[落語の中の古文楽習問答]その2

[ 孝 行 糖 ] の 巻

参加 流山大蛇 と 古文長屋一同
圓窓「与太郎の口上を聞いてると、老莱子が飴をこしらえた、となってますが、調べてみ
 ると、そんなことはないんですね?」
大蛇「ないですね」
圓窓「『老莱子といえる人、親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖』という文
 句ですが、あれは嘘なんだ」
大蛇「嘘です」
圓窓「長いこと、騙されていた、あたしは」
大蛇「あたしも騙されていました。老莱子と飴の関係はあきらめて、飴と古文の関係を古
 語辞典を調べてみました」
圓窓「あったんですか?」
大蛇「それはありました。日本書紀に神武天皇が飴を造る場面があるというので、日本書
 紀巻三をひもときました」
圓窓「日本書紀…? すごいものが出てきましたね、この古文問答も」
大蛇「神武天皇が東征の途中で、天香山の粘土で作った土器でもって、飴を造ろうとする
 んです」
圓窓「天皇が…? 飴照大神ってぇ駄洒落は言ってはいけませんか?」
大蛇「もう言ってますよ」
圓窓「すいません」
大蛇「黙って読んでください。[無水造飴。々成則吾必不仮鋒刃之威、坐平天下。乃造飴。
 々即自成。]」
圓窓「声を立てようにもわからないから、声も出ません。どういうことです?」
大蛇「解りやすく、こう読みます。
  水無しにて飴を造らむ。飴成ればすなわち吾必ず鋒刃の威をかりずして、坐して天下
 を平らかにせむ。すなわち飴を造る。飴すなわちおのずから成る」
圓窓「それで、解りやすいの? もっと、解りやすくは?」
大蛇「飴ができあがれば、武器を使わずに天下を治めることができる、と確信して、その
 通りになるという内容ですよ」
圓窓「じゃ、飴って、ありがたい物なんだ」
大蛇「そう解釈して、落語の[孝行糖]の中の大家さんに『飴の歴史は古いよ。霊力もあ
 ってな』ことを言わせて、孝行糖に繋げるという演出も出来そうですね」
圓窓「なるほど。考えてみます。それと、その老莱子のした親孝行ですが、妙なことをし
 たもんですね。己れを馬鹿にして見せるって、喜劇役者みたいなことなのかな」
大蛇「そうかもしれませんね」
圓窓「口上には『飴をこしらえた』というだけですが、『本当はこういう親孝行をした人
 なんだ』ってぇのを作って入れたいのですが」
大蛇「いずれ、そういうことになるのではないかな、と思ってましたよ」
圓窓「これは画期的ですよ。だって、本当の老莱子の姿を知っている噺家は少ないんです
 から」
大蛇「こういう風に作ってみたんですが。

昔々もろこしの、
二十四孝のその中で、
老莱子といえる人、
親の長寿を願うとて、
派手な衣装に身をつつみ、
飴をなめなめ舌たらず、
わらべになりきるその無邪気。
親はわが子の姿みて、
おのれの歳をばつい忘れ、
八十、九十とながらえる。
莱子のなめたるその飴に、
あやかり名付けて孝行糖、
ほら、孝行糖、孝行糖。


