日、東京から向かったのでは開演に間に合わないので、前
日の現地入りとなった。
 中央高速道から松本へ。ここでハイウェイを降りて国道158号線に入り、飛騨山
脈を越えて高山へ。ちょうど午後3時に高山着。
 途中2回の休憩をはさんで、6時間のバス旅。結構くたびれるわ。


2002(平成14)年10月6日(日)
 朝9時に宿に迎えが来て、仕事先に向かう。
 市内にある県立斐田高校の文化祭。
 生徒さんに先生、OB、保護者の方まで加わった百数十名のお客様を前に、あたし
と窓輝で一時間半。あたしは[そば清]、窓輝は[壷算]を演じる。感度のよいお客
様だった。
 仕事の後、2時間ほど高山の町を散策。
 日曜日ということで古い町並みの通りは観光客でごったがえしていたが、この9日
10日は、日本三大祭のひとつ高山祭りがある。その時はもっと混雑することだろう
 帰りはまた高速バスに乗って、新宿着夜10時。
 なんだか長い一日だった。


2002(平成14)年10月7日(月)
 昨日のバス移動の疲れのせいか、朝おきてもボンヤリしている。
 今日は一日、仕事もないから、寝てよ、寝てよ。


2002(平成14)年10月8日(火)
 今日は、昼、文京区内の小さな敬老会へ伺う。
 あいにくの雨模様のため、10人弱と集まりは悪いが、よく聞いてくれてる。
[小言幸兵衛]と[道具屋]を演る。


2002(平成14)年10月9日(水)
 落語協会の2Fへ、今日から始まる茶番の稽古に行く。
 希望者十数名が集まり、指南役の翁家和楽、翁家喜楽両師匠の説明に聞き入る。
 落語と違って動きのあるコントなので難しい。なんとかなるかしら。


2002(平成14)年10月10日(木)
 今日は旧体育の日。さすがに朝から秋晴れの好天だ。
 本来なら祝日なのだが、数年前から第2月曜にずれたので、今日は普通の日になっ
てしまった。
 さる新聞のコラムでどなたかが「祝日はそれなりの意味がある日なのに、動かして
しまっては意味がない」といったことを書いていたが、まったくだと思う。
 夜、住吉踊りの稽古に行く。

2002・12・18 UP








『 久し振りの寄席 句会は頻繁 』

2002・9・21〜30(九月下席(しもせき))
 報じ手 圓 窓
2002(平成14)年9月21日(土)晴れ、さすが秋、風涼し。
 # 上席浅草演芸ホール・昼席14:00
 # 浅草演芸ホール[飛んでも杭]。6月にダウンして以来の寄席出演になる。大
  きな声で張り切りすぎたかな。
   売店に置いてもらうつもりで紙芝居を持参してたので、楽屋で以前、紙芝居を
  やっていたという圓蔵さんに見せる。
 # 多慶屋でスクラップ帖を購入。印刷物が多くなって収集がつかなくなったので、
  整理しなくては。その帖、重い重い。
 # 帰宅後、思い出した。前日、国立演芸場の夜トリ、代演で[桶屋裁き]をした
  のだが、その折、楽屋で講釈の馬琴さんと久し振りに会う。
   圓窓「あたしは吉良贔屓。吉良さんをテーマにした作品はないかね」
   馬琴「講釈ではないね」
   圓窓「やはり、義士側になるんだね」
   馬琴「菊地寛の小説に『上野介の立場』という作品があったな」
   てな話になった。
   で、外出して本屋へ。
 # 12月上席は国立演芸場で10日間の「寄席手本忠臣蔵」公演。
   その高座で吉良物を演りたい。歌舞伎に負けられません。(笑)
   西武デパート地下の書店で各社の文庫本で菊池寛を調べたが、ほとんどない。
   あっても一冊だけ。文春文庫でさえも一冊。寛さんが興した会社だよ、文春は。
  時代なんだろうか、読まれなくなったんだね。
 # メール仲間のYさんから、「庭でできた栗」が届いた。去年より旨い。


2002(平成14)年9月22日(日)
 # 午前中に千早図書館へ。館内のパソコンで検索すると、「忠臣蔵関連は中央図
  書館にある」と出る。
 # 浅草演芸ホール[おはぎ大好き]
 # 新大塚にある豊島区中央図書館へ。さすが、中央だ。菊池寛全集を3冊、井上
  ひさし戯曲を一冊借りた。重い、おもい。帰りはブラブラとサンシャインを通っ
  て、池袋まで歩く。なおも重い、おもい。
   なんとか吉良弁護の作品を得て、創作したい。
 #「犬の仇討ち」は読売新聞の記者のTさんに薦められた、井上ひさしの戯曲。芝
  居は観られなかったので、本で我慢。忠臣蔵と生類憐れみの令とをつなげて面白
  い。吉良の弁護側になる作品。駄洒落もありで。(笑)


2002(平成14)年9月23日(月)
 # 浅草演芸ホール[銭垂れ馬]。
 # 寄席のあと、墓参。親の寺は浅草の満照寺。近くに東本願寺がある。
  脇の門に「法話。どなたでもご自由に」と書かれていたので、途中ではあったが、
  聞かせていただく。説教師は亀居欽師。訛のある方だったが、面白かった。
   そして、感動を与える口調であった。
   説教師の亀居欽師の話の中に、「『感謝する』というより『感謝せずにはいら
  れない』という思いが大事だ」と。なるほど、そのほうが心のレベルは高い。
   お彼岸中は午前と午後に法話があるらしい。明日からは、他の師が話すという
  から、また行ってみよう。


2002(平成14)年9月24日(火)
 # 浅草演芸ホール[おはぎ大好き]
 # 今日も法話を聞きに行く。竹橋尚師。
   師曰く「始まったとき(13時)は6人でしたが、今はご覧の通り」と笑わす。
  途中から入ったあたしを含めて15人ほど。やはり、笑いがあると、活気付くも
  のだ。
  「お守りのおかげで命拾いをした、と簡単に考えてはいけない」という話もあっ
  た。難しい……。
   浄土真宗だから、法話の最後は一同で「ナンマイダ」の声。
 # 新宿へ出て、映画「チョコレート」。小さな映画館の新宿文化シネマ4。
  「いい映画だよ」と多くの人に言われているので、見損なってはいけないと、気
  張って見る。
   二組の親がそれぞれ子供の死に接して、愛を感じ取るというテーマ。そして二
  人は結ばれる。性を正直に正面に押し出しての制作姿勢がうかがえる。なるほど、
  いい映画だ。
 # そうそう、映画の時間つなぎに紀伊国屋書店。立ち読みして、ついつい買う。
   NHKの放送テキスト。 


2002(平成14)年9月25日(水)
 # 演芸連合の寄り合い。広小路亭の4階。
 # セミの会、吟行。谷中を周る。(浅草演芸ホールは休み)
   谷中の商店街、故志ん生師の近くを歩いて、「志ん生の曲がりし露地や秋の風
  」。
  「志ん生なら春の陽気な季語のほうが生きるね」と宗匠に言われたので、いい季
  語を探そう。
   寛永寺近くで「この道は彰義隊の逃げた道だよ」と言われ「彰義隊逃げたる道
  や秋の声」と詠んだが、「守りたる、のほうがいい」と添削。なるほど、「彰義
  隊守りたる道や秋の声」だと、立派そうで恰好いい。


2002(平成14)年9月26日(木)
 # 日大[蕎麦食い地蔵](浅草演芸ホールは休み)
   職員の中島さんが合気道をやっていると聞いて、なおも詳しく聞く。明治時代
  になって生まれた防御のための武術だそうだ。
   帰宅して、サイトで合気道を検索。ある、ある。

2002(平成14)年9月27日(金)
 # 浅草演芸ホール[千葉で踏まれて]
   席亭に落語紙芝居[ぞろぞろ]を売店でどうか、と話す。
 # 坂東流の踊りの会を観に歌舞伎座へ。ところが、やってない。来月だとわかっ
   て、ああああ……。
 # はいとりがみ句会。
   兼題の一つ「ほほづき」。その物を口にしなくなって何十年になるか。微かな
  記憶が蘇ってくるのが俳句のいいところ。「ほほづきを含みて恐る恐るかな」っ
  て、詠んだが。
   席題が白桃。「白桃にいずれの指も武骨なり」と詠んだが、「武骨なる、のほ
  うがいいね」と添削を受ける。


2002(平成14)年9月28日(土)
 # 浅草演芸ホール[千葉で踏まれて]。


2002(平成14)年9月29日(日)
 # 浅草演芸ホール[這っても黒豆]。
   文落連の総見(二人かな)。その一人、Kさんが四九八句会に投句参加してく
  れる、とのこと。
 # 以前に頼まれた原稿を打つ。「国語兵庫」という教員の研修会の会報。


2002(平成14)年9月30日(月)
 # 浅草演芸ホール[這っても黒豆]
 # 四九八句会。投句者の一人、薩摩のKさんが江戸見物にきたついでに句会に初
  参加。で、女性が増えて三人。句でも奮闘し、男性側はタジタジ。
   あたしの苦吟。「襟足を濡らしたるのみ秋時雨」。初案は「濡らしただけの」
  だったが、文語体にしたら、こうなった。
  「酔ひ覚めの嗽ついでの月見かな」。宗匠から「ついで、がひっかかるなぁ」と。
  「還暦の歩み晩秋の中にあり」。これも宗匠から「晩秋では寂しすぎる。還暦を
  明るくいこう」と。
2002・11・6 UP







『 母へ掃除機のプレゼント 』

2002・9・11〜20(九月中席(なかせき))
報じ手 窓 輝

2002(平成14)年9月11日(水)
 大の阪神ファンの母と、神宮球場でヤクルト対阪神戦を観戦。
 貧打線の展開も4−3で阪神の勝ち。母の機嫌、かなり良し。


2002(平成14)年9月12日(木)
 萬窓兄さん夫妻に地元(上板橋)でご馳走になった。
 酔ったお姉さんは面白くたくさん会話したが、自分も酔ってたのであまり内容は覚
えていない。
 兄さん、お姉さん、ごちそうさまでした。


2002(平成14)年9月13日(金)
 月末の「四九八句会」に備え、俳句作りの散歩。
 兼題は「馬肥ゆる」で、公園や商店街をフラフラしたが、なかなかいい句が・・・。


2002(平成14)年9月13日(土)
 深夜寄席に出演。60名のお客様で、ちょっとした収入あり。
 一緒に出演したすい平兄さんにラーメンを、喬之助兄さんからビールをご馳走にな
る。
 ご来場のお客様、両兄さん、ありがとうございました。


2002(平成14)年9月15日(日)
 敬老の日で母と葛飾区立石の祖父の家へ。95歳の祖父はまだまだ元気。
2002(平成14)年9月16日(月)
 川崎市内のいこいの泉で敬老落語会。
 窓輝[転失気]、亀蔵[宮戸川]。反応かなり良し。


2002(平成14)年9月17日(火)
 帝国ホテルでいっ平兄さんの昇進披露パーティーのお手伝い。
 規模や豪華さに圧倒された。おめでとうございます。


2002(平成14)年9月18(水)
 ドラゴンズ3−1で阪神に負け。阪神戦は特に負けてほしくないのに・・・。
 それにしても点が取れない。ランナーは出すがあと一本が出ない。ビール飲んで寝
た。


2002(平成14)年9月19日(木)
 川越街道を深夜、自転車で走行中に無灯火でお巡りさんに止められた。
「どこ行くの?」の質問の次に「学生さん?」と聞かれたのはちょっとうれしかった。


