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圓窓系定例落語会

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第 9 回  圓 窓 一 門 会

 ”日大芸術学部文芸学科”の寄席初体験

窓輝[手紙無筆] 萬窓[紙入れ] 窓里[天災]

"落語紙芝居[ぞろぞろ]" 語り 佐々木秀哉(小四年生)
               座談 渡辺享子・圓窓

吉窓[きゃいのう] 圓窓[一分茶番]


                         2002・06・23(日)
                          池袋演芸場 夜 6時開演


(圓窓註:
 先立って、ひと言、洒落に気取って言わせてください。
「エッヘン。あぁぁぁ、私、圓窓は……、01年の秋から…、あぁぁぁ、日大芸術学
部の文芸学科で…、教鞭をとっておるので、週一で所沢へ出かけておるのじゃ。オッ
ホン」
 って、そんなに気取ることはない。
 これじゃ、まるで明治文学書によく載っているような学者の台詞だ。


 ま、冗談はさておき、高座を講座にして講師をしております。
 講座名は、< 落語の中の風俗論 >
 とっつきにくそうなタイトルだが、今日の学生は落語という奇異な文字に心を寄せ
てきたのか、その数は200人余り。
 全員が揃ったところは見たことないが、ときどき「寄席よりも多そうだな」と思う
ことがある。
 落語のライブ体験のない学生がほとんど。
 そこへ、「落語とはなんぞや」などと、口角泡を飛ばしても理解はしてもらえそう
もないだろうと判断をして、チケット争奪ジャンケンの末、有志を一門会のライブへ
招待した次第。
 ついでに、レポートを書いてもらった。
 読んでみてください。
「なるほど」と唸るところもあると思います。


 備考としてですが、あたしは学生から「圓窓先生」と呼ばれています。
 楽屋で先代柳橋が「柳橋先生」と呼ばせていたことを思い出して、くすぐったいの
ですが、学生からみれば、「圓窓師匠」より当然「圓窓先生」なんでしょう。
 最近はなんとか馴れましたが、内心、「師匠」と呼んでもらいたいのです、はい。
 というのは、「師匠」という言葉はいずれ一般用語から姿を消し、業界用語として
なんとか使われ、将来、死語の仲間入りをすることになるかもしれないと危惧するか
らなのです。
                             (圓窓註:終わり)


           


動作の中の音が重要
                          岡田和弘(写真学科2年)


 生まれて初めての体験だった。
 大袈裟ではあるが、私、19歳で初体験。寄席というものに足を運び、年輩の方々
に囲まれながら、落語を聞いたのは。
 もっとも、ブラウン管越しに落語を”見た”事はあったが。本来、落語は”見る”
ではなく”聞く”というようだ。
 つまりは、落語は話芸であり、演者は話し手、お客はその話を聞くわけなので、聞
き手になる。そして、私が落語を以前に見たことがあったと表現したのは、テレビを
通しての体験があったからだ。(普通、テレビを聞くとは言わない)
 ところが、生で落語を体験してみると、自分が聞き手である事を認識させられた。
 なぜなら落語というものは、演者が話し、聞き手は聞く事とその話を思い描くとい
った作業が必要であるからだ。
 落語家は普通、扇子と手拭いしか道具を使うことはない。言い換えるならば、扇子
と手拭いですべての動作を行わなければならないのだ。
 手紙を読む、そばを食すなどの場面でもこれらの道具しか許されていないため、演
者はあたかも本当にその動作を行っているように見せなければならない。
 そこで重要なのが音である。様々な擬音が用いられる。聞き手は特にこの音から動
作を感じ思い描き易くなるわけだ。
 今回、伺った三遊亭圓窓一門会では、話し手と聞き手との関係を体験することがで
き、大きな収穫を得たように思う。
 これを機に、より一層、落語に対する理解を深めていき、落語を身近に感じられる
ようにしたいと思う。
 (圓窓註:落語にも見せる要素もある。しかし、それが聞かせる邪魔をしてはなら
      ないのです)


           


興味と向学心を思い知る
                         西川なる美(映画学科1年)


 その日、道に迷い、開演ぎりぎりに会場入りした私は、とにかく驚いた。
 まず人の多さだ。運良く私は座れたが、大入満員、立見まで出るほどの盛況ぶりだ
った。
 それに客層の広さ。およそ場に不似合いな子供から、いかにもという老人まで、幅
広い層の客で会場はひしめき合っていた。
 その光景は、本当にここがあの噂の池袋演芸場かと疑いたくなるほどであった。
 そして、もっと驚いたことは、大学の授業の時とはまるで違う、演者の表情だ。
 時間帯のせいなのか、緊張感の違いなのか、それとも演芸場という高座がそうさせ
たのかは定かではないが、どの落語家も皆、より生き生きとし、魅力的であった。
 毎週、授業で顔を合わせる庶民的な円窓師匠でさえ、その高座上では、私にはスタ
ーに見えた。そしてその夜、そのスターたち一門は、私たちを存分に楽しませてくれ
た。
 落語は、子供から大人まで、そして演者も観客も一体になって楽しめる大エンター
テイメントであると思う。
 この日、トリを務めた円窓師匠は落語を一席終えた後、特別に60歳から習い始め
たという踊りを披露して下さったのだが、それを見て私は「人間、興味と向学心があ
れば、いくつになっても何かを始められるものだ」と改めて思い知った。
 招待券をジャンケンで勝ち取った私は本当に幸せ者だなと、そんなことをつくづく
考えた一夜であった。
  (圓窓註:あたしはスターではないし、またタレントという意識もない。強いて
       言えば芸人かな)


           


二時間半で学んだ大切な事
                         遠藤美沙子(放送学科1年)


 高座の奥の襖が、スッと開いたかと思うと、次々と隠居や松さんが出てきて、高座
で日常会話を始めた……。
 と、こう書かれてもおかしくない風景が、落語家一人の手によって作られていた。
 話はもちろん、身振り手振りからも登場人物の人柄は容易に想像できた。まるで会
場全体がポンッっとその世界に移動してようだった。
 圓窓先生から「落語は話芸」と教わったが、そこには確かに「見る芸としての落語」
も広がっていた。
 そして寄席には、その話に聞き入る客の姿もあった。教室の半分くらいの客席を、
立ち見が出るほど埋め尽くす客。老若男女問わず、一緒に笑ったりうなずいたりする
姿がそこにはあった。
 落語家と客。この二つは寄席という空間の中で、見えない何かでつながっていた。
 それは、授業として落語を学んでいる教室では、感じにくいもので、日常生活で忘
れかけていたのも ―― 一体感だった。
 寄席という場所で、落語家と客だけが感じる事が出来る一体感だった。マイクを通
さずにダイレクトに心に届く落語家の声。それに答える様にして笑う客の声。それは、
話芸の本当の意味を教えてくれた。
 気が付けば、夜の八時半過ぎ。六時開演で、2時間以上経っていたのに、あっとい
う間の様な気がした。これは笑っていたからだろうか。
 この二時間半で、私は大切な事を学んだ気がする。
 話芸の真実の姿や、寄席という場の持つ意味、そして笑う事の大切さ。授業だけで
は知り得る事のない沢山の事を寄席に行って知る事が出来た。
 授業で落語を学ぶのとは別に、また寄席へ行って、寄席でしか学ぶ事のできないも
のを学んできたいと思った。
  (圓窓註:一体感を得るってことはめったにないけど、出っくわしたときは演っ
       ていて興奮するね)


           


落語紙芝居に興味を持った
                         永岡沙和子(文芸学科1年)


 私が特に興味を持ったのは、紙芝居でした。落語が紙芝居になると言うのは聞いた
事がなかったので、どんな物になるかと期待していました。
 紙芝居[ぞろぞろ]の印象は、落語と全く異なっていたことでした。落語は話を聞
いて自分の意識下の中で想像し、笑うと言うのが楽しいのですが、紙芝居は話に知覚
が加わった事による選択性が生じ、絵の状況が変化したりすることで、又違った印象
を受けました。
 今まで、各個人の想像でしかなかったものが、絵が加わる事によって皆の想像が同
じになると言う一体感が味わえたような気がします。同時にもしこれが動画だったり、
文字だけの本であったりするとどうなるのだろうと、落語の新たな可能性を考えまし
た。
 全体的な感想としては、テレビで見るのとは全然違うな、と思い、財布に余裕があ
れば、今後も見に行きたいな、と考えています。
 個人的には吉窓さんの[きゃいのう]が好きな話でした。
  (圓窓註:紙芝居[ぞろぞろ]がどんどん売れて、落語シリーズが出たら楽しい
       のだが……)