  と、どうですか、こんなとこで」
圓窓「うまいですね、大蛇先生。昔、やってたんじゃないの」
大蛇「やってはいませんよ」
ただしろう「大蛇先生。孝行糖の口上、いいですね。語呂も内容もすばらしい。口ずさみ
 たくなります」
圓窓「二人でやったらどうです?」
二人「まさか」
圓窓「あたしの[孝行糖]を聞いてくださな。孝行糖の踊りが入ります。水戸黄門が登場
 します」
大蛇「そりゃ、賑やかだ」
圓窓「それに、この新たな口上が加わりますから」
大蛇「期待しましょう」
圓窓「窓輝も小金馬から教わって、[孝行糖]は演ってるので、この改訂された口上を入
 れさせようかと思っております」
ただしろう「大勢がそれを演るようになれば、いいですね」
大蛇「HPを覗いて、このことを知った噺家のうち、何人でもいいから、『やらしてくだ
 さい』と言って来ると嬉しいね」
ただしろう「どのくらいいるかな……」
圓窓「そこなんですよ。『この噺の口上は、昔からこうなんだから、これでいいんだよ』
 と、関心を示さない人のほうが多いでしょうね。だけど、何人かはいるでしょう、きっ
 と。そうなると、インターネットを通じての落語史上に残る貴重な活動ということにな
 ります」
ただしろう「なるべく多くの人が、新しい口上で『孝行糖、孝行糖』と言うようになると
 いいですね」
圓窓「窓輝が[孝行糖]の口上を練習してたときです。自分の部屋で『孝行糖、孝行糖!
 』と怒鳴ってたんですよ。すると、女房が台所で『台所の明かり、点いたり消えたりし
 ているのよ、まったく、もう。蛍光灯、蛍光灯!』だって」
ただしろう「ほんとですか?」
圓窓「実話ですよ」
あきら「その三人でトリオを組んだらどうですか」
圓窓「急に出てきましたね、あきらさんは」
あきら「傾向と(蛍光灯)対策は、あたしが練りますから」
圓窓「いっそのこと、あきらさんも入りなよ、カルテットでいこう」
あきら「勘弁してください」
圓窓「大蛇先生。今、口上を読んでて気がついたのですが、『莱子のなめたるその飴に』
 のとこですが、[莱子]ではなく、やはり[老莱子]と言いたいのですが」
大蛇「実は、私も[莱子]では無理かなと思ったんです。リズム優先であんなふうにして
 しまいましたが、やはりフルネームの方がいいですね、[老莱子]と」
圓窓「[老莱子]なると、違う人物にとられかねないし」
大蛇「そうですよね」
圓窓「で、『老莱子のなめたる飴に』と言いたいのですが。[その飴に]の[その]を削
 除することになるのですが、いかがでしょうか」
大蛇「『老莱子のなめたる飴に』は七、七で破調ですね。この口上の場合、句末は五音で
 ないと唱えても聞いてても落ち着きません。[老莱子のなめた飴]か[老莱子のその飴
 に]のどちらか口ずさみやすいほうを選んでみてください」
大蛇「わかりました」

1999・12・30 UP





[落語の中の古文楽習教本]その1

[ 道 灌 ] の 巻

文 流山大蛇
                [道灌]の梗概は
                 圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/道灌

 故人の先代金馬や今の南喬の[道灌]には絵の脇に添えてある漢詩を読む場面がある。
これが入ると、ご隠居の知識ひけらかしの得意然とした様子がぐっと引き立ってくると思
うのだが……。その漢詩[太田道灌借蓑図]は次の通り。

 孤鞍衝雨叩茅茨(コアン雨ヲツイテ、ボウシヲ叩ク)
 少女為遺花一枝(少女タメニオクル、花イッシ)
 少女不言花不語(少女ハ言ワズ、花語ラズ)
 英雄心緒乱如糸(英雄ノシンチョ、乱レテ糸ノゴトシ)