2002(平成14)年9月20日(金)
 池袋の西口にオープンしたビックカメラで掃除機を買った。
 特別な日でもないが、「壊れた」と言っていた母へのプレゼント。
 自分は玩具売り場でチョロQを買う。
2002・11・6 UP







『模擬句会の打ち上げで 唄いまくる 』

2002・9・1〜10(上席(かみせき))
報じ手 萬 窓
2002(平成14)年9月1日(日)
『圓朝まつり』の模擬句会の打ち上げを、大塚のスナック『純子』にて。
 この店のママさんは、師匠の高校時代の後輩とか。集まったメンバ−は、圓窓、吉
窓、萬窓、窓輝、扇治、扇辰。カラオケで題名に東京の付く曲を限定にしたところ、
みんな競って歌いまくる。
 お開きになったのが午前1時。皆さん、お疲れさまでした。


2002(平成14)年9月2日(月)
 カミさんが昼から外出。子供の世話に明け暮れる。近頃、抱いてやらないとぐずる
ようになった。


2002(平成14)年9月3日(火)
 夜、国立演芸場の『圓生物語』の楽屋に顔を出す。
 師匠の発案で始まって今年で5回目。お客も毎回大入りで、すっかり定着した様子。
 早くも来年のチケットを予約する人がいた。ありがとうございます。


2002(平成14)年9月4日(水)
 ゴルフに行く。栃木のあさひが丘C、C。
 メンバ−は噺家で、一九、三太楼、太助、萬窓。ドライバ−が当たらず、4回OB。
 スコア−は内緒。


2002(平成14)年9月5日(木)
 以前、多摩の寿司屋でやっていた落語会の世話人さんから電話があり、その寿司屋
にいた板前さんが松本で店を出し、開店記念に落語会をやりたいとのこと。
 扇好兄と多摩の店へ打ち合わせに行く。「1回と言わず、続けてください」とお願
いする。


2002(平成14)年9月6日(金)
 同期の扇治さんに[そば清]の稽古を頼まれ、協会事務所へ。
 改めて、師匠圓窓に教わった通りにやると、抜けているセリフがあることに気がつ
く。


2002(平成14)年9月7日(土)
 母方の祖父に、子供を見せに行く。
 今年89歳。「長生きしたおかげで曾孫の顔を見られた」と喜ばれる。


2002(平成14)年9月8日(日)
 近所の居酒屋で落語会をやってもらっている。そこのマスタ−とお客さんが落語を
憶えたいと言ってきた。では、もう少し生徒を募集し、『落語塾』をやりましょうと
いうことに。まずは5名の参加者あり。


2002(平成14)年9月9日(月)
 夜、両国寄席、[あくび指南]。


2002(平成14)年9月10日(火)
 来月の5日、板橋区西台の天租神社の祭りでカラオケ大会の司会を頼まれた。その
打ち合わせに行くと、社務所の二階に100名ほど入る広間がある。「ぜひ、落語会
をやってください」とお願いする。
2002・11・6 UP







『 そろそろ 来年の選挙 』

2002・8・21〜31(八月下席(しもせき))
報じ手 窓里


2002(平成14)年8月21日(水)
 電機労働組合委員会へ。来年の選挙の推薦をいただくため挨拶に。
 夜、地元である代議士の国政報告会出席。私も挨拶の中で、一日も早いバイパス着
工の理解を求める。


2002(平成14)年8月22日(木)

 昨日の挨拶についての反響があった。
「とても良くわかった」「落語家だから説明が上手」など。
 落語家だからといって、道路建設について語れるわけではないぞ。


2002(平成14)年8月23日(金)

 NTT労働組合大会へ。やはり来年の選挙の推薦をいただくため挨拶に。組合の協
力は心強い。


2002(平成14)年8月24日(土)

 地元の夏祭りに。話題は先日のバイパスについて。
 今まで反対していた人の中から「条件次第では」と言う声も。
 ここまで来たからには、テープカットを見るまでやめられない。


2002(平成14)年8月25日(日)

 川越市防災訓練。酷暑の中で地域住民参加。
 備えあれば憂いなし。しかし、実際に行動できるのか、不安は残る。


2002(平成14)年8月26日(月)

 川越市主催の西武園競輪へ。自分の街で何が行われているか、把握する。
 しかし、暑い中でボーッと見ているだけではない。ちゃんと、車券購入。やはり、
当たらない。


2002(平成14)年8月27(火)

 議会運営委員会。9月定例会について審議。9月定例会は5日開会。
 また、質問するか。楽しみだな。


2002(平成14)年8月28(水)

 友人宅へ。自動車をぶつけられてしまったとのこと。
 しかも、相手は保険に入っていない。修理代、医療費はどうなるのか、心配して相
談してきた。無責任にも程がある。


2002(平成14)年8月29日(木)
 整体に。疲れていくると腰痛が起こる。ひどくならないうちにマッサージを受ける。


2002(平成14)年8月30日(金)

 会派会議。9月定例会と視察について打ち合わせ。
 遊びじゃないから、どこに行こうというわけにはいかない。目的を持って行かない
と。視察なんだから。


2002(平成14)年8月31日(土)

 子供の中学校時代の野球部親の会へ。
卒業してからも、定期的に集まっている。今では子供以上に親の付き合いが深まった。
 本当にいい事だ。
2002・10・9 UP








『 志ん朝追善 住吉踊り 』

2002・8・11〜20(八月中席(なかせき))
 報じ手 吉窓


2002(平成14)年8月11日(日)
 今日は圓朝忌。落語中興の祖、三遊亭圓朝師匠の命日。
 あたしが初めて師匠のお供でついていった二十数年前は、普通の法事とあまり変わ
らないような印象だったが、年々、少しずつ派手になり、今年はついに落語協会が総
力をあげた一大イベント『圓朝祭り2002』と化した。
 あたしも何かお手伝いはしたかったのだが、この日は浅草演芸ホール昼席、住吉踊
り興行の初日。時間帯が重なっていかんともしがたい。
 イベント参加は諦めていたら、祭りの実行委員会から要請があり、イベントのフィ
ナーレを住吉踊りで〆てもらえないかとのこと。検討の結果、かけつけることになる。
 浅草の昼の部終演4時35分。移動可能な下座2名を含む20名の住吉踊りの一行
は浴衣姿のままタクシーに分乗。炎天の西日差す谷中の全生庵へ。
 5時頃にはほぼ全員到着。10分弱の休憩の後、住吉踊りを本堂の階段上にて披露。
何とかお役目を果たした。
 イベントの方も大成功だったようで、何より。
 しかし、こちらも強行軍でくたびれた。重い足をひきずって帰途につく。


2002(平成14)年8月12日(月)
 今日も浅草へ。今年の住吉踊りは〔志ん朝追善〕と銘打ってあり、踊りに入る前に
志ん橋兄の司会で故人を偲ぶ"ミニ座談会"がある。
 高座に金馬、円菊、円弥、助六の各師が並ぶ。
 偲ぶとはいえそこは噺家なので、湿っぽくならず適度に客席の笑いを誘う。


2002(平成14)年8月13日(火)

 住吉踊り三日目。三日目だが、踊りのプログラムはまだまだ試行錯誤があって、こ
こはこうしよう、あそこはこうやろうとメンバーから修正手直しの意見が出る。
 いざ、お客様の前でやると稽古ではわからなかった面がいろいろ出てくるというこ
とだ。明日からはほぼ安定した(?)住吉踊りをごらんいただけます。


2002(平成14)年8月14日(水)

 今日は高座の出番がある。上がり時間は11時10分。
 都内にある寄席でうちから一番遠いのが浅草演芸ホール。時間を逆算して9時50
分に家を出る。
 高座は[山号寺号]を演る。もう客席は立ち見が出ている。
 終わって昼食をとりに表へ出る。
 食後、フラッとパチンコ屋へ。短時間で一万円くらい勝った。ついてる。


2002(平成14)年8月15日(木)

 中日の打ち上げで近くのそば屋の尾張屋へ行く。
 ここは亡き志ん朝師匠も大層ご贔屓だったお店。40人弱でお邪魔して飲食したが、
打ち上げ代は女将の計らいでずいぶん負けていただいた。感謝、感謝。
 皆さん、浅草へ行っておそばを食べるときは、ぜひ尾張屋へ。


2002(平成14)年8月16日(金)

 今日も高座出番あり。[都々逸親子]を演る。
 大喜利の踊りの仕度には2時に楽屋に戻れば充分だから、また食事がてら表へ出る。
 つなぐのも結構お金がかかる。
 食後、喫茶店でコーヒーを飲んでたら、扇橋師匠が入ってきた。しめしめ、「師匠
っ、コーヒーごちそう様ですっ」


2002(平成14)年8月17日(土)

 今朝8時頃に電話が鳴る。こんな時間になんだろうと思って受話器をとると、志ん
弥兄。
 ゼーゼーひどい声で「風邪ひいちゃってダウンしてるんだ。今日の高座、代演に行
ってくれない?」とのこと。クーラーが良くなかったらしい。
 高座は[与太郎小咄]を演る。


2002(平成14)年8月18日(日)

 昨日の志ん弥兄ではないが、他にも体調不良を訴えるメンバーがぼつぼついる。
 真夏の興業だけに、体力の消耗も激しいと思うが、それぞれに暑さを乗り切って頑
張りましょう。
 今日の高座は[大名小咄]を演る。


2002(平成14)年8月19日(月)

 今日は台風13号が関東東海地方に最も接近するというので、朝から風雨が激しい。
 お昼過ぎにはひと段落したが、さすがに客の入りはこの芝居で一番悪い。
 天災には敵いません。


2002(平成14)年8月20日(火)

 思えば去年のこの日が古今亭志ん朝師匠の生涯最後の寄席出番の日だった。
 なんとか今興行も無事に千秋楽を迎えることができた。
 打ち上げでも、とにかく終わったという安堵感が漂う。
 その席で、住吉踊りでは初期からのメンバーであった漫才の”あしたひろし・順子
さん”が「今回限りで住吉踊りの会をやめる」ことが発表された。
 古今亭円菊師匠も数年前に退会してたが、今回のみの特別参加ということだったの
で、来期以降は顔ぶれも一段とさびしくなることは否めない。
 住吉踊りもこれから考えることはいろいろ多いのです。
2002・10・9 UP







『 寝返りて稲妻近くなりにけり 』

2002・8・1〜11(八月上席(かみせき))
 報じ手 圓 窓
2002(平成14)年8月1日(木)
 # 寄席は休席。なにもすることなし。太る一方。


2002(平成14)年8月2日(金)
 # 夕方の落雷で電話が故障したらしい。夜分になってパソコンを立ち上げてメー
  ルが不能で気がつく。携電で電話局の113の故障係へ掛けても「混み合ってま
  す。のちほどお掛けください」という声ばかり。今日はあきらめる。


2002(平成14)年8月3日(土)
 #”意識を高める勉強会”を聴講に行く。会場はビックサイト。新木場駅で乗り換
  えて行けるので便利は便利。勉強会の会場はみっちり入っていたが、他の会場は
  人のいる様子もない。
   会員の医者の講演から「サイエンスの語源はハサミ。だから、科学は細かく切
  り刻んで追及するもの」ということを知った。
 # 終わって、都バスで東京駅八重洲口へ。演芸連合の寄り合いで東京駅のルビー
  ホール。いやはや、わかりにくいところにある。目安を付けておいて、時間つぶ
  しにブックセンターへ。拙著「人の話の聞き方入門」が棚にあった。くすぐった
  い。
   小腹が空いたので、駅構内の売店で菓子パンを買う。クリームパン、チョコパ
  ン、アンパンなど。寄り合いの会場に入ると「弁当が出るぞ」の声。ああ、無駄
  遣い。
 # 電話局へは相変わらず、つながらない。困った、困った。