           


法話を聞いてるみたい
                           曽我潤心(演劇学科2年)


 うちは寺なんですけど、雰囲気が本当に法話を聞いているみたいでした。もちろん、
うまい法話を聞いてる時ですけど。
 見てる人に年輩の方が多いせいでしょうか、みんな落語ももちろん好きなんですけ
ど、話の前にやる世間話みたいなのが好きで、話す人が毒をはいたりすると喜ぶんで
すよね。
 きっとそこに話し手の人間性が一番良く見えるせいでしょうか。
 でも、話がうまい人はやっぱり実際の落語の部分に入っても、昔から同じ事を話し
てても、そこにその人らしさが出てる気がしました。どこか力がぬけてるっていうか、
どうどうとしてて。
 それと、子供(紙芝居をやった)にはどんなに頑張ってもかないませんね。おじい
ちゃん、おばあちゃんの嬉しそうな事、嬉しそうな事。
 (圓窓註:お家はお寺だって? 継ぐの? だったら、落語家が感心するくらい法
      話のうまい僧侶になっておくれよ)


           


落語と演劇の感情移入
                          遠藤さち(演劇学科2年)

 寄席に行って、実際に5人の人の落語をたてつづけに聴いてみると、やはり”落語”
という1つの形式の中でも、それぞれの人の個性というものが見えるなあと感じまし
た。
 セリフや言い回しなど決まっていることもたくさんあるけど、同じ落語でも話し手
によって雰囲気やリズムが変わるんだろうなあと思いました。
 同じ、圓窓師匠に稽古をつけてもらっても、窓輝さんには窓輝さんの色、萬窓さん
には萬窓さんの色というように、それぞれの違った芸風があって、それを味わうこと
ができたのが大変おもしろかったです。
 あと、これは授業中にも言ったことですが、落語家の人の目を見ると、役を演じ分
ける上で、それ程、目の色が変わっていないように感じました。おじいさんから、は
っつぁんになる時に、その違いを声音やテンポや顔の向きなどで表現していたけれど、
目の中を見ていると、その目は大抵冷静で感情移入をしている感じではありませんで
した。
 私が思うに、その感情移入の度合いが一番低いと感じたのが窓里さんでした。冷静
で、どの役を演じているのかわかっても、あくまで一人の語り手として存在している
感じがしました。それが落語家の技の一部でもあるんだと思いました。
 そのことを授業内で質問したところ、圓窓先生は「落語家は一人で何人もの役を演
じるわけだから、ある部分では冷静に感情移入の度合いをコントロールしなければな
らない。
 例えば、激しく悲しむ役の時に感情移入して涙を流してしまうと、次の一瞬で大笑
いしてその人を見ている役というのになりきろうとしても、涙が残っているので観客
から見るとわかりにくかったりする」とおっしゃっていました。
 それには、なるほどと思い納得できました。その点が、私が専攻している演劇で役
を演じる時と、多少違う部分でもあり、重なる部分でもあると感じました。
  (圓窓註:芸人に限らず、個性を感じさせない者は物足りないね。あと、いい個
       性か、悪い個性かということにもなるが……)


           


駅から0分が、30分かかった
                         岩堀希光子(文芸学科1年)


 私と友人は池袋で待ち合わせ、演芸場へ向かおうとした。しかし、演芸場がどこに
あるのかわからなかったので、駅内にある案内所で場所を聞いた。
 教えてもらった通りに道を歩いているが、それらしきものは見当たらない。駅近く
と言うわりにはずいぶん歩いたので、近くのコンビニで聞いたが分らないと言われた。
この辺の事ぐらい知っとけよ、と心の中で言ってやった。
 私達は、頼りのない勘を頼りにとぼとぼと歩き、次にパチンコ屋の店員らしき人に
聞いてみた。彼は丁寧に教えてくれ、私達はその通りに歩いてみた。が、ない。何故
だ。私達が間違っていたのか。どちらにせよ演芸場にたどり着けていない事に違いは
ない。
 そして、私達は意を決して八百屋さんに聞いてみた。すると案外近くだという事が
わかり、意気揚揚と歩いた。
 そしてついに、私達の目に池袋演芸場ののぼりが目に入った。
 それと同時に、のぼりの奥の方に池袋駅が見えるではないか。駅から100〜20
0メートルの所にあったのだ。おそらく徒歩1分といったとこだろう。それを私達は
20分、いや30分かけてやっと見つける事ができたのだった。
 演芸場についてまずびっくりした事は地下だった事だ。私の勝手な予想だと、市民
会館みたいな所だと思っていたのだが、全く違っていた。
 ちょっと変な言い方になってしまうかもしれないが、中も思ったよりずいぶん狭か
った。でも、高座からの距離がすごく近くて、いつも授業中マイクを通して聞いてい
たのに生声で落語を聞く事ができたので、とても感動した。
 行く前は、途中で寝てしまうんじゃないかと思ったが、全く眠気もせず、しかもほ
とんどの噺家さん方が、一度見たことがあるのでとても親近感がわき、ますます聞き
入ってしまった。
 父が落語が大好きで、落語のCDをよく聞いてる人なので、帰って思いきり自慢し
てやった。今度は父と聴きに行きたい。
  (圓窓註:辿り着くまで苦労したんだね。このレポートもなかなかテーマに到達
       しなかったね(笑))


           


何でも「生」が一番
                         安田真理子(文芸学科1年)


 寄席に行くのは初めてでしたので、噺家さん達がどうだ、ではなく、細かい所では
ありますが、自分にとって目新しかったものを書きます。
 まず気になったのが客の年齢層。若い人が少ないのでしょうか、会場前の入口そば
では少し緊張しました。
 それから照明です。何度かコンサートに行った事があるのですが、大抵は客席を暗
くすることで開演の合図となったり、目や耳を舞台に向けさせます。寄席の客席が照
度を落とさないのは元々そうなのか分らなかったのですが、新鮮に感じました。
 演劇は別世界を見る感覚ですが、落語はまだ現実と結がりがあった。まるで世間話
を一対一で聞いて相槌を打っているような感覚にさせられました。
 実際に笑える所が多かったので、客席と舞台の隔たりがほとんど無かった感じがし
ました。
 何でも「生」を体験するのが一番ですね。
  (圓窓註:落語口演中の客席が明るいのは、演者がお客の顔色を見て反応を掴む
       ためなんですよ)


           


芸事は年季、を実感
                          鈴木結子(文芸学科1年)


 正直に告白すると、師匠が授業で一門会のチケットをお配りになるとき、私は落語
への純粋な興味より、せっかくの機会だし、タダ券だから見に行こう、というケチく
さい庶民根性で手を挙げた。
 つまり今回が寄席に行く生まれて初めての経験であり、落語に関しての予備知識を
ほとんど持たないズブの素人だったわけである。
 しかし、そんなズブの素人ながら、初めての寄席には色々な発見があった。
 まず1つは、演芸場の意外なほどの狭さである。だがその狭さのおかげか、授業の
ときよりも高座との距離が近くなったような気がした。
 2つ目は、これは今回の寄席に限ったことではないのだが、落語はたった一人で演
じているはずなのに、登場人物の数だけ人がいるように感じることである。腹話術師
のように声がまったく違うものになるわけでもない。声のトーン、目線の方向、細や
かな表情などそれらで、噺に登場するすべての人を演じ分けられていることに毎度な
がら驚嘆する。
 そして、今回の最大の発見は、芸には年季の差というものが確実に存在することで
ある。
 やはりトリがせまるにつれ、たとえ噺が長くても退屈に思うことがなくなっていく
のだ。これは授業ではまったくわからなかったのに、今回のように経験が違う落語家
の噺を一度に聞くとよくわかったことだった。
 演芸場で聞く落語のライブ感もさることながら、芸事は年季なのだ、ということを
実感した寄席初体験であった。
  (圓窓註:池袋演芸場の定員数は100人。他の寄席でも300人。異業種のホ
       ール感覚からすると、狭いでしょうね。それでもなかなか満員にはな
       らないんですよ。それがこの寄席業界の悩み)