 この漢詩は七言絶句の形式で、茨・枝・糸の三語が韻をふんでいる、なんていう解説も
本文を書き下し文で読んでしまえばあまり意味はない。内容はやさしいが敢えて口語訳の
蛇足を加えるならば、
[一人の馬上の武将が雨に会ってあばら屋を訪れる。その家の乙女は山吹の花をひと枝さ
し上げる。乙女は黙ったままで、花ももちろん何も言わない。さあ、武将の頭の中、真っ
白になっちゃった]
 この漢詩の作者は大槻磐渓(おおつき・ばんけい)という儒学者である。磐渓は蘭医・
大槻玄沢の子で、[言海]の大槻文彦の父だということを知ると、ぐんと身近な存在の人
となる。[広辞苑]にもこの親・子・孫の三人が並んでいる。
 以上、[漢詩の事典](大修館)を参考にして記したが、その本には、この漢詩の作者
は一応磐渓であるとし、ただし[疑わしい]としていることもつけ加えて置かねばならな
い。
 さて、問題の元歌[七重八重花は咲けども山吹のみの一つだに無きぞ悲しき]はいつ誰
がどんな気持ちを詠んだものだろうか。落語の中でも作者は兼明(かねあきら)親王であ
ると言っている。兼明は今から千年前の平安時代の人である。[歴史事典]を見ると、兼
明という人は左大臣にまでなったが政敵に陥れられ中務卿(なかつかさきょう)に降格、
晩年は小倉山に閉じ籠もっていたとある。
 歌は[後拾遺和歌集]巻十九に載っていて、成立事情を説明した詞書(ことばがき)が
歌の前に付いている。その詞書を現代語に置き換えていうと、[小倉山に住んでいた頃、
雨の降った日、蓑を借りる人が来たので、山吹の枝を折って与えた。受け取った当人は何
のことか分からずに帰り、後刻あれはどういうことだったのかと聞いてきたので、”その
心は”の返事として、次の歌をおくった]というような内容である。はじめに黙って[山
吹の枝]を差し出したのは超ウルトラ意地悪クイズだったのである。この詞書にもあると
おり、そもそも、はじめからあの歌は雨具断りの歌なのだから、[しずのめ]は兼明の故
事そのものをなぞったのであって、古歌の[みの]の部分だけを自分の発見としたわけで
はない。実は[道灌]をやるすべての噺家はそこのところをいい加減なやり方をしている。
しかし、正しくやったからといって急に噺が面白くなるわけでもなかろうから、やかまし
く言ってもあまり意味がないかもしれない。
 ところで、あの歌は単なる雨具断りだけの歌なのであろうか。[七重八重]の次は[九
重]であることを思うと、単なる[挨拶歌]にとどまらず、裏になにか訴えたいものがあ
るのではないかと思うのは考え過ぎであろうか。
 なお、この短歌と道灌とをからませた、落語の元になった例のエピソードは湯浅常山著
[常山紀談](1739年)巻の一に[太田持資歌道に志す事]という題で出ている。

【蛇足】
 ご通家の方々にとってはお邪魔でしょうが、ごく簡単に落語[道灌]の梗概を。
 隠居さんが八っつあんに、[太田道灌、簑を借りる図]の歴史画の絵解きをする。名も
なき少女が山吹の枝を差し出しているのは兼明親王の[七重八重――]の古歌にならった
雨具ことわりの行為だったが、道灌はその意図が読めず、余は歌道に暗いと恥じて、その
後歌道に精進したというのである。
 八っつあんは、自分も早速その歌を用いて傘を借りにくる者を追い返そうとする。提灯
を借りに来た者に、傘の断りを使って珍妙なやりとりがある。
 サゲは「カドーに暗いな?」「カドが暗いから提灯、借りに来た」。





 