2002(平成14)年8月4日(日)
 # NTTの故障係に電話。なかなか通じない。落雷で故障にあった人が多かった
  んだろう。ターミナル、ルーターが故障と判明。新しいのを買いに行く。池袋の
  ビックカメラにはなくて、新宿のハルクのビックカメラへ。NTTの人が二度も
  来てくれたが、設定が順調にはいかない。


2002(平成14)年8月5日(月)
 # 朝、めまい。こりゃいけない。落雷がめまいにつながるとは。池袋演芸場の代
  演を頼まれていたが、悪いが断わる。
 # ネット仲間のHさんが駆けつけて急場を救ってくれた。なんとか、電話も落ち
  着いた。電話、ネットの通じないのはつらい。


2002(平成14)年8月6日(火)
 # 中野坂上へ踊りの稽古。


2002(平成14)年8月7日(水)
 # 圓生物語のチケット売り上げ状況を点検して、「ちと宣伝をしなければ」と思い、
  名簿を広げて、チラシの発送。
 # 体重の増えは気になる。現在79キロ。およしよ。


2002(平成14)年8月8日(木)
 # 電話がどうも可変しい。落雷で電話とパソコンをやられたので、TA(ターミ
  ナルアダプター)を替えたんだが、まだ、どうもいけない。
   拙宅から人さまへかけるとき、相手のナンバーを打ってて、ちょいとでも間を
  空けると切れて、ツーツーツーの音。仕方ないから、それを無視してナンバーを
  打ってから一端切り、そのあと、「再ダイヤル」を実行すると相手につながる。
   なんです、これは。ML仲間に相談しよう。


2002(平成14)年8月9日(金)
 # 理事会。馬風より理事を増やそうの発言。小生「ちょいと待った」と。
 # 早速、リッキーさんからアドバイス「TAのダイヤル待ち時間が1秒に設定さ
  れているようですので、圓窓師匠は1秒以上間隔を空けずにダイヤルしなければ
  なりません。ダイヤル待ち時間を大きな数字(3秒くらいが適当だと思います)に
  設定してください」。なるほど、復旧した。ありがとう。


2002(平成14)年8月10日(土)
 # 明日の圓朝忌の祭りで開く模擬句会の福引の景品を全生庵へ運ぶ。運転は窓輝。
  住職に会ったので、鉄舟の話をしたら、「山岡鉄舟の真面目」という本を頂戴す
  る。明日の落語会でのマクラに使えるエピソードでも書かれていればいいのだが。
 # 甲州の増穂町文化会館の落語会へ。ロビーで売るグッズは送ってある。プロダ
  クションの大野さんが気を利かせて「電車の切符を二枚とりました。お弟子さん
  を連れて」と手配してくれたが、うちは前座はいないし、本売りだけで真打、二
  つ目を連れて行くわけにはいかず、女房を誘って行くことにした。その女房と池
  袋のホームで待ち合わせ。13時のあずさ号で現地へ。金馬、権太楼、たい平、
  スミ、圓窓と賑やか。
   新宿のホームで「理事は増やすことない」と金馬、権太楼、圓窓で話す。
2002・9・10 UP







『 踊り 上手くなりたい 』

2002・7・21〜31(七月下席(しもせき))
報じ手 窓 輝
2002(平成14)7月21日(日)
 長野県中野市にて着物の「菊一屋」さんの展示即売会。11時〜5時まで三席
の落語とお客様との談笑で売り上げに貢献。


2002(平成14)7月22日(月)
 即売会二日目。
 東京では四九八句会。欠席なので、近所のコンビニから投句。「七夕や星の数
ほど願い事」


2002(平成14)7月23日(火)
 池袋の特選会「落語野球倶楽部」。
 大喜利での参加も二問目で退場。出演時間約10分。


2002(平成14)7月24日(水)
 連日の特選会で、らん丈師匠の「どうしまショー」のお手伝い。
「何もすることないから」と打ち上げでごちそうになっただけ。師匠、ありがと
うございました。


2002(平成14)7月25日(木)
 協会誌「落語の友」編集会議に出席。
 いっ平兄さんの昇進の記事の担当に。


2002(平成14)7月26日(金)
 イイノホールへ師匠のお供で。東京かわら版さんのお隣で師の本『人の話の聞
き方入門』と『コーヒー小噺』を販売。35冊分の売り上げから10%のお手当
て。


2002(平成14)7月27(土)
 昼は師匠と二人で大船の慈眼寺へ。
 檀家さん200人の前で[転失気]と踊り[並木駒形]。
 夜は桶川で地元の婦人会主催の落語会。これは笑生くんにいただいたお仕事で、
[幇間腹]を熱演。打ち上げのカレーライスが大変おいしかった。


2002(平成14)7月28日(日)
 ダウン。原因は働きすぎ、ではなくて、エアコン付けっぱなしで寝たため。微
熱と軽度のノドの痛み。一日静養。


2002(平成14)7月29日(月)
 東京ドームで巨人対中日戦。6対4で負け。先発のバンチ自らホームラン打つ
も、5回でKO。中日の選手から闘志が感じられない。


2002(平成14)7月30日(日)
 
記憶にありません……。


2002(平成14)7月31日(月)
 
プリンスホテルで夏の寄合い。余興で師匠と二人の踊り[槍錆]。大勢の仲間、
師匠方の前で踊るのは恥ずかしかった。ああ、もっと上手になりたい!
2002・9・8 UP






『 生まれて初めてのバリウム 』

2002・7・11〜20(中席(なかせき))
報じ手 萬 窓
2002(平成14)7月11日(木)
 鈴本夜席の代演、[浮世床]。
 楽屋で昨年一緒に真打昇進した馬遊さんに、久しぶりに会う。帰りに二人で軽く一
杯。


2002(平成14)7月12日(金)
 学習塾の先生方の前で講演。テ−マは[笑いをとる話し方]。
「生徒を笑わせる必要はないんじゃないですか?」と尋ねたところ「いいえ、今の生
徒は15分に一回笑いを入れないとダメなんです」 ……、なるほど。


2002(平成14)7月13日(土)
 新宿末広亭の夜席代演、[浮世床]。


2002(平成14)7月14日(日)
 浦和市民寄席[大山詣り]。
 私の他に禽太夫[臆病源兵衛]、扇辰[麻のれん]と夏の噺が三題。「季節限定の
ネタは、年に一遍はやらないと、忘れてしまって来年は出来なくなってしまう」と皆
の意見が一致。


2002(平成14)7月15日(月)
 区のケ−ブルテレビを入れる。全部で30チャンネルで、なんと天気予報専門のチ
ャンネルまである。一日中天気予報をやってるが、天気ってそれほど変わるものじゃ
ない。


2002(平成14)7月16日(火)
 8月11日の 円朝まつりの実行委員会。
 いよいよ、当日のパンフレットづくり。挨拶文、出店リスト、注意事項を手分けし
て作成。


2002(平成14)7月17日(水)
 午前中、区の無料の癌検診に行く。
 今回は胃と肺だが、バリウムを生まれて初めて飲む。ゲップが出てもう一杯。ドリ
フタ−ズのコントを思い出し、また吹き出す。さすがに3杯飲むと一日中食欲がなく
なる。


2002(平成14)7月18日(木)
 図書館で過ごす。涼しくて快適で、推理小説を5冊読破する。


2002(平成14)7月19日(金)
 友人と池袋で飲む。この暑さにビ−ルがすすむ。


2002(平成14)7月20日(土)
 夕方から大井競馬場のトゥインクルレ−スへ。
ナイタ−で見る馬の美しさに感動するが、5レ−ス勝負して7500円のマイナス。
2002・9・6 UP






『 視察は涼し 帰京は暑い 』

2002・7・1〜10(七月上席(かみせき))
報じ手 窓里
2002(平成14)7月1日(月)
 議会運営委員会。平成14年度第1回目を開会。正副委員長を決めて審議に入る。
 私は6年続けての委員。


2002(平成14)7月2日(火)
 町内の役員の方が来訪。今後の地域の町づくり等について話し合い、午後、市役所
にて人と会う。
2002(平成14)7月3日(水)


 本日より3日間、消防組合の視察で北海道へ。今日は帯広市消防本部へ。会議後、
新庁舎内見学。市内のホテル宿泊。


2002(平成14)7月4日(木)
 朝食後、電車で釧路へ移動。釧路市消防本部へ。防災について説明を受けた後、初
期消火、起震体験。我々は市民の命と財産を守らねば。(立派)


2002(平成14)7月5日(金)
 市場で買い物をして空港へ。午後の便で羽田着。暑い。釧路は16℃だったので、
非常に暑く思う。以上、3日間の視察でした。旅行ではありません。


2002(平成14)7月6日(土)
 出来上がったばかりの議会報告書を配る。郵送料が高いので、近所は手配り。3時
間で200件。いやぁ、暑い。


2002(平成14)7月7日(日)
 午前中、昨日に続いて報告書配り。今回、印刷代、郵送料、合わせて約20万円。
自己負担だぞ。
 午後、知人婚礼出席。司会じゃないので、ギャラ無し。しかもお祝い持って。自己
負担だぞ。


2002(平成14)7月8日(月)
 ある国会議員の国政報告会パーティー出席、来賓が多数いたが、皆さんの挨拶が短
く、乾杯まで50分。立食だから本当にありがたいと、誰もが思ったはず。


2002(平成14)7月9日(火)
経営者クラブにて、落語一席。今回は落語家だからギャラをもらえる。いい仕事だね。


2002(平成14)7月10日(水)

 台風6号接近。警戒体制が設置。私も予定を全て変更して、自宅待機。水害が心配
される。
2002・9・8 UP






『 我 予備自衛官なり 』

2002・6・21〜30(六月下席(しもせき))
 報じ手 吉窓
2002(平成14)6月21日(金)
 住吉踊りの稽古に行く。恒例の8月中席の浅草演芸ホール興行が近づいてきた。今
年は古今亭志ん朝という柱を失って初めての興行。不安はあるが、ともかくやるしか
ない。


2002(平成14)6月22日(土)
 この3月に娘が卒業した小学校の担任の先生方を囲んで食事会があるというので、
女房がいそいそと出かける。
 こういうことには男親の参加は皆無。女親は異常に(?)積極的。


2002(平成14)6月23日(日)

 夜、池袋演芸場で圓窓一門会。
 客席は130名を超えるお客様で大入り満員。
 今回のキーワードは「紙芝居」。
 ゲストで落語紙芝居を語る佐々木君は小学4年生。
 剣道をやっているそうで、物言いははきはきしている。今回の体験で落語に興味を
持っただろうけれど、まちがっても噺家になろうなんて思っちゃいけませんよ。
 あたしは[きゃいのう]を演った。


2002(平成14)6月24日(月)

 落語卓球クラブの練習に行く。どうもここのところ鬱陶しい日が続いている。こう
いう時期は無心にピンポン玉を打って、いい汗かいてスカッとしよう。


2002(平成14)6月25日(火)
 夜、中一の娘に「ねえ、父さん、ここ教えてよ」と数学の問題をきかれる。
「ううむっ、数学は苦手だったからなぁ。どれどれ」と、へどもどしながらなんとか
一問つき合ったが、二問目以降は「母さんにききなさい」と逃げる。
 でも、中一程度の数学ならまだついていけそうだ。


2002(平成14)6月26日(水)

 今日も雨。今年の梅雨は本当に梅雨らしい梅雨だ。
 池袋昼の部へ代演に行く。[居候講釈]を演る。


2002(平成14)6月27日(木)