           


客席は江戸の長屋の雰囲気
                         篠崎真由美(写真学科2年)


 落語を演芸場に聞きに行くのは今回が初めてでした。
 落語も大変すばらしかったのですが、それよりも興味をそそられ、素晴らしいと思
ったのが、落語を聞きに来ている方々です。
 最近、世間には小さい子供のように騒いだり、子供を怒らなくなった大人もいるし、
あつ塗りをして洋服の色を重ねればお洒落だと思うおば様達もいっぱいいる。大人が
子供に見えたりしていたんです。
 ところが、あの寄席の客席で出会った方々は、素晴らしい方々ばかりでした。赤の
他人を叱ってくれる人、自分の色を知っている人。粋に着物をはおるおばさん、若い
私の落語の聞き方を注意するおじさん、デートに来ているような初老の夫婦。とにか
く、そこには先生が話す江戸の長屋のような空気がありました。
 この空気は癖になりそうです。私は粋が息づいていた頃の江戸に生きたいと思って
いるので、多分またきっと、演芸場を訪れると思います。
  (圓窓註:良質のお客だけが集中することはなかなかない。出演者も良質だけが
       でるとは限らない(笑))


           


最高の贈り物でした
                           小倉望(文芸学科1年)


 落語を初めて知ったのは、日本テレビ一の長寿番組「笑点」を見た時だった。だが
幼すぎた私には、それを魅力的に感じる事は出来なかった。結局、私はすぐ画面から
目を逸らし、ブロック遊びに没頭し始めた。
 そんな出来事から15年。ついに私も落語を面白いと思える年になった。
 でも私は大きな誤りを犯していた。生の落語を聞いた事がなかったのだ。これで落
語ファンなんて言ったら、ワールドカップだけ見てファンだと騒いでいる、にわかサ
ッカーファンと同類だ。
 私はどうにかして生の落語を聴きたいと思ってたが、某携帯電話会社の宣伝の言う
通り「学生さんは金がない」のだ。”チケットぴあ”に行く事さえままならない程の
貧しさである。
 こんな状況の私に、圓窓先生は最高の贈り物をしてくれた。
 授業での落語も非常に面白かったが、演芸場で聴いたものは、また違う面白さがあ
った。
 まず、話し手と聞き手の距離が近く、噺の内容も把握し易かった。授業中のものは
人数が多すぎて、全員が一体化していない気がする。しかし演芸場での雰囲気は全員
が一体になっていた。最初、少し居たたまれない気分だった私も、すぐその場の雰囲
気に溶け込めた。
 内容もとても興味深かった。
 紙芝居という懐かしいものも出て来たし、落語の楽しさも十分満喫できた。先生の
落語だけでなく、お弟子さんたちのものも個性的で非常に面白く、無料で来てしまっ
たのが申し訳ないと思うほどだった。約2時間、笑いが途切れる事はなく、よい時間
を過ごさせてもらったなと思う。
 お世辞のように聞こえるだろうが、これは本当の事なので、ぜひ鼻高々になってい
ただきたい。
 1つ不満を言えば、立ち見だった事だろうか。まあ、時間ギリギリだったから仕方
ないのだが。
 でも、また聞きに行こうと思う。今度はしっかり料金を払って聞きに行きたい。
  (圓窓註:我々にしてみれば、立ち見がでることはありがたい。「あの寄席はい
       つ行っても座れる」と思われるのがつらい)


           


短気なあたしは[天災]が好き
                          高木育子(演劇学科1年)


 6月23日に圓窓先生にご招待いただきまして、一門会に出席させていただきまし
た。
 開演の時、出囃子がありましたが、あそこで流す音楽は別に決まりはないのでしょ
うか。何か楽しげな曲が流れていましたが、「エンソウだけに何でもいいのかなぁ・
・・」なんて。(失礼いたしました。)
  (圓窓註:失礼することないですよ。よく言われる洒落です。(笑) 出囃子の
       決まりは一人ひとりが違うってことかな。プロレスの登場の曲を連想
       してください)
 話を本題に戻します。
 授業で窓門皆さんの落語は聞いていましたが、皆さんがそろって落語をやられると、
それぞれの個性がすごくよくわかりました。上のお弟子さんになっていくにつれ、噺
し方がスムーズでキャラクターの演じわけが上手になっていくなと思いました。先生
の[一分茶番]を聞いていますと、それぞれのキャラクターの顔や場面がはっきり想
像できて、すごいなあの一言でした。
 私が特に好きな噺は窓里さんの[天災]です。私も時々短気になったり、反対に何
かに執着しすぎてしまうことがあります。この噺を聞いてからは”あきらめが大切”
と自分に言い聞かせ、少しずつですがゆとりのある人間になっていこうと努力してい
ます。窓里さんの話し方はあまり声の幅、感じを変えていないようにも思いますが、
冷めた感じの噺し方やそのリズム、笑わせ方とかが私はとても好きです。
[ぞろぞろ]の紙芝居もとてもわかり易く、子供がこういう話を沢山聞いて自分の貯
えにしてくれたらとてもいいと思いました。私も小学生の時、地域の中で子供落語を
やっていて、それがけっこうおもしろかった記憶があります。子供は柔軟で何でも受
け入れてくれ易いので、もっと沢山紙芝居ができればすてきだと思います。
 話は舞台美術にとびますが、私は今まで大きな舞台に背景が・・・というものしか
見たことはなかったのですが、お座敷・・・みたいなセットがくまれていて、びっく
りしました。立派でした。ただなんとなく、雑談を話し始めてしまうような感じでし
た。
 最後になりましたが、ご招待くださいましてありがとうございました。夏休みには
寄席にも足を運ぼうかなと思います。


           


あたしの舞台に生かしたい
                         西野百合恵(演劇学科2年)


 私は今まで寄席に行ったことがなく、先生の授業を受ける前は寄席の存在もあまり
知らなかった。今回、寄席を聴きに行ったのは自分にとって大変良い機会だったし、
寄席をとても楽しめた。良い機会だった、と思うのは、行って体験しなければわから
ないこと、を自分なりに体験出来たからだ。
 私が感じたのは寄席の空気だった。落語家さんとお客さんはすごく近い距離にいて、
落語家さんの姿の全てが見える気がした。
 そして、高座の上のチリがはっきりと見えそうなくらい照明が明るかった。”姿の
全て”というか、”全て”と言おう。舞台も高座もごまかしがきかない。
 落語を聴いていて、落語家さんはお客さんと交流している、と思った。お客さんは
皆、とても楽しそうに落語を聴いていて、正直、落語が好きな人はこんなに沢山いる
のか、と思い、お客さんの姿を見て私は幸せな気分になった。
 自分が舞台に立つ時に大切なことを実感した。それは、お客さんあってだなあ、と
いうことだ。お客さんに楽しんで頂くこと、お客さんへの思いやりのようなもの、私
はそれを忘れずにいようと思う。そして、舞台にいる時は、自分自身が大変正直に出
てしまうことや、そのほか色々と感じ、聞きに行って良かったと思った。
 落語もおもしろかった。落語は一生懸命聴かないと話についていけなくなるので集
中して聴いた。先生がよくおっしゃる「思い描く」ことをして聴くように日頃からし
ている。思い描こうとするとますますよく聴かないとできないので必死に聴く。する
と、落ちで気持ち良く笑える。笑いっていいと思う。
 圓窓先生の落語の時、先生と視線がずっと合うので、私を見ているのかな、と思っ
た。(思い違いかもしれない)
         (圓窓註:あたしも見られていたんだ。(笑) ポーッ(笑))
 紙芝居の男の子がすごくかわいかったし、おもしろかった。絵もとてもかわいかっ
た。
[ぞろぞろ]はおもしろいと思った。笑いがすごく気持ちよく、やさしいのだ。
 楽しい「寄席初体験」でした。ありがとうございました。
  (圓窓註:話芸の落語にとって、お客の「思い描く」という作業は重要です。そ
       の作業の出来ない人には落語は無理なんです)