[落語の中の古文楽習問答]その1

[ 道 灌 ] の 巻

参加 流山大蛇 と 古文長屋一同




ただしろう「早速ですが、道灌蓑を借るーーの詩。作者がわからずもやもやしていたので
 すが、大槻磐渓とわかり、安心しました。
  実は、詩吟をやる人など、数人に聞いて見ると、新井白石という答えが返ってきたの
 ですが、私も、白石に会ったことはないけど、あれを作りそうな人とは思えず、もやも
 やしていたわけです。
  では、磐渓は作りそうか、といわれると、単に感じだけなんですがね。確か、富士山
 の詩を作った人でしょう? 違ってたら教えてください。
  もう一つ、落語では、前はこの絵のほかに、児島高徳の故事や、四天王の話の絵など
 があって、そのあと、この道灌の絵になったのですが、今はやりませんね。もう、故事
 そのものがわからなくなっているから、やってもだれるかも知れませんが、惜しい気も
 します」
大蛇「ただしろうさん。富士山の詩を作った人、教えてください」
ただしろう「大槻磐渓ではありませんでした。以前、詩吟をちょっと齧ったことがあって
 、記憶に出てきた名前を上げたのですが、間違いでした。
  その頃の小さな本が、どこかへ行って、ときどき、見たいのですが、不便しています。
 大蛇先生から逆に質問を受けて、不安になり、友人に確かめたところ、全く違って、石
 川丈山でした」
かなこ「流山大蛇先生というお名前を拝見して、不思議なネーミングだと思っていたので
 すが、その2日後くらいのおととい、以前録画した落語のビデオを見ていたら、[流山
 大蛇]というセリフがチャチャっと出てきました。あまりの偶然にびっくり仰天。
 [紺屋高尾]で久蔵が[流山の大尽]を聞き違えるところだったのですが、[流山大蛇]
 というのは、他の何かの噺の登場人物(?登場動物)ですか? それとも、落語にはよ
 く出てくる語呂合わせ言葉なのですか? それとも、この噺からきているのですか?」
  質問しながら、第2番目のような気がしてきましたが、でも、気になって眠れないの
 で、教えてください」
大蛇「かなこさん。[流山大蛇]のハンドル名を話題にしていただき、ありがとうござい
 ます。ご指摘通り落語[紺屋高尾]からいただいたものです。私、千葉県流山市の住人
 なので、久蔵さんの聞き違いをそのままとって名前としました。
  残念なことに、このクスグリ、全部の噺家さんが使ってはいないようなので知名度は、
 さあ、どうでしょう」
ナナ「久々の古文です。高校受験以来かも知れません…。深夜に大の苦手だった、古文の
 勉強をするなんて、ビックリです。
  私は、英語とか古文とか、現代語訳するのが苦手で(文法がもうダメ)実の所、避け
 ていましたが、落語と組み合わせて授業をしていただくと、なんとなく古文にも愛着が
 わいてきました。
  さて、私も思っていたのですが、娘さんが突然[山吹の枝]をもってきても、困りま
 すよね。私なら、もっと違う深読みをするかも知れなかった。
 [山吹色]の小判と引き換えに蓑を渡すよ。
  と、勘違いして、こっちの弱みにつけこんだな! と思っても、しょうがないから渋
 々、お金をちらつかせちゃうかも。
  そしたら、立派な傘が出てきたりして…。
  それじゃぁ、普通ですよね。落ちもなんにもない…。すいません…、授業中にくだら
 ないことを…。
  現代なら、アコースティックギターを持ち出して、井上陽水の歌を歌いはじめる…、
『都会では 自殺する若者が増えている…』…、フォークに暗い…。
  すいません…、またもや古文と関係なくしてしまい…。
  こんなのいいかな。
   菜々部屋へ 端なは避けども 夜マブ奇 ノミの一つダニ 泣きぞ哀しき
  新釈部屋自慢…、ココノヘヤ…。
  すいません…、また違う事を…、疲れているのかな…」
あきら「英雄心緒乱如糸(英雄ノシンチョ、乱レテ糸ノゴトシ)の解釈が『さあ、武将の
 頭の中、真っ白になっちゃった』ってのは面白いですね。
  それから、単なる[挨拶歌]にとどまらず、裏になにか訴えたいものがあるのでは、
 というのはどういうことですか。
 [七重八重]の次は[九重]、と言われても千代の富士しか思い出せないので、この深
 読みの妙を味わう事が出来ずに残念に思っております。もう少しつっこんで解説してい
 ただけないでしょうか」
大蛇「あきらさん。次のような意味に取れないか……。
 『こがね色に輝く山吹の花のように、七重八重と出世街道を上りつめて来たが、晩年、
 九重(=宮中)での覚え悪く、実りなき人生を終わるかと思うと、わびしいかぎりじゃ
 』当然、あの[詞書]はカムフラージュということで……。
  落語[一目上がり]をキーにして強引に謎のドアをこじ開けようとしたわけです(笑
 )」
あきら「九重って、宮中のことですか。勉強になりました。やっぱり、教養が有ると楽し
 みも倍増するって事ですね」
無銭「大蛇先生。ご教授有り難うございます。
  実はこの[しずのめ]に引っかかっていました。この[しずのめ]が即答する教養が
 どこから来ていたのか。すっと山吹を差し出す教養をもっているなら、それなりの乙女
 でなければならない筈ですが、「しずのめ」の素性についてはまったく不明です。
  それが故事をなぞっただけ、つまりは「人まね」をしただけなら、納得が行きます。
 歌の意味を即座に転用するという芸は難しいですが、その故事を知っていてその真似事
 なら出来るでしょう。
  もっとも、その故事を知っているだけでも道灌よりは優れているわけですが。
  その事をふまえていつか、演ってみたいと思います。

