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窓門リレー旬報

2001年 窓 門 重 大 ニ ュ ー ス


圓窓 5大ニュース

 1 ”圓窓五百噺のゴールイン”
     なんとか夢達成。次の夢は? 「落語にしっかりした季節感を!」の整理
     をしてみようか。
 2 ”日大芸術学部文芸科の講師”
     急死した柳沢睦郎氏の後を受け継いでの通学。小学4年の授業とはちと違
     う。大学は講座、寄席は高座。
 3 ”「圓窓五百珈琲小咄を読む本」の出版なる!”
     圓窓五百噺を聴く会でお世話になった「富士コーヒー」の広報誌に毎月2
     つずつ連載していたコーヒー小咄も500以上になっていた。
 4 ”死に急がなくても”
     三木助、右朝、文蔵、志ん朝。先輩、後輩、両者とも早すぎるよ! あの
     世に急用ができたのかい? この世にやることをまだ、どっさり残して、
     なんだよ、、、。
 5 ”人前で生まれて初めて踊る”
     隠れてこっそりと習っていた日舞。6月の圓窓一門会で「深川」を踊る。
     いやはや、緊張、きんちょう!
 6 ”民話落語や仏笑落語の創作”
     全国への字取材も楽しい。役者の語りや朗読とのジョイントも勉強になる。


吉窓 6大ニュース

 1 ”志ん朝師匠、最後の高座に立ち合えた!”
     8月20日、浅草演芸ホール昼席、住吉踊りの千穐楽でした。
 2 ”寄席で、初めて師匠の代バネを勤める!”
     11月17日、国立演芸場中席。師匠の企画公演だからできた。通常の寄
     席では、まだムリ?
 3 ”電気洗濯機を買い換える!”
     12月4日、今年一番高い買い物。付属品、保険等〆て10万円弱也。
 4 ”持ちネタが200席を越える!”
     3月頃。師匠の五百噺に比べればペースもスローですが、まあボチボチと
     これからも増やします。
 5 ”STスポット寄席、終わる!”
     JR横浜駅近くの小さなスペースで12年半続いた小さな寄席。レギュラ
     ーメンバーとしてずいぶん出させてもらった。
 6 ”いとこが車上ドロに遭い、被害額2千万円!”
     父親の会社を継いで切り盛りしていたが、とんだ災難。がっくりしている
     いとこに、かける言葉もない。


窓里 7大ニュース

 1 ”母校で進路指導”
     在学中は「2度と来るな」と言われた母校の中学校で、進路指導の講演。
     内容は、「初志貫徹」
 2 ”我が家が日陰に”
     我が家の前に私立保育園が開園。立場上、反対もできず日陰に。トホホ・・
     ・。
 3 ”吉窓・窓里二人会 盛大に”
     暮れの二人会には大勢のご来場、有り難うございます。来年もやるぞ。
 4 ”諸先輩の死去”
     志ん朝、右朝、三木助師匠など、諸先輩が死去。大変お世話になりました。
 5 ”川越市議会10日間の空転”
     3月の定例会が10日間空転しました。内容をご説明するには10ページ
     必要となりますので、省略。
 6 ”議会運営委員会委員に選任”
     運営委員に選任されました。字の通り運営するために一番大事な委員会で
     す。まじめに努めます。
 7 ”健康診断の結果が全値正常”
     秋に受診した年1回の健康診断の結果すべて正常値でした。年末年始は酒
     がうまいぞ。


萬窓 5大ニュース

 1 ”萬窓を名乗り真打昇進”
     なんと云ってもトップ。披露の会で30年ぶりに会った人もいました。
 2 ”妻妊娠”
     来年4月25日が出産予定日。まだ性別はわかりませんが、希望は女の子。
 3 ”天国へ旅立った人達”
     父をはじめ柳沢睦郎さん、三木助・右朝・文蔵・志ん朝・仙之助の師匠方。
     お世話になった方があの世に。
 4 ”夏の寄り合いの余興で祝儀”
     落語協会恒例の寄り合い。新真打10名で『奴さん』の替え唄を演奏した
     ところ、小さん師匠から祝儀。私は三味線。
 5 ”一日郵便局長”
     4月26日、板橋西郵便局で。配達もしましたが、大変な仕事です。


窓輝 5大ニュース

 1 ”踊りのソロデビュー!”
     11月中席の国立演芸場で、「槍さび」を踊りましたが、あの緊張感は初高
     座にも匹敵しました。来年の企画物は末広亭でも興行することが決定。果
     たして出番は?
 2 ”真打昇進披露興行で萬窓兄さんの番頭を務める”
     パーティーに打ち上げ、高座など大変勉強になりました。
 3 ”仲間で草野球チームを結成”
     果たして何歳まで体が動くか分かりませんが、演芸界の名門チームにした
     いです。
 4 ”中日Bクラス、星野監督阪神へ”
     戦力を考えたら優勝は難しいとは思っていましたが、まさか5位とは! 
     よほどの補強をしない限り来シーズンもキツイでしょう。
     星野さんが阪神の監督になったのは残念ですが、プロ野球界の発展のため
     ・・・。
     中日が優勝して阪神は2位が理想です。
 5 ”マンションの更新”
     二ツ目昇進と同時に独立してはや2年。入居時の敷金、礼金、2年分の家
     賃に更新料など、よくお金があったなと思います。
     来年のニュースは、色っぽい話や景気のいい話になりますように。
     本年度もありがとうございました。
2002・2・23 UP







『 披露目のせいか 一年は早かった 』

2001・12・21〜31(十二月下席(しもせき))
報じ手 萬 窓
2001(平成13)年12月21日(金)
 池袋昼席に代演、[権助芝居]。30名ほどの入りだが、とても良いお客。


2001(平成13)年12月22日(土)
 鈴本夜席、[尻餅]。楽屋に来春真打に昇進する三遊亭金八君が出番を終えていた。
 先輩として生意気に準備についてアドバイスする。なにしろ彼ら5人は、11月に
発表があって来年3月下席から披露目が始まるので、準備が忙しい。「何事も早めに
やった方がいいよ」と。


2001(平成13)年12月231日(日)
 某不動産会社の忘年会で乾杯の前に一席、[試し酒]。
 皆さん「噺の途中で呑みたくなりましたよ。我慢したぶん今日はお酒がうまいです」

 こういう場は酒の噺に限る。


2001(平成13)年12月24日(月)
 年賀状を書く。いつもは200枚ほどだが、今年は真打披露目に来てくれた方、お
世話になった方に350枚。世間とくらべて、多いのか少ないのかな?


2001(平成13)年12月25日(火)
 夜、日頃お世話になっている歯医者の先生に鍋をご馳走になる。
 中野の居酒屋だが、味噌ちゃんこが自慢。最後にラ−メンを入れたが、これが美味。
 今度家でもやってみよう。


2001(平成13)年12月26日(水)
 朝10時半より、東京會舘で落語協会納めの寄り合い。「今年は物故者が多くいや
な一年だったが、来年は良い年に」と円歌会長があいさつ。
 11名の新理事の紹介があった。協会のため落語界のために新理事に期待大。


2001(平成13)年12月27日(木)
 大掃除をする。まだ披露目関係のもの(招待状、チラシ、引き出物)が、家にある。
 思い切って始末しないとなかなか片付かない。
 池袋昼席代演、[かつぎや]。正月の噺なので、出来るのはこの時期だけ。
 一年ぶりにやると、ところどころ台詞が抜ける。その反面、思い出しながらしゃべ
っているので、いい文句が生まれることもある。


2001(平成13)年12月29日(土)
 生ゴミ収集は、昨日が今年最後の日。うっかり出し忘れてしまった。
 年明けまでベランダに置いておくのは、気持ちが悪い。となり町のゴミ置き場まで
急いで行ってみると、今日が収集日。知恵を絞ればなんとかなります。


2001(平成13)年12月30日(日)
 行き付けの店の忘年会。毎年クイズ大会があり、優勝者には賞金が出る。今年は来
春パナマに転勤になる商社マンが優勝。いい餞別になった。


2001(平成13)年12月31日(月)
 毎年お正月に、前座さんとお囃子さんに手拭いとお年玉を渡す。
 私も前座の頃、お年玉で着物を買った覚えがある。お年玉の準備をする。金額はわ
ずかでも、数は多い。
 今年は披露目があったせいか、あっという間の一年だった。
2002・2・23 UP







『 旅日記 二つ目番外地 』

2001年12月2日〜6日
報じ手 窓 輝
2001(平成13)12月2日(日)
 文化庁芸術文化体験事業 4泊5日の旅に出発。
 一行はこん平師匠、権太楼、たい平師、太助兄。前座のはなふぶきさん、のいるこ
いる先生、正楽師、うちの師匠と自分。豪華メンバーである。
 初日の会場は岐阜県・大野町ふれあいホール。
 大勢のお客様だったが、時間の関係で高座はなく残念。前座にもどって太鼓と楽屋
で働く。
 ホテルへ戻り、興行の成功を祈り、初日の打ち上げ。
 飛騨牛が大変おいしかった。


2001(平成13)12月3日(月)
 師匠と朝食を済ませ、時間をいただいたので岐阜城を見学。
 織田信長ゆかりの名城は金華山頂にあり、天守閣の他に資料館、リス園、展望レス
トランなど4時間かけて見学。
 2日目の会場は、愛知県・一宮市民会館。
[転失気]によく笑ってもらった。やはり地方のお客様は反応がいい。


2001(平成13)12月4日(火)
 朝9時にホテルを出発し、高速道路を通って富山県へ。
 また時間をいただき、高岡市立博物館を見学。
 受付の女性と雑談(向こうから声をかけてきたのです。人もいなかったし、暇だっ
たのだろう)をし、名刺を渡したところ「笑点に出るんですか?」と聞かれ、説明が
 面倒なので「そのうち出ます」と答える。
 庄内町生涯学習センターでの興行は高座なし。ソデから師匠方の芸を勉強させてい
ただいた。


2001(平成13)12月5日(水)
 新潟県・青海町文化会館にて。
 親不知に住んでいる母方の親戚が大勢で見に来てくれた。10年ぶりに会ったおば
さんから花束と日本酒の差入れ。ありがとうございました。
「立派になったわね!」の一言には、ただただ恐縮。そうなるよう頑張ります。


2001(平成13)12月6日(木)
 あっと言う間の最終日は、新潟県・燕市文化会館にて。5日間の興行も高座が2度
しかなく残念。
 一番印象に残ったのは岐阜県。
 豪華なホテル(ルネッサンスホテル)に岐阜城。きれいな会場に大勢のお客様。ま
た行ってみたいところです。(仕事でもプライベートでも可)
 師匠方や事務員の古澤さん、各会場の担当の方には、ご指導、お気遣いをいただき、
貴重な体験になりました。
 皆様、誠にありがとうございました。

2002・3・22 UP







『 忘年会 いくつあるだろうか 』

2001・12・11〜20(十二月中席(なかせき))
 報じ手 窓 里
2001(平成13)年12月11日(火)
 朝10時より議会。
 今日は質問日。私は先週終わってしまったので、他の人の質問を聞く。これが13
日まで続く。


2001(平成13)年12月12日(水)
 本日も議会。
 3日目の質問日。5時に終了後、6時から別の議会に出席。終わったのが8時。疲
れた。


2001(平成13)年12月13日(木)
 議会の後、夜は忘年会。今年はいくつあるのだろう?


2001(平成13)年12月14日(金)
 建設常任委員会。下水道、道路に関する条例を可決する。


2001(平成13)年12月15日(土)
 お世話になった方々へ暮れのごあいさつ。
 政治家は品物を持っていけないので、顔だけ出す。これは良いことだ。


2001(平成13)年12月16日(日)
 近所のご婦人方が集まる忘年会へ。昼からでも酒は出る。
 夕方からもうひとつ忘年会。三次会までお付き合いする。


2001(平成13)年12月17日(月)
 午前中、久しぶりに買い物に出かける。
 午後、整体に行く。腰痛防止のため。


2001(平成13)年12月18日(火)
 朝から来客。
 私を支持してくださる方。来年の落語会のチケットを買っていただく。


2001(平成13)年12月19日(水)
 朝から市役所へ。会派会議で意見の調整。


2001(平成13)年12月20日(木)
 朝から委員会開会。
 本日議会が最終日のため、各会派の意見を調整。
 しかし、まとまらず夜を迎える。結局、会期を延長し、明日また開会となる。
2002・2・23 UP







『 13年目で故障した 洗濯機 』

2001・12・1〜10(十二月中席(かみせき))
 報じ手 吉窓
2001(平成13)年12月1日(土)
 今晩は大塚の〔まがりや〕という居酒屋で落語会。
 あたしと窓輝で伺う。20名弱のお客様で大入り。窓輝は[孝行糖]、あたしは[味噌
蔵]。終演後の日本酒が旨い。


2001(平成13)年12月2日(日)
 鈴本の夜席7時50分上がりへ代演。[都々逸親子]を演る。
 トリの林家錦平兄が「どう? ハネてからラ−メンでも」「へい!ありがとうござ
います」。
 ラ−メン屋に入ったけど、野菜いためと餃子でしこたまチュ−ハイをあおって、結
局、ラ−メンを食べずに店を後にする。これならラ−メン屋でなくてもよかった感じ。
 ごちそうさまでした。


2001(平成13)年12月3日(月)
 女房がベランダで洗濯物を干しながら、
「ねえ、なにか色の落ちるもの出した? 洗ったものがみんな黄色くなっちゃてるん
だけど」
「あっ、ウコン木綿の風呂敷が汚れたから出した」
「もう、先に言ってよ」。
 やれやれ、肌襦袢もステテコもすっかり黄色くなってしまった。これじゃ楽屋で着
替えが出来ません。


2001(平成13)年12月4日(火)
 昨日のことがあったからじゃないだろうが、洗濯機がまるっきり動かない。
 もう13年使ってるから寿命かしら。意を決して新品を買うことにする。
 近所の電気屋をのぞくと、最新型はめっぽう値が高い。その下のランクにしたが、
それでもいい値段。この暮れに来て思わぬ出費、トホホホ、、、。


2001(平成13)年12月5日(水)
 落語協会の事務所で〔住吉踊りの会〕の寄り合い。30名ほど集まる。
 この会の座長の志ん朝師匠が亡くなったため、今後のことを話し合う。とりあえず
来年は〔志ん朝追善〕と銘打って、例年通り8月中席に浅草演芸ホ−ルでやる方向に
決まる。


2001(平成13)年12月6日(木)
 近所の図書館に行くと、「館内改修工事のため、来年1月20日まで借りられます」
とのこと。
 普通は二週間の貸し出しだから、こりゃありがたいと、まだ読んだことない島崎藤
村、田山花袋、井伏鱒二などまとめて借りる。読書の秋だもんね。あれ、もう冬か。


2001(平成13)年12月7日(金)
 今日は寄席の代演のかけもち。末広亭の夜席5時30分で[狸札]をやって、鈴本7
時50分で[山号寺号]をやる。
 鈴本の楽屋の掲示板に「花緑、きく姫結婚!」というスポニチの記事の切り抜きが
貼ってある。噂は聞いていたが、本当だったんだ。めでたい事で結構。


2001(平成13)年12月8日(土)
 落語協会事務所2Fで古今亭志ん弥兄に噺の稽古をする。[動物園]と[都々逸親子]
の二席頼まれた。
 この兄さんは、サッカ−の名門、浦和南高校のサッカ−部出身。その母校が19年
ぶりに正月の全国大会に出場するそうだ。
「兄さんはOBだから寄付するんでしょ」
「ああ、嬉しいけど大変だよ」
 ちなみに弟弟子の萬窓君も浦和南高出身だが、サッカ−部ではない。寄付は避けら
れるのか?