           


圓窓先生の高座の迫力
                         清水久美子(演劇学科2年)


 寄席に行ったのは初めてでした。もちろん演芸場に行ったのも初めてで、場内にも
初めて入りました。思っていたより狭かったのが印象的でした。
 高座は至ってシンプルで、でもやっぱり伝統があるのだと思ったのが、座布団のあ
つかい方、落語家さん達の立ち居振舞でした。座布団を毎回裏がえしているのは初め
て知った事でした。
 落語はもちろんおもしろいのですが、私は枕での話をとても楽しみにしていました。
落語家さんの少しでも身近な話をしてくれるのが、私には今まで遠く感じていたので
すが、近く感じられて嬉しいのです。
 今日の会のテーマでもあった紙芝居ですが、落語というものを絵と文章にすると、
また雰囲気が変わるのもおもしろいと思いました。この紙芝居で、落語が身近になっ
て、小さい子にももっと知ってもらい、興味を持つようになるといいなと思いました。
 圓窓先生の実際の高座の姿も、授業の時の机の上の先生より迫力があって、見応え、
聞応えのある落語でした。
  (圓窓註:授業のときも「迫力がある」と言われたいね。もっとも、授業では全
       員が集中、というわけではないからね。居眠り、私語さまざまあるか
       ら(笑)。寄席もお客の居眠りは関知しないが、私語は外へ出てって
       もらいます。厳しいんだよ、寄席は)


           


圓窓先生の高座の迫力
                          倉沢七恵(演劇学科2年)


 私は今回初めて寄席に行ったのですが、学校で見る落語とは、全然違う感じでした。
何が違うと言うと聞き手が違いました。学校では、聞き手は生徒で、寄席では聞き手
がお客さんということがわかりました。寄席に来ているお客さんは、大笑いをしたり
して、何か話し手と一体感を持っているような気がしました。実際、私も学校で聞く
より楽しめたような気がします。
 また、お弟子さんも学校で演じた時より、緊張しているようにも思えました。でも
その雰囲気が、とても良くて行って良かったと思いました。
 落語は日本の伝統芸能であるから、日本人にとって結構、親しみやすいものだと思
いました。初めて寄席に行った私もすぐにその世界にとけ込めたような気がしました。
西洋の演劇などですぐにとけ込めない物が多々ある中、落語にとけ込めた私は、やは
り日本人なのだと思いました。
  (圓窓註:日本人を感じることはとてもいいことだ。感じない人が多いからね、
       この頃は。感じさせないような教育なんだろうね、日本は、きっと)


           


説話に似ているかも
                          谷川聡美(演劇学科1年)

 演芸場の中は古風で、お客さん達の目はそれることなく高座に向けられていました。
私が入った時はもう前座の人の落語が始まってました。私は舞台の真正面の壁に寄っ
かかりながら見てました。
 私が思ってた落語会は、ちょっと暗い感じで、噺家の人が一方的に話す、みたいな
事を想像してました。でも実際は、お客も一緒に落語を楽しむといった感じで、テレ
ビで見るより面白さは凄く伝わってくるし、先生の顔をジッと見てると口の動きがリ
ズムを打ってるみたいで心地も良いし、不思議な感じの空間でした。落語家さん一人
一人が喋り方や声質が違うので自分にとって聞きやすくて好きなリズムでしゃべる落
語家さん。内容も面白くて、こういう気持ちからファンになるんだなあと思いました。
 どの落語家さんも本題に入る前に少し、最近の流行や、テレビをにぎわしている内
容を話してから入ってました。その事から、一番最初に客との接点の話をして、先に
その場をなごましてる気がします。最初の数分でだいたいその落語家さんが分かる感
じがします。
 落語の内容は、オチが全然見えなくて、それもその事から、勉強することが多いで
す。これは今昔物語や宇治拾遺物語のような説話に似てると思います。何度も何度も
繰り返す言葉によって、より分かりやすく、より笑える気がしました。
 番組の中ほどで小学生の男の子が紙芝居[ぞろぞろ]を語っていたけど、高い声で
とても懐かしい気持ちでした。最後に先生がその子に発音の注文をしていたので、発
音1つでニュアンスが変わって、伝わり方も違うんだなあと思いました。
 落語家さんが左右を見渡す行為は、自分にも話しかけられているみたいで、凄く頭
の中に入りました。
 これで落語を見に行くのは4回目だけど、異空間のような、また行きたいです。
  (圓窓註:寄席、落語に暗いイメージを持つ人が多いですね。簡素化された芸だ
       から仕方はないかもしれない。でも、わかってもらえれば、そんなこ
       と障害にならないはずなんだが……。)


           


弟子入りをしようかな、と思ったが
                          中田大介(文芸学科2年)


 6月23日の三遊亭圓窓一門会、大変楽しく拝聴させていただきました。
 私は、小さい頃より落語が好きでした。でもまだ、私にとっての落語というと、全
日空寄席でした。飛行機に乗ると、各席のヘッドホンで、音楽番組などを聞くことが
出来ます。日本の航空会社だと、その中に寄席の番組が必ずといっていいほどあり、
エンドレス流れています。私はそれが好きでずっと聴いていて、飛行機から降りるこ
ろには、だいたい空で言えるぐらいまで、覚えてしまう程でした。
  (圓窓註:洒落の意識があったのかしら。いい洒落です)
 しかし、本物の落語というのを目で見たのは、圓窓先生の授業が初めてでした。そ
して今回、初めて演芸場に行って生の落語を聴き、どっぷりと浸かって、ますます落
語が好きになりました。会が跳ねた後、楽屋に行って、弟子入りしようかと思ったぐ
らいです。
 私には別に、将来の強い希望があるので、弟子入りは断念しましたが、今後も寄席
に足を運び、隠居になろうと思います。
  (圓窓註:最高の選択であり、決断ですね、それは)


           


装置もなにもない空間がいい
                          井上林童(演劇学科1年)


 初めて寄席に行って、一番感動したのは演劇でいう舞台装置である。
 実際は、ふすまと座布団しかないのだから、装置でなく舞台美術と言った方が適当
かもしれない。しかし、装置もなにもない空間が非常にいい味をだしていて、やすら
ぎを与えてくれた。おまけに落語が始まると、江戸の下町の情景や長屋の一室の様に
見えてくるのだから不思議である。今まで教室で聞いていたときよりも、数倍深く落
語の世界にひきこまれてしまった。
 1つ残念だったのは、話の展開をつぶやきながら見ているお客さんがいたことだ。
 自分のマメ知識をひけらかしたいのか、ひどい時はオチまで言っていた。(実際は
ハズれたが)
 このお客さんの前では、推理小説を読みたくないと思った。推理小説の犯人を教え
たがる人なんてトイレを流さない人と同じくらいタチが悪い人だから。
        (圓窓註:「ケツ末」という洒落だったら、たいしたもんだ(笑))

2002・11・12 UP








第9回 圓 窓 一 門 会

 客 席 か ら 観 賞 記

2002・06・23(日)
夜 6時開演
池袋演芸場
聴いたぞ 聞いたぞ  1
聞き手 モカ
 開場時間前に入ったのに、すでに人・人・人。
 しかも、よくその顔を見てみると、若い・若い・若い。
 私の近くに座っていた、麗しきジャニーズ系少年が、立派なカメラで演者たちの写
真を撮っている。
「今日はカメラマン見習いかぁ」と見ていたら、どうやら日大の学生のよう。
 きっと、来られなかった学生たちに、見せてあげるのでしょう。
 演者ばかりじゃなくて、客層の目安として客席も撮るとよかったのでは、と‥。学
生たちには未知の客席に違いない。
        (圓窓註:芸術学部写真科の生徒で、圓窓の講座の聴講生でもある。
             やはり、カメラはいつも手放さないそうです)