  道灌の家来が山吹の謎について道灌に教えるときに
 『後拾遺和歌集に兼明親王の歌として[七重八重花は咲けども山吹のみの一つだに無き
 ぞ悲しき]という歌がございます。
  その詞書に[小倉山に住んでいた頃、雨の降った日、蓑を借りる人が来たので、山吹
 の枝を折って与えた。受け取った当人は何のことか分からずに帰り、後刻あれはどうい
 うことだったのかと聞いてきたので、"その心は"の返事として、[七重八重花は咲け
 ども山吹のみの一つだに無きぞ悲しき]の歌をおくった]とございます。
  山吹のみのと簑のないことの掛詞でございます。
  くだんのしずのめはその事を存じており、その故事に倣って殿へのご返事と致したと
 心得ます』
  てなぐあいにでもして見ようかと思います。
  著作権並びに授業料の件は如何致しましょうか?」
大蛇「無銭さんから早くも模範解答が出てしまいましたが、遡って問題の箇所に詳しく触
 れて[教本]を補います。  

[落語の中の古文楽習教本]その1 増補

  くだくだしくなるので前回は省いた問題の個所、[家来が謎解きをする場面]を師匠
 方の実演で検証してみたい。

  1、[克明バージョン]

    (――太田持資公が)呆然としていると、ご家来の豊島刑部という人、お父さん
     が歌人だ。お殿さまより先にこのなぞが解けた。
    『恐れながら申しあげます。兼明親王の古歌に、<七重八重花は咲けども山吹の
    実の一つだになきぞかなしき>という古いお歌がございます。これはお貸し申し
    ます蓑がございません、山吹というものは実のないもの、実と蓑をかけてのおこ
    とわりでございましょう』と言うと……。           (先代金馬)

  2、[ぞろっぺいバージョン]

    (――道灌公が)お考イんなってるとご家来が『恐れながら申し上げます。"七重
    八重、花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき"という、古歌がござ
    いますから、それになぞらえて、この雨具がないというおことわりでございまし
    ょう』てえんだ、え?                     (志ん生)

  3、[ど忘れ型バージョン]

    (――道灌殿は)誠に歌道は明るいのだが、山吹の古歌は、お調べがなかったも
    のと見えて、山吹の枝を見てお考えになった。時に傍にソラしゃがんで描いてあ
    る御家来は、中村茂義といって、此は元禁裏北面の武士で、此も歌道は明るいゆ
    えに、道灌殿の袖を引き、兼明親王の古歌に、七重八重花は咲けども山吹のみの
    一つだになきぞかなしき、という事がござると申し上げた。するとお解りがあっ
    たのよ。                  (明治35年 六代目 文治)
                        (上記、いずれも速記本による。)