2001(平成13)年12月9日(日)
 女房から誘われた。
「もらった映画の券が2枚あるんだけど、一緒に行く?」
「なんて映画?」
「エボリュ−ション」
「ふうん、面白いの」
「面白かったら、もっと話題になってヒットしてるんじゃないの」
「そうか、でも今日は暇だし出かけるか」
 という訳で池袋へ。
 あらすじは、突如襲来したエイリアンと勇敢なアメリカ市民が戦って、これを撃滅
するという、そんなに深刻でなく、適当に笑える物語。
 お金を払ってまで観たいとは思わないけど、それなりに楽しめた。


2001(平成13)年12月10日(月)
〔日暮里特選落語会〕の常連のお客様に、会のメンバ−がご馳走になる。
 毎年この時期に浅草の料理屋を借り切って、噺家にご馳走してくださる奇特なお客
様。
 我々はこういうお客様大好きです。他にいませんか?
2001・1・26 UP







『 平成十四年 末広亭に3000人の夢 』

2001・11・21〜30(十一月下席(しもせき))
 報じ手 圓窓
2001(平成13)年11月21日(水)晴れ。
 # 下席の寄席は休席。早く国立演芸場の疲れを取りたい。
   昨日の千秋楽、嬉しいことがあった。はねて「来年もやらなくてはね」と、楽
  屋で着替えしながら連中と談笑していると、なんと、新宿末広亭のお席亭が入っ
  てきたではないか!
  「客席から拝見してました。うちでもやってくださいよ」
  「本当ですか!!!」
   一同、びっくりするやら喜ぶやら。寄席側からの注文ですから、願ったり叶っ
  たりですよ、、。
   そばに国立演芸場の制作主任の矢野さんもいて、「どうぞ、どうぞ」と諒解の
  声。国立の寄席と民間の寄席は仲が悪いと言われているが、なにを言うか。この
  通り、提携しての興行もできるのだ。
   持論だが、税金を払っている寄席芸人は国立の寄席を積極的に利用すべきで、
  これは民間の寄席にも言える。同じく税金を払っているのだから、堂々と活用す
  べきである。恥ずかしいことではない。
   てなことで、決定です。
   平成14年6月上席(1日〜10日)、新宿末広亭の夜の部で[寄席舞踊夢枕
  屋]の再演。
   特別割引の前売チケットの発売が落語協会と圓窓のサイトで始まってます。
   10日間、3000人の客動員を(おいおい、いいのかい、大束なことを言っ
  て)夢として描きながら、準備に入ります。
   一人でもありがたい。誘って来てくだされば、なおありがたい。団体となれば、
  感涙に咽びます。
 # コミカレ。[音曲長屋][五代(ごだい)]。
   はいとりがみ句会の木下ひでを氏を講師。「俳句へのお誘い」と題しての講演
  はわかり易く、面白かった。「新たな句会を開きましょうよ」の声あり。
  [五代]という地名の由来を物語る昔咄。(何県のものだか、忘れた)
   囲碁の大好きな百姓が粗朶をとりに山に出かける。仙人然とした老人が一人で
  碁を楽しんでいた。男はさっそく勝負を挑み、懸命に打って一目差で勝って、喜
  んだ瞬間に仙人がパッと消えてしまう。そして、家に帰ってみると、自分の家系
  は五代経っていて疾うにつぶれてしまっていた。
   浦島伝説よりスケールの大きな咄。
   打ち上げの席で、木下氏が「爛柯(らんか)」という同じような故事を紹介。
  この話との類似性を説明してくれた。大いに勉強になった。


2001(平成13)年11月22日(木)
 # 中野区仲町小学校で開かれた児童文化研究会で公開授業と講演をする。
   この小学校の校長が大の落語好き。「落語のおかげで校長になりました」と言
  うほど。


2001(平成13)年11月23日(金)
 # 落語っ子連の発表会。竹ノ塚の"大むら"という蕎麦屋が会場。店のお嬢さん
  がコミカレに参加した縁。二階を改築するという張り切りよう。嬉しいじゃない
  か。
   落語っ子連とは、あたしが「真面目に落語を稽古するのなら無料で指導しまし
  ょう」と請合った素人落語の会。一席終えるごとにあたしが批評するので、落語
  の奥もわかってもらえて、こちらとしても有意義。続けたい会である。


2001(平成13)年11月24日(土)
 # 劇作家を目指す友人の原さんの企画の一人芝居が古河で開かれるというので出
  かける。永井路子作品。二人の女優も好演だったが、挨拶に出た永井氏の話がい
  ちばん良かったとは皮肉。


2001(平成13)年11月25日(日)
 # 保善寺施餓鬼。萬窓[試し酒]、圓窓[蕎麦清]


2001(平成13)年11月26日(月)
 # 歯の手入れ。
   楽屋で聞くところによると、小さん師匠には入れば歯ないそうだ。


2001(平成13)年11月27日(火)
 # 理事会で新しい理事11名を投票で選出。活力になってくれると嬉しい。
 # 踊りとオペラの稽古へ。


2001(平成13)年11月28日(水)
 # 協会の踊りの稽古。来年の6月の末広亭のことがあるので、気が抜けない。
 # 日大の授業。


2001(平成13)年11月30日(金)
 # 句会。難しさがますますわかってきた。が、楽しい。
2002・1・26 UP







『 国立演芸場の舞台落語に参加 』

2001・11・11〜20(十一月中席(なかせき))
報じ手 窓 輝
2001(平成13)11月11日(日)
 国立演芸場にて、師匠の企画物の舞台落語[音曲長屋]の初日。
 長屋の大家さんに店を借りるためにいろいろな芸を見せるという設定で、私は最後
の総踊り〔六段くずし〕以外にもソロで踊ることになっている。
 出演する師匠方は踊りの達人ばかり。(馬生、馬桜、菊春、世之介、吉窓、市馬の
師匠方に久美、春水両先生と三三兄)
 しかし、自分も協会で稽古を始めて、はや2年。与志江師匠、ご期待ください!
 緊張の中で〔六段くずし〕をなんとか踊る。


2001(平成13)11月12日(月)
 国立の二日目。
 踊りの出し物は菊春師匠の〔なすかぼ〕と馬生師匠の〔上げ汐〕。上手く楽しい菊
春師に優雅な馬生師。お二人ともさすがである。
 今日も総踊りに参加。終わった時にかかった「日本一っ」の声は、与志江師匠だっ
た。


2001(平成13)11月13日(火)
 中日ドラゴンスの山崎、前田がFA宣言。今季5位に終わったチームから5番打者
とローテーション投手が抜けるのは痛すぎる。ドラフトに新外国人、トレードなどで
補強の仕様はあるが、ファンとしては残留してほしいものだ。
 移籍先は山崎が横浜で、前田は巨人が有力だそうだ。(中日スポーツより)


2001(平成13)11月14日(月)
 高校時代の友人がまた結婚することに。仲のよかったグループから独身がどんどん
いなくなる。
「お前はいつだ?」の質問に「大きなお世話だ!」と答える。


2001(平成13)11月15日(木)
 今日は国立で高座。[たらちね]を熱演したあとに、ソロで〔槍さび〕を踊る。大
勢のお客様の前、一人で。
 伴奏は稽古ではテープ、本番では生の三味線の違いがあり、これが要因で初高座な
みに緊張した。
 終演後に与志江師匠からいただいた言葉が「ちょっと硬かったけど、できたじゃな
いの。稽古に来なくてもあれだけ踊れるんだから、ちゃんと来なさい。分かったわね
?」
 よくわかりました。


2001(平成13)11月16日(金)
 国立の六日目。今日は昼夜で、昼は踊りが三三兄の〔かっぽれ〕と総踊りの二本に、
世之介師匠の物真似と代演でみえた馬の助師匠の百面相。
 物真似はとくに談志師匠が傑作だった。
 夜の部で菊春師の踊った〔河太郎〕を見て、次の課題に決定。


2001(平成13)11月17日(土)
 パルテノン多摩落語会に出演。
 師匠と自分の他は、柳昇師と小ゑん師に前座の昇七さん。
 昇七さんは久しぶりに会ったが、来年二ツ目昇進だそうだ。おめでとうございます。
 この日は[壷算]をやり、よく笑ってもらった。篠原プロデューサー、どうもあり
がとうございました。


2001(平成13)11月18日(日)
 国立の八日目。立見も出た一番の入りだった。
 高座は[幇間腹]をやり、あとの総踊りまで時間をどうつなごうと思っていたとこ
ろに市馬師から食事のお誘い。近くのホテルで和食御膳をごちそうになった。師匠、
ごちそうさまでした。
〔六段くずし〕も手が揃うようになり、「お見事っ!」の声。やっぱり与志江師匠だっ
た。


2001(平成13)11月19日(月)
 九日目。〔六段くずし〕を終わった後にアンコールがあって、昨年踊った〔さわぎ〕
も。一年振りにほぼぶっつけで踊ったが、なんとかなったのは不思議だ。
 終演後、一日早い打ち上げをインド料理屋で。カレーはナンよりライスがうまい。」


2001(平成13)11月20日(火)
 国立の千秋楽でアッという間の10日間だった。
〔さわぎ〕〔六段くずし〕〔槍さび〕と、レパートリーも増えた。
 楽屋に末広亭の社長がみえて、「来年、舞台落語を是非うちでもやってください」
と言っていただいた。実現すればすばらしいことだ。
 与志江師匠、師匠方、お囃子さんに前座さん。そして国立演芸場職員のみなさん、
10日間ありがとうございました。
2002・1・26 UP







『 真打披露を 終えての疲労 』

2001・11・1〜10(十一月上席(かみせき))
報じ手 萬 窓
2001(平成13)11月1日(木)
 10月下席で、寄席の真打披露興行がおかげで無事終わった。
 自分のトリは4日間だったが、疲れた。
 昨日、今日と口上を述べていただいた師匠方へ御礼の挨拶に伺う。
 円歌会長に「これからが大事!」と励ましの言葉をいただいた。


2001(平成13)11月2日(金)
 新橋駅前にある"ラピスタ新橋"にて、新橋商工会議所の方々の前で一席。
 会場は競輪の車券売り場。最新のモニタ−画面があり、車券もコンピュ−タで買え
るシステムになっている。今までの汚いイメ−ジと違い、とても清潔感があり、ここ
なら若い女の子も足を運べそう。ネタは[試し酒]。


2001(平成13)11月3日(土)
 午後から長野へ。明日、二つ目時代から呼んでいただいている”長野門前寄席”で、
真打披露の会。
 メンバ−は私の他に、三太楼、一琴、駿菊の新真打。今宵は、世話人の方々と前祝
い。明日の本番に備えてお酒は控えめにしたかったが、そうはいかない。


2001(平成13)11月4日(日)
 昼夜で真打披露の会。
 会場は北野文芸座。あの北野建設が道楽(?)で建てた小屋で、客席の椅子はフラ
ンス製、楽屋の風呂は総桧造りと贅沢この上ない。
 会は昼夜とも400名近くの大入りとなった。
 私のネタは、昼の部が[子は鎹]で、夜が[尻餅]。


2001(平成13)11月5日(月)
 浅草演芸ホ−ル昼席の代演、[権助魚]。


2001(平成13)11月6日(火)
 夜、板橋落語会。前座の頃からお世話になっている会で、今日は私と三太楼さんの
真打披露。私のネタは[山崎屋]。


2001(平成13)11月7日(水)
 披露目で使った後ろ幕、のぼり、手拭い、扇子の他に、お客様からいただいたお祝
いの酒で、家の中は足の踏み場がない。一日かけても片づかない。


2001(平成13)11月8日(木)
 夜、両国寄席へ。[二番煎じ]。


2001(平成13)11月9日(金)
 夜、日暮里サニ−ホ−ルで"五人廻しの会"。
 メンバ−は扇好、萬窓、三太楼、一琴、三三(さんざ)で、三三以外はみな真打に
なった。
 毎回来てくださる常連客も増え、これからは手売りしないでも集客できるようにな
るのが、みんなの目標。


2001(平成13)11月10日(土)
 地元さいたま市で、真打披露の会。会場は480席の市民会館うらわホ−ル。
 250名くらいと思っていたが、390名も来てくださった。お客様は神様です。
 トリでの一席は[二番煎じ]。披露目の高座はどこも緊張したが、今日が一番落ち着
いてできたような気がする。やっと慣れてきたのかな。
 これで披露目の会は一段落。皆様ご支援、ご協力ありがとうございました。

2002・1・26 UP







『 視察です。物見遊山ではありません 』

2001・10・21〜31(十月下席(しもせき))
 報じ手 窓里
2001(平成13)年10月21日(日)
 昨日、今日と”川越まつり”。2日間で70万人の人出。
 今年は私の町内の山車は出ないが、朝から挨拶廻り。当然のことながら、酒が出る。
 夕方にはベロベロ。


2001(平成13)年10月22日(月)
 埼玉県西部ブロック連合首長会議出席。
 各市町長より政策についての話を聞く。2時間半に及ぶ会議となり、眠くなる。


2001(平成13)年10月23日(火)
 県土木所長より北環状線道路の説明を受ける。
 地元に計画された道路だが、地元住民の反対もあり13年経ってしまった。川越
には必要な道なのに、、、。


001(平成13)年10月24日(水)
 本日より3日間、委員会視察のため出かける。
 今日は盛岡市にて公園、駅前整備事業について研修。目的はあくまでも研修、視察。
 市内のホテルに泊る。


2001(平成13)年10月25日(木)
 江刺市へ移動し、史跡公園整備について研修。
 昼食後、中尊寺に参拝して、一関市へ。東北には温泉が多いが、研修、視察なので
市内のホテルに泊る。


2001(平成13)年10月26日(金)
 一関市の治水事業について研修。
 ここはカスリ−ン台風で多大な被害のあった所。川越でも水害による治水事業の最
中。
 夕方川越着。3日間の研修で、けして旅行ではありません。


2001(平成13)年10月27日(土)
 朝から投資などという不愉快な電話。非常にひつこい。特にこの会社は、電話に手
紙と異常なこと。その会社とは、フジフュ−チャズ(株)でWという奴。


2001(平成13)年10月28日(日)
 早朝6時から町内ソフトボ−ルの練習。
 その後、”ゴミゼロ運動”に参加。
 9時半頃から雨が降り出す。朝から降ればすべて中止だったのに、、、。


2001(平成13)年10月29日(月)
 議会運営委員会。
 夕方から知人と酒を飲む。ただダラダラと。


2001(平成13)年10月30日(火)
「道路を舗装してくれ! 水がたまる」という苦情あり。
 現場を見てから所管と会議。こういう仕事が一番多い。


2001(平成13)年10月31日(水)
 本日より3日間、会派視察にて大分、福岡へ。
 障害者、高齢者の施設見学。今回もあくまでも研修、視察です。
2001・12・20 UP






『 故郷(春日部)に 落語を飾る 』

2001・10・11〜21(十月中席(かなせき))
 報じ手 吉窓
2001(平成13)年10月11日(木)
 今日から浅草演芸ホ−ル昼席に出演。ちなみにこの芝居は、10人の真打昇進披露
興行。
 本日のトリは円丈門下の三遊亭白鳥君。新作派のホ−プで、高座への出方が奇抜だ
った。後ろ幕の中央にチャックがついていて、後ろから回ってそのチャックをあけて
高座に登場して、座布団に座った。お客もあっけにとられていたが、あたしも驚いた。
 彼の度胸とセンスには敬意を表する。
 噺も荒唐無稽でおかしかった。ネタ帳には[戦え軍人君]と書いてあったが、なんと
も不思議なおかしみのある奴だ。


2001(平成13)10月12日(金)
 夕刻、TBSホ−ルへ。
 筑紫哲也の”ニュ−ス23”で、『小泉総理と語る』という特番があり、あたしは
元自衛隊員という立場から、今回の米国テロ関連について質問してくださいと頼まれ
た。
 スタジオには100人の一般市民が集まった。結局、時間の都合で発言できず、テ
レビにも映らなかった。でも、わずか2,3メ−トルの所で小泉総理を拝見。だいぶ
お疲れのご様子でした。


2001(平成13)年10月13日(土)
 北千住にある天ぷら屋で、年2回やっている落語会へ。
 今回が9回目。二階座敷は30名を越すお客で満員。[目黒のさんま]と[そば清]を
やる。終演後、一杯やってホロ酔いで帰る。


2001(平成13)年10月14日(日)
 浅草昼席。[狸札]をやる。
 今日は、義兄夫婦が所用で我が家に訪ねてくるので、いそいそと帰宅する。


2001(平成13)年10月15日(月)
 浅草昼席、[都々逸親子]。
 今日のトリは弟弟子の萬窓君。打ち上げで、近所の洋食屋”ぱいち”へ。飲みなが
らワイワイやっていると、ビ−フシチュ−が出てきた。「うんっ!大丈夫?」と時節
柄、思ったが、これが実に旨かった。気にしすぎなんだよね。どうもごちそうさま。


2001(平成13)年10月16日(火)
 浅草昼席、[半分垢]。
 家に帰ると義姉の実家の青森からりんごが一箱届いている。うちは信州の知人から
も毎年、りんごが届くので、この時期はりんごに不自由したことがない。ありがたい
ことです。感謝、感謝。


2001(平成13)年10月17日(水)
 浅草昼席、[桜鯛]。
 師匠が風邪をひき、医者に行くというので、夜、池袋西武のコミュニティカレッジ
へ。師匠のつなぎで[居候講釈]と[身投げや]をやる。


2001(平成13)年10月18日(木)
 浅草昼席、「都々逸親子」。
 夜、日暮里サニ−ホ−ル特選落語会、[禁酒番屋]。


2001(平成13)年10月19日(金)
 中学時代の同級生から電話があり、今月末の同窓会の出欠を聞かれる。
 この同級生とは中学時代ほとんど付き合いがなかったが、数年前、上野鈴本の前で
ばったり再会。それからちょくちょく仲間を誘って落語を聴きに来てくれるありがた
い友人。
 同窓会の方は先約があって、残念ながら欠席。


2001(平成13)年10月20日(土)
 日は実家の春日部で落語会。
 実家のある区域は、400戸ほどあるのだが、そこの集会所を借りて住民慰労で1
30名を前にして、[目黒のさんま]と[子は鎹]をやる。
 今回がはじめてだが、評判は上々。