 今回、紙芝居の[ぞろぞろ]が途中で入り、佐々木君という10歳の男の子が初披
露。
 何より一生懸命さが素晴らしい。サッカー熱を一瞬奪われました。
 発音(「ぞろぞろ」「圓窓」の言い方)に少々難ありで、師匠から手ほどきを受け
てOK。
 めったにないチャンスで、よかったのですよね。
 師匠も、そのあたり、プロのこだわりでしょう。舞台だということを一時忘れて(
ませんでした?)しっかりと指導してました。


 さて、今回、私が、驚いた事もうひとつ。
 窓輝さんが「師匠と話し方が似てきた」ということ。
 私が聴くのは、実に2年ぶりくらい。
「上手くなった」とは皆一致意見で、その通り納得しましたけど、なにより、間の取
り方とか、身振り手振りとか……、圓窓師匠に似てる!と。この先楽しみです。
 我が家のミーハー代表の母・叔母曰く「窓輝くんていうの? 男前で、かっわいい
わねぇー。落語はイマイチだったけど俳優になれるじゃない」


 萬窓師の[紙入れ]。お子様誕生でさらに優しげにイキイキ。だけど話は不倫もの。
 窓里師の[天災]。解釈の極端さを淡々と話す姿に笑いも増長。
 吉窓師の[きゃいのう]。客席の笑いに本人も釣られ気味。それをみて、さらに客
席笑い。
 圓窓師匠の[一分茶番]で、「よっ。待ってました」との声(なかったか?(笑))。
末広亭の時のやられた喉から、見事復活されて何よりでしたが、最後に、踊りのサー
ビスでハラハラドキドキさせられた(なぜだ??)会でした。
 師匠の踊り、やっぱり一人のほうがいいかな?
 末広亭では親子共演があったと聞いています。なんとなく想像できるような。
 6月上席で窓輝さんの総踊りを見ているだけに‥‥。


 今回はMLの皆さんがいらっしゃらなくて、アナログな会でした。
 サッカーのせい…、かな?





聴いたぞ 聞いたぞ  2
聞き手 石崎 津義男
 第9回の一門会は大変な盛況で、おめでとうございました。
 この日、小生が一番感じたのは、吉窓、窓里、萬窓の真打お三方が、それぞれご自
分の個性を十分に発揮しておられたことでした。
 三人揃ってというのは、なかなか容易でないことです。
 これは師匠のご指導が見事なのだと感じました。恐れ入りました。
 師匠はすでにご経験ずみだと思いますが、芸はある地点に到達すると、そこで逡巡
することがあるものです。それをどう乗り切るかが問題ですが、乗り切れば、ぐっと
落ち着いて名人の域に近づいていけるのだと思います。
 お三方にも、いつかそのような時が来るでしょうが、それまでは、今のままぐんぐ
ん進まれたらよいと思います。
 窓輝くんも伸びています。
 窓門会は前途洋々たるものがあります。何よりおめでとうございますと申し上げま
しょう。





聴いたぞ 聞いたぞ  3
聞き手 宇田川 健一
 昨夜は有難うございました。
 10歳の坊やの紙芝居、よかったですね。熱意、やる気が感じられ、大変結構でし
た。
 小学生や老人達が落語に触れる機会が増えていいことですね。
 私らが小学生の頃はもっぱらラジオ(TVもありましたが)だったように思います
が、今はTVでも安直なお笑いの独壇場ですからね。聴いて想像力を膨らますかけら
も無い!


 一門の皆様結構でしたね。
 窓輝さんは、話しこんでいくほどに迫ってくるタイプですね。まだまだこれからか
わるでしょうが。
 萬窓さんは、野太い噺から昨夜のようなやわらかい噺まで幅広にこなせるタイプ。
どんどんネタを増やしていってほしい。
 窓里さんは、楽しい。「夏泥」以外でも得意な噺があるんだと変に感心?させられ
ました(本人にかなり失礼かな)。先代の文楽さんは高座に上がると「明烏」と声が
掛かったそうですが、窓里さんのそれが「夏泥」だと思っていたので感心?した次第
です。
 吉窓さんは、芝居噺が聴けて最高!想像していたよりいいですね(これまたかなり
失礼かな)。踊りが上手いので、所作もきれいで好きです。
 自分の好きな噺をどんどん掘り下げていってほしいと思っております。


 又、いい噺を聴かせてください。





聴いたぞ 聞いたぞ  4
 聞き手 大谷 愛子
窓門会員の大谷と申します。
 昨日は楽しい会に参加させていただき有り難うございました。
 落語紙芝居も初めて拝見し、絵も語りも楽しませていただきました。
 また師匠が投げた手ぬぐいを「ナイス キャッチ」でき、幸せです。
 昨夜の一番の収穫でした。
 大切にいたします。
 これからも楽しい企画をよろしくお願いいたします。





聴かぬぞ 聞かぬぞ  1
聞かぬ手 弥助
「130人の入りで、立ち見も、若い女の子でいっぱい」という肝心なときに行けな
くて、残念です。
 池袋は、浅草と違って美人局もあまりいないだろうから、若い女の子に声かけるチ
ャンスなのになぁー、、、、(笑)。
 あ、でも、私、無口につき、声かけられませんけど、、、、(笑)。

2002・8・5 UP








第8回 圓 窓 一 門 会

 客 席 か ら 観 賞 記

2001・06・25(月)
夜 6時・開演
池袋演芸場

―― 窓樹改め萬窓 真打昇進襲名の前倒し披露 ――

一、幇 間 腹    窓 輝
一、夏 泥     窓 里
一、大 安 売 り  吉 窓
一、窓門による楽屋座談
「萬窓には面と向かって言えないこと」
― 中 入 り ―
一、お 見 立 て  圓 窓
   踊り 深川
一、試 し 酒    萬 窓
[幇間腹]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/幇間腹
[幇間腹]の関連は、窓門の人々/窓の余所道/窓輝の筆/ただ今稽古中/幇間腹
[夏泥]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/夏泥
[大安売り]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/大安売り
[お見立て]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/お見立て
[試し酒]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/試し酒


聴いたぞ 聞いたぞ  1
文  無銭
 本日は〔三遊亭圓窓一門会〕。
 窓樹改め萬窓真打昇進襲名の前倒し披露。おめでとうございます。
 ということは、ここでは今日から「萬窓師匠」とお呼びすることになるのでしょう
か?
 今晩 眠れないかもしれない(笑)
 残念ながら出席できませんが、ご盛会をお祈り申し上げます。





聴いたぞ 聞いたぞ  2
文  あきら
 無銭さん同様、本日はお伺いできそうにありません。
 ご盛会をお祈り申し上げます。





聴いたぞ 聞いたぞ  3
文  仮名
 あたしもお二方同様です。(えっ? これって怠惰?)
 いえいえ、行きたいのはやまやまなんですが、なんせ、遠方なもんで。

 で、あの、私は真面目に質問させていただきたいのですが、どなたか、この初心者
に落語界の常識をお教えくださいませ。
Q(仮名)「真打昇進というのは、厳密に言えば、どの時点をさすのでしょうか?」
A(圓窓)「その前に、真打の出来るまでを簡単に言いましょう。
      落語協会の理事会で昇進者を選出して決めて、各師匠を通して昇進者に
     知らせます。その者は披露の準備を整えて、理事、寄席、マスコミに挨拶
     をして回る。協会主催の披露宴を開く。また後日、個人的に開く者もいる。
     そして、いよいよ寄席での披露興行が始まる。この間、一年から半年かか
     る」
Q「披露宴を、披露口演をしたら、その瞬間から?」
A「披露興行の楽屋入りした瞬間から、と答えたほうが劇的かな」
Q「寄席の定席での披露興行を始めた日? あるいは、終わった日?」
A「始めた日でしょうね。終わってからじゃ、テストを受けているようじゃないです
 か(笑)」
Q「窓樹さんは、いつから"萬窓師匠"になるのですか?????」
A「振り出しの寄席での披露興行の初日です。あたしも覚えがありますが、楽屋入り
 して、前座やお囃子から『師匠』と呼ばれた瞬間はこみ上げてくる喜びがあるもん
 です。こんなことでどうでしょうか?」