 1番がこんにちスタンダードになっている。しかし[七重八重]の歌と成立事情を知っ
ている筈の、歌道に明るい家来が、たった今[みの]の懸詞に気づいたような言い方がお
かしい。
 2番は見事なまでに、いい加減。しかし、現在問題にしている[山吹論争]なぞ吹き飛
ばしてしまうような勢いに負ける。[てえんだ、え?]って志ん生に言われば、ああ、そ
うですかと、うなずくしかない。
 3番は現在まったく見られない演じ方だが、一番理にかなっている。忘れていた兼明の
故事を家来の一言で思い出したというのである。もともと道灌という人は文武両道に長じ
、幼い頃から歌も作った人だというからつじつまはあう。
[余はまだ歌道に暗いのう]と[まだ]と言わせれば人物に奥行きが出て来よう。嘘でも
全く歌道に暗い方がドラマはもりあがるということで、この型はなくなってしまったのだ
ろうか。

 さて、無銭氏の改訂試案は出典に忠実なパーフェクト版である。
筆者も試みたい。二段構えの絵解きを説明すると長たらしくなるので、承知で一部をカッ
トする。『恐れながら申し上げます。
 平安の御世のこと、蓑を借りに来た客人に対し兼明親王が山吹の枝を示して断ったとい
う逸話が残っております。
 断る際に「七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき」という一首を詠み
ました。
 これは「山吹には実がない」と「簑がない」との懸詞でございます。この家のしずのめ
も、この故事にならって雨具のないことの断りを致しておるものと心得ます』
 どうでしょうか」
無銭「恐れ入りました。さすが、古文落語の先生」
大蛇「ことのついでに、
  1、[後拾遺和歌集]は八代集のひとつで、歌を多少でもかじった人にとっては基本
   的な教科書だと思います。したがって[山吹]の歌は歌人の間では常識だといって
   いいと思います。
  2、「しずのめ」は今でこそ零落しているが、かつては…、なんのなにがしの娘とい
   う設定だと、歌を知っていても不思議はないと思います。「おはずかしう」という
  セリフや枝を差し出す挙措動作にそれをみたいと思います。

  またまた、ついでにですが、[しずのめ]の追跡調査は圓窓師匠がされています。
  圓窓師匠、その件、発表をお願いします」
圓窓「そろそろ来るんじゃないかなと思ってました。
  では、往年のパソコン通信時代のダータから、引っ張りだします。

  <<<知らなくてもいいこと>>>[道潅]<賎の女(しずのめ)> 1
                圓窓五百噺[道潅]より


 隠居『大田道潅、お鷹狩りに出かけた。すると、にわかの村雨だ。雨具の用意がない。
  傍らを見ると、一軒のあばら屋。『雨具が欲しい』と訪ねると、二八あまりの賎の女
  が出てきた』
 八公『二十八匹の雀が出てきた』

  あたしの知る限り、この賎の女に関して、語った落語もないし、噺家もいなかった。
  一九九五年八月二日。柳家さん吉さんに案内をされて、新宿区の抜け弁天の近くの大
 聖院を訪ねた。
  その院はさん吉さんの町内にあるので、案内人にはもってこいだ。
  境内の隅に、もう判読できそうもないその碑があり、解説板には『その後、道潅に声
 をかけられ、城に上り、歌の勉強の相手をした。道潅の死後、大久保に庵を構えた。そ
 の名を紅皿(べにさら)という』と記されている。
  その碑の脇に、もう一つ、記念碑が立ってある。
  道潅と紅皿のことを芝居で演じた一二代目守田勘が立てたという記念碑。
  ということは、歌舞伎でもやったんだ。

  一席になりそうな逸話も付いてなかったが、[道潅]にたとえ一言でもいいから、その
 ことを挿入したい。そのためには、[道潅]をやらなくてはいけない。自分の会では二度
 ほど演ったが、寄席では一度もやってない。やろう。