2001・12・20 UP






『 口上ついでに 一日一句 』

2001・10・1〜10(十月上席(かみせき))
 報じ手 圓窓
2001(平成13)年10月01日(月)雨。
 # 昼頃、日経から電話で、「志ん朝さん死去につき、コメントを」と言われ、呆
  然……。涙で言葉も見付からず、「そんな!」「崩れるようだ!」「これからど
  うなる!」「もう駄目だ!」などと口走ったかもしれない。その後、毎日新聞か
  らも電話。「大黒柱なのに。早過ぎる」といくらか落ち着いて喋ったが、あまり
  にも悲しくて話はできない状態だった。
 # 十人真打寄席披露公演 末広亭。トリは林家きく姫[吉良の絵図面]。
   圓窓[ぞろぞろ]。口上、扇橋、圓窓、きく姫、馬風。
   鈴本演芸場振り出しの披露公演、口上を述べるあたしが飽きるといけないので、
  そのトリに当てた祝いを作句をしている。きく姫を女郎花に見立てて「雨しきり
  佇みをりし女郎花」と作って、扇橋に見せたところ、「いいけどね」と始まった。
 (笑)「五七五の子音が、りィ、 しィ、 しィ、で耳障り。こう直したら、どう?
  影さして雨を聴きゐる女郎花」。あたしのは女郎花だけだよ。[鼓が駄句]とい
  う噺を創作しようかな。
   打ち上げは喪に服して控えたとか。
 # 最近は富みに無精になり、湯から出ても拭くのが面倒。夏なら乾くまでぶらぶ
  らしていればいいのだが、この時期はそうもいくまい。


2001(平成13)年10月02日(火)
 # 十人真打寄席披露公演 末広亭。トリは萬窓[寝床]。
   圓窓[後生鰻]。口上、扇橋、木久蔵、萬窓、圓窓、馬風、円菊。
   祝い句 「路地裏の稽古のあとの月明かり」を作っておいたが、口上であたし
  が「四、五年前、志ん朝さんに『窓樹(萬窓の前名)、よくなったね』と言われ
  たときのあたしの感動。本来、昨日なくなった志ん朝さんが口上に並んでいるは
  ずだったんですが」と言って絶句してしまったので、その句は言わずじまい。
 # 口上を終えて、志ん朝宅へ顔だし。昼間、たぶん弔問の言葉は口から出ないと
  思い、ファックスで弔電しておいたが、やはり、涙、嗚咽のみ。再び楽屋へ戻る。
  もうはねていた。軽く打ち上げに。


2001(平成13)年10月03日(水)曇り。
 # 十人真打寄席披露公演 末広亭。トリは駿菊[宿屋の富]。
   圓窓[洒落番頭]。口上、扇橋、木久蔵、圓窓、駿菊、円菊、馬風。
  祝い句 「踏まれても倒れてもなほ野菊かな」


2001(平成13)年10月04日(木)曇り。
 # 十人真打寄席披露公演 末広亭。トリは一琴[片棒]。
   圓窓[銭たれ馬]。口上、扇橋、圓窓、馬風、一琴、小三治、円菊。手締めの
  細工に円菊さんが失敗して馬風さんあわてる。
   祝い句 「豊年や真打ち祝ふ荷が届き」


2001(平成13)年10月05日(金)曇り。
 # 名古屋の椙山女学園の付属小学校の授業へ。私立だが落語の掲載されている教
   育出版の教科書を使っている学校。続けて使ってくれるといいが……。地元の
  テレビ局が撮影にきたりして……。でも、子供たちは集中して落語の授業をこな
  した。感心かんしん。寄席は休む。
 # 志ん朝さんの通夜。久し振りに見る同業者の顔もある。川柳が相変わらずの体
  たらく、酔って歌い出している。過日の文蔵さんの通夜でもそうだった。酔って
  歌い出し、終いにあたしに絡んできた。「寄席の高座じゃ、圓窓の仏笑落語より
  俺の漫談のほうが受けるんだ」と。あの折は仲間の通夜という公式の場だったの
  で、なにも言わずに聞き流していた。が、もう我慢ならねぇ。「故人に失礼だぞ」
  ときつく言って部屋から出す。やつがその後、どうなったかは知らない。


2001(平成13)年10月06日(土)晴れ。
 # 志ん朝葬儀。協会葬。先代文楽以来なかったこと。12時から。前日の通夜に
  も2000人。今日が3000人、計5000人とか。ともらいに見なれている
  喪服より、さまざまな服装の会葬者がぞくぞく。「ファンも業界の一人に入って
  いるのだ」としみじみ感じた。今まで、こういう人達を大事にして興行していた
  だろうか、とふと思う。馬風さんの弔辞よし。寺田農っさんの弔辞もよし。
 # 十人真打寄席披露公演 末広亭。トリは白鳥[?]。
   圓窓[首屋]。口上、こん平、扇橋、圓窓、白鳥、円丈、円菊。
   祝い句 「白鳥の落とした影を掴み降り」は扇橋から却下されたので、鈴本演
  芸場での句を披露。「めでたさは今日白鳥のはばたきて」


2001(平成13)年10月07日(日)曇り。
 # 久し振りに歌舞伎座。昼。おちくぼ物語、絵本太平記、廓文章。感動はないの
  はなぜか、、。
 # 十人真打寄席披露公演 末広亭。トリは禽太夫[?]。
   圓窓[やめた噺家]。口上、扇橋、圓窓、禽太夫、小三治、馬風、円菊。
   祝い句 「顔中を口にして雛囀りぬ」
   楽屋のお膳の上に稲荷寿司。「まだあるだろう、どんどん持っておいで」と言
  うと、前座が二度ほど持ってくる。「なるほど、稲荷だけに、ぞろぞろ来るね」
   馬風さんに前日の弔辞を「故人を見事な起承転結を持って言い現した」と褒め
  る。


2001(平成13)年10月08日(月・体育の日)小雨。
 # 十人真打寄席披露公演 末広亭。トリは馬遊[試し酒]。
   圓窓[銭たれ馬]。口上、扇橋、圓窓、禽太夫、小三治、馬風、円菊。
   祝い句 「走り行く勇みの駒に初時雨」
   楽屋のビールで酔った勢いもあるが、馬風さんに「協会の表紙になる男なんだ
  から、下ネタはやめようよ」と。わかってくれれば嬉しい。


2001(平成13)年10月09日(火)
 # 十人真打寄席披露公演 末広亭。トリは文左衛門[二人癖]。
   口上、扇橋、圓窓、馬風、文左衛門、円歌、、円菊。
   祝い句 「橘の実が結びけり風の中」


2001(平成13)年10月10日(水)雨。
 # 21日の会〔落語とオペラの怪しい関係〕に出演するピアニストの筧、Hさん
  の衣装合わせをするため、二人をオフィス樹へ案内する。着付けで筧さんはよほ
  ど嬉しかったのか、その場で記念写真。
 # 一端、帰宅して、富士コーヒー500小咄の本の口上文を打って送る。
 # 十人真打寄席披露公演 末広亭。トリは三太楼[]。
   圓窓[権兵衛狸]。口上、扇橋、圓窓、馬風、三太楼、権太楼、小三治、円菊、
  円歌。
   祝い句 「長き夜やままよ噺の稽古終へ」

2001・12・20 UP






『 真打披露興行のお手伝い 』

2001・9・21〜30(九月下席(しもせき))
報じ手 窓 輝
2001(平成13)9月21日(金)
 上野・鈴本演芸場にて真打昇進披露興行初日。十人真打のトップバッターは助平改
め柳家一琴師匠で、客は大入満員。
 楽屋も師匠方や新真打、手伝いの二ツ目で満員。あたしも手伝いの一人として、楽
屋の隅に。
 師匠のネタは〔井戸の茶碗〕でまさに会心の一席。
 一琴師匠、おめでとうございます。


2001(平成13)9月22日(土)
 真打昇進興行二日目で今日もお手伝い。
 トリは林家きく姫師匠。マスコミでもご活躍の師匠だけに、多数の有名人からのお
花。もちろん満員のお客様。あやかりたいものだ。
 きく姫師匠、おめでとうございます。


2001(平成13)9月23日(日)
 引越しの時に仲介してもらった不動産屋さんから封書が届く。契約更新の知らせで、
11月末までにいくらかのお金を支払う事としてある。
 早いもので引っ越してもう2年になるのか。住みやすいので更新しよう。心の準備
は出来たが、お金の用意は出来ていない。


2001(平成13)9月24日(月)
 小のり改め柳家禽太夫師匠の真打昇進興行。
 腹痛のため、ろくに手伝いもしないままに、お手伝い賃をいただいてしまった。
 師匠のネタは〔ちりとてちん〕で、自分は別にくさった物は食べていないのだが
・・・。
 禽太夫師匠、申し訳ありませんでした。


2001(平成13)9月25日(火)
 師匠と二人で宇都宮へ。この"落語を聴く会"には前座以来の4年ぶりの出演。〔つ
ぼ算〕で開口一番を務めた。
 会員の方に世話人の方、自分の落語は少しは成長していましたか?
 明日の萬窓兄さんの披露目の準備のために、師匠を残し一足早く東京へ。
 バファリンを飲んで腹痛はやや治まる。


2001(平成13)9月26日(水)
 いよいよ窓樹改め三遊亭萬窓兄さんの昇進披露興行。
 弟弟子になって以来、お世話になりっぱなしの6年間。今こそ恩返しを。
〔宮戸川〕は圧巻でした。今度、稽古してください。これじゃ、また世話になってし
まう。
 あと3軒、全力で番頭を務めます。


2001(平成13)9月27日(木)
 中日の星野監督の辞任でガッカリ。今期の順位もほぼ決まり(5位)、来期に巻き
返しをと思っていた時に・・・。
 戦犯をあげればキリがなく、特に野手はほぼ全員だろう。2期11年間でAクラス
が8回、優勝2回は立派な成績。何年かの充電でまた監督を!


2001(平成13)9月28日(金)
 オフィス樹より招待状をいただき、創立10周年記念公演〔ハルピン帰りのヤスケ〕
を鑑賞。ひと昔前の下町にある総菜屋を舞台にしたオフィス樹、お得意の家族シリー
ズで、主人公ヤスケの踊る"どじょうすくい"が絶品だった。
10周年、おめでとうございます。


2001(平成13)9月29日(土)
 師匠が落語会でお世話になっていた西盛さんの娘さんの結婚式。招待ではなく司会
をやらせていただいた。
 あたしにとって、通算2回目の司会は、無難にこなした。(自己評価)
 ご結婚おめでとうございます。将来「あの人に司会をしてもらった」と自慢できる
よう精進します。


2001(平成13)9月30日(日)
 新潟改め三遊亭白鳥師匠のトリで10日間の興行無事終了。
 興行中ほんのわずかでもお手伝いできたのはいい思い出になるだろう。自分の番は
あと10年ぐらいか? そんな事は今はどうでもいいが。
 新真打の師匠方、お疲れさまでした。ありがとうございました。

2001・10・31 UP







『 いよいよ 寄席にて 真打披露公演 』

2001・9・11〜20(九月中席(なかせき))
報じ手 窓 樹
2001(平成13)9月11日(火)
 橘家文蔵師匠の通夜に行く。
 今秋、一緒に真打昇進する文吾さんの師匠。弟子は文吾さん一人で、子供もなく、
我が子のようにかわいがっていた。披露口上に並べず、無念であったと思う。
 やさしい師匠だった。合掌。


2001(平成13)9月12日(水)
 朝、ニュ−ヨ−クでテロのニュ−ス。
 貿易センタ−ビルに飛行機が突入する映像は、まるで映画の一場面のよう。人間の
することではない。犯人逮捕を願うばかりだ。


2001(平成13)9月13日(木)
 家で、16日の真打披露パ−ティ−の準備をしていると、知人より「申し訳ないが
欠席、、、」の電話がはいる。残念だが仕方がない。


2001(平成13)9月14日(金)
 昼、巣鴨信用金庫で落語会。
レギュラ−メンバ−の白鳥、文左衛門、三太楼、萬窓と、めでたく同時に真打昇進。
4人が二つ目になりたての頃から続いてる会。口上のあとそれぞれが一席。私は[お
花半七]。


2001(平成13)9月15日(土)
 明日のパ−ティ−の会場は東京會舘のロ−ズル−ム。今夜、会場で準備をと思った
が、宝塚のファンクラブの集まりがあり、9時まで使用とのこと。そこで、9時過ぎ
に行くとロビ−には着飾った女性の集団。そのにぎやかなこと、、、。
 11時半まで、窓輝君と小太郎君に手伝ってもらい、明日の準備。


2001(平成13)9月16日(日)
 午後1時より東京會舘にて真打披露パ−ティ−。
 みなさまありがとうございました。
 詳しくは[三遊亭萬窓 真打披露宴のレポ−ト]をご覧ください。


2001(平成13)9月17日(月)
 昨日のパ−ティ−の後片付けをしていると、また訃報がはいる。
 太神楽の鏡味仙之助師匠が亡くなった。
 今年の春先から体調をくずし、入退院を繰り返し、寄席を休んでいた。前の晩、コ
ンビの仙三郎師匠の仕事先にひょっこり現れ、久しぶりに高座をつとめ、帰宅後、倒
れてそのまま、、、。
 もう一度舞台に立ちたかったと思う。享年52。これからまだまだ円熟した芸を見
せられる方だった。ご冥福をお祈りいたします。


2001(平成13)9月18(火)
 パ−ティ−のお礼状の宛名書き。欠席でもお祝いをくださった方が多数いた。あり
がとうございました。


2001(平成13)9月19日(水)
 寄席の披露目の初日に、楽屋で出す弁当の手配。今回はシュ−マイ弁当。さて評判
はどうかな?


2001(平成13)9月20日(木)
 いよいよ明日から真打披露興行。
 その準備と最終確認で鈴本に集まる。私のトリは26日だが、なんとなく落ち着か
ない。半年前から、明日のために10人で試行錯誤しながら準備を進めてきた。
 10人で大入りを祈願する。みなさま、どうぞお越しください。
 まだ前売券ありますよ。

2001・9・30 UP







『 圓生物語 二十三回忌 』

2001・9・1〜10(九月上席(かみせき))
 報じ手 窓里
2001(平成13)9月1日(土)
 河川浄化大会出席。
 式典の後、会員の歌、踊りの発表会。
午後、圓窓一門とオフィス樹の平樹さんと圓生師匠の墓参。23回忌に一門の隆盛を
祈願する。


2001(平成13)9月2日(日)
 ソフトボ−ル大会の練習、その後ゲ−ム。
夜打ち上げとなるが、身体中が痛む。グラスを持つ手が震えるが、結局飲む。


2001(平成13)9月3日(月)
 委員会出席。
 夜、国立演芸場にて23回忌の[圓生物語・四の巻]。小三治師匠と新真打3人が
会に花を添える。あたしは口上に並ぶ。


2001(平成13)9月4日(火)
 市役所にて勉強会。


2001(平成13)9月5日(水)
 本日より9月議会開会。
 今回は文化施設二館の建設が提案される。落語会をやるには手ごろな大きさ。


2001(平成13)9月6日(木)
 市役所にて昨日提案された議案の勉強会。
 明日から質問しなくては、、、。


2001(平成13)9月7日(金)
 午後から私の質問時間となる。良い施設をつくるために健闘する。
 夜、会合に出席。その後、懇親会、二次会まで。


2001(平成13)9月8日(土)
 地元の会議に出席。
 午後から息子の高校の文化祭へ。息子のクラスは[モグラたたきゲ−ム]。
 来年は落語をやるように勧めたら嫌な顔をされた。
 知人の店の新装開店に顔を出す。
 夜、故柳澤睦郎氏の通夜。
 窓門会の会員でもあり、地元川越在住ということで、大変お世話になった方。ご冥
福をお祈りいたします。


2001(平成13)9月10日(月)
 台風接近のため、庁舎内に対策本部設置。議会も対応をする。被害が最小限になれ
ば良いが、、、。
2001・9・23 UP







『 志ん朝師匠 年内休養 』

2001・8・21〜31(八月下席(しもせき))
 報じ手 吉窓
2001(平成13)8月21日(火)
 今日は身体がだるい。昨日まで”恒例・住吉踊り”で、浅草演芸ホ−ル昼席へ10
日間出演。その疲労と楽日の打ち上げの酒のせいだ。
 今回の公演は、座長の志ん朝師匠が体調が悪く、三日目以降は病院から楽屋入りし
て、ハネてからまた病院に戻る毎日だった。途中休演も仕方ないと思われたが、千秋
楽まで務めあげてしまった。師匠の責任感と気力には頭が下がる。
 今朝の一部の新聞紙上に「志ん朝師匠、年内休養」の記事が出ていた。今はゆっく
り養生してください。


2001(平成13)8月22日(水)
 昨晩から台風11号の影響で、叩きつけるような雨がサッシの窓を打つ。今日は仕
事もないし、ちゃんと雨戸を閉めて、寝てようっと。


2001(平成13)8月23日(木)
 今日は台風一過の好天に恵まれた。弟弟子の萬窓を含む10名の真打昇進披露パ−
ティで帝国ホテルへ。余興で学習院大のチアリ−ディングがあった。いいね、こうい
うの。健康的な色気があって、おじさんは大好き。


2001(平成13)8月24日(金)
 今日も残暑が厳しい。こういう時はク−ラ−のきいた近所の図書館で過ごすのも、
なかなかってなもんだ。新聞、週刊誌は揃っているし、2時間ほど涼んで、城山三郎
の本を一冊借りて帰る。


2001(平成13)8月25日(土)
 先日、打ち上げた住吉踊り興行の残務整理のため、落語協会事務所へ。会計の志ん
弥兄と2時間、事務作業をする。
 また来年の夏を目指してということになるが、気になるのは志ん朝師匠の容体だ。
まだ精密検査中らしい。