 オフィス樹の稽古場で四九八句会。
 兼題「守宮(やもり)」、席題「さくらんぼ」に頭をひねる。
 今日は花留(カル)さん、大蛇さんの句に皆の点が入っていた。あたしの句はメロ
メロ。のべつ良い句を作るというのは大変です。次回は頑張ろう。


2002(平成14)6月28日(金)

 毎年5日間の国へのご奉公。
 本日より来月2日まで予備自衛官の招集訓練で陸上自衛隊の朝霞駐屯地へ。
 初日の今日は、身体検査と、現役中隊長による自衛隊の体制、装備等の現状説明が
ある。これから数日間は落語家という職業を少し忘れ、自衛官の了見になる。


2002(平成14)6月29日(土)
 自衛隊も土日は休日、一般隊員は休みだが、招集された予備自衛官はしっかり訓練。
 予備自衛官とはいわゆる自衛隊OBの集まりで、年齢も20代から60代までと幅
広い。ちなみに今回の訓練参加隊員の平均年齢は42歳とのこと。もちろんあたしよ
り年配の古参兵もどっさりいる。
 少しきつい訓練だと、突き出た腹をなでてフーフーいってる人も珍しくない。日頃
から体を鍛えておくにこしたことはないが、つい怠りがちです。あちこち筋肉痛も起
きてくるけど、体を動かしているので3度の食事のうまいこと。


2002(平成14)6月30日(日)

 今日、3日目の訓練は、小銃による実弾射撃訓練。
 200m先の標的を狙って、計27発の実弾を撃つ。一般生活ではなかなかできな
い体験だけに、これが一番楽しみという隊員も多い。
 あたしは現役時代あまり得意ではなかったが、ここ一、二年、射撃の成績が良くな
ってきてる。どうしたんでしょ。
 夜は娯楽室のTV前は鈴なりの人。W杯サッカー決勝戦、ブラジル対ドイツ戦に釘
づけ。やっぱりブラジルは強い。優勝しちゃったよ。さあ、訓練もあと2日。明日も
7時起床だ。もう寝ようっと。
2002・09・8 UP






『 まずは 体を休めさせよう 』

2002・6・11〜20(六月中席(なかせき))
 報じ手 圓窓
2002(平成14)6月11日(火)
 # 末広亭の企画公演、昨日が千秋楽。
   風邪がこじれて、発声不調で8、9、10日は馬桜、吉窓に噺し方を頼み、踊
  り方に回って、窓輝と”槍錆び”を踊った。それと、お詫びの口上の一言をと思
  って高座に座ったが、それが20分近くあり、我ながら飽きれる。楽屋の声「声、
  出るじゃありませんか」だって。
   客動員3000人の目標にはやはり及ばなかったが、席亭から「普段の興行よ
  り良い」の声を得て安堵。出演者一同が大いに宣伝してくれた結果でもある。
 # 喉はつらい。中席は浅草演芸ホールの昼席だが、無期限の休席にはいる。
   食うためには仕事もしなければならないが、この不況、仕事は繁多でもないの
  で喉の休養にはいい。気管支までやられているので、全快には時間がかかりそう。
   ゆっくり心身を休めよう。
   一日中、ゴロゴロも楽じゃない。だるさは残っているので、雑用をする気にも
  ならない。
   政治家物真似のさん八から「お世話さまでした」の留守電あり。後刻「福田官
  房長官、鈴木宗男の話題人を取り上げるからえらいよ」と返信。
   高座舞いに初参加した金兵衛から「お世話さまでした」の電話も。「金兵衛よ。
  せっかく始めたんだから、踊りの稽古は続けな。芸に大切な品位が出るからな。
  あたしは60歳になってそれに気が付いて、遅まきながら始めたんだ。若いお前
  さんはどんどんよくなるぞ。人情噺や芝居噺もしやすくなるぞ」と激励す。
 # 末広亭の企画公演があって見られなかったWカップのテレビ中継をやっと見る
  ことができた。ドイツ×カメルーン。応援したカメルーンが負けた。遅れて来日
  したカメルーンは早めに帰国することになった。これで、プラマイ0になる。


2002(平成14)6月12日(水)
 # 電話が可変しい。送信は可能だが、受信が不能。NTTに電話して来てもらっ
  たが、「原因がわかりませんね」。しかし、感じのいい人で、何度も首を捻りな
  がら、やっと原因発見。配線の分岐点が猫のオシッコでいけなくなっていた。修
  理して復旧。その人に、〔圓窓五百珈琲小咄を読む本〕と手拭いをプレゼント。
 # 地下鉄全線定期が明日で切れる。明日、新しい定期を買いに行くには切符を買
  わなければならない。悔しい。(笑)休養中なんだから、定期はいらないか……。
   でも、明日は日大の講座があるから、電車には乗る。どうしようかな。


2002(平成14)6月13日(木)
 # 日大へ。地下鉄の千川駅から練馬を経由して西武線に乗り入れて所沢。乗り換
  えて航空公園。西武電車の中吊りに八月の渡辺美里ライブの案内。スタンディン
  グの体力がなくなったので、断念して不参加。友人に断わったときのつらいこと。
   航空公園で窓里と待ち合わせて、バスで学校へ。
   窓里は「二足の草鞋について」の講演と[桃太郎]。
 # 郵便局へ寄り、貯金を下ろす。帰宅後、昼寝。


2002(平成14)6月14日(金)
 # 日本、チェニジアに2−0で勝ち、1位で予選通過。
 # 棋苑図書と電話で「〔続圓窓ひとりごと〕を出すこと」に決定す。既制の〔圓
  窓ひとりごと〕は再編集をして再発行する予定。


2002(平成14)6月15日(土)
 # メールで「今日は俳句倶楽部の句会だったんですよ」って。ギャーッ! 忘れ
  てた!!! 昨日まで兼題を苦吟してたのに……。近頃、このうっかりが多すぎ
  る。


2002(平成14)6月16日(日)
 # 父の日だってさ。次男夫婦から半袖のシャツが届く。


2002(平成14)6月17日(月)
 # 高座舞いの稽古。舞台落語へ初参加であった金八、金兵衛、喜せんが来ていた。
 # 事務局の小川へ末広亭公演の報告。
 # 久し振りに映画館に入る。映画〔ハイ クライムズ〕。タイトルの意味がわか
  らないうちに映画終わる。
 # 昨日に続き、今日は長男夫婦からは財布が届く。これに金子を入れておいても
  子供や孫へ回ってしまう。確たる中身がほしいよ。


2002(平成14)6月18日(火)
 # Wサッカー、日本、トルコに1−0で負ける。
   潮が引いたような気分。明日から、なにをするか、ふと考えてしまう。
   韓国が逆転でイタリアに勝つ。先行されたが、「逆転する」と信じながら見て
  たらその通りになった。日本とは気迫が違う。日本はどっか甘さがあるのではな
  いか。
 # 窓輝来る。頼んである20日の日大のゲスト講師の件(落語のテクニック)で
  打ち合わせ。


2002(平成14)6月19日(水)
 # コミカレ。ゲスト講師にお願いした北島洋一氏は美術の教員。楽器作りが趣味
  で、紙の笛の講義と実技。


2002(平成14)6月20日(木)
 # 窓輝を連れて日大へ。実技のための録音録画。実技に挑戦するのは4人ほど。
  男は一人。
 # 新しい噺絵巻の会を”なかの芸能小劇場”で。[そば食い地蔵]。打ち上げを
  近くの”俺んち”。そこの店長は寄席の常連だった、近頃、見ない。他の店に変
  わったのか。
2002・09・07 UP






『 落語 踊り 本の販売 』

2002・6・1〜10(六月上席(かみせき))
報じ手 窓 輝


2002(平成14)6月1日(土)
 末広亭の初日。
 師匠の舞台落語[ほうじの茶]は初演の国立演芸場から3年ぶりの再演。
 窓門会の方も大勢見えたが、高座なく残念。総踊りを無難に踊る。


2002(平成14)6月2日(日)
 有明にて友人の結婚式。
 美人のヨメさんは羨ましい。どうやって口説いたのだろうか?
 独身仲間がまた一人、減ってしまった。


2002(平成14)6月3日(月)
 昨日の続きで有志だけのクラス会。
 昔ほど騒ぐ元気もなく、早めに帰って寄席に供えて就床。


2002(平成14)6月4日(火)
 ワールドカップ。日本対ベルギー戦の影響でややさみしい客席。
 でも、普段の興行よりは入っているのは嬉しい。
 師匠の本の販売と総踊りに全力。


2002(平成14)6月5日(水)
 落語協会誌の原稿を書き上げた。
 担当は新会員の先生方と新前座紹介のページ。
 新しくなった協会誌をよろしくお願いします。
 名前も”ぞろぞろ”から”落語の友”に改名。


2002(平成14)6月6日(木)
 この興行、最初の高座で[十徳]。
 入替えなしの夜席はやりたい噺がなかなかできない。
 本の販売は絶好調で20何冊か売った。


2002(平成14)6月7日(金)
[たらちね]を演ってて、名前を聞かれた嫁さんのセリフが出てこなかった。
 原因は不明。疲れたのだろうか?
 それにしても、さん八師匠の福田官房長官の物まねは絶品だ。疲れない師匠なんだ
ろう。


2002(平成14)6月8日(土)
 師匠は風邪のため、お詫び口上と踊りに回る。代演は馬桜師匠。
 自分は[転失気]。それと、師匠と二人で「槍錆び」を踊った。武張った踊りにな
ぜか笑いが起きた。


2002(平成14)6月9日(日)
 毎日、師匠のお客さまが見えるが、今日は文京高校のOBの方が見えた。
「若い頃の師匠そっくり」という意見は、姿形のことか芸風か?
 あまり似てないと思いますが……、両方とも……。
 高座は[たらちね]。師匠と「槍錆び」。


2002(平成14)6月10日(月)
 末広亭の千穐楽。
 高座は[転失気]。師匠と「槍錆び」。
 落語に踊り、本の販売など、弟子らしい活躍。
 ご来場いただきましたお客さま、ありがとうございました。
2002・6・26 UP






『 健康診断の結果が怖い 』

2002・5・21〜31(五月下席(しもせき))
 報じ手 萬 窓
2002(平成14)年5月21日(火)
 浅草演芸ホ−ル夜席の代演、[権助魚]。
 楽屋では、16日に亡くなった小さん師匠の葬儀の話題。「渋谷のはずれに、あん
な大きな寺があるとは知らなかった」。「立派な葬儀だった」等。


2002(平成14)年5月22日(水)
 先月23日に生まれた長男優樹(ゆうき)の一ヶ月検診。
 特に異常なし。「泣いても、やたらにミルクをやらないように」とアドバイスを受
ける。


2002(平成14)年5月23日(木)
 歯科に行く。虫歯予防に歯石を取ってもらう。はなし家と言っても歯は大事。


2002(平成14)年5月24日(金)
 呉服屋に袷の着物を洗いに出す。
 これからは、着物が軽くなっていい。どんな遠くでも行きますんで、ぜひ仕事を廻
してください。


2002(平成14)年5月25日(土)
 午前中、区の無料健康診断に。採血、検尿、胸部レントゲン等。結果がこわい。


2002(平成14)年5月26日(日)
 昼、浦和で独演会。[お花半七]、[百川]
高校時代の同級生が来てくれた。ハネてから、3軒ハシゴ酒。昔ばなしに花が咲く。


2002(平成14)年5月27日(月)
 昨夜の深酒で二日酔い。やはり、健康診断の結果が気になる。


2002(平成14)年5月28日(火)
 鈴本夜席の代演。
 めずらしく時間が詰まっていた。[牛ほめ]を20分たっぷりやる。


2002(平成14)年5月29日(水)
 金馬門下の金太とネタの交換。私が彼に[大山詣り]を、彼からは[紙入れ]を教
わる。
 偶然だが、どちらも昨年亡くなった右朝師から教わった噺。ネタ数の多い師匠だっ
た。


