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吉窓の筆

 落語と歌舞伎の接点 11

2000・7・09 夜の部
・12 昼の部
歌舞伎座
文 吉窓
 七月の歌舞伎座は、恒例の〔市川猿之助奮闘公演〕だった。
 猿之助が七月の舞台を仕切るようになって、今年で30年目だという。それまで七
月というのは、一年のうち最も客の入りの悪い月だったそうだ。それを昭和46年に
猿之助が、この月の興行を初めて当て、以来、七月の定番になった。
 あたしが行った日も満員だった。
 猿之助は、昼の部の最初の一幕を除いて、あとは一日中、出づっぱり。たいした体
力である。さすがに数年前に比べると、動きが少し緩慢になったかなと感じるものの、
それを差し引いてもあまりある気迫だ。
 もっとも当人は、宙乗り、早替り、大立ち回りと何でもござれの舞台は、65歳ま
でと言っているから、こういう奮闘公演もあと四、五年かもしれない。
 舞台上で肉体を酷使するという点では、役者と落語家ではくらべものにならない。
我々は運動不足もいいところだ。でも、そういう限られた体力(?)で、落語家はこ
の暑い夏も奮闘しています。
 寄席にどうぞお越しください。
2000・8・12 UP




 落語と歌舞伎の接点 10

2000・6・16
歌舞伎座
文 吉窓
 芝居を観ていると、思わず「危ない!」と声をあげてしまうようなシ−ンにぶつか
ることがある。六月の歌舞伎座、夜の部にかかっていた[源平布引滝・義賢最後の場]
がそうだ。
 大詰めで、さんざっぱら立ち廻りをして重傷を負った義賢が、階段の上から両手を
広げたまま、ばったり前のめりに倒れて絶命する場面がある。これは『仏倒れ』とい
う演出だが、観ていて圧倒される。
 [義経千本桜・碇知盛]で知盛が、我が身に碇を巻き付けて入水する場面も迫力があ
るし、芝居は忘れたが、立ち廻り中に花道から本舞台へ向かって、投げた刀を受け取
る、なんて光景もドキッとした。これも厳しい稽古のたまものだろう。
 [義賢最後の場]も、まさに壮絶な幕切れだが、あたしなぞは倒れた時に、階段の角
にどこかぶつけてないかと、心配になってしまう。倒れ方になにかコツでもあるのだ
ろうか? 役者も生身の人間、危険を伴う場面は命がけだ。
 そこへいくと寄席では、観客が「ああっ!」と叫ぶのは、実際の火事か地震の時ぐ
らい。そんなことは滅多にありませんので、どうぞ落ち着いてお楽しみください。
 出演する芸人は皆、命がけの高座をつとめております。ただ、そう見えないところ
が悔しいです。トホホホ、、、。
200・7・29 UP




 落語と歌舞伎の接点 9

2000・5・16
国立大劇場
文 吉窓
 五月は、国立大劇場の前進座の舞台を観に行った。あたしの大好きな『一本刀土俵
入』が、かかっていたからだ。
 宿場の酌婦、お蔦が一文無しで腹ペコの取的、茂兵衛に情けをかける。
 茂兵衛は「横綱になって恩返しをする」と誓って別れる。
 それから十年、茂兵衛の夢は叶わず、渡世人に身を落としている。
 せめて、あの時のお礼をと思い、お蔦親子の危機を救うというあら筋。
 前進座らしい工夫も随所にあり、楽しめた。
 この芝居をはじめて観た時は、お蔦・茂兵衛を、故人になった梅幸・勘三郎が演じ
ていたが、その時の感動は忘れられない。
 それ以来、誰が演じるのを観ても、涙腺がゆるんでしまってしかたがない。長谷川
伸の作品の中でも、一番の傑作だと思う。芝居は役者が好きで観ることもあるが、出
し物で足を運ぶこともある。まあ、客にしてみれば、贔屓役者が好きな芝居をやって
くれるのが最高だが。
 落語も演者の人気で満員になる場合もあるし、演題によってお客が入ることもある。
 ホ─ル落語や勉強会などは、事前にネタが告知されることが多いが、定席ではまず
ない。出演者はわかるが、どんな噺が聴けるかは、お楽しみという訳だ。
 そこが寄席の良いところでもあるが、お客さんって、わりと「今のネタは?」と題
名を知りたがるもんですよね。
 あたしも、持ちネタだけは数多く仕込んでおこうと思う、今日この頃であります。
 へい、毎度。