2001(平成13)8月26日(日)
 3日前、近所にパン屋がオ−プンした。開店セ−ル中なので寄ってみる。通りをは
さんで、対面に先輩のパン屋がある。今までうちはここで買っていた。どちらも焼き
立ての自家製パンが売り物。他人事ながら生き残り競争に興味がわく。
 とりあえずメロンパンは我が家では、新しい店の方が評判がよかった。


2001(平成13)8月27日(月)
 今日は踊りの稽古。といっても住吉ではない。来たる11月中席、国立演芸場で、
て、とりかかる。


2001(平成13)8月28日(火)
 娘の夏休みも残りわずか。「おい、映画でも観に行くか」と池袋へ。子供と一緒だ
と観る映画も限られるが、[ジュラシックパ−ク3]を観る。これは迫力があって楽し
めた。それにしても、外国の特撮技術は相変わらずすごい。


2001(平成13)8月29日(水)
 末広亭の夜の部へ代演。[桜鯛]をやる。


2001(平成13)8月30日(木)
 神奈川県の藤沢市役所に落語研究部があり、現在、市の職員を含む6名の部員がい
る。部員はあたしより年上の人ばかりだが、実はあたしがそこの特別コ−チというこ
とになっている。年4回、役所の一室で発表会があり、ゲストに呼ばれて一席やる。
今年で8年目だが、部の歴史は20年以上になるそうで、皆さんなかなか達者である。
素人さんに負けない気になって[目黒のさんま]をやる。


2001(平成13)8月31日(金)
 昨日は終わって一杯やって、小田急線にゆられて、ウトウトしながら帰ってきたが、
電車の冷房がききすぎていたようだ。
 今朝はのどが痛い。薬、薬、、、夏の風邪はたちが悪いからね。ひきはじめが肝心
です。
2001・9・23 UP








『 歴史探訪 35年ぶりの萩 』

2001・8・11〜20(八月中席(なかせき))
 報じ手 圓窓


2001(平成13)8月11日(土)曇り。
 * 地方へ出ることがあるので、中席は休席する。時間的にゆとりが生まれていい
  ようだが、その分、雑用も生まれて煩雑さは変わらないかな。(笑)
 * 圓朝祭りへ。境内で挨拶されて驚いた。なんと、我が母校の文京高校の後輩五
  人。和服の女性も一人。「大塚でスナックをやってます、純子です。15年ほど
  前、店にいらしていただいてます」って言われたが、忘れてる。「あたしの後輩
  ?」「はい」
 「学校でも和服で?」「まさか(笑)」
 * 美里ライブに参加のため、西武ドームへ。会場へ着いたのが4時半。まだ、開
  演まで90分もあるわいと、近くのレストランでビールを飲んでいたのがいけな
  かった。今年はなんと1時間も開演が早まっていて、5時開演。知らなかった!
  急いで会場入り。
   いやな予感がした。先年、東京ドームで観戦中、ビールを飲んで倒れて担架で
 運ばれたことがあるのだ。このドームでも、、、、案の定、気分が悪くなり、スタ
 ンディングオベーションしていてはぶっ倒れると思い、椅子に腰掛けて寝た。3分
 の2は座ってたことになる。来年、どうしようか、と考えながら。気球に乗って会
 場を浮遊したという美里をはっきりと見ることもなく、、、。


2001(平成13)8月12日(日)曇り。
 * 音楽家の勝山さんから招待してもらった芝居。〔engel〕。音楽ばかり聞
  きほれた感あり。


2001(平成13)8月13日(月)曇り。
 * 青年劇場〔17歳のオルゴール〕。町田知子原作。「よくぞ、芝居にした」と
  感動。ロビーで買った本を地下鉄車内で読みながら帰る。創作噺にしたい。


2001(平成13)8月14日(火)曇り

 * 過日やった節目検診の発表通知が来たので、それを持って木村医院へ。ところ
  が盆休み。100円ショップで老眼鏡。どうせなくすと思い、奮発して2個買う。
  (笑)
 * 夜中、女房が「公園に犬が寝ているのよ」と帰ってきた。近頃、公園で寝る犬
  は珍しいが、女房の夜中の帰宅は珍しくもない。散歩を日課としているので、毎
  晩。
   そういえば、医院に行く途中、犬のみがテクテク歩いてきたっけ。首輪のない
  茶色のブチ、成犬。耳に古い破損の痕はあるが、きれいだし、逃げないし、座敷
  犬だろう。このままだと保健所に通報されて抹殺処分は間違いなし、という女房
  の判断。とりあえず、我が家の庭に招き入れて寝かせた。
   が、己れの住みかが恋しいのか、ワンワンワンワンと夜中、鳴きっ放し。


2001(平成13)8月15日(水)曇り。
 * 出掛けに、「昨夜の犬、これもなにかの縁なり」と、先日、我が家の死んだ犬
  のパークにあやかって、「パーク2」、これを詰めて「パーツ」と命名。
 * 協会のサイトの会議。やはり、更新の壁にぶち当たったようなので、梃入れを
  しなければ、と会議。更新は担当者と日取りの決定をして、責任感を持たせるこ
  と。機材の購入もしたい。
 * 句会、セミの会。鶯谷の笹の雪。何年振りだろう、この店。豆腐は冷奴がいち
  ばん旨い。「秋来るや形見の袖のしつけ糸」に何点か入った。はねて、近くの白
  木屋で歓談。
 * 帰宅すると、パーツはいる。あたしの顔を不思議そうに見て尻尾を振っている。
  あたしも悪い気分ではない。女房曰く「予防注射を打ってきた。首輪とリードを
  買ってきた。缶詰もひと月分買った」。素早い好待遇。首輪、リードには犬の名
  前と我が家の電話番号が書かれてある。
   ところが、夜中、散歩から帰ってきた女房、手にした紙を見せながら「電信柱
  にこの紙が貼ってあったのよ」
   見ると、写真も載っていて「探しています 犬。名前 くらのすけ(オス)雑
  種。歳 11歳前後。特徴 左耳先が欠けている。首輪、リードなし。大きさ柴
  犬くらい。中型。8月14日の午後から行方がわかりません。見付けた方は下記
  までご連絡ください。豊島区〇〇×× 電話 0000・0000 名前」
   ああ、こいつだよ。"くらのすけ"ってんだ。「忠臣蔵からとったのかな、名前
  は」「飼い主は切腹ものね」「こっちの二日間の飼い主は二万円近くの自腹を切っ
  てる」。
  「本来、飼い主が見付かったんだから、喜ばなくちゃぁねぇ」「でも、なんとな
  く、がっかりもするの」「今日は遅いから、明日の朝、電話しな」


2001(平成13)8月16日(木)曇り。
 * 今朝、飼い主に連絡す。鰻の平焼きを持って、飼い主くる。
  迷い犬 また訪ねこよ 残暑なり   まるまど 
 * 映画〔AI〕。どっしりとしたものを感じなかった。娯楽性もなし、訴えるも
  のの迫力もなし。


2001(平成13)8月17日(金)曇り。
 * 弟子だけで踊りの特訓稽古。


2001(平成13)8月18日(土)晴れ。
 * 北九州市民寄席へ。圓窓・松喬の二人会。
    寄合酒    風喬
    道具屋    松喬
    銭たれ馬   圓窓
    戯れ地蔵   圓窓
     踊り・深川  圓窓
      中入り
    茶金     松喬 
    町内の若い衆 圓窓


   25年前はよく出演していた会。ですから、この会のチラシのあたしの写真は
  その頃のもの。詐欺だな、これは。(笑)
   10年前になるか、地元の寺々で仏笑落語を披露したときの世話人のBさんが
  客席の真ん前でニコニコ顔を聞いている。
   窓門会の事務のカルさんのおっ母さんが下関から友人を誘ってやってきた。や
  ぁ、嬉しいことばかり!
   肥後熊本から脱藩してきたCさんから「[町内の若い衆]の”おかみさん”の
  色っぽかったこと」と、後日、メールをもらったが、そうかな、、、テレテレ!
  !!
   同じく薩摩を脱藩したKさんがロビーで落語グッズを販売してくれて、助かっ
  た。
   目を高座に向けると、風喬[寄合酒]。福岡出身とかで、家族が駆け付けてき
  たりして。ついでに、あたしも土産を貰いました。彼は芸もしっかりしている。
   土産を貰ったお返しではない。(笑)
   あたしの高座、地元の昔話から[銭たれ馬]。宮城県の昔話から[戯れ地蔵]。
  踊り[深川]も。
   ところが、三畳ほどの広さの山台が高座。こういう環境で踊るのは初めてで、
  出だしの、舟をこぐ振りで、後ろへ下がったら、右足を高座台から10センチ下
  の段々へ踏み外した。転倒したり、よろめいたりしたわけではなく、ガクッと下
  がっただけだったが、瞬間、ほんとはびっくりした。が、、、なんとか、、。
  [茶金]松喬。やはり、上方の噺だな、とつくづく感じる。上方弁でこの噺を聞
  いていると、うっとりすることがあるもの。演者もしっかりしていて、気分良し。
   あたしがトリで[町内の若い衆]。みんなが熱演したもんで、時間がなくて、
  短いこの噺ではねる。以前、談志さんが長々とやったがため、会場のエレベータ
  ーを止められてしまい、客は9階から階段で下りて帰ったとか。で、談志さん、
  自分が帰るときは「エレベーターを動かせ!」と怒って言ったとか言わなかった
  とか、、。(笑)
   はねてからのおまんまの旨かったこと。彼岸河豚を馳走になる。


2001(平成13)8月19日(日)長州、晴れ。
 * 翌日は友人に声をかけられていたので、東萩へ。友人の仕事グループでの講演
  はさらりとやって、目的は35年ぶりになるか、萩の名所旧蹟の旅。
   一回乗車100円の赤い”まぁるバス”というのが走っており、西周りと東周
  りの2コースがある。友人の案内で、今日は西周りに乗り込む。
   萩城やその城下町。志士たちゆかりの家屋。三五年前の記憶を引きずり出すの
  はあたしには困難。ほとんど忘れてる。
  ”がんこ庵”という蕎麦屋で昼食。その名の通り主の性格も頑固なのであろうと、
  思いながら店内を見渡すと”そばの地方発送をいたします”という貼り紙。「本
  来、『発送なんて蕎麦の味を落とすからできねぇ』と啖呵をきるのが頑固という
  もんだろうが」と嫌味を加えながら友人と話す。
   それにしても、店内は7つの扇風機が回っている。「クーラーを置かない頑固
  さから、”がんこ庵”なんだろう」と大笑い。しかし、体調を考えて、クーラー
  を遠ざける生活をしているあたしは、この店に感動。大汗を拭き拭き、もりをた
  ぐる。
   夕方、旅篭へ。その名も「ステーションホテル×××」なそうな。前日に泊ま
  った豪華な「小倉ステーションホテル」を連想して乗り込んだが、びっくり仰天。
  駅舎の中にあるのは同じなんだが、こうも、、、、、。
   ム〜ッとした廊下を歩いて、部屋に入ると、一段とム〜ッ。それにまだ陽も落
  ちてないのに、いやに薄暗い。窓を開けようと、カーテンを横にあけると、なん
  と西日が固まりとなって、突入してきた。夕焼けは乙なもんだが、西日はどうも
  いけない。急いでカーテンを閉めて、クーラーを入れようと、見渡すと、ない…
  …。ないのは困るぞ。入り口のそばにあった。クーラーも西日を避けて設置され
  たのだろう。その苦労を思うと、涙が出てきたよ。
   疲れた体をベッドに投げ出すと、「アッチチチチ」と飛び起きてしまった。ベ
  ッドの掛け布団が高熱を帯びているのだ。肌剥き出しの肘から手首にかけて、軽
  い火傷のあとがのこった。原因は西日、、、。
   翌日、友人にこのことを話すと、「西日ホテルとも言うんですよ」と笑ってい
  た。
   夕食をと思ってフロントに訊くと、「泊まりだけなんです、ここは」とのこと。
  素泊まりだったんだ、ここは。「でも、いいや、素泊まりのほうが。外へ出る楽
  しみがあるから」と、[時蕎麦]のような慰めを自分に言って聞かせる。
   近くの居酒屋で"村塾"(なかなか旨い。地ビールの中では上級だろう)とい
  う地ビールを飲みながら、おまんま。


2001(平成13)8月20日(月)長州、晴れ。
 * 台風ニュースを諸所で聞きながら、東周り。松陰神社やら、松陰の墓やら。
   友人に「さっさとお帰りっ」と急き立てられて、一日に一本しかないという貴
  重な特急に乗って博多へ。そこから飛行機。
   機上で思う。「松下村塾の部屋の狭いこと。八畳そこそこだろう」「二年に満
  たないこの期間に、日本を大きく変える人物を輩出させた教育が渦を捲いたんだ
  から、すごい」「また、松陰は文字や言葉だけではなく、最後は自らを行動へと
  走らせた勇気には感動以外のなにものでもない」「今の落語界、いや、日本には
  口先ばかりでなにもしない人間が多すぎる」
   などと思っているうちに、眠ってしまった。
   あたしは、こんなこって、いいのだろうか、、、、。
2001・9・23 UP








『 兄弟子のために 6万円のスーツ 』

2001・8・1〜10(八月上席(かみせき))
報じ手 窓 輝
2001(平成13)8月1日(水)
 円菊師匠に噺を教えていただいた。
[錦の袈裟]で、前座の頃から師匠に教わりたかった噺だ。次回の日本橋亭での、天
どんとの二人会に出すつもり。
 円菊師匠、ありがとうございました。


2001(平成13)8月2日(木)
 東京ドームの巨人対中日戦。
 東京ドームはクソ高い指定席を買うか、午前中から並ばない限り、座って観戦でき
ないので、めったに行かないのだが、久しぶりに行ってみた。
 5対1の惨敗。よせばよかった。


2001(平成13)8月3日(金)
 神宮球場でのヤクルト対中日戦。
 神宮は確実に座れる。そして、上に空(そら)がある。
 何といっても相性がいい(去年7度行って全勝)。
 3点リードもペタジーニにサヨナラホームランされ、中日はイヤな負け方・・・。


2001(平成13)8月4日(土)
 神宮球場の第二戦。
 知人からチケットをもらったので、今日は内野席で観戦。
 12対1の大敗。最後まで席を立たなかったのはビールの飲みすぎで、億劫だった
から。


2001(平成13)8月5日(日)
 今日こそは負けられない。
 エース野口の力投も2対1の惜敗。神宮で3連敗は記憶にない。
 それにしても、この旬報が四日連続の野球ネタとは・・・、記憶にないなぁ。


2001(平成13)8月6日(月)
 協会事務所の稽古場で踊りの稽古。
 今年の総踊りは"六段くずし"に決定。
 11月中席の国立演芸場における創作落語舞台[色迷間借店(いろまようちょっと
かりだな)・貸ねぇ]をお楽しみに。タイトルは歌舞伎のパロディーのようだ。
 あと3ヶ月、必ず踊れるようになります!


2001(平成13)8月7日(火)
 月一の草野球、上野公園にて。
 今月は練習だけなので、集まった人数は7人。ホームレスのギャラリーが多数。で
も、2時間汗を流す。


2001(平成13)8月8日(水)
 赤羽警察からTELがあり、盗まれた自転車が見つかったとの事。
 10ヶ月ぶりに見る愛車は変わり果てた姿。壊れたカゴにカギ、サドルの落書きに
くだらないステッカー。犯人が憎い。


2001(平成13)8月9日(木)
 窓樹兄さんの昇進パーティーに着るスーツを買った。セール品にろくな物がなく、
結局、定価で売ってるのを買った。さすがに6万円台のスーツは着心地がよい。しか
し、ヘソクリがなくなった。


2001(平成13)8月10日(金)
 ために書くが、食欲がないからであって、お金がないからではない。
2001・8・21 UP









『 帝国ホテルで 記者会見 』

2001・7・21〜31(七月下席(しもせき))
報じ手 窓 樹
2001(平成13)7月21日(土)
 同期の三遊亭新潟君に頼まれ、彼の地元、上越市で二人会。会場は山の中腹にある
ペンション。さすがに涼しい。[試し酒]をやる。


2001(平成13)7月22日(日)

 朝、帰京しその足で浜松へ。知人の勤務先の工場の夏祭りの司会。屋外で夕方5時
より8時まで。浴衣姿とはいえ暑いのなんの!