2002(平成14)年5月30日(木)
 東松山の富貴ゴルフ倶楽部に。
 スコア−は52・54。半年ぶりだからこんなもん。
 少し汗ばむ程度で、ゴルブにはいい季節。梅雨入り前にもう一度行きたい。


2002(平成14)年5月31日(金)
 第三回『円朝まつり』実行委員会。
 出店、奉納落語会のメンバ−も決まった。あとは当日のトイレ、警備の問題。
2002・8・13 UP






『 小さん師匠 ついに逝く 』

2002・5・11〜20(五月中席(なかせき))
 報じ手 窓 里
2002(平成14)年5月11日(土)
 曲水の宴。曲水とは流水に杯を流して詩歌を詠じ、酒を飲むという行事。
 参加するのを楽しみにしていたが、今朝まで降った雨の為中止。残念。


2002(平成14)年5月12日(日)
 ソフトボールの練習試合。
 勝負よりもメインは終了後の打ち上げ。


2002(平成14)年5月13日(月)
 観光協会理事会出席。
 川越は年間400万人が訪れる町。


2002(平成14)年5月14日(火)
 ある政治家のパーティーへ出席。
 司会でも余興でもない、芸人としてギャラをもらって出席したいものだ。


2002(平成14)年5月15日(水)
 景観審議会出席。
 川越の町をいかによく作るかという内容。どこの地区をどのようにしていくかを審
議。


2002(平成14)年5月16日(木)
 人間国宝・柳家小さん師匠の死去を午後のニュースで知る。
 高齢なので心配はしていたが、その日が来てしまうとは。


2002(平成14)年5月17日(金)
 このところの天候不順で体調もいまひとつ。
 一週間前の風邪がなかなか抜けない。薬を飲んで仕事へ。


2002(平成14)年5月18日(土)
 小さん師匠の通夜に参列。
 大変お世話になりました。どうぞ安らかに。合掌。


2002(平成14)年5月19日(日)
 消防団の結団式出席。
 消防団こそ日本に昔から伝わるボランティア。市民の財産と生命を守る、立派な事。


2002(平成14)年5月20日(月)
 各テレビ局で小さん師匠の告別式の様子を放映。
 生前もっと多くすばらしい芸を流す番組があればよかったのにと思う。
 在りし日の姿が……。しかも10年以上前のものだ……。

2002・8・13 UP






『 嗚呼 新松緑の弁慶 』

2002・5・1〜10(五月上席(かみせき))
 報じ手 吉窓
2002(平成14)年5月1日(水)
 昨晩は弟弟子の萬窓君にすっかりご馳走になってしまった。
 というのは、彼が4月下席、鈴本演芸場の昼の部のトリをとっていて、その千穐楽
の打ち上げにご相伴したわけだが、旨い酒を飲んだらその分いい汗をかかなきゃいけ
ません。
 てんで、夜、住吉踊りの稽古へ行く。


2002(平成14)年5月2日(木)
 昼に住吉踊りのミーティングがあり、今夏の浅草演芸ホール興行の細部にわたって
の確認と意見交換を行う。
 夜はその稽古。
 終了後、扇遊兄が「どう、一杯やっていく?」「へいっ、ごちそうさまです」と数
人でごちになる。結局、一杯ですまず、カラオケボックスまでいって盛り上がる。


2002(平成14)年5月3日(金)
 今日は憲法記念日で祝日、そして春日部に住む実母の誕生日だ。
 まだまだ親孝行らしいことはほとんどしてないが、仕事もないのでケーキを買って
女房と子供を連れ実家へごきげん伺いに。


2002(平成14)年5月4日(土)
 夜、両国寄席へ。今月は円楽師匠の弟子、安楽改め三遊亭全楽君の真打昇進披露興
行。
 彼は立川談志門下で10年前座をやり、円楽党に移って2年二ツ目をやって今日に
至るという経歴をもつ。
 最初の師匠と死別したのならともかく、健在のうちに他門に移った事情はいろいろ
あるらしいが、当人は腹をくくって決めたことだろう。
 なんとかここまでこぎつけたんだから頑張ってほしいものだ。


2002(平成14)年5月5日(日)
 連休で女房と娘が春日部の実家へ行ったままなので、あたしも昨晩、仕事を終えて
そっちへ寄る。
 帰りは実弟の運転する車で自宅まで送ってもらったが、今日の陽気はもう車中冷房
を入れないと暑い。でも春日部から南長崎まで脇道をスイスイ走るので、交通渋滞は
全然関係なく快適に到着する。


2002(平成14)年5月6日(月)
 娘の同級生の弟君が「おじさんに聞きたいことがあります」と言ってうちへくる。
 その子は小学4年生。なんでも学校で祭囃子のことを調べることになり、今どきら
しくインターネット等でだいぶ詳しく調べたようだが、今ひとつわからない部分があ
るので、そういえば泉元のお父さんは落語家だからそういう事もご存知ではないか、
ということらしい。
 あたしも「やっしゃ」はやっていたから、わかる限り質問に答える。


2002(平成14)年5月7日(火)
 地下鉄のホームでベンチに座っていたら、隣にいた若いサラリーマンと60代位の
ばさんが口論を始めた。
 なんでも若者の席の譲り方がおばさんには気にくわなかったらしい。
 段々声が大きくなってきたので、まあまあとあたしが仲裁に入る。
 なんだか最近、いらいらしてる人が多くありませんか? 気分転換にたまには落語
でも聞きましょうよ。


2002(平成14)年5月8日(水)
 今日も野暮用があり浅草まで出かけた。
 仲見世のあたりはばかに中高生が多い。修学旅行なのか社会科見学なのか。そうい
えば中一の娘も来週遠足があり、場所が上野・浅草だといっていた。
 遠足なら郊外の山でも歩いてもらいたいものだ。


2002(平成14)年5月9日(木)
 ひょんなことでタダの券が手に入ったので、久しぶりの歌舞伎座の夜の部へ足を運
ぶ。
 ひところは月に2回は必ず見に行っていたが、近頃はだいぶペースダウンしてしま
った。
 さて、今月は辰之助改メ四代目尾上松緑襲名披露だ。
 あたしが歌舞伎を見始めた頃は、祖父の先代松緑が元気だった。
 それだけ長く見ていると言うことか。新松緑が懸命に演じる「勧進帳」の弁慶を目
に焼き付けて帰宅する。


2002(平成14)年5月10日(金)
 ここ2、3日は雨模様の天気。
 そのさなか、西武ドーム球場へナイター見物に出かける。西武対オリックス戦。
 1対1で延長になるかと思いきや、最終回、松井のホームランでサヨナラ勝ち。
 よしよし。現時点で2位ダイエーに0.5ゲーム差の首位。
 ここ3年、優勝していないが、今年は期待できるぞ!
2002・8・13 UP






『 一人称落語[一人酒盛]と一人芝居 』

2002・4・21〜30(四月下席(しもせき))
 報じ手 圓窓
2002(平成14)年4月21日(日)
 # 上席 鈴本演芸場 昼(トリは萬窓) 14:00 末広亭 昼 15:30
 # 鈴本演芸場[半分垢]
 # 末広亭[半分垢]。昼は現左楽のトリで「五代目左楽追善公演」。
   食つきに圓蔵さんを中心として「先代を語るコーナー」。エピソードを大判の
  紙に番号付きで箇条書きにして高座からお客に示し、声のかかった番号のエピソ
  ードを語るという趣向。ほとんどのお客は先代を知らないのだが、笑いは取れて
  いた。いいアイディアだ。


2002(平成14)年4月22日(月)
 # 鈴本演芸場。末広亭は休み。
 # 高座踊りの稽古。そもそも「高座舞い」とはなんぞや。協会の二階で浅茅流の
  日舞の稽古が月に三回ある。協会の会員有志が与志江師匠の許でしごかれている
  のだが、ただ「協会の踊りの稽古」と言っているだけで名称がない。浅草演芸ホ
  ールで毎年のお盆興行にやっている「住吉踊り」同様、名前が欲しいと思ってい
  た。
   師匠と相談して付けたのが、「落語家の小唄ぶり」ということで「高座舞い」
   これにより、外部の者とも話すときに「高座舞い」の一言で表現できて楽である。
 # はいとりがみ句会


2002(平成14)年4月23日(火)
 # 鈴本演芸場
 # 末広亭[権兵衛狸]。


2002(平成14)年4月24日(水)
 # エース電気さんがきて銀杏の枝下ろし。さすが、アンテナを張る商売、高い所
  もなれているようで、仕事はあたしがやるより速い。
 # 鈴本演芸場
 # 末広亭[銭たれ馬]。
 # 落語紙芝居の件で、汐文社の人と渡辺画家と会う。[ぞろぞろ]にかかる。


2002(平成14)年4月25日(木)
 # 新学期、二度目の授業の日大へ。[垂乳根]。一回目は[ぞろぞろ]
 # 寄席は休み。
 # 坂東の踊りの稽古。
 # 四九八句会


2002(平成14)年4月26日(金)
 # 鈴本演芸場[一人酒盛]。立て前座が「なんという題名で?」と。聞いたこと
  ないんだろうな。
 # 末広亭[一人酒盛]
 # オフイス樹制作の「落語と一人芝居」。窓輝[看板のピン]踊り・六段くずし。
  青坂章子「おひまなら来てよね」。圓窓[一人酒盛]、踊り・奴さん。
   チラシに「初演」と記したので、弟子の落語もネタ下し。今日の窓輝も落語も
  踊りも緊張していたようだ。
   あたしの[一人酒盛]も完全一人称の演出としては初演になる。昼の寄席で演
  っているので、落ち着いて出来たが、まだまだ工夫の余地はありそうだ。
   踊りは今日も師匠に見てもらっているので、ミスるわけにもいかない。必死と
  はこのこと。なんとか。
   一人芝居は原作者の伊東清氏も客席に。彼女は津軽三味線も上出来で、予想以
  上によくやっていた。彼女の代表作になるだろう。


2002(平成14)年4月27日(土)
 # 5月20日命日の北谷叔母の法事。谷中の興禅寺。先代の小南の墓がある。
 # 鈴本演芸場へは遅れる。
 # 末広亭は夜へ。[ねずみの歌]。
 # オフイス樹制作の「落語と一人芝居」。窓里[身投げ屋]、青坂章子「おひま
  なら来てよね」、圓窓[一人酒盛]、踊り・奴さん。
   二日続けて打ち上げのアルコールを口にしたので、ちと、辛い。


2002(平成14)年4月28日(日)
 # 鈴本演芸場
 # 末広亭[秘書秘書話]。塚田さんとの校正合わせが延びて、オフイス樹へ慌て
  て行く。
 # オフイス樹制作の「落語と一人芝居」。青坂章子「おひまなら来てよね」、吉
  窓[後生鰻]、踊り・木遣り、圓窓[一人酒盛]、踊り・奴さん。
   この冬、北広島でお世話になった酒井さんら二人がフェリーで駆けつけてくれ
  る。
   打ち上げの酒は飲まず。


2002(平成14)年4月29日(月)
 # 鈴本演芸場]
 # 末広亭[秘書秘書話]。
 # オフイス樹制作の「落語と一人芝居」。青坂章子「おひまなら来てよね」、萬
  窓[堀の内]、圓窓[一人酒盛]、踊り・奴さん。
   本の校正をしなくては明日、塚田さんに渡せないので、はねてからオフイス樹
  の事務室にこもってやる。