2000・7・1 UP



 落語と歌舞伎の接点 8

2000・4・13
歌舞伎座 夜の部
文 吉窓
 追っかけをするほど、入れ込んでいる役者はいないが、好きな役者は誰ですか、と
訊かれれば、まず名前が出るのが勘九郎、吉右衛門、富十郎。それから団十郎、仁左
衛門、又五郎、団蔵。現役ではこの辺かな。
 歌舞伎を観るようになってから十七、八年になるが、その間、物故してしまった役
者もいる。中で一番好きだったのが、十七世中村勘三郎。晩年の四、五年の舞台しか
生では拝見していないのだが、印象は強く残っている。4月の歌舞伎座は、その勘三
郎の十三回忌追善興行でにぎわっていた。
 夜の部は、追善口上をはさんで、ゆかりある芝居が三本ならんでいた。勘九郎、玉
三郎の『鰯売恋曳網』もおかしかったし、勘太郎の『鏡獅子』にもおどろいたが、な
んといっても追善口上が楽しい。紋付き、袴に裃をつけて、緋毛氈の上にかしこまっ
た十数名の役者達が、故人を偲んで、思い出を語る。しみじみとしているのもあるが、
左団次の「中村屋のおじさんとは、麻雀をやって、ずいぶん図書券を頂戴しました」
には笑った。
 寄席では、追善興行はあまりかからない。数年前、柳朝師匠の七回忌で、十日間、
末広亭でやったことがある。もっとあってもいいと思う。
 あたしも、追善興行をしてもらえるぐらいの噺家になれるかしら?
 その前に長生きしようっと!

2000・5・12 UP




 落語と歌舞伎の接点 7

2000・3・16
歌舞伎座 夜の部
文 吉窓
 三月の歌舞伎座は、夜の部に『菅原伝授手習鑑』が半通しでかかるというので足を運ん
だ。
 半通しでも休憩をはさんで4時間もかかるのであるから、全通しとなると、その倍。総
じて義太夫狂言は長編が多いのだが、それにしても、長過ぎる。
 あたしには全通しでなければ、というこだわらない。長い物語だと、途中ダレ場もある
だろうし、お客の集中力もそうは続きませんからね。半通しぐらいで、うまく上演してく
れたほうがありがたい。もっとも、全通し上演はこの節ほとんど見かけないが……。
 その昔、芝居見物は一日がかりで、早朝から夕方までたっぷり楽しむものだったから、
全通しで一つの狂言をかけたのだろう。今のニ─ズではどうだろうか。
 さて、『菅原伝授手習鑑』ぐらいの狂言になると、落語にもずいぶん使われていると思
ったが、そうでもない。あたしの知るかぎりでは、『掛け取り万歳』で、狂歌好きの家主
とのやりとりに菅原もどきの台詞があるのと、『七段目』の前半で、若旦那が車屋の鉄公
とからむ場面が車引き風になる所ぐらいか。
 もし他にあったら教えて下さい。よろしく、どうぞ。

2000・4・15 UP





 落語と歌舞伎の接点 6

2000・2・16
歌舞伎座 夜の部
文 吉窓
 二月の歌舞伎座に、人気狂言〔三人吉三〕がかかっていた。
 序幕の大川端の場で、お嬢吉三が「月も朧に白魚の―――」と、おなじみの七五調
の長台詞をしゃべり始めると、後ろの年配のお客が、それを小さな声で口ずさんでい
る。
 前後からステレオで台詞が聞こえてくるのだ。あ、イヤホンガイドもあるから三方
からか。いずれにせよ、耳に心地よい名台詞である。
 その台詞の途中で、舞台の裏から「おん厄、払いましょう厄落とし」と、厄払いの
声がはいる。
 それを聞いてお嬢が「ほんに今宵は節分か」と受ける。
 観客も、節分の夜の出来事なのか、と分かるわけだ。
 落語にも[厄払い]という噺がある。
 与太郎がおじさんから教わって、厄払いの仕事をやるのだが、失敗するという他愛
ないストーリー。
 この商売、今は見かけなくなってしまった。もちろん、あたしも実物は見たことが
ない。まあ、古い噺を演る時は、よくあることだが……。
〔三人吉三〕の中でも、声だけで姿形は分からないし、昔の商売往来を開いても、説
明文だけで絵はない。
 別にその格好がわかっても、[厄払い]がうまく演じられる訳ではないのだが、気
になるとどうも落ち着かない。
 どなたか教えて下さい。情報をお待ちしてます。
2000・4・15 UP