2001(平成13)7月23日(月)
 朝から真打挨拶回り。我々新真打10人に各師匠方、円歌会長、協会事務員2名が
付き添い、大型バスに乗り、お席亭、幹部の師匠宅へご挨拶に伺う。途中、帝国ホテ
ルでは、マスコミ各社を招いて記者会見。真打に対する考えの違いから、厳しい意見
も出る。
 夜、鈴本演芸場へ。[あくび指南]。


2001(平成13)7月24日(火)
 昼、巣鴨信用金庫で落語会。年12回、つまり毎月で9年続いている。いつも20
0名の満席。[厩火事]と[寝床]をやる。
 夜、鈴本へ。[権助魚]。


2001(平成13)7月25日(水)
 落語協会事務所二階で、真打披露興行の顔づけ会議。各お席亭、円歌会長より激励
を受ける。披露興行まで二ヶ月を切った。いよいよだ。
 その後、鈴本へ。[真田小僧]。


2001(平成13)7月26日(木)
 昼、協会事務所で、真打パ−ティの準備。
 夜、鈴本へ。[そば清]。


2001(平成13)7月27日(金)
 鈴本夜席。[たらちね]


2001(平成13)7月28日(土)
 昼、舞浜のホテルで結婚披露宴の司会。最近は仲人を立てないカップルが多く、司
会が新郎、新婦の略歴を紹介する。二人の人柄を知っているわけではなく、結局「新
郎は某大学を優秀な成績で卒業、、、」とやる。来賓の方々も心得たもんで笑いが起
こる。


2001(平成13)7月29日(日)
 鈴本夜席、[厩火事]。
 この席は師匠円窓がトリで、毎晩、廓噺を演り、その後[深川]を踊っている。寄席
で10日間踊るのははじめてだそうで、その記念(?)に打ち上げに行く。ごちそう
さまでした。


2001(平成13)7月30日(月)
 夜、伊国屋寄席、[厩火事]。
 トリは師匠で、窓門会々員の長島さんがお孫さん(若くて美しい女性)を連れて聴
きにきてくださった。師匠に付いててって、長島さんにごちそうになる。お孫さんは
外国タバコの会社にお勤めとのこと。タバコ談義に花が咲く。


2001(平成13)7月31日(火)
 恒例の”落語協会夏の寄り合い”で成田へ。揃いの浴衣で新勝寺に参詣後、全日空
ホテルで総会に続き懇親会。
 毎年、若手が余興をやるのだが、今年は秋に真打になる我々10人で[奴さん]の替
え歌を披露。踊り、唄、三味線、鳴り物と分担し、私は三味線。二ヶ月前からの稽古
の甲斐があって、小さん師匠と金馬師匠から祝儀をいただいた。そのお金で二次会へ
、、いえ、真打の準備金にしました。
2001・8・21 UP








『 他人の選挙は暑い 』

2001・7・11〜20(七月中席(なかせき))
 報じ手 窓里
2001(平成13)7月11日(水)
 北海道函館へ。文化事業の視察研修。涼しいはずの北海道、雨の蒸し暑い日となる。


2001(平成13)7月12日(木)
 北広島市へ。ここは安芸の広島からの移住による開拓地。そういえば取島もある。


2001(平成13)7月13日(金)
 札幌で研修を受けて、夜、川越に帰宅。とにかく暑い。布団を敷かず、裸で床に寝
る。


2001(平成13)7月14日(土)
 12日に公示となった参議院選挙。ある候補者の事務所に陣中見舞いに行くが、誰
も対応してくれない。名刺を置いて帰る。


2001(平成13)7月15日(日)
 ある候補者の応援に。とにかく暑い。仮に、自分の選挙だったら不満など言ってい
られないはず。だけど、他人の選挙は暑い。


2001(平成13)7月16日(月)
 ボランティア協会で一席。私はボランティアでなく仕事として、出演料をいただく。


2001(平成13)7月17日(火)
 夜、近所の高齢者の方々と飲む。相談を受けたり、話を聞いたり、酒を飲むのも仕
事。


2001(平成13)7月18日(水)
 家で”議会だより”の封筒入れ。2000件へ郵送。印刷代、送料すべて自費。約
20万円。どなたかカンパしてください。


2001(平成13)7月19日(木)
 夕方、整体を受けに行く。
 帰ろうとすると夕立で、雷と雨のすごいこと。だけど、好きなんだな、こういう天
気。


2001(平成13)7月20日(金)
 川越花火大会。交通規制のため、自転車で30分かけて汗だくで会場へ。しかし、
生ビ−ルはうまい。
2001・8・21 UP









『 夢の中で 立腹 』

2001・7・1〜10(七月上席(かみせき))
 報じ手 吉窓
2001(平成13)7月1日(日)
 小六の娘の学校の夏休みの宿題。家で弁当を作って、その証拠写真と感想文を提出
するという。
 朝から女房に叱られながら弁当づくり。やれサラダがどうの、タコウインナ−がど
うのと奮闘2時間半。どうにか見栄えのする(?)ものが完成したようだ。


2001(平成13)7月2日(月)
 夕方ニュ−スを見ていたら、何やら聞いたような声がした。改めて注視すると、画
面に"ナレ−タ− 三遊亭 円弥"と出ている。
 円弥師匠には10席以上噺を教わっているから、聞き覚えがあるわけだ。どんなナ
レ−ションかなとしばらく見ていると「寺の住職がひきこもり、町中大騒ぎ!」だっ
て。


2001(平成13)7月3日(火)
 知り合いから「吉窓さん自衛隊出身だよね。こういう本、読む?」と浅田次郎の”
歩兵の本領”という本をいただいた。
 陸上自衛隊出身の著者が書いた若い自衛隊員の物語。フィクションとはいえ、経験
者なら思わず相づちを打ちたくなる所があって面白い。一気に読んでしまった。


2001(平成13)7月4日(水)
 鈴本昼席へ代演。梅雨明けはまだのようだが、連日暑い。[半分垢]をやる。
 夜は住吉踊りの稽古に行く。


2001(平成13)7月5日(木)
 今日は浅草演芸ホ−ルの昼席へ代演、[都々逸親子]。
 夜は住吉踊りの稽古。
 8月中席の公演が近づき、稽古に気合がはいる。たっぷり汗をかいた後、志ん朝師
匠に焼き肉をごちそうになる。左手に生ビ−ル、右手に焼き肉、ああ幸せ。


2001(平成13)7月6日(金)
 今日も浅草昼席へ代演。[山号寺号]をやったところ、前座が楽屋帳に[山号時号]と
に書いている。昔、このネタを[三五十五]と書き、怒られた前座もいる。聞き間違い、
書き間違いはよくあるが、後で笑い話になるからいい。


2001(平成13)7月7日(土)
 歌る多から「歌舞伎のタダの切符があるけど、行きません?」と誘われ、タダにひ
かれ夜の部に出かける。猿之助奮闘公演の[楼門五三桐]の通し狂言。いやぁ、楽しみ
ました。


2001(平成13)7月8日(日)
 またまた浅草昼席代演。出番はいずれも1時あがり。
 なんでもこの出番だった人が、休席届けを出していたのに、間違えて入っていたそ
うだ。何はともあれ、穴埋めはいくらでもしますので、、、。


2001(平成13)7月9日(月)
 夜、両国寄席。円楽党主体の寄席だが、今日はあたしがトリ。日頃、短いネタばか
りやってるので、たまには聴きごたえるのある噺をと、[子は鎹]をやる。
 終演後、若手を誘って生ビ−ルを飲みに行く。ああ、うまい!


2001(平成13)7月10日(火)
 昨夜は生ビ−ルを四杯飲んで帰宅したが、変な夢を見た。
 あたしが寄席のトリで、着物に着替えて楽屋にいる。ヒザ替りが終わり、いざ高座
へと向かうと、前座が追い出し太鼓を打ち、幕を下ろしている。「おい、おい! 俺
がいるよ。まだだよっ!」と夢の中で腹を立てている。
 ハッと目が覚めると、怒った感触がまだ身体に残っている。いやな夢を見た。飲み
すぎかな。みなさんも変な夢見ませんか?
2001・08・21 UP







『 生まれて始めて 高座に舞う 』

2001・6・21〜30(六月下席(しもせき))
 報じ手 圓窓
2001(平成13)6月21日(木)
 * 下席 新宿末広亭 昼 2時上がり。
 * 浅草演芸ホールで中学生のための圓窓独演会。朝9時半から、1時間ちょっと。
  岐阜県可児市中部中学校の修学旅行生徒300人が聴衆。「落語とはなんぞや」
  から始まって、「小四の教科書にも載っているんだよ」と言いつつ[ぞろぞろ]
  を。おとなしく聞いているのはいいが、反応はほとんどなし。あたしにそのレベ
  ルに合わせて、言葉遊びをやる意思はないので、淡々と。
   あたしが終わって、代表の生徒からのお礼の言葉があったのだが、女の先生が
  彼のそばにピタッと付いてて一言ひとこと教えているではないか。つまり先生が
  プロンプターになっているのだ。生徒は先生をチラチラ見ながら聞いて、弱々し
  い小さな声でボソボソと言うだけ。情けなくて涙が出そうになった。これが現代
  の多くの日本の子どもらの姿でもあるのだ。いらいらしてしまう。
   そのあと、生徒たち全員がお礼を込めてあたしにコーラス(空とぶうさぎ)を
  聞かせてくれたが、これは一段とよかった。なのに、なぜ会話ができないのか。
  コーラスは練習するが、会話は練習しないから、か、、、?
 * 新宿末広亭[銭たれ馬]
 * オフィス樹の稽古場で踊りの特訓。25日の一門会で「踊りの披露をする」と
  宣言したもんだから、やらざるをえない。"深川"を姉弟子に教わっての特訓。
 * 終わって、役者の小野寺丈の舞台稽古をやっている下北沢のオフオフへ。「一
  人芝居の中でやる」というので教えた落語[半分垢]を聞かせてもらう。現代の
  言葉はうまく使い分けるが、落語の口調は無理なのか、身についていない。


2001(平成13)6月22日(金)
 * 新宿末広亭[]
 * 丈の一人芝居初日。見に行く。下がかったギャグで笑わせるのを放棄できれば
  いいのだが、、、。


2001(平成13)6月23日(土)
 * 女房の叔母の三五日。谷中の興禅寺。住職、いよいよ読経のとき「数珠、忘れ
  た」と言ってとりに行くので、大笑い。
   あとの食事で同席してくれた住職に「色即是空で、手に数珠があるかないかな
  んて問題じゃない。住職は常に心に数珠を置いているから、それでいいんですよ
  ね、ねぇ、住職」。住職は救われたような顔をして「そう言っていただくとホッ
  とします」。「でもね、住職。常に心にあるのなら、忘れないもんですよね」「
  いや、まいりました」となにやら、禅問答のような展開になって、また大笑い。
 * 新宿末広亭 夜のトリへ。[お花半七]。早上がりして、帰宅のつもりでいた
  のだが、代バネを頼まれていたのをすっかり忘れていて、つなぐのに苦労する。


2001(平成13)6月24日(日)
 * 新宿末広亭[洒落番頭]
 * 踊りの特訓のため、オフィス樹の稽古場。


2001(平成13)6月25日(月)
 * 上野鈴本 昼 代演[半分垢]。楽屋で円菊門下の菊丸が「このところ、喉の
  調子が悪いもんで、師匠のかかっている先生の紹介をしていただけたら」と。「
  じゃ、皆藤先生を」と約束する。
 * 新宿末広亭 昼 代バネ[お見立て]。
 * 急いでやってきた池袋演芸場の夜席の一門会。昼夜の入れ替えの間に実際の高
  座で踊りの稽古をしておこうという腹づもり。テープで稽古をしてたので、生の
  三味線となると、勝手が違う。しかし、一度でも舞台稽古したおかげか、いくら
  か落ち着く。
   今年は窓樹の萬窓改名と真打を早めに祝おうという趣向。窓門で「窓樹につい
  て」の座談会。
   あたしの噺は過日、女房の叔母の法事の折の出来事をマクラに久し振りの[お
  見立て]。あと、踊り〔深川〕。和田カルさんに特訓してもらった甲斐があった。
  なんとかこなせたのは嬉しい。
  詳しくは、”評判の落語会/圓窓系定例落語会/圓窓一門会/客席からの観賞記”
  を覗いてください。


2001(平成13)6月26日(火)
 * 日立、高萩地区のNTTの講演会。「デンワの”ワ”は話という字。落語の源
  泉でもある。現代は電話で文字や絵を送ってますが、原点はモシモシから始まる
  話。話を聞いて思い描ける日本人作りに力を注ぎましょう」と。教科書の話をし
  て[ぞろぞろ]も。
 * 寄席は休む。
 * 帰宅して皆藤先生へ連絡し、菊丸のことを頼む。久し振りに懐かしい先生の大
  きな声を聞いて、なぜか嬉しさがこみ上げてきた。おかげさまで、あたしは最近
  は先生のお世話になってない、ということは健康なんだ、、、。(笑)


2001(平成13)6月27日(水)
 * 新宿末広亭[後生鰻]
 * 一文オペラ。10月に〔落語とオペラの怪しい関係〕という企画落語会を開く
  予定。


2001(平成13)6月28日(木)
 * 新宿末広亭[お見立て]
 * 芝居観賞。スズナリで〔砂の上の幸福〕。「役者の無駄な絶叫はなんとかなら
  ないか」と神に祈りつつ観賞。ぐったり。


2001(平成13)6月29日(金)
 * 新宿末広亭[お見立て]
 * ハウス・エプタザールへ。ナターシャというロシアのピアニストのリサイタル
  を聞きに行く。


2001(平成13)6月30日(土)女
 * 新宿末広亭[]。
  早上がり。
 * 文京高校の同期生のYさん(元女学生)が長唄の三味線をやっていることは聞
  いていたが、その彼女から招待状。国立小劇場で会。連獅子の立てを弾いていた。
   なかなかどうして、やるね。
   終わって、何人か来てた同期生と赤プリでビールを飲んで歓談。小学館で長年
  に亘って百科事典を手がけてきたMさんにコミカレの講義を頼む。
2001・7・12 UP








『 我が野球チームのユニホーム 』

2001・6・11〜20(六月中席(なかせき))
報じ手 窓 輝
2001(平成13)6月11日(月)
 半年ぶりの掃除。炬燵を片づけて雑誌を捨てて、冬物をクリーニング屋へ出した。
コートに、セーターやズボンなどで一万円弱。(痛いっ)もうひと冬、着てもよかった
かも。


2001(平成13)6月12日(火)
 母に頼まれて、甥っ子へのプレゼントを買いにデパートへ行く。誕生日でもクリス
マスでもないのにと思い、理由を母に聞くと「いつもいい子にしてるから」のご褒美
だとのこと。子供がうらやましい。


2001(平成13)6月13日(水)
 二種類のお米を買って味比べ。5kgで2800円のコシヒカリと、500円ほど安
い、聞いたこともないお米。昼と夜に一合ずつ炊いて食べたが、どちらもうまい。
(味おんち?) 安さで、聞いたことないお米の勝ち。(500円の差は大きい。タバコ
が二つ買える)


2001(平成13)6月14日(月)
 ドラゴンズ6連敗。しかも阪神に3連敗。(普通しないだろ。あきれた)今年の目
標を「優勝からAクラス」に修正。


2001(平成13)6月15日(火)
 池袋の芸術劇場で権太楼師匠の一門会でロビーに噺家が店を出し、本人が売るとい
う画期的なアイデア。お店は10店。(さん喬師、権太楼師、正朝師、〆治師、しん
平師、一九師、右楽先生、お囃子そのさん、都民寄席の永井さん) 自分は圓窓の店



2001(平成13)6月16日(水)
 ドラゴンズ、昨日やっと連敗を止めたと思ったら拙攻でまた負けた。それにしても
チャンスに打てない。今年の目標を「Aクラスから最下位でなければいい」に修正。


2001(平成13)6月17日(木)
 小金馬師匠の会のお手伝いで平和島へ。一門会に備えて〔幇間腹〕を熱演。よく笑
ってもらったが、くすぐりが2ヶ所も抜けてしまった。稽古不足だ。打ち上げで「木
綿のハンカチーフ」を熱唱。こちらもよく笑われた。


2001(平成13)6月18日(金)
 錦糸公園で草野球。チーム名も『R』に決定。(落語協会”RAKUGOのR”)
ユニフォームも今月中にできあがるそうだ。各自バラバラの格好で試合するも大敗。

2001(平成13)6月19日(土)
 筋肉痛。特に太ももと腹筋の痛みがひどく、一日中、横になっていた。元野球少年
が情けない・・・。

2001(平成13)6月20日(日)
 夜になって勝丸さんから草野球の連絡。23日に試合を組んだそうだ。まだ筋肉痛
もひどく一門会も近いのだが、ユニフォームができあがったというので行くことにし
た。
2001・7・11 UP








『 早朝寄席と深夜寄席を卒業 』

2001・6・1〜10(六月上席(かみせき))
報じ手 窓 樹
2001(平成13)6月1日(金)
 今日より池袋演芸場昼席。トリは師匠円窓。私は[転宅]をやる。


2001(平成13)6月2日(土)
 お江戸日本橋亭で独演会。おかげさまで107名の大入り。[小間物屋政談]と[
五人回し]。


2001(平成13)6月3日(日)
 大宮文明開化寄席。会場は牛なべ屋。店内には骨董品が置かれ、レトロな雰囲気。
[試し酒]をやる。


2001(平成13)6月4日(月)
 毎年6月の第一月曜日は[寄席の日]。
特典は、木戸銭の割引と、手ぬぐいのプレゼント。今年で二回目だが、池袋はお客の
入りはいまひとつだった。マスコミも昨年ほど取り上げなかったのが原因か? この
日は満員にしたいと思う。[そば清]をやる。


2001(平成13)6月5日(火)
 池袋昼席[真田小僧]。
 夜、両国寄席[厩火事]。


2001(平成13)6月6日(水)
 池袋昼席[厩火事]。
 夜、日暮里サニ−ホ−ル〔五人廻しの会〕。今回から高座づくりは、出演者がやる
ことになった。ここは荒川区の施設だが、この4月から規約が変わったそうだ。ヤマ
台が重く、出演者が五人いたからなんとか運べたが、独演会だと大変だろう。わたし
のネタは[厩火事]。