2002(平成14)年4月30日(火)
 # 朝、塚田さんへ校正渡し。その後、塚田さんはパソコンをミスったか、データ
  がパーだとか。
 # エース電気さんが枝下ろしに来てくれて、木に登ったが、風が強くて中止。「
  下から見てて、それほどでもない揺れだと思って登ったんだが、怖いですよ」と。
 # 鈴本演芸場
 # 末広亭[秘書秘書話]。
   二階の喫茶「楽屋」で打ち上げ。現左楽さんの許可を貰って、先代のエピソー
  ド集をサイト〔だくだく〕へ載せることになっている。
2002・8・13 UP





『 着物の似合う若い噺家だってさ 』

2002・4・11〜20(四月下席(なかせき))
報じ手 窓 輝
2002(平成14)4月11日(木)
 師匠の芝居で浅草の夜席初日。(寄席の興行のことを「芝居」とも言います)
 出番はないが師匠の着物を持って寄席に行く。団体のお客様も何組かあってけっこ
うな入り。高座がなくて残念。


2002(平成14)4月12日(金)
 協会誌〔ぞろぞろ〕の編集会議に出席。
 今回から担当になられた小朝師匠より、いろいろな改草案が出た。
 新しい協会誌をどうぞお楽しみに。


2002(平成14)4月13日(土)
 東京ドームに巨人−中日戦を見に行く。
 自由席に空席はなく、ほとんど喫煙所前のモニターで観戦。3対2の惜敗で、先発
の山本昌、また勝てず。


2002(平成14)4月14日(日)
 巨人−中日戦を今日はTVで観戦。
 先発の朝倉からギャラードへの完封リレーで、中日球団通算四千勝を達成! ドー
ムへ行けばよかった。


2002(平成14)4月15日(月)
 協会の二階で踊りの稽古。
 総踊りの〔並木駒形〕は6月上席の本番に向けて特に力を入れる。あと1ヵ月半あ
れば何とかなりそう。
「それはこっちで判断することよ!!」とお師匠さんに言われちゃった。


2002(平成14)4月16日(火)
 高座で[十徳]を熱演し、師匠の出番までの時間つなぎ。
 ROXの本屋、ウルトラマン倶楽部、喫茶店、浅草寺、仲見世であっという間の3
時間。


2002(平成14)4月17日(水)
 5月11日にやる同期会のチラシを各寄席と窓門会の方に配った。
 5月7日は二人会、6月上席は末広亭、23日に池袋演芸場で一門会など。
 皆様のご来場をお待ちしております。


2002(平成14)4月18日(木)
 今日の高座は[転失気]。
 どこで演じてもだいたいうける便利な噺。
 家に帰って[寝床]の稽古。


2002(平成14)4月19日(金)
 お世話になっている長野落語会の井上さんから仕事の紹介をしていただいた。
 着物屋さんのイベントで、着物の似合う若い噺家が必要とのこと。非常に恐縮です。


2002(平成14)4月20日(土)
 浅草演芸ホールの千穐楽。明日からは鈴本演芸場の萬窓兄さんの芝居。
 続けて寄席に出られるのは大変うれしい事だ。将来的には実力で出たいものだ。


[十徳]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/十徳
[転失気]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/転失気
[寝床]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/寝床
2002・8・13 UP






『 "圓朝祭り"の広報担当に 』

2002・4・1〜10(四月上席(かみせき))
 報じ手 萬 窓


2002(平成14)年4月1日(月)
 11時から落語協会事務所にて、第一回『円朝まつり』実行委員会。
 8月11日は、三遊亭圓朝の命日で、毎年、谷中の全生庵で法要を行っている。
 今年は、一般のお客様に大勢来てもらい、落語ファン感謝デ−をやろうということ
になった。
 落語会はもちろん、落語家が露店を出す予定。
 私も実行委員の一人だが、警備、衛生面で問題点もある。


2002(平成14)年4月2日(火)
 私は『圓朝まつり』で広報担当になった。
 柳家三之助君が早速、広報のMLを立ち上げてくれたので、メ−ルで意見を出し合
う。


2002(平成14)年4月3日(水)
 カミさんが臨月のため、家事に専念する。前座修業が役に立った。


2002(平成14)年4月4日(木)
 夜、両国寄席[つづら泥]。数は少ないがよく笑うお客様。


2002(平成14)年4月5日(金)
 夜、日暮里サニ−ホ−ルで『五人廻しの会』。
 メンバ−は、他に扇好、三太楼、一琴、三三。
 私は[つづら泥]。
 打ち上げで行ったサニ−ホ−ルの近くの店は、初めてだが、料理は旨く、値段も手
ごろでメンバ−の評判良し。


2002(平成14)年4月6日(土)
 新内の富士松魯遊(ろゆう)師の会で一席、[お花半七]。
 毎年、呼んでいただいている。今年で7回目。
 会場は今年から、日本橋公会堂。半蔵門線の水天宮前駅より徒歩3分で、収容人数
は380名。落語会にも使えそう。


2002(平成14)年4月7日(日)
 有志で月島で花見。
 だいぶ前に約束していたので、葉桜でも決行。ただの飲み会になってしまった。名
物のもんじゃ焼きに、ビ−ルがすすむ。


2002(平成14)年4月8日(月)
 季節の変わり目で、身体がけだるい。家でゴロゴロ。


2002(平成14)年4月9日(火)
 青森から、知人が上京、一杯やる。
 彼は地元でラジオのDJをやっている。ネタさがしに上京したそうだ。津軽弁でし
ゃべってもらったが、何を言ってるんだかわからない。ラジオではもちろん津軽弁。


2002(平成14)年4月10日(水)
 壊れたテレビを、粗大ゴミ業者に引き取りに来てもらう。
 リサイクル料金がなんと4740円也。あと少しお金を足せば、新品のテレビが1
台買えた。なんだか損をした気分。


[お花半七・上]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/お花半七・上
[お花半七・下]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/お花半七・下
[お花半七・上]の関連は、圓窓五百噺付録袋/落語の中の古文楽習/教本・問答・お花半七・上
2002・5・12 UP







『 長男の北海道一人旅 』

2002・3・21〜31(三月下席(しもせき))
 報じ手 窓 里

2002(平成14)年3月21日(木)
 彼岸の中日。墓参りに行き実家へ。兄弟親戚が集まる。
 酒を飲んで騒いで本当に楽しい彼岸となる。彼岸ってこういうものだっけ。


2002(平成14)年3月22日(金)
 母校の月越小の卒業式出席。2クラス77名。
我々の頃は4クラスで200人いた。でも、ここ数年は横ばい。


2002(平成14)年3月23日(土)
 職種の違う方々の集まり、異業種交流会にて講演。
これからの街づくりについて2時間。この演題ができる噺家も居るまい。


2002(平成14)年3月24日(日)
 春まつりオープニングセレモニー出席。
桜の花も満開で暖かな日となる。花見となると、当然、酒となる。


2002(平成14)年3月25日(月)
 午後から委員会出席。これで今年度は終了。
来年度は私も8年目。1年後には選挙。もちろん出馬する。


2002(平成14)年3月26日(火)
 職員の人事発表。
 同期でも色々。喜ぶ人、泣く人あり。自分の立場を公表されるのは、つらいよな。


2002(平成14)年3月27日(水)
 スタジオにて写真撮影。来年の選挙用のポスター、パンフレットに使うため。
 4月に入ったら運動を始めようと思う。


2002(平成14)年3月28日(木)
 法事。1時間の読経の後、近所の鰻屋にて故人を偲ぶ。
 よく飲んだ、食った。誰か故人の話をしたのか。


2002(平成14)年3月29日(金)
 朝から市役所へ。
 机の上に山積みにされている書類の整理。会議録の調整等、一日中雑務に追われる。
 夜は宴会ひとつ出席。


2002(平成14)年3月30日(土)
 今日は2件の先物取引の電話がある。
「100万円でできますよ」だって。その100万が家の中のどこにあるというのだ。


2002(平成14)年3月31日(日)
 午後から花見の会へ出席。一昨日の大雨で花も散ってしまう。酒は飲めるけど。
2002・5・12 UP







『 嗚呼 娘が小学校卒業 』

2002・3・11〜20(三月中席(なかせき))
 報じ手 吉窓


2002(平成14)年3月11日(月)
 日暮里特選落語会で[崇徳院]を演る。
この噺は去年、亡くなった桂三木助兄がまだ二つ目で柳家小きんといってた頃に教え
てもらったもの。
 結局、兄さんから稽古してもらったのは、この噺だけ。今思えば、もっといくつも
教わっときゃあよかった。


2002(平成14)年3月12日(火)
 仕事で宇都宮へ。地元の法人会主催の落語会。
 あたしと曲独楽の三増巳也、前座の入船亭ゆう一の3名で伺う。
 あたしは[蒟蒻問答][長屋の花見]と二席演る。
 前日、同じ会場で三遊亭歌之介兄の講演会があったそうで、二日続けて足を運んだ
客もいるとか。


2002(平成14)年3月13日(水)
 鈴本昼席1:00上がりへ代演。
 最前席に珍しく二人連れの若い女性客がいた。[都々逸親子]を演ったらゲラゲラ
笑っていた。


2002(平成14)年3月14日(木)
 夜、住吉踊りの稽古へ行く。
 今夏の浅草演芸ホール公演の出し物もほぼ決まったので、それらを中心に稽古する。


2002(平成14)年3月15日(金)
 今日は確定申告の最終日。
 いつも提出はギリギリ。昨晩、踊りの稽古から帰って、疲れた体で書き上げた申告
書を持って豊島税務署へ。
 帰りに図書館へ寄って、宮部みゆきの本を借りる。


2002(平成14)年3月16日(土)
 今日も陽気はあったかい。
 ニュースで東京地方の桜の開花宣言が出たと言っていた。平年より12日も早いそ
うだ。異常気象かしら。


2002(平成14)年3月17日(日)
 今日は娘の小学校の卒業式。
 夫婦で出席。今どきのいじめも経験せず、登校拒否にもならず、6年間よく通って
くれた。それだけで十分。成績は二の次。
 いつのまにか母親より背も伸びやがって、来月からは中学生か。
 まあ、しっかりやっつくれや。


2002(平成14)年3月18日(月)
 らくご卓球クラブの練習へ。
 この春、高校時代から実に約30年使用していたラケットを新しく買い換えた。
 新しいラケットに慣れるには、とにかく球数を多く打つことがなにより。
 気候もよくなってきて、汗も気持ちいい。


2002(平成14)年3月19日(火)
 夕方、落語協会事務所2階へ。柳亭市馬さんとネタの交換稽古。
 あたしが彼に[身投げ屋]を、市馬さんがあたしに[あくび指南]をそれぞれ稽古
する。
 ちなみに、教わった[欠伸指南]は、来たる4月24日夜、池袋演芸場のあたしの
独演会でやります。
 お暇な方は是非お運びの程を!