 落語と歌舞伎の接点 5

2000・1・17
新橋演舞場 昼夜
文 吉窓
 今年の正月は、新橋演舞場へ歌舞伎を観に行った。
 歌舞伎座にも勘九郎、吉右衛門、玉三郎と、あたしの好きな役者がこぞって出演し
ていたが、ミレニアムの年明けは、イキの良い若手の舞台を見物しようと思い、新橋
で助六を演じる新之助、弁天小僧を演じる菊之助に軍配を上げてしまったわけだ。
 ここの小屋は、歌舞伎座より一回り小さく、座席数もだいぶ少ないが、二、三階席
の隅にTVが設置してあり、上から死角になっている花道の様子が、TVで観られる。
まあ、欲を云えば、画面がもう少し大きいとよいが・・・。
 さて、芝居の方は、前途の二人が大熱演であった。
 ところどころに青臭さを感じさせるのが、かえって若々しくて良かった。人間国宝
が演じる娘役も味はあるだろうが、見た目の美しさは若い方が良い。若さも大事な売
り物だ。これからも女形を見せてね! いえ、あたしはその気はありませんから大丈
夫。
 ちなみに、落語でイキの良い若手を聴きたければ、新宿末広亭の毎週土曜夜の「深
夜寄席」、上野鈴本演芸場の毎週日曜朝の「早朝寄席」。それと池袋演芸場で毎月一
回の「二ツ目勉強会」がおすすめです。
 だまされたと思って、ぜひ、どうぞ!
2000・4・15 UP




 

落語と歌舞伎の接点 4

1999・12・12
昼の部 国立大劇場
文 吉窓


 去年の暮れは、[芝浜]ばかりだったような気がする。
 国立大劇場十二月公演が[芝浜]年末恒例、鈴本の鹿芝居も[芝浜]その他、演目
を事前に告知する落語会でも、ずいぶん[芝浜]の文字を見かけた。
 この噺の作者は、言わずと知れた名人三遊亭円朝。
 その円朝が亡くなったのが、西暦1900年。今年がちょうど没後百年になる。そ
んなことも関係あるのかしら。
 国立の[芝浜]は、12月23日、所見。
 八十助と芝雀が夫婦役をつめていた。噺の方では、亭主と女房しか出てこない。つ
まり、登場人物は二人という演出だ。しかし、芝居では登場人物が多くなる。二人芝
居で出来なくもないだろうが、家主や長屋の住人たちも台詞がある。そこに、噺には
ない味があるのだ。もっとも、役者さんたちの出番のバランスも多少関係しているの
かな?
 とにかく、この噺は良くできているし、サゲも効いている。噺家なら、一度は演っ
てみたい噺だ。
 あたしも独演会で一度やりましたが、それっきりです。こりゃもったいない。その
うち再演します。
 乞うご期待!
2000・1・15 UP





 落語と歌舞伎の接点 3

1999・10・22
夜の部 歌舞伎座公演
文 吉窓

 十一月の歌舞伎座で[蘭平物狂]がかかっていた。この芝居は、話の筋はともかく、
後半、数十分に及ぶ主人公、蘭平の豪快な大立ち廻りが、大きな見どころになってい
る。次から次へと、趣向をこらした立廻りが展開し、見ていてかなかな楽しい。
 しかし、こういう芝居を見ていると、主役の辰之助の奮闘もさることながら、それ
を盛り上げる大勢の捕手役の役者さん達のご苦労は大変だと思う。本当によく鍛練さ
れている。まず、体力がないと勤まらない。駆け出したり、飛び降りたり、ひっくり
返ったり、ふんづけられたり、梯子をささえたり。その上、トンボを切ったり、刃物
や六尺棒を振り廻したりするから、かなりのプレッシャーもつきまとうだろう。
 こういう場面は、スピーディーにテンポよく運ばないと観客を引きつけられないか
ら、演ってるほうも注意しているだろうが、場合によっては、客まで巻き込んでしま
うこともなきにしもあらずだ。
 以前、見た芝居で題名は忘れたが、それも確か今の辰之助が舞台で立廻りをしてい
た、その時、辰之助が振り回した薙刀の刃がすっぽ抜けて客席へ飛んできたことがあ
った。思わず、「あっ!」と声を出してしまったほど驚いたし、一瞬、その周囲の客
席にも緊張感が走った。幸い、刃は本物ではなかったし、当たった男性もケガはなか
ったようで芝居はそのまま進行したが、いやはやとんだハプニングだった。
 立ち廻りのある芝居は、居眠りなどせず、気を引きしめて見ていないといけません。
寄席でも曲独楽とか太神楽には刃物を使用する。スケールはかなわないが結構迫力は
ある。いわんや、凶器を使わない落語はまったく安全です。どうぞごゆっくりお休み
下さい。
 あっ、寝かしちゃいけないんだっけ、やれやれ……。