聴いたぞ 聞いたぞ  4
文  窓樹
 おかげさまで盛会となりました。ありがとうございます。
 あたしが師匠となれるのは、9月の寄席での披露興行からです。
 昨日は、前倒しの披露ですので、、、(笑)。





聴いたぞ 聞いたぞ  5
文  弥助
 私自身の体調はあまりよいとはいえなかったのですが、[試し酒]を聴いていて、
お酒を飲みたい気分になって、打ち上げへ。(笑)
 お花さんと桃香さんの間の席という、最高の場所でありました。(笑)
 二人とも過激な発言をしてました。(笑)
 あ、圓窓師匠と吉窓さんの話のほうがもっと過激だったんですけど。私はもっぱら
聞き役。
 というか、わたしとあきらさんは呆然としていました。(笑)
 圓窓師匠はじめ皆様方には、お世話になりました。
 ありがとうございました。





聴いたぞ 聞いたぞ  6
文  あきら
 行かないと言っていたのに、昨日、行ってきました。ご盛会でした。


 本当に行けなかった筈なんですけど、出向先の会社から「次の仕事がないので7月
13日までということで、お願いします」と言われまして、「我が社に戻って報告し
てきます」っつって、我が社のある渋谷に向かったのですが、報告を聞く筈の社長が
休んでいるという情報を得て、「こりゃ、天の恵みだ」と思って、渋谷から社に戻ら
ないで池袋演芸場に直行しました。
(神様、昨日は窓門会へ行けるための、大胆なご配慮ありがとうござました。ついで
に、仕事の方のご配慮もお願いします)


 MLからは、大蛇さん、軽部さん、無弦さん、桃香さん、さりあさん、弥助さん、
花さんがいました。(僕が認識してた分のみ)
 無弦さん、桃香さん、弥助さん、花さんと師匠と一門の方々、お囃子のお姉さん、
和田さんと、4代目セ・リーグ審判部長の田中さんとで、2次会もしました。
 ここで、弥助さんは、仮名さんと桃香さんの区別がついてなかったということが暴
露されました。きっと、どちらの方々にも目が眩んで良く見えないのでしょう。
 僕がさりあさんに目が眩んで、3回も「始めまして」と言ったのと同じだと思いま
す。
 セリーグ審判部長の田中さんと窓門会の事務局の和田さんは、別々に師匠と知り合
いになったのに、小学校の同級生だったとの事でした。こりゃーすごい確率です。
 2次会では呆然としてたっつーーか、実際は話が全然聞き取れてなかったんです。
 隣の桃香さんと話すときも、耳を寄せないと(ちょっと幸せ)聞き取れなかったぐ
らいなんで。花さんと吉窓師匠の話は全然聞こえてなかったんです。
 圓窓師匠の声は通るので、さすがに聞こえないって事はありませんでした。


 そう言えば、さっき書き忘れたんですけど、高座の座談会を聞いて思い出したんで
すが、「師匠の家のイチョウの木・剪定委員会」を発足させようと思っています。
 師匠が枝下ろしまでして、血だらけにならなくても済むように、剪定のお手伝いを
しようというのが表向きの理由で、その実は、マスコミにも隠された師匠のお宅をこ
っそり拝見しようという格調の低い集まりです。
 現在、メンバーは猫アレルギーの桃香さんと僕です。(頼りないですね、これじゃ
(笑))





聴いたぞ 聞いたぞ  7
文  無弦
 昨夜の公演は超満員の盛会。
 そして、ご成功お目出度うございます。

 この日の為にギターの稽古予定を繰り上げて一日OFFにしてたのに、ウッカリ開
演時間を間違え、おまけに急遽、車で出かける野暮用が重なり、前半のお三人の高座
は聞き逃しましたこと、お詫び申します。
 もっとも、会場に入ろうとしたら、浮世床同志のMomokaさん(ちょっとお痩せにな
った様子)
とばったり一緒のタイミング。なかなかに良い滑り出しになりました。

 師匠の踊りの初舞台、これまた、おめでとうございました。
 内心、緊張しておられるだろうと、最前列にいたせいもあり、こちらもドキドキし
て観ておりましたが、さすが隙の無い所作と思いました。
(不肖小生もダンスを少し習っていたので、あれを人前で見せるとなったら? と想
像したり・・・)
[お見立て]。久しぶりに廓話を堪能いたしました。


 萬窓師匠の[試し酒]。
 ご自身の顔、体の大柄な事を充分に意識された出し物ですね。
 それゆえに、より表情的で効果をあげ得る利点を生かし切り、見事な”酔い”への
移ろいの変化、豪放磊落な主人公の素顔が露になっていく様子などお見事でした。
 いずれ[笠碁]なども、ぜひ拝見したいですね。
 真打としてますますのご活躍お祈り致します。


 二次会ごちそうになり、恐縮です。

 本当に有難うございました。
[笠碁]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/笠碁
[笠碁]の関連は、評判の落語会/圓窓系定例落語会/圓窓五百噺を聞く会/客席か
らのレポート/第167回・圓窓五百噺を聴く会





聴いたぞ 聞いたぞ  8
文  あきら
 今回はバラエティ性はあまり無かったのですが、その分じっくり落語を聞けました。
 とっても幸せでした。


 前座さんのあと、窓輝くんの[幇間腹]。
 窓輝くんは、とても伸びたと思います。こないだの国立の時も、成長したなぁと思
ったんですけど、この日も上手でした。最近は聞いていてもハラハラしません。そり
ゃレベル的にはまだだと思うのですが、ベクトルの傾きがすごいです。二つ目の伸び
盛りの頃、ここで何をやったかで、その先、大きく違うと思います。がんばっていた
だきたいです。


 それから窓里師匠の[夏泥]。最近、漫談の方に行ってしまったのかと思っていた
のですが、昨日の[夏泥]は違いました。
 後で吉窓師匠が「ニンに合っている」と言ってましたが、本当にそう思います。ま
た、座った場所が場所で、泥棒のセリフになると、バシっと目が合うんですよ。確信
しました。この人、子供の頃、相当いじめっ子だったと思います。(私はいじめられ
っ子だったので、あの目は恐いです)
 せっかく上手なんだから、普段でも落語をもっと聞きたいです。よろしくお願いい
たします。(なんか、気持ちお痩せになった気がするのですが、体調は大丈夫なので
しょうか)


 それから吉窓師匠の[大安売り]。やっぱり年期が入っているだけに楽しく聴きま
した。情けない関取が本当に情けなかったら、聴けないと思うんですけど、加減が絶
妙だと思いました。雰囲気がホンワカしていて聴いていて幸せになる場でした。もっ
とその場に居たいと思うようなそんな空間でした。


 このあと、座談会が合ったのですが、それはおいといて。


 圓窓師匠は[お見立て]でした。師匠のこの噺を聴いたのは、たぶん初めてだと思
います。師匠の噺に関しては、つたない文章で何を書いても仕方がないので書きませ
んけど、師匠のスタンダードな古典は、久しぶりに聴いたような気がします。すっご
く面白かったです。


 そして,いよいよ、踊りですよ。師匠の「深川」。
 これを書くためにレポート書かされているようなもんですから。
僕は、噺家さんの踊りについて、以前にも書きましたが、何が面白いんだか、さっ
ぱりわかんなかったんです。
 踊りってのは普段見ませんけど、見るとしてもテレビや歌舞伎で見るくらいで、す
っごいのをいきなり見ているわけです。それで、噺家さんの踊りを見ても、なんだか
なぁって感じだったのですが、昨日、解りました。
 師匠が踊りを始めたのは、たしか3年ほど前だったと思います。その師匠の2コー
ラス目の後に踊った吉窓師匠。十数年の経歴という事でしたが、やっぱり上手いもの。
どこがどうとは言えないのですが、見ていて奇麗さの加減が違います。
 踊りやってて踊りが奇麗なんじゃなくて、噺家やってて踊りが奇麗なんですから、
やっぱりすごいんだなぁと思いました。
 師匠がまずくて見てられなかったって訳じゃないんです。見ていて恥ずかしくなか
ったですから。
 師匠のも「あーー踊ってるぅ」っくらいで見てたんですけど、その後の吉窓師匠を
見ると十数年ってどういう事なのかってのがわかって、逆に今度は、師匠の3年って
のが本当に3年かかって舞台で踊れるようになったんだなぁと感心しました。
(やっぱり、僕は誘われても絶対にやらないと、固い決心をなおさら固くしました)
 それと、やっぱり、噺家さんの踊りって見ていて楽しいのだと気がつきました。な
んか凄いものを見てるというのではなくって、距離が近く(物理的にではないですよ)
て楽しいものなんだと感じました。
 自分の踊りの後に吉窓師匠に躍らせた師匠のご英断に感謝します。
 これからも踊りを見せてください。
 師匠が躍りで真打になるの楽しみにしてます。(窓輝君とどっちが先かって話して
たんですけど)