2001(平成13)6月7日(木)
 池袋昼席。毎日申し合わせたように30名前後のお客様。[権助魚]。


2001(平成13)6月8日(金)
 池袋昼席[町内の若い衆]。


2001(平成13)6月9日(土)
 池袋昼席[あくび指南]。
 夜、新宿末広亭の深夜寄席。二つ目が4人出て500円。私は今日で卒業、トリに
まわり[厩火事]。


2001(平成13)6月10日(土)
 鈴本演芸場で早朝寄席。こちらも二つ目が4人出演で500円。やはり今日で卒業、
[厩火事]。
 その後、池袋昼席に廻り[金明竹]。


[転宅]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/転宅
 [小間物屋政談]の梗概は、
圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/小間物屋政談
[五人回し]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/五人回し
[そば清]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/そば清
[試し酒]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/試し酒
[真田小僧]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/真田小僧
[厩火事]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/厩火事
[権助魚]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/権助魚
   [町内の若い衆]の梗概は、
圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/町内の若い衆
[あくび指南]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/あくび指南
[金明竹]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/金明竹
2001・6・26 UP








『 会議 総会 パーティー 』

2001・5・21〜31(五月下席(しもせき))
 報じ手 窓里
2001(平成13)5月21日(月)
 議会運営委員会出席。
 午後、PTAの方々と話し合い。


2001(平成13)5月22日(火)
 市立美術館建設委員会。施設の内容について協議。
 夕方よりI T推進の講演会に出席。その後、パ−ティ−から二次会、三次会まで。


2001(平成13)5月23日(水)
 市役所にて建設予定の道路について、地元の方々と話し合い。
 夕方、知人来客。


2001(平成13)5月24日(木)
 腰痛予防のため整体をうける。
 夕方から宴会に出席。


2001(平成13)5月25日(金)
 河川浄化会議出席。きれいな川を守ろう! 総会の後、パ−ティ−。


2001(平成13)5月26日(土)
 環境を考える会に出席。
 夕方、知人に飲みに誘われる。


2001(平成13)5月27日(日)
 雨のため、ソフトボ−ルの練習中止。
 昼は地元の総会に。
 夜はソフトボ−ルの総会に出席。


2001(平成13)5月28日(月)
 議会運営委員会。
 夜は地元会議に出席。


2001(平成13)5月29日(火)
 6月定例会を前に会派会議。
 夜、教育委員会主催の校長歓送迎会。


2001(平成13)5月30日(水)
 政策フォ−ラム受講のため群馬県の水上へ。福祉施設についての講義を受ける。
 夜には帰宅。


2001(平成13)5月31日(木)
 障害者団体の総会に出席。
 この時期は役員改選があり、総会の続く毎日でした。
2001・6・26 UP








『 娘が学校で 下駄を作る 』

2001・5・11〜20(五月中席(なかせき))
 報じ手 吉窓
2001(平成13)5月11日(金)
 4、5日前にひいた風邪がまだぬけない。それも酔っ払って帰宅して、テレビをつ
けたまま、うたた寝という、よくあるけど一番バカバカしいひき方だけにくやしい。


2001(平成13)5月12日(土)
 今年のNHK大河ドラマはあまり見てないが、招待券をもらったので、江戸東京博
物館へ〔北条時宗展〕を見に行く。元(げん)から日本に修好を求めた国書の写しな
ど興味深く見る。


2001(平成13)5月13日(日)
 娘が〔交通少年団〕というのに入っていて、年に何回か召集され催しに参加する。
今日は東京湾で海上自衛隊の巡洋艦に乗船してくるという。巡洋艦ってまさか! 戦
艦、空母、巡洋艦などは、我が国で保有してたのは太平洋戦争までで、現在はないは
ずだが……。娘が帰ってから聞いてみると、案の定、乗ったのは護衛艦〔あまぎり〕
だった。


2001(平成13)5月14日(月)
 日暮里サニ−ホ−ルで特選落語会。6名のレギュラ−メンバ−が順番にトリをとる。
今日はあたしの番で〔汲みたて〕をやる。


2001(平成13)5月15日(火)
 用事があって女房と渋谷まで出かける。今日は暑いので半袖シャツで充分。平日の
昼間なのに、渋谷ってどうして人が多いんだろう?


2001(平成13)5月16日(水)
 毎年、ヤッシャでお手伝いしてる三社祭りと湯島天神祭りがもうすぐ。今日、明日
と酔鼓連の稽古。特に神輿がもまれる時に叩く〔なげやり〕をみっちり稽古する。


2001(平成13)5月17日(木)
 池袋演芸場の夜席へ代演。あたしの前が喬太郎君で、あとが漫才のゆめじ・うたじ
さん、円弥師匠という出番。この時間帯は、本数が少なく演者の持ち時間が20分は
ある。
 ところが、喬太郎君が高座にあがると、円弥師から電話で「山手線が故障で遅れる」
とのこと。寄席はあとの芸人が来るまで、前の演者はつながなけれならないが、ゆめ
じ・うたじさんは「俺達かけもちだからつなげない。つなぎになるなら悪いけど先に
あげて」
 というわけで、あたしがつなぎに残る。まあ、寄席ではよくあることだが……。
[道具屋]をトロトロやる。


2001(平成13)5月18日(金)
 床屋へ行く。月に一回は行くが、髪型を注文できるほど、量があるわけでない。こ
こ十数年ずっと三分刈りだ。


2001(平成13)5月19日(土)
 娘が授業で下駄をつくるというので、近所の材木屋へ材料の調達に行く。ところが
話好きな旦那で、初めて会うのに「まあまあ、お茶おあがり、バナナ食うかい」と引
き止められる。柾の通った松の板を適当な大きさに切ってもらって、二足分で250
0円也。


2001(平成13)5月20日(日)
 今日は三社祭り。酔鼓連で毎年伺っている西浅草へ。神輿の先導という形で、手押
しの車にくくりつけた太鼓を叩きながら移動する。いつもながらものすごい人出だ。
かつぎ手の人に聞くと、近年は素人カメラマンが、いきなり神輿の前にとび出してき
て、シャッタ−を切るので危なくてしょうがないと言う。まわりを見るとなるほど、
カメラを持ってる人の多いこと。写真を撮るマナ−もきちんとしてもらいたいものだ。


[道具屋]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/道具屋
2001・6・26 UP








『 右朝に"お疲れさまッ" 』

2001・5・1〜10(五月上席(かみせき))
 報じ手 圓窓
2001(平成13)5月1日(火)小雨、曇り。
 * 5月上席 浅草演芸ホール[町内の若い衆]夜19:45。
 * 先月29日に右朝死す。肺がん。告知は当人にもしたとか。
 * 六日の会のチケットも完売。当日は立ち見席のみ。
 * 歯医者。その住まいの庭に花々。ぎぼし。都忘れ。桜草。菫。てっせん。


2001(平成13)5月2日(水)
 * 中学同期のSから「同期で画家である石田祐司の個展を見に行ってくれないか」
  の案内状を貰って、江戸川橋の高橋工房の画廊へ行ったのが、先月の末。あの日
  は最終日ということもあってか、人もいて会場には同期が五人も固まった。会主
  には悪いが、作品より学校の思い出話に花が咲くのは当然。その中で後々まで気
  になったのが、やはり同期のHの話。
   この画廊のオーナーの先祖が大久保利通から受けた感謝状を持っていることか
  ら、Hは「大久保利通の墓は護国寺にある」と言うのである。初耳だ。今日まで
  どこにあるか思ってもみなかったが、まさか、あたしの住まいの近くの護国寺に
  あるとは! 「確かかい?」と聞き直した。Hは「そう」と自信もって言う。「
  寺のどこ?」「奥のほう」とまで言う。なら疑うこともあるまいと、その護国寺
  に出かけたのが、今日。
   しかし、来て墓場を探し回ったてみたが、ない! そんな馬鹿な! あの日、
  自信あり気に答えていたHの顔が浮かび上がるが、墓には出っくわさない。探し
  方が悪いのか。寺内の花を売る所で訊くと「ありませんね」の一言。「なにを?
  ??!!」。浮かんだ顔に怒鳴りたくなった。Hは間違っていたのも知らず、あ
  たしに吹聴したのだ。それを鵜呑みにして来てしまったあたしも浅慮。
   こうなったら、日本のどこにあるか、Hをあてにせず、追求しよう。
 * 浅草演芸ホール[銭たれ馬]夜の早めに割り込み。
 * 先月29日にあの世に旅立った右朝の通夜へ。国分寺駅の近くの斎場。52歳。


2001(平成13)5月3日(木)
 * 浅草演芸ホール[半分垢]
   他の楽屋できくおに稽古。[お花半七]を聞く。前よりはいい。自分の勉強会
  でやるらしい。


2001(平成13)5月4日(金)
 * 6日の"圓窓五百噺 達成記念落語会"に合わせて上京した熊本のTさんが「全生
  庵へ行きたい」というので、ついでに東京案内。
   まず、谷中霊園の散策。著名人の墓を探すのも楽しい。やっと見つけてもその
  嬉しさから、拝むのを忘れたりして去ることもあったりして。
   高橋お伝の墓に辞世。下句の「渡しいそげや三途の川守」はわかるのだが、上
  句が「いつまでも世に永らえてあらんより」ではないような字面。どうしても読
  めない。どうやら、あたしが覚えた辞世とは違っているようだ。
 * 浅草演芸ホール[有馬の秀吉]。寄席も東京の名所なので、ついでにTさんも
  客席に。


2001(平成13)5月5日(土)
 * 大久保利通の墓を意地になってHPで探したら、「青山霊園にある」という。
  早速に出かけた。あった! 墓は大きいが、なんとなく寂しそう。同郷の西郷隆
  盛の大衆の圧倒的な人気には敵わないということか。だが、あたしは大久保贔屓。
  近々、紀尾井坂にあるという暗殺にあった場所を訪ねてみよう。それに合わせて、
  あたしに違う場所を教えた学友のHには抗議をしておこう。
   そう思った瞬間、あたしの頭を目指して烏が飛んできた。あたしを襲うのであ
  る。それも四度。どういう意味か! あたしに対する暗殺か!? 大久保贔屓な
  のに! 烏に問うても返事はないだろう。 一目散に退散す。
 * 浅草演芸ホール[半分垢]


2001(平成13)5月6日(日)晴
 * "圓窓五百噺 達成記念落語会"立ち見の出るほどの入り。一安心。
  詳しいことはHP「だくだく」の下記のページを覗いてください。
        評判の落語会/単発の落語会/五百席達成記念落語会/ぷろぐらむ
                          /三流亭まどべの楽屋レポ
                            /窓門・他門の座談会
                          /朗読・「圓窓師匠と私」
   はねて、半蔵門近くの飲み屋「笑笑(わらわら)」。日曜日でもやっていると
  いうのがいいし、珍しい。贔屓にしよう。烏は襲ってこないだろうな。(笑)


2001(平成13)5月7日(月)
 * 用足しの途中、桜田門を通ったので、桜田門外の変のあった辺りを探したが、
  碑もなければ、案内板もない。「あってもいいじゃないか。日本史にちゃんと示
  されているんだから」と思うのはあたし一人か。
   足を延ばして、紀尾井坂の清水谷公園にあるという大久保利通暗殺の地。大き
  な碑は建っているが、やはり寂しそう。「あたしゃ、来ましたよ、大久保さん」
  と胸の中で言い、合掌す。
 * TさんよりEメール。「お伝の辞世の上句は、暫くも望みなき世にあらんより、
  です」と。やはり、覚えたのと違う。
 * 浅草演芸ホール[首屋]


2001(平成13)5月8日(火)雨。
 * ほうぼうへ礼状やらEメールを出すやら、忙殺。
 * 浅草演芸ホール[銭たれ馬]


2001(平成13)5月9日(水)
 * 右朝のかみさんへ渡す手紙の下書きを始める。
  「お力落としのないようにと言っても無理な話ですね。
   右朝さんの亡くなった先月の29日以来、時間はどんどん彼を運んで去って行
  ってます。でも、ふと、今日は楽屋で会えるんじゃないかな、とも感じる日もあ
  りますよ。
   思い出します。
   彼が真打昇進のおりでした。あたしは『口上は圓窓師匠にもやっていただきた
  い』と彼に頼まれてそのつもりでいたのですが、その直前に持病の声帯を腫らす
  風邪にかかり、長期に亘って寄席を休むことになり、その口上には一度も出られ
  なかったことがありました。
   申し訳ないことをしたなァと、いつまでも心の底に薄っすらとへばりついてま
  した。そのお詫びの印に、今度はあたしから彼になにかを頼もうかと思案したこ
  とがあるのです。
   28年前、自分に鞭を打つつもりの”圓窓五百噺を聴く会(名古屋)”がスタ
  ートして、今年の3月9日に500席目を終え、ゴールしました。東京ではその
  達成記念落語会を企画しまして、あたしの所へいちばん多く稽古に通ってきた彼
  にも出演を願う予定でした。ところが、彼が声が出なくなって入院ということで
  諦めざるをえなくなったのです。
   その達成記念会は今年の5月6日に開きました。
   本来、その高座で渡すはずの彼への記念品は作りましたので、お納めください。
   圓窓五百噺見立ての表札なんです。
   彼があたしから習った噺のうちから、いかにも彼らしい噺って、わかりますか?
 [淀五郎]なんですよ。歌舞伎役者の苦労や芸談がテーマの噺ですから、なにごと
  も理詰めの性格の持ち主の彼にはぴったりの噺です。
   ”縁故人(稽古に来た人)に贈る五百噺表札”という意を込めて作りました。
     表面:縁故人五百噺見立 その〇七四 淀五郎 右朝
     側面:圓窓五百噺を聴く会 名古屋 含笑寺
        一九七三年三月スタート 二〇〇一年三月ゴールイン
        御禮 六代目 三遊亭圓窓より
              橘右橘 書 落款


   この表札、達成記念会での座談のコーナー(窓門と他門による)の出演者にも
  それぞれの名前と見立てを記して贈りました。その高座で『じゃ、西へ行く右朝
  さんに楽屋の調子で声をかけてやろうよ』と、みんなで『お疲れさまでしたッ』
  言いました。
   彼に聞こえたら、彼は振り向いて、この表札を見てくれたことでしょう。
   渡せないのが……、悔しくてなりません……。
   できましたら、一度、位牌の脇にでも置いてください。


   まだ、思い出すことがあります。
   犬や猫が好きでしたよね。
   もう15、6年前になります。
   彼が家へ稽古に来ていた頃、グレという、そろそろ外出に興味を覚えた子猫が
  いました。こいつが朝方から、裏の家の二階の屋根に上がって盛んに鳴いている
  んですよ。『誇らしげに鳴いてる』と女房もきゃっきゃと喜んだんです。が、な
  かなか下りてこない。夕方になっても下りてこないで、鳴くばかり。ということ
  は、下りられなくて鳴いていたんですね。とうとう夜になってしまった。助けに
  行こうにも暗くて危険。一晩中、ピーピーと鳴いてました。翌朝、やっと梯子を
  かけて弟子の窓樹が下ろしに行ったんです。
   この話を稽古に来た彼にしたら、大喜びで。また、そのグレがニャーと鳴きな
  がら部屋に入ってきたもんで、『こいつだよ、右朝さん』『これですか、冒険猫
  は。人間だったら歴史に名を残すでしょう、この猫は』と褒め千切り、続けて犬
  猫の歓談で稽古も忘れるほどでした。
   そのグレはまだ健在で、家の猫の最長老なんですよ。グレの姿を見るたびに、
  彼を思い起こしています。
   29日、彼の死を知らされたときも、あたしはグレを抱いて言ってやりました。
  『お前を褒めてくれた右朝さんはな……、屋根より高いところへ……、お前より
  も先に逝っちまったよ……』
   と……。


   長くなりました、ごめんなさい。
   あなたは、この先、彼の分までしっかりと暮らして行ってください。
                                    合掌
                                三遊亭 圓窓 」


 * 上野鈴本 夜 代演6:15[戯れ地蔵]
 * 浅草演芸ホール[権兵衛狸]


2001(平成13)5月10日(木)
 * ヒノキ新薬鰍フ広報誌”エプタ”で富士真奈美さんと誌上対談することになり、
  麹町の本社の和室で録音。〔笑い〕というテーマ。富士さんとは去年だったか、
  本社ビル新築披露宴で近くのテーブルに座ったことがあるというだけだから、初
  対面といってもいい。あたしには到底できそうもない人生ドラマの持ち主なのだ
  が、それらしきことはほとんど感じさせず、ごく明るく普通に話をするところが
  魅力として残った。
  「噺家の川柳さんの奥さんがいい句を作りますね」ということから、俳句の話題
  になったが、締め括りは「女房はいいんですが、亭主は酒飲みで、誰にも褒めら
  れたことがない」で、大笑い。富士さんの俳句の腕前は相当なものなので、いろ
  いろ質問させてもらって、勉強になった。
 * 浅草演芸ホール[権兵衛狸]
2001・6・26 UP








『 寄席は やっぱり いい 』

2001・4・21〜30(四月下席(しもせき))
報じ手 窓 輝
2001(平成13)4月21日(土)
 鈴本演芸場の初日。寄席の高座は2ヶ月ぶりだ。前座の元気なあいさつ。調子のい
いお囃子。にぎやかな楽屋。寄席はやっぱりいい。ネタは[十徳]で、反応はぼちぼ
ち。