2000・1・26 UP





落語と歌舞伎の接点 2

1999・10 歌舞伎座公演
文 吉窓

  十月の歌舞伎座で「蔦紅葉宇都谷峠」がかっていた。河竹黙阿弥作の世話物で、鞠
子宿の宿屋の場面では、江戸時代の旅の風俗がよく描かれており、見ていて楽しいし、
又、勉強にもなる芝居である。とくに大部屋で泊まり客同志が、わいわいがやがやと、
しゃべる様子などはそのまま落語になる。
 解説を読むと、原作は初代、金原亭馬生の人情噺となっている。それに黙阿弥が手
を加え、肉付けをして全五幕の長編になったとのことである。なにやらでどこが噺家
と聞くと妙にうれしくなる。三遊亭円朝作というのは何作か聞くが、他にも原作が噺
家という芝居があるかもしれない。ひとつ、誰か調べてください。えっ? お前がや
れって? ははっ、ごもっとも、ごもっとも……
 ちなみに、今秋、襲名披露をした馬生はその十一代目である。後輩によくごちそう
してくれる、とても良い兄さんである。
 今回、歌舞伎座で配布していた無料パンフレットに、昼夜の出しもの一本ずつだが、
その芝居の登場人物相関図が載っていた。これは親切だと思った。歌舞伎の場合、人
間関係が複雑で、どこでどうつなっがているのか、わからなくなってしまうことが、
よくあるのだ。えっ? そんなのはお前だけだって? いえ、そうかもしれませんが、
これは良いアイデアです。これからもドシドシ良い企画を、無料パンフでやってもら
いたい。よろしく、どうぞ。
 ちなみに落語の場合、登場人物の人間関係はいたって単純です。すんなりとお楽し
み下さい。
 へい、毎度どうも。

1999・12・26 UP





落語と歌舞伎の接点 1

1999・9 歌舞伎座公演
文 吉窓

 文化四年八月。深川八幡の御祭礼で、永代橋が渡り掛けた人の重みに耐え切れず
落下。死者が千五百人以上出るという大惨事があった。今から190年以上前に実
際にあった事件である。
 最近、この事件を扱った芝居と落語に接する機会があった。芝居の方は九月の歌
舞伎座公演で[名月八幡祭]。
 商人の新助と芸者の美代吉の振った、振られたという男と女のドラマ。それに金
が絡んで、ついには刃傷沙汰になるという荒筋。本水を使った雨の降る中、吉右衛
門と福助の立ち廻りは凄味があった。この場面になる前に、舞台上で役者が口々に
「おーい、永代橋が落ちたぞ!」「大変だ、大変だ!」と言い合いながら右往左往
するシ−ンがあるので、事故があったことがわかる。これがなきゃわからない。
 落語の方は[永代橋]。ある落語会で先方のご希望が「深川に縁のある噺を」と
いうことで、あたしが[辰巳の辻占]、林家正雀兄がこのネタを演った。
 橋の事故で死亡した自分の死体を当人が引き取り行くという、[粗忽長屋]によ
く似た噺だが、現在、演り手は非常に少ない。
 永代橋落下事件は、その犠牲者数からみても、当時の大惨事だ。今で言うと、阪
神大震災やオウム真理教事件に匹敵する。起きたばかりの惨事は、まだ生々しさが
あってマクラで喋るのもはばかられる。放射能被爆事故の直後、ある芸人が開口一
番「たった今、東海村の仕事から戻ってきました」と言ったら、お客が一斉にひい
てしまったそうだ。
 実にどうも……。しかし、あと二、三十年も経つと一席の落語になっているかも
しれない、[永代橋]のように。

  [永代橋]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/永代橋
[辰巳の辻占]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/辰巳の辻占
 [粗忽長屋]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/粗忽長屋

1999・12・26 UP