 そんなわけで、長くなったんですけど、最後にちゃんと書かなければなりません。
萬窓師匠こと窓樹さんの[試し酒]です。
 トリらしい芸でした。
 とくに下男がだんだん酔っ払っていくところは、真に迫ってました。
 また、窓樹さんは色が白いもんだから、酒飲んで赤くなると、本当に酔っ払ってる
ように見えます。後で師匠に「窓樹さんは本当に赤くなってましたね」と言ったら「
あーゆー噺をすると、そうなったりすることがあるんですよ」っつってましたが、そ
ーーじゃないでしょ。
 目のすわり様も、完全な酔っ払いでした。あの目は打ち上げで酔ってた圓窓師匠の
目に勝ってます。(笑)ヘネシー一本空けるだけのことは有ります。
 あと、旦那さん達も人柄が伝わってきました。
 3人の登場人物が、きちっと性格付けられていると思いました。
 噺の中に入り込んで、あっと言う間に時間が経ちました。
 噺の空間がきちっと出来ていて、その中に引き摺り込まれて、我を忘れるってのは、
本当に落語を聞いていて幸せなときです。
 ありがとうございました。
 これからも、このベクトルのまま、どんどん先を見せてください。
 楽しみにしています。


 それにしても、窓門の皆さんは噺が上手です。
 やっぱり、噺を大事にしている圓窓師匠の影響なのでしょうか。
 これからも、もっと噺を聴かせてください。





聴いたぞ 聞いたぞ  10
文  さりあ
 今、原稿一本書き上げたところなので、とり急ぎ、ごあいさつだけでも、と。


 昨日は、慌てて帰っちゃいまして、みなさま、失礼いたしました。
 池袋に行くのも、なんだかんだ、遅れてしまったんで、窓輝さんの噺の途中だった
んですよ。いやぁ、でも、途中からでも楽しめました。最初から聴けなかったのが残
念です。
 昨日の一門会は、とっても内容が充実してたような気がします。(なんて言い方も
生意気ですが)
 あきらさんが的確に書いてらっしゃるので、ご報告は「その通りでござい」とお預
けすることにして、ちょっと別の話を。。。


 初お披露目された、という師匠の踊り、私の目には大変お上手に見えました。なに
より、芸に色気がある!
腰も据わってらっしゃる! 習われて間もない、とは思えません。
 でも、私のすぐ後ろで立ってらした方が「あちゃ〜」とか「あぁ、遅い!」とか言
うんですよ(笑)
言わなきゃ、間違ったなんてわかんないのに。


 この話は続きがあるんですが、詳しくは7/13の飲み会の席でお話しましょう。
(ある意味、それが出席者の特典?)


 あたしの席の近くには、なぜかほかにも、結構大きな声で、感想をもらす人がいた
んですが、どうなんでしょ?
 例えば、窓里さんの枕の最中、「友達の泥棒が」ってあたりで「悪い友達がいるな
ぁ」と何度もうめいていたおじいさまがいらっしゃいました。(笑)
 うぅ〜〜〜ん。。。
 こういうことがあると、思い出す一件があります。
 学生時代に借金して、ニューヨークへ行き、念願のブロードウェーミュージカルを
観たんですが、ここで、同行した友人に、上演中、話の中味を解説してあげたんです
よ。
 付いてきてもらって楽しめないのもなんだ、と親切心で。
 かなり小声だったんですけど、それでも周りには気になるらしくてガイジンさん
(って、あたくしたちの方がガイジンですが)に注意されて、怒られました。
 マナーに反することをして、申し訳ない、と反省しまして、その後は、一切しゃべ
りませんでした。
 やっぱり、舞台にのめり込んで楽しもうとする、ほかのお客さんの邪魔はしちゃい
けないですよね。。。
 と、思うんだけど、寄席ではどうなんでしょ?
 笑い声とか、感嘆の声は、あってしかるべきものだと思うけど、しゃべる、っての
は・・・???


 なんせ、まだまだ寄席初心者なので、みなさんのご意見お聞かせください。
 あぁ、あいさつだけのつもりだったのに、長くなってしまった。。。
 また、お仕事に戻ります〜!





聴いたぞ 聞いたぞ  11
文  圓窓
 さりあさん。後ろでなんか言ってたのは、同じ踊りの弟子で、窓門会事務局の和田
カルさんでしょう。
 なにしろ、あたしは覚えが悪いので、和田カルさんから、随分教わりましたから。
(笑)
 師範代みたいなもんで、心配の固まりだったんですよ、きっと。
 それと、落語を聴いていて、いちいち声にしてつぶやいたり、相槌を打つ人、よく
いますが、やはり迷惑は掛けてますね。演者も演りにくいですし、、、、。





聴いたぞ 聞いたぞ  12
文  モカ
 途中からの聴きましたが、満喫いたしました。
 師匠の踊りは、今後、続くのでしょうか・・・。不安?!ながらも楽しみです。
 萬窓さんの落語は聴いていてどんどんひきこまれます。
 五升を飲んでいくところでは、私も二日酔いの時の気分を思い出しました。あの時
点では飲んでないのに・・。
 襲名本番、楽しみにしています。


 ナマはな(亀田)さんを見られて感激でした。最初はメールでのイメージと違った
のですが、なんの、飲み出したらメールのはなさん。こちらも満喫いたしました。
 無弦さん、二日酔いのはずがいいピッチでした。私同様、飲みで寄席の遅れを取り
戻しました。
 弥助さん、相変わらずほとんどお話せず・・・メールに載せる文言を考えていたの
でしょうか。
 あきらさん、月曜日から金曜日気分で飲みましたよね。そして、次回はほんとに金
 そして、圓窓師匠どの。白ワインあおっていたように思うのですが、今日は無事で
しょうか。
 周りが自他ともに認める呑み助たちでしたので、あおられてましたようで。
 ともかく今日はよいお目覚めでありますように・・・。





聴いたぞ 聞いたぞ  13
文  仮名
 あきらさん。レポート、ありがとうございました。
 吉窓師匠の”ホンワカさ”とか、圓窓師匠の踊りとか萬窓師匠さんの赤くなるとこ
ろとか、目に見えるようで、自分も会場にいて雰囲気を満喫しているような幸せな気
持ちになりました。
 他の方のご感想も、楽しみですネ。





聴いたぞ 聞いたぞ  14
文  あきら
 かなさんに誉められるってのはお世辞でも嬉しいです。
 鴨居から池袋まで遠いなぁとか思いながら行ったのですが、遠くから何度も落語を
聴きに出てこられたかなさんはすごいなぁ、と考えながら電車に乗ってました。
 僕がもしずーーっと札幌に居たとしたら、無銭さんや棒茄子さん達ともお会いせず
に、落語も聞かないでぼーーーっとしてたと思う。
 かなさんだけでなくっても、遠くに住んでいる人はみんなすごい、と思う今日この
頃なのでした。





聴いたぞ 聞いたぞ  15
文  仮名
 でも、すごいのは、遠くの人を引き寄せてしまった圓窓師匠でしょう。
 私のことに限って言えば、浮世床でのやりとりや、モテさんや 大御所両先生の定
期レポなどなどが、よってたかって私を師匠の落語会まで引っ張っていってくださっ
たようなものです。
「もし、僕がずーーっと札幌に居たとしたら、ぼーーーっとしてたと思う」とおっし
ゃいますが、なんのなんの、それはないと思います。(笑)