                    知らなくても、噺は演れるし、噺は聴ける。
                    でも、知ってても、損ではない。
                    一番いけないのは、知ったかぶりをすること。

 <<<知らなくてもいいこと>>>[道潅]<賎の女(しずのめ)> 2

  平成七年八月二四日。厚生年金会館での仕事の帰り、再び、賎の女の眠る大聖院へ立
 ち寄る。そこで手に入れた資料を詳しく記する。

 <<<大聖院文書>>>
  院に伝承する古文書、古記録類で宝歴元年(1751)から明治四年(1871)に及ぶ二巻五冊
 一葉。内容は大聖院と別当寺を勤めていた西向天神の由緒に関するものが多いが、文政
 七年(1824)の<東大久保村地誌書上帳>や境内にある紅皿の碑に関する<紅皿縁起>な
 ども含まれている。点数は少ないが残存する古文書の皆無な大久保地区にとっては貴重
 な資料である。

  圓窓黙考「紅皿縁起にどの程度のことが書かれているのか、知りたい。教育委員会
       に当たってみるか」

 <<<史跡 紅皿の碑>>>
  所在地 新宿区新宿六の二一の一一 天台寺門宗 大聖院境内。
  大田道潅の山吹の里伝説に登場する紅皿の墓であると、伝えられる板碑である。
  高さ一〇七センチ、幅五十四センチ、厚さ六センチで、中央部および下部に大きな欠
 損があり、はっきりしないが、中央部に主尊を置き、四周に十二個の種子を配した十三
 仏板碑であったと推定される。
  造立年代は不明であるが、十三仏板碑が盛んに造られた十五世紀半の作であると、思
 われる。
  紅皿は大田道潅が高田の里(現在の面影橋の辺りとされる)へ鷹狩に来て、にわか雨
 にあい、近くの農家に雨具を借りようと立ち寄ったところ、その家の少女が庭の山吹の
 一枝をさし出してことわった。
  これが縁となり、道潅は紅皿を城へ招き、歌の友とした。道潅の死後、紅皿は尼とな
 って大久保に庵を建て、死後、その地に葬られたという。
  後年、芝居で演目とされたため、十二代守田勘弥らの寄進した石碑類が並んでいる。
                     平成三年十一月 東京都新宿区教育委員会

  圓窓黙考「<その家の少女が庭の山吹の一枝をさし出してことわった。これが縁と
       なり、道潅は紅皿を城へ招き、歌の友とした>とあるが、ちょいと不親切
       だ。
        落語[道潅]を知っている者ならわかるだろうが、一般の人には少女の腹
       の内がわからない。山吹を差し出した意味も記すべきだ。
        ここいらが、役人のセンスのなさ。
       『山吹は実の成らぬもの。貸す蓑がありません。実の、蓑の掛詞』という
       ことを付け加えておやりよ、お役人さま」

  これは長過ぎだよ、まったく」
大蛇「圓窓師匠。ご苦労さまでした。
  ちょっと気になることなので補遺ということで。
  兼明の[七重八重――]の元歌の結句は実は[かなしき]ではなく、[あやしき]で
  ある。
 [常山]のエピソードの段階で[かなしき]に改作されたようで、それがすっかり定着
  してしまい、今や元歌の方がむしろ不自然な感じにさえなってしまった。
    正しさを追求すると、落語で[鍋と釜敷]のクスグリができなくなってしまうの
  で、ここはそっとしておいた方が良かろうと思う」
圓窓「え! ほんと?
  そういうことって、よくあるんですよね。特に落語の場合は、聞いてわかりやすいほ
 うへ流れるように変化していってます。
 [かなしき]も[あやしき]も、同じAの母音だから、釜敷に添っていきますよ。
  あたし、強情に[あやしき]で演ってみようかしら」
矢島亭「[道灌]ですが、東大落語会編[増補落語事典]に、原話は天保4年江戸板の
 初代林家正蔵作[笑富林(わらうはやし)]に載っていると書いてありますが」
大蛇「矢島さん指摘の原話の小咄には道灌は出てきません。雨具ことわりというパター
 ンが同型ということだけでして。
  雨具ことわりの歌[七重八重]をもじって、八百屋の亭主が台所道具ならぬ野菜づ
 くしで狂歌を作ったという内容です。