2002(平成14)年3月20日(水)
 あさっての22日に、浅草演芸ホールの松倉会長の出版記念パーティーが浅草のホ
テルである。
 その余興で住吉踊りをやってくれと依頼がきた。
 その打ち合わせもあり、夜、住吉踊りの稽古へ。当日は10分程度でにぎやかにと
のこと。師範代の北見寿代さんとプログラムの案を練る。



[崇徳院]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/崇徳院
[蒟蒻問答]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/蒟蒻問答
[長屋の花見]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/長屋の花見
[都々逸親子]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/都々逸親子
[身投げ屋]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/身投げ屋
[欠伸指南]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/欠伸指南
2002・5・12 UP







『 [ぞろぞろ]で 大トチリ 』

2002・3・1〜10(三月下席(しもせき))
 報じ手 圓窓
2002(平成14)年3月1日(金)
 # 寄席は休席。ゆっくりと喉を休めよう。


2002(平成14)年3月2日(土)
 # テレビはすすんでは見ないほうなので、時間潰しはごろごろと寝てばかり。そ
  れも喉にはいいだろうが、やはり、いい仕事はしたい。


2002(平成14)年3月3日(日)
 # 芝居観賞。〔自由の彼方〕(3・1の会)。椎名麟三の原作。
   作者はキリスト教信者。陰の神の声があるのだが、あたしのような信者でない
  者にはその必然性を感じとりにくい。とは言うものの、あたしなぞも創作噺の中
  に地蔵や観音をちょいちょい登場させる。仏教信者ではないが、キリスト教より
  はお釈迦さまに親しみを覚えるので、その関連する神仏の登場ときに必然性はあ
  まり考えないのと、同じなのであろう。


2002(平成14)年3月4日(月)
 # 踊り(協会)の稽古。
 # 4件の民間の寄席との懇談会。伊豆栄にて。
   あたしは「国立演芸場も参加させてほしい」と提案したが、「民間の寄席を圧
  迫している国の寄席とはまだ同じ席に誘うことはできない」の意見が強くて受け
  入れてもらえそうもない。悲しいことだ。



2002(平成14)年3月5日(火)
 # 踊り(寿菊)の稽古。
 # ML浮世床のメンバーのTさんがメールで「上京します。歌舞伎の一幕見へ行
  きませんか」と言うので、稽古のあと、歌舞伎座へ。駆け付けたのはあたし一人。
 「お酒でも飲みましょうよ、と書けば大勢あつまったのに」と二人で大笑い。
   狂言は〔十六夜清心〕。名台詞は所々にあるのだが、どうも盛り上がりに欠け
  る。
   役者だけのせいではなかろう。
   はねて、近くの飲み屋"藩"でちょいと梅サワー。


2002(平成14)年3月6日(水)
 # 梅サワーがまだ効いている。眠い。


2002(平成14)年3月7日(木)
 # 日大から電話で「シラバスをください」と。
   瞬間、熱帯魚のことかなと思ったら、「授業計画のことです」と。
   前任であった柳沢氏の死去のあとを引き継いだので、新年度のことは初体験。
   物を教える商売って、なんだかんだって、やることがあるようだ。
   落語の講座を30ほど作って、なんとか提出。
 # 一文オペラの稽古日。去年の[オペラ質屋]に懲りず、来年は[オペラ長屋]
  をまた一同でやることを決定す。


2002(平成14)年3月8日(水)
 # 理事会。圓朝まつりでの模擬店に絡んだ件。
   考えてみると、5年ほど前か、「大坂の彦八まつりに見習って、こっちでも落
  語まつりのような催しをやろう」という有志の企画を理事会へ提案したのだが、
  けんもほろろだった。現在、新理事が中心になって活動し始めたのは喜ばしい。
 # 波動と健康の情報誌からインタビュー。上野のドリームで。菅野さんという記
  者が喜んでくれた様子。誌のオーナーは國學院出身で考古学の堪能家。話を聞き
  たくなった。


2002(平成14)年3月9日(水)
 # 釜石の"魚ていとびっきり寄席"へ。窓輝と一緒。
   新花巻駅下車。会の席亭自らの運転で迎え。
   寝不足のせいか、やることなすこと調子が悪い。
   宅急便で先着していた落語グッズの数が合わない。梱包するとき、数を間違え
  ていたようだ。それに、踊りの伴奏のテープが鞄の中に入ってない。昨夜、机の
  上に出しておいたのに。日帰りのつもりでいたら、帰路のチケットを見ると、翌
  日の日付が打ってある。
   こういう日は連鎖反応的に高座の噺もとちり勝ちになるものだ。身を引き締め
  て[ぞろぞろ]に入った。
  が、落ち近くの「この茶店の前の流行らない床屋が真似をして『わらじ同様、床
  屋もぞろぞろ繁盛しますように』と稲荷にお参りをした。親方が店に戻ると珍し
  く客がいるではないか」のあと、肝心の落ちを「その客の顔をツーッとあたると、
  あとから新しいわらじが、ぞろぞろっ!」とやってしまった。
   一部 窓輝[転失気]踊り・槍さび  圓窓 [ぞろぞろ]
   二部 窓輝[粗忽の釘]       圓窓 [桶屋裁き]
 # 一泊。


2002(平成14)年3月10日(水)
 # 窓輝が予定があるというので、早めに出発。帰宅後、仕事のないあたしはぐっ
  りと寝る。
 # ある芝居を見に行きたかったが、満員で席がなく、あきらめる。

2002・4・18 UP







『 自分も小学校で 落語の授業 』

2002・2・21〜28(二月下席(しもせき))
報じ手 窓 輝
2002(平成14)2月21日(木)
 長い間やめていた東京中日スポーツを再びとることにした。
新聞屋さんの熱意と山田新監督に期待してのことだが、今年も厳しいシーズンになり
そう。目標はAクラス入り。


2002(平成14)2月22日(金)
 駅までは歩いて行くことの方が多いのに、今日に限って急いでいたので自転車を使
ったら、撤去されてしまった。
 通算では何度目だろう。三千円の撤去料は痛すぎる。もう絶対に歩く。


2002(平成14)2月23日(土)
 大家さんから椎茸をいただいたので、久しぶりに自炊。
 豚肉と一緒に醤油で炒めてみたが、大変においしかった。
 ご飯を多めに炊いたので、2〜3日はこのおかずが続きそうだ。


2002(平成14)2月24日(日)
 窓門会の阿久津さんから学校寄席の仕事をいただいた。
 師の[ぞろぞろ]が載った教科書を使っているので、落語がはやっているそうだ。
 自分は[寿限無][金明竹]を演る。
[ぞろぞろ]をできる生徒さんがたくさんいるそうで、自分も師に教わることにする。


2002(平成14)2月25日(月)
 6月上席の末広亭にそなえて、協会2Fで踊りの稽古。
「こうもり」と「並木駒形」を特訓中。本番まであと3ヶ月。何とかしなければ・・・
 みなさまのご来場をお待ちしています。


2002(平成14)2月26日(火)
 豊島税務署にて、例年より早目の確定申告。
 年収を計算するのは驚くほど簡単で、「よく生活できた」と我ながら感心してしま
った。わずかながらも還付金が今から楽しみ。


2002(平成14)2月27日(水)
 草野球。上野公園グランドで2時間汗を流す。
 珍しく大勢集まったので練習試合をしたが、5打席で無安打の屈辱。まぁ、久しぶ
りだったから・・・。


2002(平成14)2月28日(木)
 オフィス樹稽古場にて2回目の句会。やっと付いた名前が四九八句(しくはっく)
会。メンバーはほとんどが初心者で、ピッタリの名前だ。
 席題の「春眠」で一句。「春眠がけいこ不足に拍車かけ」
2002・4・18 UP







『 塩原に 二代目高尾太夫の墓 』

2002・2・11〜21(二月中席(なかせき))
 報じ手 萬 窓
2002年(平成14)年2月11日(月)
 浅草演芸ホ−ル夜席、[真田小僧]。祭日ということもあり、ほぼ満員のお客様。
 帰りにマルベル堂に寄り、宣材用の写真の焼き増しを注文。去年、撮ったものが手
元に少なくなったため。
 この店はブロマイドの老舗で撮影スタジオもある。


2002年(平成14)年2月12日(火)
 浅草夜席、[権助芝居]。
 楽屋にいた入船亭扇好兄と近くで一杯やって帰る。


2002年(平成14)年2月13日(水)
 昼、来月15日にやる落語会の打ち合わせ。場所は上板橋の料理屋。
「もう一人、地元の落語家さんを」と言われ、二つ目の柳家太助君を頼む。
 彼も上板橋在住。某政治家の文句じゃないが「小さな事からコツコツと」。仕事の
幅が広がればよい。


2002年(平成14)年2月14日(木)
 鈴本夜席[真田小僧]から、浅草夜席[町内の若い衆]へ。
 浅草の夜トリは入船亭扇橋師匠。扇橋師が楽屋入りするなり、前座に小言。
 聞いてると、昨日、師匠は[按摩の炬燵]をやったそうだ。ハネて楽屋を出たとこ
ろ、ロビ−に盲人のお客様が付き添いの方といたとのこと。
 寄席では、身体に障害のある方が入場すると、木戸から楽屋に知らせがあり、前座
が出演者に伝えることになっていて、目や足のご不自由な人物が出てくる噺を避ける
配慮がある。
 扇橋師も高座からは気が付かなかったそうだが、木戸の人がうっかりしてたか、前
座が伝えるのを忘れたか、、、。
 付き添いの方は、気を悪くしていた様子はなかったそうだが、私も気をつけなけれ
ば。


2002年(平成14)年2月15日(金)
 夜、山下洋輔のジャズコンサ−トを聞きに板橋文化会館へ。
 演奏のみで、歌はまったくなく、ト−クも曲目紹介だけであっさりしていたが、ジ
ャズそのものを楽しめた。


2002年(平成14)年2月16日(土)
 4月24日にカミさんが出産予定。
 友人の家に子供服をもらいに行く。買うと結構高いんです。


2002年(平成14)年2月17日(日)
 来週の日曜日に結婚披露宴の司会をする。そのカップルと打ち合わせ。新婦は新郎
より17歳も年下。いやぁ−うらやましい。


2002年(平成14)年2月18日(月)
 今日からカミさんと一泊二日で塩原温泉へ。
 インタ−ネットで見付けた宿で、新幹線とバスで2時間半。露天風呂が七つもある。
 今日は四つの露天風呂へ入る。これで雪が降れば最高なんだが、、、。


2002年(平成14)年2月19日(火)
 想いが通じたか、朝から大雪。
 喜んで露天風呂へ行ったが、雪もあまり降りすぎると、寒くて入っていられない。
 帰りに近くにある祥雲寺というお寺に寄る。ここに塩原高尾という墓があった。
 塩原の生まれで、吉原の三浦屋に奉公し、二代目高尾太夫を襲名したとある。享年
19。[紺屋高尾]や[仙台高尾]のモデルになったのはこの人という説があるそう
だ。


2002年(平成14)年2月20日(水)
 毎年この時期は、確定申告に頭を悩ませる。特に去年は真打披露目があったので、
いつもの年より収支が多く、計算が大変。
2002・3・23 UP







『 長男の北海道一人旅 』

2002・2・1〜10(二月上席(かみせき))
 報じ手 窓 里
2002年(平成14)年2月1日(金)
 委員会出席。
 夜、友人と飲みに出かける。


2002年(平成14)年2月2日(土)
 呉服屋に行き、着物を新調する。
 洋服に比べると高価な芸人の着物には、「さわらないでください、お客様」(笑)


2002年(平成14)年2月3日(日)
 ソフトボ−ルの練習日だったが、雨で中止。
 昼から、ある団体の新年会。まだ、あるんです。


2002年(平成14)年2月4日(月)
 議会運営委員会。来年度の議会の予算を決める大事な会議。


2002年(平成14)年2月5日(火)
 新宿へ仕事の打ち合わせに行く。
 夕方から雨。ディスカウントショップで傘を買う。300円だと、安いものだ。


2002年(平成14)年2月6日(水)
 朝4時に起床。
 本日から8日まで視察のため、四国の高松、松山へ向かう。


2002年(平成14)年2月7日(木)
 今日は高松にて、消防議会の研修。
 その後、高速バスで松山へ。バスの方が安くて速い。
 ここでも消防議会の研修。昨年の地震の被害を見る。