2001(平成13)4月22日(日)
 連日の高座で、ネタは[たらちね]。お客様の入りも反応もよかった。ワリが非常
に楽しみだ。帰り道、アメ横でジャージを購入。理由は安かったから。パジャマにす
るか、ジョギングでも始めるか・・・。


2001(平成13)4月23日(月)
 二つ目昇進と同時に始めた五百円玉預金が約1年半で十万円達成! 前座の時な
ら無駄遣いもできようが、今となってはそうもいかない。とりあえず今月も家賃は払
えそうだ。


2001(平成13)4月24日(火)
 スカパーで中日戦を観るために友人の家へ。ここは有線で東海ラジオも聞けるので、
シーズン中は重宝している。ただし、ここでの勝率が悪い。今日も負けた。


2001(平成13)4月25日(水)
 今日も友人宅へ。中日の前田9回完投も3対2の惜敗。続けてお邪魔したのでメシ
をおごると言ったら、「気の毒だから」とおごってもらった。勝てばいくらだっておご
るつもりだ。


2001(平成13)4月26日(木)
 中日に朗報。去年までに4番打者ゴメスの復帰決定! 試合も勝った。スポーツニ
ュースを全部見て寝る。


2001(平成13)4月27日(金)
 5月6日の国立での師匠企画した圓窓五百噺達成記念落語会のチケット完売。今回
は自分もいくらか売って多少は貢献した。次は6月25日池袋での一門会。皆様よろ
しくお願いいたします。


2001(平成13)4月28日(土)
 仲間3人で飲む。ゴールデンウィーク中で時間制のため、2時間で追い出された。
3軒ハシゴした。


2001(平成13)4月29日(日)
 池袋演芸場で金太兄さんの会のお手伝い。[壷算]。百名様以上の大入りに「まぁ1
回目だから」と謙遜する金太兄。さすがだ! 打ち上げで2軒ごちそうになった。御
兄様、どうもありがとうございました。


2001(平成13)4月30日(月)
 今年から始まった池袋早朝寄席(別名、福袋寄席)の第3回目。ネタ出しにしたのが
好評なようで75名のお客様。[幇間腹]回数や出演者を増やすなどして、まだまだ
いい会になりそう。
2001・7・5 UP









『 郵便局の一日局長 』

2001・4・11〜20(四月中席(なかせき))
報じ手 窓 樹
2001(平成13)4月11日(水)
 真打の配り物に使う手ぬぐいを注文に行く。やっと気に入った柄が見つかった。5
00本染めてもらう。出来上がりが楽しみ。


2001(平成13)4月12日(木)
 浅草のマルベル堂で宣材用の写真を撮る。スタ−のブロマイドで有名な店だが、ス
タジオもある。10カット撮影。目を閉じてなければ良いのだが。


2001(平成13)4月13日(金)
 浅草演芸ホ−ル夜席へ代演、[真田小僧]。ハネてからトリの権太楼師匠に、ごちそ
うになる。


2001(平成13)4月14日(土)
 お世話になっている新内の富士松魯遊師が、芸術祭優秀賞を受賞。
 そのお祝いのパ−ティに出席。師の会では8年前から一席やらせていただいている。
 祝辞で「新内をはじめ邦楽、三味線を義務教育で教えるべきだ」という意見がでる。
 同感だ。日本人なのだから。


2001(平成13)4月15日(日)
 友人の結婚披露宴の司会。18年付き合ってやっとゴ−ルイン。新郎の謝辞で「知
り合ってすぐ一緒になってれば、もうじき銀婚式です」に、一同大爆笑。


2001(平成13)4月16日(月)
 雅子さまご懐妊の吉報。景気回復の弾みになることを願う。


2001(平成13)4月17日(火)
 浅草演芸ホ−ル夜席へ代演、[権助魚]。トリの権太楼師が風邪気味。声を出すのが
辛そうだった。お大事に。


2001(平成13)4月18日(水)
 知り合いの奥さんのお見舞いで、千駄木の日本医大へ。来週退院の予定。奥さん曰
く「ベットが満床で、待っている患者さんも大勢いるのではやく追い出すんです」(笑)
 それは冗談だろうが、病院には、景気不景気は関係ない。


2001(平成13)4月19日(木)
 今月の26日に、板橋西郵便局で一日局長をやることになった。
 その打ち合わせで同郵便局に。内容は各課へ激励、近所へ配達、記念撮影そして落
語一席。昨年は幸田シャ−ミンさんが務めたそうだ。


2001(平成13)4月20日(金)
 大リ−グで活躍中のイチロ−が、マリナ−ズの新人連続安打記録を更新。新庄はと
もかく、イチロ−はアメリカでも打つと思っていた。
 大リ−グ中継を観ていると、日本の野球のスケ−ルの小ささを感じる。そのうちに
日本のスタ−選手はみんなあちらへ行ってしまうのでは。
2001・7・5 UP











『 長男 高校へ入学 』

2001・4・1〜11(四月上席(かみせき))
 報じ手 窓里
2001(平成13)4月1日(日)
 視察のため、新幹線で金沢へ。乗り換えの越後湯沢は一面の銀世界。まさにトンネ
ルをぬけると雪国だった。


2001(平成13)4月2日(月)
 金沢で、町並みについての研修視察。古い町は、保存修復するのは大変なこと。
夜、帰宅。


2001(平成13)4月3日(火)
 午後、新宿で打ち合わせ。
 夜、両国寄席、[円楽・円窓一門の会]。企画物だと普段よりお客の入りがよい。


2001(平成13)4月4日(水)
 我が家の前に、市立保育園が開園する。日当たりと風通しが気になる。真夏でも
ク−ラ−なしで寝られただけに。


2001(平成13)4月5日(木)
 教育委員会に出席。春休み中でも児童の事故は起きてしまう。あと数日で新学期。


2001(平成13)4月6日(金)
 市役所にて会議。
 夜、知人と久しぶりに会う。4軒ハシゴして、深酒。


2001(平成13)4月7日(土)
 介護支援施設のバザ−の開会式に出席。何をするにもお金のかかるもの。私も何点
か物品協力。


2001(平成13)4月8日(日)
 地元の小学校区のソフトボ−ル大会。1時間の練習の後に試合。私も代打で出場す
るがセカンドフライ。
 昼から桜まつり、満開の下で宴会。


2001(平成13)4月9日(月)
 長男・篤史の高校入学式。自転車で20分の県立川越南高校。私は委員会のために
出席できなかった。


2001(平成13)4月10日(火)
いでに 他の片づけもするが、捨てられないものが多い。たいしたものではないが。
2001・7・5 UP








『 歌舞伎より 落語の心配 』

2001・3・21〜31(三月下席(しもせき))
報じ手 吉窓
2001(平成13)3月21日(水)
 さる中学校の謝恩会。第二部の司会と余興を頼まれて、西新井へ。
 そのビンゴゲ−ムの最中、壇上へあがった奥さんが、突然気を失って倒れた。いや、
驚いたのなんの。救急車を呼ぶ騒ぎになってしまった。当たった景品はそれほどの品
ではなかったのだが、、、。幸い大事には至らなかったが、こんなことははじめて。


2001(平成13)3月22日(木)
 前進座の芝居の切符を2枚もらったので、小学5年の娘と出かける。
 [およどん盛衰記]。南方熊楠の半生を描いた物語。喜劇風ではあったが、娘いわく
「よくわからなかった」。5年生には難しかったようだ。


2001(平成13)3月23日(金)
 女房の両親の墓参りで浦和へ。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、まったくでここ
のところ暖かい。東京で今日、桜の開花宣言。


2001(平成13)3月24日(土)
 お江戸日本橋亭で[本牧五人会]。年6回やってるこの会は、事前にネタ出しが原則。
あたしは[佐々木政談]。
 二つ目になってすぐ、師匠円窓に教わった噺。その後、師匠はこの噺を[桶屋裁き]
と題名を変えてやっている。あたしもこっちの題名でやった方がよかったかな?


2001(平成13)3月25日(日)
 今日は今年2回目のG1レ−ス[高松宮記念]。雨模様ということで、荒れるのを期
待して2000円買ったが、結果は固かった。1、3番人気が来て決まり。ああ、面
白くない。


2001(平成13)3月26日(月)
 新橋演舞場の昼の部へ足を運ぶ。今月は[仮名手本忠臣蔵]の通しなので、行こうと
思いながら、とうとう千秋楽になってしまった。ちなみに夜の部はすでに観劇済み。
芝居が面白いせいか、役者の熱演のせいか、ちっとも眠くならなかった。さすが独参
湯と言われるだけある。


2001(平成13)3月27日(火)
 弟弟子の窓樹さんの実父の通夜に行く。
 66歳、まだ鬼籍に入る年齢ではない。合掌。


2001(平成13)3月28日(水)
 二つ目の春風亭栄助君から稽古の依頼があり、今日がその当日。ネタは[王子の狐]。
 数日前、彼との電話で池袋演芸場に良いスペ−スがあるとのこと。行ってみるとな
んのことはない、広さ三畳ほどの物置で、段ボ−ル箱が積んである。栄助君もこんな
状況とは思わなかったらしく、慌てている。
「どうするよ、立ってやるか」
「いえ、新聞紙を敷きますから」
「よせよ、段ボ−ルと新聞紙じゃホ−ムレスだぜ」
 結局、借りてきた椅子に座って稽古。なんだか変な感じ。


2001(平成13)3月29日(木)
 娘が春休みで、家でゴロゴロしている。見かねた女房が「映画にでも連れてって」
 娘の希望で、ディズニ−映画[102(ワンオ−ツウ)]を観に新宿へ。さすがに前
進座の芝居より面白かったようだ。子供はディズニ−に限る。


2001(平成13)3月30日(金)
 今夏の住吉踊りの打ち合わせで、古今亭志ん橋兄と上野で会う。雑用が多いため8
月の興行に向けて今頃から動き出す。
 終わって喫茶店のテレビを見ると野球中継をやっている。高校野球がのびてるのか
と思ったら、巨人VS阪神戦だ。今日から早くもセリ−グ開幕。野球を観に行きたく
なった。


2001(平成13)3月31日(土)
 歌舞伎役者で人間国宝の中村歌右衛門が亡くなった。84歳。
 ここ数年は舞台を遠ざかっていて、もう復帰は無理だろうと思っていたが、訃報を
聞くと残念だ。
 籠釣瓶の八ッ橋、助六の揚巻、琴責めの阿古屋など印象に残っている。ある新聞記
事に、「これで昭和歌舞伎は終焉した」と書いてあった。大看板を失って歌舞伎はこれ
から変わっていくのだろうか。まぁ、歌舞伎より落語の心配をしなくちゃ。
 よろしくお願いします。

2001・7・1 UP








『 二日連続 新聞記者に答える 』

2001・3・11〜20(三月中席(なかせき))
 報じ手 圓窓


2001(平成13)3月11日(日)
 * 中席 新宿末広亭 夜 19時30分上がり
   新宿末広亭[五百羅漢]。9日に名古屋で開かれた最後の〔圓窓五百噺を聴く
  会〕で五百席にに到達。その出し物を演る。あの日「恰好よかったよ」なんぞ言
  う人もいて、42年間の噺家生活の中で一番照れた日かもしれなかった。


2001(平成13)3月12日(月)
 * 17時、産経新聞の栫井記者から到達した〔圓窓五百噺〕についての取材。記
  者は寄席の日の運動以来なにかと好意を持って取材にあたってくれている。末広
  亭の近くの喫茶店〔バルコニー〕で。
 * 新宿末広亭[救いの腕]。その499がこの噺。


2001(平成13)3月13日(火)
 * 18時、今日は日経新聞の川口記者と会う。同じ取材。
 * 新宿末広亭[戯れ地蔵]


2001(平成13)3月14日(水)
 * やっと歯医者へ。
 * 新宿末広亭[飛ぶ鉄鉢]
 * 木久蔵門下の木久男が「[お花半七]を稽古してください」ということで、二
  階の楽屋で稽古。「覚えたら、ついでに下も教えておくから、頑張んな」と言っ
  ておいたが、その気になってくれれば嬉しい。落語の世界は師から「教えてやろ
  う」ということはほとんどない。弟子のほうからぶつかっていかなければ、師も
  熱が出ない。


2001(平成13)3月15日(木)
 * 新宿末広亭[牡丹餅大好き]。同じ餅でも秋がおはぎ、春は牡丹餅と名が変わ
  る。ならば、落語のタイトルも変えなくてはと、春はこのタイトル。


2001(平成13)3月16日(金)
 * 岐阜高山へ。地元の異業種企業の研修会で講演。10何年ぶりかの高山で、巨
  大なホテルが出来ていたのにはびっくりした。そこへ一泊させてもらったが、一
  人では広すぎる広さに、これまたびっくり。


2001(平成13)3月17日(土)
 * カンツォーネを習っている関係でロシアの歌姫(ラリッサAシャリナ)のソプ
  ラノリサイタルへ。あたしは生のソプラノは初めてだったので、圧倒されてしま
  った。会場は狛江のハウス・エプタ・ザール。ヒノキ新薬鰍フ持ち物で手頃な音
  楽ホール。落語会もできる。


2001(平成13)3月18日(日)
 * 新宿末広亭[明日ありと]


2001(平成13)3月19日(月)
 * 船橋の市場小学校へ。落語の授業をしに。一時限目は担任の先生の授業を見て、
  ニ時限目は2クラスまとめてあたしの授業の番。「落語は『ただ面白い、笑っち
  ゃう』から教室で勉強するわけではないんだよ。落語は話芸と言われてて、『話
  す、聞く、思い描く』を通して理解できるもの。これを身に付ければ、いろんな
  ことに活用できるんだよ。人の話を聞いて、思い描ける人間になっておくれ。け
  して、成人式で騒ぐような人間にはなるなよ」と、そこまで話してやる。目の輝
  きが変わってくるのがわかって、嬉しい。
 * 新宿末広亭[鬼の涙]


2001(平成13)3月20日(火)。
 * 新宿末広亭の席亭さんに頼まれて、下北沢の森厳寺の施餓鬼で一席。昔からお
  灸、針供養で有名な寺で、それに因んだ狂歌も残されているのが嬉しい。住職は
 「寺に人を集めることを真剣に考えているんですよ」と。
 * 新宿末広亭[仏相撲]
2001・4・16 UP








『 野球チーム結成! まだ名はない 』

2001・3・1〜10(三月上席(かみせき))
報じ手 窓 輝


2001(平成13)3月1日(木)
 確定申告書を作成したところ、12年度の収入の少なさに驚いた。しかし生活に余
裕はないが借金もないので、まぁよしと。


2001(平成13)3月2日(金)
 池袋駅前に止めていた自転車のカゴに大量のゴミが捨てられていた。雑誌やチラシ
の他に、空き缶や食べ残しの肉まんまで。不愉快な事だが、放置自転車も歩行者には
不愉快だろうな・・・。


2001(平成13)3月3日(土)
 協会誌〔ぞろぞろ〕の原稿を書く。今回は柳家さん助師のお宝拝見を担当。師の意
外なお宝とは? お楽しみに。


2001(平成13)3月4日(日)
 二つ目中心の野球チーム結成。(名前は決まっていない)。ユニフォーム15,0
00円、バット8,600円にスパイク9,200円。他にシャツ、ストッキング、
ボールに球場使用料など・・・。すべて自腹だ!(当たり前)。何歳まで続けられる
だろうか?