  七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき。
  この歌を聞いて何でも夕立が降ってきて、雨具を貸せといふ者があったら、歌を読
 まう読まうといふうち、
  大夕立降り来り、友が駈け込み、
 『傘でも着るものでも、雨具を貸してくれろ』
  といふ故、
  八百八の亭主、白瓜と丸漬と茄子を並びて、歌に、
 『丸づけやなすび白瓜ある中に今一つだになきぞかなしき』
  友『この中に胡瓜(きゅうり)がねえの』
  亭『ハイ、胡瓜はござりませぬ』

  考え落ちのようなサゲですが、これでレインコートをことわるサげになっているわけ
  ですね」
矢島亭「わかりません。どういう意味なんでしょうか。あれれ、急には(胡瓜は)ご
 ざいませんという意味なのでしょうか」
大蛇「胡瓜を出して、『カッパはないということらしいです』
矢島亭「なぁんだ」
圓窓「漢詩の韻を踏むって、いいますね。なんとなく、漠然とはわかるんですが…。
  高校時代、漢文は授業にあったんですが、ほとんど寝てました。読みと解釈だけの授
 業だったように記憶してます。作った覚えはありません。寝ていた間に、やってたのか
 な。
  なんとか絶句というのは、絶句して、『勉強しなおしてまいります』に通じるんです
 か?
 初心者用に、よろしく。
大蛇「同じひびきを持つ文字を句末にそろえて音調をととのえる表現テクニックです。読
 み上げても、聞いても心地よくなる効果をねらっています。もちろん中国音でですが。
 日本語で書きくだして読んだのでは、折角の苦労もなんにもなりません。学校では大体、
 日本語でよみますから押韻は隠し絵ほどの意味しかもたなくなります。
  七言絶句では一、三、四句の三か所の句末に必ず同韻の文字を使わなければならない
 厳しいキメがあります。五言絶句の押韻は偶数句末。つまり二句と四句です。
  道灌の詩では茨、枝、糸の三文字が同韻です。ほかの詩で二、三具体例をあげてみま
 す。押韻の部分だけ抜きます。[間−還−山]、[開−杯−来]、[天−眠−船]、
[紅−風−中]、などです。
  それと、絶句のことですね。語源はわかりません。八句から成る律詩を半分にしてで
 きたからともいわれているらしいですが、さだかではありません。
  文楽の絶句とは全く違う意味で使っているのはたしかですが」
あきら「以前に、HPで『漢詩を作ろう』みたいなのを見つけまして、面白かったので少
 し読んでみたら、HP上で韻が同じ漢字を自動的に表示してくれるってのが有ったので
 した。それで、探し回ったのですが見つからなかったので、かわりに同じようなHPを
 ご紹介します。
    http://www4.justnet.ne.jp/~tera3form/kkansi1.htm
   ここから漢詩作成ソフトをダウントードできます。韻が同じ漢字を探し出してくれる
   らしいです。
    http://www.win.ne.jp/~metanki/kadan/bai_int3.htm
    http://www.win.ne.jp/~metanki/kadan/bai_int4.htm
   漢詩の作り方のHPです。この場所に韻についてかかれていますが、この前後も面白
   いかも。
    http://www.asahi-net.or.jp/~LF4A-OKJM/kodai3.htm
   なんか、めちゃめちゃ読みにくい」
 あきらさん紹介の[漢詩への小道](漢詩製作の手引)を覗いてみました。非常にまじ
 めな内容で、参考になります」

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