圓生物語

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   圓生物語・三の巻 プログラム

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番 組 の 『 解 説 + 落 語 っ 句 』

文責・圓窓  落語っ句・ML「浮世床 有志」  

やかん  神 楽

 マクラに「聞いたふう耳学問を鼻にかけ」という狂句を振って、圓生が晩年の高座
でよく演っていた軽いネタの一つ。
 楽屋では、知ったか振りをする者を、「あいつは、やかんだ」と言う。その語源はこ
の噺からきている。
 この言葉、昔は一般用語に近かったが、今では世間には通じなくなった。口にして、
相手に「え?」と聞き返され、「しまった。言わなきゃよかった」と血の引くような気
分になることがちょいちょいある。
 なんとか、死語にはしたくない。それにはこの噺が責任者となって大いに高座だけ
でなく、普段の会話ででも活躍してもらいたい。
 まずは、この噺を神楽が、とりあえず、どうやるかにかかっている。


   講釈で嘘たたき出す春の宵     大蛇
   物識りといわれて苦しやかんかな  ただしろう
   面白うてやがて虚しき根問いかな  まるまど



たらちね  窓 輝

「圓生師匠が垂乳根を演るの?」と驚く人も多かったほど、高座ではほとんど演らな
かった。しかし、弟子には稽古用として取り上げた噺。それも、一時間近くあり、前
座噺としては長編。
 この噺には難しい言葉がどっさりあって、それなりに勉強をする必要があるのだが、
勉強が嫌で噺家になった者がほとんどという業界なので、意味も解釈もわからずに演
っている者も少なくない。
 しかし、どう調べても江戸時代からわからないのは、新妻の言う「せんぎょく、せ
んだん」の言葉。
 昔、名人の圓喬が後輩から質問され、「学校へ行って勉強しないと、優れた人でも
偉い者にはなれない、ということだ」と答えたそうだ。楽屋ではますます「圓喬はや
かんだ」と冷ややかな声が流れたとか。だが、誰も知らないことを答えたのだから、
礼を受けて当然なのだが、「やかん」と評されたのでは、立つ瀬もない。


   三つ指の春眠さます枕元      大蛇
   妻の名を呼んでるうちに湯がしまい ただしろう
   意味不明それでも俺のうい女房   仮名
   垂乳根と寿限無の長い立ち話    まるまど



鰻の幇間  楽 太 郎

 圓生の演らなかった噺の一つだったが、昭和49年に東横落語会で口演した。
 若い頃、「めくらの小せん(初代)」といわれた廓噺の達人から教わったが、昭和4
年以降の口演の資料はない。
 現在、演られているこの噺の出はこの小せんからで、八代目文楽(昭和46年没)
のその噺もその流れのもの。
 だから、圓生も文楽も構成はほとんど同じであるが、文楽と比べると、圓生には主
人公の野幇間が人になかったといえる。圓生自身もそれを自覚して演らずにいたので
あろう。
 なるほど、文楽は楽屋でも努めて明るく接するよう振舞って、ときには目下の者に
対しても「ヨッ! ハッ!」なんてことがよくあったが、圓生にはそれは少なかった。
 今回の楽太郎は、どちらかというと、文楽系だろう。


   だまされて野だいこ窮す炎暑かな  大蛇
   とっときの札と涙で別れる日    ただしろう
   美味い店奢ってもらわにゃ不味い店 仮名
   そういえばノラリクラリの鰻かな  まるまど



嘘つき弥次郎  扇 橋

 これも前座噺なのだが、まことに長いもので、細切れにすれば三席ぐらいにはなる。
ゲストの扇橋はよく「この噺は圓生師匠から直に教わった」と自慢気に語る。先日も
「圓生師匠の孫弟子にあたる窓輝に、この噺の稽古を付けてやりましたよ」と嬉しそ
うに語っていた。


   珍妙な武勇伝きく日永かな     大蛇
   弥次郎の旅の心の豊かさや     ただしろう 
   その嘘は訴えられるほどでなし   まるまど



権兵衛狸  圓 窓

 圓生のこの噺を生で聞いた人は少ないだろう。弟子もほとんど聞いてないから、聞
いた覚えのあるファンは落語史上の貴重な生き証人になる。
 圓生はこの噺を自分の師匠である品川の圓蔵(四代目)といわれた名人から教わっ
ている。その圓蔵は初代の圓左から仕入れたらしい。
 この圓左は、「狸の圓左」と言われた人。狸の噺が得意だったのか? さにあらず、
顔が狸に似ていたから、付いたあだ名。当人はあまり嬉しくなかったろう。
 しかし、このあだ名だけで名を残したわけではない。話芸の衰退した明治の後期、
落語研究会の重要なメンバーとなって落語再興に尽力した人物でもある。


   十五夜に浮かれ狸の化粧かな    大蛇
   起こされて戸開け見れば月ばかり  ただしろう
   もう来るな言ったつもりが永の友  仮名
   種撒かぬ権兵衛の相手する狸    まるまど



掛取り  鳳 楽

 これは圓生の十八番でもあり、よく聞く噺。鳴り物入りで演れば、これまた、長い。
今の噺家は若手といえども、貧乏を売り物にするという時代でないことを知っている
から、苦しさから芸を起こすという感覚はない。明治生まれの師匠連はみな貧乏の中
から這い上がった、といってもいい。先代の圓生も貧乏で、常に質屋通いをしていた
そうだ。人間国宝級の噺家が借家で質屋通いの日々だった、とは考えられない。でも、
事実。今は良き時代過ぎる。裕福な噺家が貧乏をどう演ずるか、これからの噺家の課
題の一つかもしれない。


   あれこれと逃げまわりけり年の暮  大蛇
   うちの人この日ばかりは軍師なり  ただしろう
   棺桶で一日過ごす大晦日      無銭
   取る者が取られる者に脅かされ   まるまど

2000・9・17 UP