2002年(平成14)年2月8日(金)
 松山市内を見学して、空路羽田へ。
今回は、防災をテ−マにした研修で実りあるものでした。けして観光旅行ではあり
ません。


2002年(平成14)年2月9日(土)
 長男の篤史はJRと船を乗り継ぎ一人で北海道旅行へ。
 この日のため、アルバイトをしていた。


2002年(平成14)年2月10日(日)
 朝からソフトボ−ルの練習。
午後、『議会だより』の配布。これが、地道な議員活動になるんです。

2002・3・20 UP








『 四九八句会 始まる 』

2002・1・21〜31(一月三之席(さんのせき))
 報じ手 吉窓


2002年(平成14)年1月21日(月)
 今日から池袋演芸場の昼の部へ交互出演。
 トリは鈴々舎馬桜兄。交互なので十日間の出番を古今亭菊輔兄とやりくりして、五
日ずつの高座。
 今日はあたしの番で、演目は[五目講釈]。午後から豪雨となる変な天気。


2002年(平成14)年1月22日(火)
 今日は晴天。徒歩で池袋演芸場へ、30分弱で到着。[都々逸親子]をやる。


2002年(平成14)年1月23日(水)
 夜、飲み会があって新宿榎町のちゃんこ料理店『大雪』へ。
ここの女将は元幕内力士の大雪の未亡人。大雪関は、大鵬、玉の海、北の富士とい
った横綱とも対戦したことがあるそうだ。


2002年(平成14)年1月24日(木)
 数日前、テレビで池袋駅西口の評判のラ−メン屋を四軒紹介していた。
 今日、寄席の帰りに捜してみたが、どうしても一軒だけ見つからない。『中本』と
いう店、誰か場所を知りませんか?
 池袋のネタは[長屋の花見]。


2002年(平成14)年1月25日(金)
 今日は古今亭志ん弥兄の仕事で房総の館山で落語会。
 メンバ−は志ん弥、吉窓、二つ目の古今亭菊可、粋曲の柳家紫文の四名。
 会場の文化小ホ−ルは、感度の良いお客でぎっしり。あたしの演目は志ん弥兄のリ
クエストで[都々逸親子]。


2002年(平成14)年1月26日(土)
 今日は昼夜かけもちだ。昼はお江戸日本橋亭で、〈本牧落語五人会〉。
 昨年メンバ−の一人だった古今亭右朝兄が亡くなり、しばらく変則的にやっていた
が、今日から金原亭馬生兄が加わり、名称どおり五人会に戻った。
 あたしは[明烏]をやる。
 夜は、池袋演芸場で〈窓をあければ吉〉。
 三席ネタ下ろしの独演会で、[馬のす][ぐつぐつ][ねずみ]。
 昼すぎから天気がくずれ、夜の会が終わり、表へ出ると本格的な雨。
 やれやれ、カバンが重い。ああ、くたびれた。


2002年(平成14)年1月27日(日)
 池袋昼席、[近日息子]。
 実は金曜の晩から、女房と娘は友人の家族と信州へスキ−旅行。
 ちなみにあたしは、スキ−はやったことがない。だってェ……、さぶいんだもん。


2002年(平成14)年1月28日(月)
 今日は『らくご卓球クラブ』の新年、初打ち会。阿佐ヶ谷の(株)タマス道場へ。
 ラケットを握るのは八ヶ月ぶりだが、思ったより身体は動く。
 今年の5月で早いもので発足15周年。毎週月曜が練習日だが、用事が重なりなか
なか参加できない。でも、ぼちぼち通うことにしよう。


2002年(平成14)年1月29日(火)
 昨日は練習後、打ち上げから二次会まで付き合って午前様。
 二日酔いで頭が痛い。昼過ぎまで寝床から出られず。


2002年(平成14)年1月30日(水)
 池袋昼席、[ぜんざい公社]。
 夜はオフイス樹のけ稽古場で有志による句会の第一回。月に一度の会合になる。
 師匠円窓をはじめ10名程の参加者が兼題(宿題)の「梅」と席題(即席)の「雪
女」の出題に悪戦苦闘で句を作る。
 以前、俳句は少しかじったことがあるが、改めて勉強しなおそう。
 ちなみにこの会は『四九八句会(しくはっくかい)』と命名された。
 あたしの句は「雪女洗髪をしてくしゃみする」
 〜おそまつ〜〜


2002年(平成14)年1月31日(木)
 女房と買い物がてら、ぶらぶら歩いているうちに、目白の田中真紀子邸前に来てし
まった。
 報道陣が大勢張り付いている。
 おとといの外相更迭は衝撃だった。どうなるんだろう、この国は。小泉さんしっか
りやってよ!
2002・3・20 UP







『 疲れが 出始めたか 』

2002・1・11〜20(一月ニ之席(にのせき))
 報じ手 圓窓
2002(平成14)年1月11日(金)
 # ニ之席 末広亭と池袋演芸場の昼席。
 # 去年の暮れに診てもらった厚生年金病院の眼科へ。
  なにしろ目が充血しっぱなしで、回りの者が「赤いですね」と心配してくれる
  ほど。
   意を決して医師に診てもらったのだが、「単なる結膜炎です」と言われ、薬を
  貰った。
  「女の尻にさすべし」とは言われなかったので、目にさしていたら、軽くなり赤
  みもとれた。
   あたしの推量だが、パソコンのやりすぎではなかろうか。メールソフトが故障
  して使えなくなり、パソコンの前に座らなくなったら、目も治ってきたような気
  がしてならないからだ。
 # 吉田プログラマーにきてもらって、新規の通信ソフトを入れた。通信再開。し
  かし、馴れるまでまた座り込まなくてはならないから大変だ。


2002(平成14)年1月12日(土)
 # 昼、郡山市での落語会。
   窓輝、昇太、圓窓の他に、講釈の光陽。変わったところで、劇団ニューズカン
  パニーの渡部又兵衛が立松和平に扮し物真似で"郡山散策"を披露。
   今までの物真似芸人は複数の者のメドレー的な演出できたが、彼のは一人で一
  人を真似る、しかも30分はあった。前もって当地へ取材に来ているし、ユーモ
  ア溢れた中に優しさがあり、聞き手も飽きないようだ。
 # 急いで東京に戻って、王子の北ピアでの盲人スキーチャリテーのシーハイル寄
  席。
   今回は元プロ野球のセリーグの審判部長だった田中さんがゲスト。ステージに
  子ら、窓門が田中さんを囲み歓談コーナー。
   盲人の子らから「僕たちも野球をやるよ」という話を聞いて、関心をしめして
  くれた。最後に審判になったつもりで一人一人が「ストラーイク!」と大声を出
  した。
  見本に田中さんが「ストラーイク!!!」。会場が割れんばかりの声であった。


2002(平成14)年1月13日(日)
 # 浦和市民寄席[桶屋裁き]。
   小学校の旧友である谷口弘子さんが客席にいた。我々二人の親同士が仲良しで、
  おふくろは引越し先が川越、彼女のお母さんの近くであった。あたしは親の許へ
  寄るタイプではないので、おふくろは谷口一家の温かさに随分と助けられたよう
  だ。
   あの世へはおふくろが一足先に、そのあとを追うように去年、彼女のお母さん
  が逝った。その葬儀へ出かけて、彼女に「病弱のおふくろがなんとか永らえたの
  は谷口さんのお母さんのおかげだよ」と遅まきながら礼を言った。
   物のなかった戦後の苦しい生活の中で我々子供たちを育てた親たちは、その子
  たちが卒業して社会へ出て、結婚して子をなし、なんとか一人前になったのを見
  届けて、まるで役目を終えたようにバタバタッと旅立ってしまった。


2002(平成14)年1月14日(月)
 # 協会の踊り稽古、体調を崩して休む。


2002(平成14)年1月15日(火)
 # どうも疲れ気味。


2002(平成14)年1月16日(日)
 # 津の圓窓独演会。圓窓[ぞろぞろ][桶屋裁き]。窓輝。二人それぞれ、踊る。


2002(平成14)年1月17日(月)
 # 信金の年金受給者への落語会。2回公演。[戯れ地蔵][ぞろぞろ]


2002(平成14)年1月18日(火)
 # 大船の慈眼寺の集い。踊りと[桶屋裁き]。踊りのテープでの伴奏がなかなか
  でないので爆笑。
 # 目黒にある都教職員研修センターで講演。問題を起こした教師を社会復帰させ
  るための研修機関でもあるらしい。
 # 池袋演芸場へ。
 # 紀伊国屋寄席[柳田格之進]。演っていて、「格之進」の名は出るが、「柳田」
  の名が出ない。疲れている。


2002(平成14)年1月19日(水)
 # 俳句倶楽部へ。あたしは駄句ばかり。


2002(平成14)年1月20日(日)
 # 去年、図書館で借りた民話の本の返済日。しかし、まだ読んでない。

2002・3・20 UP







『 新年にカレンダーを売りまくる 』

2002・1・1〜10(一月初席(はつせき))
報じ手 窓 輝
2002(平成14)1月1日(火)
 今年から始まった若手による協会カレンダーの販売を浅草演芸ホール前にて。
歌彦兄、天どん、自分の三人で、寒空の下、大声を張り上げて半日で60本売れた。
 お買い上げいただいたお客様、ありがとうございました。
 買われなかった方は、来年是非、いかかでしょうか?


2002(平成14)1月2日(水)
 駒場にて、友人から紹介してもらった落語会。
 地域の方を相手に今年の初高座は、[子ほめ]。
 夕方、浅草へ行ったときはカレンダーは売り切れ。
 百本のカレンダーが2日で完売とは、若手の起用は大成功。


2002(平成14)1月3日(木)
 葛飾区にある祖父の家にお年始。
 毎年ここでもらっていたお年玉はあげる立場に。
 この時ばかりは、子供がうらやましい。
 夜にやった家族マージャンでいくらか取り戻した。


2002(平成14)1月4日(金)
 海外旅行から戻ってきた友人から、お土産に「くまのプーさんグッズ」とお菓子を
もらった。
 コレクションが増え、甘い物も大好物。
 お返しに協会カレンダーを送った。


2002(平成14)1月5日(土)
 池袋のデパートにCDを買いに行ったが、途中のフロアでコートに目が止まった。
 秋口に欲しかった物が半額になっていたので買う。
 靴やマフラーもかなりの割引で、買ったはいいが400円の不足でCDが買えなか
った。


2002(平成14)1月6日(日)
 上石神井にある高級老人マンション"シルバーシティー石神井"にて師匠と落語会。
[たらちね]を熱演し、全体の反応はイマイチだったが、従業員の方にはよく笑って
もらった。
 いただいた手作りケーキは大変においしい。
 原沢園長様、お世話になりまして、ありがとうございました。


2002(平成14)1月7日(月)
 仲間と新年会。
 子供の頃に流行した任天堂のファミリーコンピューターの話になり、まだ持ってい
たことを思い出す。
 ファミコン大会の開催を決定。


2002(平成14)1月8日(火)
 ファミコン本体とカセットを数年ぶりに引っ張り出す。
 何十本か持っていたカセットも「ファミリースタジアム」シリーズの4本だけ。
 明け方まで興じ、童心にかえる。


2002(平成14)1月9日(水)
 12月分の電気代が一万円を超えていた。
 原因はエアコンの使いすぎとテレビの見すぎ。(というよりも、付けたまま寝てし
まったのだ)
 節電を真剣に考えた。


2002(平成14)1月10日(木)
 10日間、自炊なしで洗濯と掃除も一度もしなかった。
 だらしない新年のスタートに反省。
 とりあえず、お米を買う。
2002・3・20 UP