2001(平成13)3月5日(月)
 日本橋亭にて天どんとの勉強会。ご来場の41名のお客様、本当にありがとうござ
いました。次回も勉強させていただきます。


2001(平成13)3月6日(火)
 師匠の取材をお手伝い。五百噺達成のドキュメントで、落語と踊りの稽古風景を収
録。放送はNHK教育TV、4月13日の14時から。


2001(平成13)3月7日(水)
 近所のレンタルビデオ屋が1本200円のサービスデー。〔13日の金曜日〕をパ
ート4まで借りた。夜ふかしはビデオにかぎる。


2001(平成13)3月8日(木
 後輩に呼び出され新宿で飲む。居酒屋→カラオケ→ラーメン→タクシーといつもの
パターン。断っておけば新しいグローブが買えたのに。


2001(平成13)3月9日(金)
 名古屋の含笑寺にて師の圓窓五百噺を聴く会。約28年かけてついに五百噺の偉業
を達成! おめでとうございます。お疲れ様でした。あたしにとっては初出演が最終
回なのが少し残念。


2001(平成13)3月10日(土)
 区議会議員、福原保子先生の〔はるの集い〕で一席。大勢の支援者に圧倒されてし
まった。福原先生! 我が豊島区の為にますますの御活躍を。ちなみに窓門会も、支
援者募集中です。
2001・4・12 UP








『 真打披露の準備中 』

2001・2・21〜28(2月下席(しもせき))
報じ手 窓 樹


2001(平成13)2月21日(水)
 末広亭の昼席に顔を出したら、師匠から「今晩、コミカレで楽屋話をしてくれ」と
言われた。グアムの旅行記と真打ち昇進の話をした。


2001(平成13)2月22日(木)
 大沢在昌の新刊小説、新宿鮫シリ−ズ〔灰夜〕を買う。
 物語は、鹿児島が舞台となっている。先月に行ったばかりなので、地形がよくわか
り生々しかった。


2001(平成13)2月23日(金)
 秋葉原の料理屋〔車力〕で落語会。
 お客は30人で大入り。[野ざらし]と[試し酒]。おかげさまで好評、次回は11月
に予定している。


2001(平成13)2月24日(土)
 末広亭昼席、[権助魚]。
 夜、同じく末広亭の深夜寄席。先日、板橋の落語会に来たお客が、私が出ているの
を知り、お友達と来てくれた。ありがたいことだ。ネタは[試し酒]。


2001(平成13)2月25日(日)
 末広亭昼席、[たらちね]。今日は[全労災]の団体が50名。前座からよく笑う。
 私のあとに上がった吉窓兄が、[山号寺号]で「全労災さんいい感じ」とやり、客席
も楽屋も拍手、喝采。


2001(平成13)2月25日(月)
 末広亭昼席、[真田小僧]。
 夕方、来月に結婚する知人の披露宴の司会を頼まれおり、その打ち合わせ。


2001(平成13)2月26日(火)
 末広亭昼席、[権助魚]。
 その後、扇子を注文に行く。真打の配りものに使うのだが、扇子屋さん曰く「腕の
いい職人が減り、昔にくらべると出来上がりが悪くなりました」。和紙もいいのが減
っているとのこと。


2001(平成13)2月27日(水)
昼から落語協会事務所で、新真打ちが集合。手ぬぐいのデザイン、口上書き等、配り
ものについて話し合う。手ぬぐいは3月上旬には注文出来そうだ。
2001・4・12 UP








『 旅行と言われない視察の法 』

2001・2・11〜20(二月中席(なかせき))
 報じ手 窓里


2001(平成13)2月11日(日)
 川越市体育協会表彰式に出席。
 夕方から、地元ソフトボ−ルの月遅れの新年会。


2001(平成13)2月12日(月)
 会派行政視察のため宮崎へ。
 地元の友人と夕食会。


2001(平成13)2月13日(火)
 雨の中、延岡へ移動。[町づくり]と[子育て支援]の講習を視察。


2001(平成13)2月14日(水)
 日南市へ移動。[地場産業]と[町づくり]の講習。
 夕方の便で羽田着。疲れました。


2001(平成13)2月15日(木)
 3日間の視察の報告書提出。視察も真面目にやれば、旅行なんて言われない。


2001(平成13)2月16日(金)
 地元の皆さんと雑談会。これが大事。
 夜、本当に寒い中、駅前にて[労働相談]のチラシ配り。


2001(平成13)2月17日(土)
 来月の落語会のチラシとポスタ−配りの一日。


2001(平成13)2月18日(日)
 新宿で知人の開催するセミナ−出席。夜、その懇親会。


2001(平成13)2月19日(月)
 運営委員会開催。3月議会の調整をする。


2001(平成13)2月20日(火)
 会派会議で3月議会の調整。
 午後、障害者施設の世話人の方と話し合い。
 労働組合会議に出席の後、二つの宴会に顔を出す。
2001・4・?? UP
2001・4・12 UP








『 代演 大好き 』

2001・2・1〜10(二月上席(かみせき))
 報じ手 吉窓


2001(平成13)2月1日(木)
 香典返しが届く。前に日記に書いたが、急逝した寿司屋の旦那の家からだ。開けて
みたら麻製の垢すり。早速、風呂で使ったら肌ざわりが良かった。


2001(平成13)2月2日(金)
 夜、両国寄席へ。円楽党主体で毎月上席の10日間。今回は毎日タイトルがついて
いる。
 本日は[本格古典落語の会]ときた。何が本格かわからないが、あたしは[動物園]
をやった。


2001(平成13)2月3日(土)
 今日は節分。近所の自性院という寺で豆まきがあるので行ってみた。
 通称〔猫地蔵〕と呼ばれている、猫の顔をしたお地蔵さまがある。その秘仏は毎年、
節分の日だけご開帳する。いい機会だから拝ませてもらった。ご利益があるかな? 
境内の隅で、〔初代松林円玉〕の墓を発見。


2001(平成13)2月4日(日)
 昼、大宮の文明開化寄席。牛なべ屋の二階座敷で、年四回やっている。今日がちょ
うど40回目。メンバ−は鳳楽、吉窓、三太楼、好作の四名。あたしのネタは[おし
の釣り]。


2001(平成13)2月5日(月)
 月曜日は稽古事がよく重なる。今日も日舞、やっしゃ、卓球の稽古日。悩んだ末、
運動を優先して、〔らくご卓球クラブ〕へ行く。約3時間、相手を替えてピンポン玉
を打つ。ああ、いい汗かいた。


2001(平成13)2月6日(火)
 代演で新宿末広亭へ。楽屋に円歌、円蔵、文平の各師が紋付き、袴姿でドカドカッ
と入ってくる。〔文平改め六代目柳亭左楽襲名〕の挨拶廻りだ。
 おめでとうございます。
 あたしは[都々逸親子]をやる。


2001(平成13)2月7日(水)
 テレビ朝日〔徹子の部屋〕に柳家花緑君が出演。数日前、NHKの[トップランナ
−]にも出ていた。同業者が注目されるのは、我々にもありがたいことだ。
 花緑君、頑張ってね。いえ、あたしも頑張りますとも。


2001(平成13)2月8日(木)
 図書館で松本清張の小説を一冊借りる。清張はとこどき読みたくなる。


2001(平成13)2月9日(金)
 代演で末広亭から池袋演芸場へ掛け持ち。末広亭で、最前列の席にこの芝居9日間
通いつめている若者がいるそうだ。「きっと噺家になるよ」と、楽屋で話題になって
いた。
 末広亭[ぜんざい公社]、池袋は[長屋の花見]。


2001(平成13)2月10日(月)
 今日も代演で末広亭。昨日まで来ていた若いお客が今日はいない。「どうしたんだ
ろう。何かあったのかな?」と前座が心配していた。他人の心配するより手前の心配
しろい!
[半分垢]をやる。
2001・4・11 UP







『 風邪でボロボロ! 寄席も休む! 』

2001・1・21〜31(三の席(さんのせき))
 報じ手 圓窓


2001(平成13)1月21日(日)

 * 初席は仕事の関係で休席したので、疲労もなく過ごせると思いきや、寄席に出
  たニの席の13日の深夜、湯に入っていると、消防車やらパトカーやらの駆け付
  ける音。路地に叫び声が走る。ただごとではない。湯から飛び出し、服を身に着
  けて飛び出すと、お向こうの家の奥で小火騒ぎ。窓から煙が吐き出されている。
  こりゃ、本物だ! 消防士がそこへ駆け付ける姿を目の当たりにして興奮する。
  火は広がるのか。寒さも忘れ、見物。
   やがて、消防士が無線で本部に連絡をしだした。「乾燥機の湯気です。異常な
  し!」。異常だよ、これは。炎じゃないから心配はいらないのだろうが、異常だ
  よ。乾燥機からの大量の湯気が寒気に煙に見えた隣りの人が通報したらしい。通
  報は間違ってない。奥の家も湯気で火事じゃないんだから、間違ってない。間違
  ってないが、異常だ。
   まずは、よかったと思ったが、あたしはよくなかった。火事場で風邪をひいた
  らしい。それから、あたしの新春の苦労は始まり、ニの席、三の席とも途中でダ
  ウンの休みとなり、病床生活が続くのだった。
   因みに、寄席は1月だけは特別な呼称があり、上席(かみせき)を初席(はつ
  せき)、中席(なかせき)をニの席(にのせき)、下席(しもせき)を三の席(
  さんのせき)という。
   さて、21日だが、三の席は昼の部で上野鈴本から浅草演芸ホールのトリの掛
  け持ち。


2001(平成13)1月22日(月)
 * 寄席へはなんとか出演したが、NHKラジオの打ち合わせは後日に延期させも
  らう。


2001(平成13)1月23日(火)
 * 寄席から帰るとバタンキュー。


2001(平成13)1月24日(水)
 * 宇都宮の信号寄席へ。日本信号鰍ェ地元への還元の一環としての文化イベント
  の一つ。会社は鉄道や道路の信号、自動改札の製造で忙しいようだ。[ぞろぞろ]。
   窓輝[垂乳根]。後半、声が出なくなり苦しそう。あたしの悪い部分が似てき
  た。困ったもんだ。
   助六さんは自律神経失調症だったそうで、楽屋でその苦労話を聞く。


2001(平成13)1月25日(木)
 * やはり声が辛い。以後の寄席は休むことにした。面目ない。
 * 2月8日NHKラジオ生のトーク番組。"話芸笑芸当たり芸"の打ち合わせに
  はふらふらしながら局へ。ほんとはもっと前に打ち合わせ日が決まっていたが、
  体調不充分なので、18日に変更してもらった。ところがこっちはそのことをす
  っかり忘れ自宅で熱に浮かされてこんこんと寝込んでしまい、局からの電話「ま
  だおいでがないのですが」で、頭はガーン! で、22日にしたが、それも延期
  してもらって、この日。OデレクターとY作家と台本作りのための話し合い。圓
  窓五百噺、猫の忠信の宙乘り、教科書に載った[ぞろぞろ]などを持ち出す。


2001(平成13)1月26日(金)
 * 踊りの稽古も休む。


2001(平成13)1月27日(土)
 * 午前中の映画鑑賞のヨーガス長屋〔恋のきた道〕は不参加。
 * 大雪の中、大塚のらく天寄席。体調はまだまだだが、二十人足らずの客数なの
  で、ま、なんとかやれそう。[戯れ地蔵][町内の若い衆]


2001(平成13)1月28日(日)
 * 午前中なのだが、Yさんの長唄の会が国立小劇場。彼女は外記猿の上調子。二
  年前に初めて聞いたときよりすごい上達。嬉しくなる。TさんGさんと裏のイン
  ド料理の店で喜びの食事。


2001(平成13)1月29日(月)
 * 馬好・馬の助ニ人会。四谷っ子の会が後援して、もう20年以上は続いている。
  先代馬の助と同級生が中心で始めているそうだ。[戯れ地蔵]。教科書のプレゼ
  ントもする。
   聞きに来てくれたA和尚が通訳の女性を紹介してくれて、一緒に新宿へ出て、
  中華を馳走になる。


2001(平成13)1月30日(火)
 * 病床。


2001(平成13)1月31日(木)
 * 病床。
2001・4・11 UP







『 初めて 寄席で踊ることになる 』

2001・1・11〜20(ニの席(にのせき))
 報じ手 窓輝


2001(平成13)1月11日(木)
 協会で踊りの稽古始め。「槍さび」を習う。今年の目標は、国立でやる企画物のと
きに一人で踊ること。


2001(平成13)1月12日(金)
 仲間3人で池袋の居酒屋で飲んだ。3時間ほど飲み食いして会計が6000円と少
し。
やはり居酒屋はいい。良心的で。これが同じ飲むんでも女の子が付くような店だとこ
うはいかない。


2001(平成13)1月13日(土)
 独り暮らしを始めて約1年。体重が58kgから63kgになってしまった。まだ腹は
出てきてないが・・・。要注意。


2001(平成13)1月14日(日)
 レンタルビデオで「刑事コロンボ」のシリーズを3本借りた。おもしろいテレビ番
組が少ないので、退屈な時間はビデオに限る。プロ野球のシーズンが待ち遠しい。


2001(平成13)1月15日(月)
 明日、着ていくスーツを出したら、祝儀袋が内ポケットに入っていた。二ツ目昇進
のときいただいて、そのまま忘れていたのだと思ったら、中身は使ってあった。


2001(平成13)1月16日(火)
 「故三木助師匠のお別れ会」に出席。二ツ目昇進のとき師匠の芝居に入れていただ
いたことや、その時、助言をいただいたことを思い出す。ご冥福をお祈りいたします。


2001(平成13)1月17日(水)
 友人の新年会へ招かれる。その帰りに、ビンゴで当たった景品をタクシーに置き忘
れた。
 タクシー会社を思い出せず、あきらめた。


2001(平成13)1月18日(木)
 落語を教えた「シーハイル」の生徒さんからお礼の品が届いた。大きな段ボール箱
の中に、山形のお酒「米鶴」が12本。当分お酒には困らない。どうもありがとうご
ざいます。


2001(平成13)1月19日(金)
 今年3回目の洗濯。面倒なので替えの下着がなくなりそうにならないとやる気にな
れない。洗って干して、取り込んでたたんでタンスの中へ。まったく面倒だ。


2001(平成13)1月20日(土)
 前橋で「新春読売寄席」。出演は、漫才のこうたふくた先生と師匠と私。先生から
お年玉をいただいてしまった。前座と思われた?
2001・4・11 UP







『 正月に2キロ太った! 』

2001・1・1〜10(一月初席(はつせき))
報じ手 窓 樹


2001(平成13)1月1日(月)
 明けましておめでとうございます。
 元日は毎年、幹部の師匠連宅へ年始廻り。小さん師宅から志ん朝師宅へ。年始の順
番は、たいがい決まっていて、二軒ともほぼ同じメンバ−だ。みんなで酒を飲みなが
ら、飽きずに馬鹿な話をしては、笑っている。噺家は、本当におしゃべりだ。


2001(平成13)1月2日(火)
 昼、両国寄席。正月はどこの寄席も、ふだんより本数が多い。ひとり10分弱。[
かつぎや]を短くやる。


2001(平成13)1月3日(水)
 夕方、ニュ−スで桂三木助師匠の自殺を知る。何度か麻雀をしたことがあるが、意
外と堅実な打ち方をする人だった。外見だけで人は判断できない。原因は色々と言わ
れているが、真相は本人が知るのみ。ご冥福をお祈りいたします。


2001(平成13)1月4日(木)
 朝からテレビのワイドショ−では、三木助師のニュ−スばかり。数人の噺家がイン
タビュ−を受けていたが、画面に年齢が出ている。
 最近、新聞・テレビなどマスコミは、タレント・芸人の年をばらすが、これはどう
かと思う。昔、ある女性漫才師が年齢を聞かれて、「なに言ってんの、芸人に年があ
りますか!」と答えたという。いい話だ。


2001(平成13)1月5日(金)
 夜、浦和でロ−タリ−クラブの新年会の余興で一席。[尻餅]。
 市長が挨拶で「5月にはさいたま市になります。住所表示が変わりますので、名刺
を刷るのは待ちましょう」と忠告。


2001(平成13)1月6日(土)
 我が家に友人が来て新年会。カミさんの手料理はまずまずの評。


2001(平成13)1月7日(日)
 昨夜の洗い物が山のよう。カミさんは仕事。仕方ない、台所を片付け、掃除もする。


2001(平成13)1月8日(月)
 歌舞伎座・夜の部を観劇。[八十助改め坂東三津五郎襲名披露興行]。
圧巻はなんといっても口上だ。羽左衛門をはじめ、看板が10名も並ぶ。左団次が「
逃げた女房に未練はないが、、、」と笑いをとっていた。


2001(平成13)1月9日(火)
 誂えた着物が出来上がり、取りに行く。知り合いに紹介してもらった呉服屋で、だ
いぶ勉強してもらったが、それでもいい値段だ。店主が言うには「和服の需要が増え
ると、安くなるんですが、、、」。日本人の皆さん、もっと和服を着ましょう!


2001(平成13)1月10日(水)
 今年初めて、体育館にトレ−ニングに行く。正月の間2キロも太ってしまった。必
死に汗を流す。
2001・3・17 UP






『 恒例の吉窓・窓里のニ人会 』

2000・12・21〜31(十二月下席(しもせき))
 報じ手 窓里


2000(平成12)12月21日(木)
 昨日までの定例会の会期が1日延びて今日まで。
 夜、現市長の報告会出席。


2000(平成12)12月22日(金)
 午前中、市役所にて公務。
 夜は忘年会。


2000(平成12)12月23日(土)
 上野鈴本で恒例の[吉窓・窓里二人会]。天候にも恵まれ、250人の大入り。


2000(平成12)12月24日(日)
 地元の方々へ、暮れの挨拶まわり。公職選挙法によって、手土産は禁止。顔出しだ
けのご挨拶。


2000(平成12)12月25日(月)
 美術館建設委員会。具体的に図面も出来上がる。平成14年オ−プン予定。


2000(平成12)12月26日(火)
 来年1月市長選挙。3選を目指す選挙。本日は選挙対策本部役員会議。


2000(平成12)12月27日(水)
 今日も選挙対策本部役員会議。政策について話し合う。


2000(平成12)12月28日(木)
 本日御用納め。
 市役所で公務の後、二件、忘年会のかけもちをしてご挨拶。


2000(平成12)12月29日(金)
 やっと部屋の大掃除が出来る。本と書類の山だが、どれも捨てられないんだよな。
 夜、一門の忘年会。日頃のファンもいらっしゃっていた。今年もお世話になりまし
た。


2000(平成12)12月30日(土)
 年賀状を書く。約200枚。地元の有権者には、これも公職選挙法で禁止されてい
るため、市政報告書を封書にて送る。これが2500通。お金も時間もかかる。


2000(平成12)12月31日(日)
 元日の着物、手ぬぐい、お年玉の仕度。息子と近所の寺で除夜の鐘を聞く。
 いい年でした。来年もよろしくお願いします。
2001・3・17 UP