聴いたぞ 聞いたぞ  16
文  野火助
 真打ちの窓樹さんは、活力がみなぎっていていいですね。[試し酒]の所作もお見
事でした。お酒が美味しそうに見えました。これからも明るい芸で楽しませて頂きた
いです。
 圓窓師匠の[お見立て]も聞き応えありました。私はこの噺に関しては、有名な川
島雄三監督の〔幕末太陽伝〕をすぐに思い出してしまうのです。この田舎の杢兵衛、
映画では確か木更津のお大尽だったような気がしますが、今回は春日部でしたね。柳
 橋師匠の録音を聞いたときは、単に「山の中から出て来た・・・」という様な表現
だったと思いました。
 演者によって自由に設定できるものなんですね。映画の方は舞台が品川遊郭だった
ので木更津の方が自然だったのかもしれません。
 しかし、どこの出身であれ、杢兵衛さんの訛りはどの噺も大体同じ様に聞こえるん
ですが、もともとあの訛りはどのあたりを想定しているのかご存知でしょうか? つ
まらない質問で恐縮ですが、ご存知でしたらお教え下さい。上記のような理由で私は
ずっと千葉の訛りだと思っていました・・・(^^;)
 (圓窓「演者はそれほど気にしておりませんが、江戸周辺でしょうね」)
 師匠の”深川”よかったですよ。吉窓さんの踊りと合わせて客席がとても和んだ気
が致します。





聴いたぞ 聞いたぞ  17
文  千馬千恵
 楽しく聴かせていただきました。
 窓輝さんの[幇間腹]。このしばらくの間に主人公の一八さんがさらに愛すべき人
物になりました。窓輝さんも高座でのびのびしていて気持ちの良い噺になってます。
[夏泥]の窓里さん。「みんさんだって、一度はやったことあるでしょう、 万引き
?」との問い。これはすごいインパクトです。笑った、笑った、笑いすぎ。
 吉窓さん[大安売り]。この噺のお相撲さんは弱いけど、吉窓さんは惣領弟子の貫
禄充分です。座談会では萬窓の名におけるマージャンとの関係をさりげなく解明して
しまうところはさすが、惣領!!
 圓窓師匠[お見立て]。「春日部のお大尽がハサミを振り回した」のクスグリに、
「このあとの高座に正楽さんか一楽さんかの紙切りがあったら面白いのに」なんて思
ったりして……。
 待ちに待った師匠の踊りは、師匠と吉窓さんの〔深川〕。見ててほのぼのしました。
師弟っていいもんですね。これが見られたんですから「紙切りが見たい」だなんて贅
沢はいけませんね。(笑)
 さて、トリは今秋から萬窓になる窓樹さん。[試し酒]。この噺の主人公はほんと
にお酒が好きでかなりの自信家? アルコールに強くて賭けには絶対に負けないぞと
いう風貌……、 あれ…? これって、座談会で窓門の方々から伺った、窓樹さんの
横顔かな。(笑)
 窓門会事務局の浴衣姿も艶やかな和田カルさん。いろいろとお心遣いをありがとう
ございました。オレンジの団扇も師匠のサイン入りで、ダンゼン素敵。私も浴衣が着
たくなりました。また、窓門の楽しい企画を心待ちにしております。





聴いたぞ 聞いたぞ  18
文  稲富文子
 先日は心待ちにしていた円窓一門会、急に主人が体調を悪くして私一人が、聞かせ
て戴きました。
 幸い同席に菊地さん夫妻や純代さんのご家族とご一緒出来ましたので楽しかったで
す。
 子供の時以来あったことのない息子(窓輝)さんは、何とまあ立派に成長され、嬉
しく懐かしかったです。
 初演の円窓師匠の「深川」の踊りも見せて戴き、良かったです。
 お隣の妹さんは、その間中ハラハラしていらっしゃったのも面白かったです。
 九月上旬に窓輝君が「としま寄席」に出演されるのを広報で見ました。早速、白鳩
会の人達と大挙?して伺う所存です。
 これからの窓輝君のご活躍を心から祈っております。

 メールは主人に出して貰いました。私は機械音痴アナログですので。





聴いたぞ 聞いたぞ  19
文  上口ひろみ
 圓窓師匠から「先日の一門会へ、ようこそ」とEメールをいただけるとは夢にも思
いませんでした。
 そのようなお言葉をかけていただきまして感激です。
 こちらこそ、とても楽しいひと時を過ごすことができましたので感謝申し上げます。
 友人を数人、本当は誘ってあったのですが、開演時刻に間に合わぬ仕事をしている
者ばかりでどうにもならず、ひとりで出かけてしまいましたが、本当にもったいなか
 私も、是非また窓輝さんの高座を拝見したく存じております。
 が、残念ながら、分かる限りで調べましても、窓輝さんのお名前を探し出すのがや
はり難しく、もどかしい次第であります。
 圓窓師匠がお出になる会には必ず窓輝さんがいらっしゃるのでしょうか?

 窓輝さんには先日、ひょんなことからうちわを頂きました。
「必ず値打ちが出るから」とおっしゃって、サインをしてくださいました。
 本当に嬉しかったです。
 まだお若いですが、きっと大物になるのだろうと思いまして、その過程を見ていら
れたら最高だなと感じ、これからもちょくちょく高座に足を運びたいと考えています。

 ウェブサイトも、頻繁に拝見してます。
 圓窓師匠がちょっとしたお話をサイトに載せているのを見るのも、とても楽しみに
しております。
 しみじみと「いいなぁ」「そうだよなぁ」と感じることもありますし、クスクス笑
っていることもあります。
 いろいろと盛りだくさんで面白いページで、私はファンとして楽しませて頂いてお
ります。
 陰ながら応援しておりますので、どうぞ皆様ご活躍くださいませ。
(文字通り、私は舞台の裏方で仕事をしております)





聴いたぞ 聞いたぞ  20
文  宇田川
 一門会、堪能させていただきまして、ありがとうございました。
 去年はリレー落語、今年は皆さんの得意な演目(かな?)と毎年楽しめて結構です。
 今日二つ目勉強会行ったら、吉窓さんが来ていました。後輩思い、勉強熱心でいい
ですね。
 7月の紀伊国屋も楽しみにしております。
2001・9・23 UP







 第7回 圓 窓 一 門 会

客 席 か ら 観 賞 記

2000・06・22(木)
夜 6時30分 開演
池袋演芸場
「リレー落語」特集
   花色木綿(上)    窓樹
   〃 (下)    窓輝
  お花半七(上)随談  円窓
窓樹
 〃 (下)    円窓
  不動坊 (上)    吉窓
 〃 (下)    窓里
花色木綿(上)・窓樹 / 同(下)・窓輝
 窓樹が(上)で思いっきり明るい高座に盛り上げ、「下駄、忘れちゃった」でバト
ンタッチ。(下)の窓輝、「ふんどし泥棒」から受けて、少々トーンダウンしたが、
「裏はハナイロモメン」のオームで、なんとか笑いは取る。


お花半七(上)随談・円窓 窓樹 / 同(下)・円窓

 円窓の[お花半七]の(上)が他ではみられないアイディア。まず、噺のあら筋を
手短に説明したあと、俳句「木曽殿と、、、、」の謎や漱石の〔三四郎〕との関連に
ついての学習を始める。窓樹も朗読のお手伝いで助演。重くなりそうな内容だが、客
席の反応はかなり良いようだった。
 さて、めったに聞けない[お花半七]の(下)。サゲで円窓はこの噺に新たな生命
を吹き込んだ。
「夢は小僧の使い」(夢は五臓の疲れ)というカビの生えた従来の地口落ちは使わな
い。女房の身を案じて雨中をつっぱしる半七の情熱のほとばしりを見せ、息をのむ感
動的なエンディングで鮮やかにしめくくる。


不動坊(上)・吉窓 / 同(下)・窓里

[不動坊]は湯舟につかりながらの一人ごとが中継点。ほんわかソフトの吉窓と骨ぶ
とダイナミックな窓里の組み合わせが対照的で楽しい。

[お花半七・上]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/お花半七・上
[お花半七・下]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/お花半七・下
[お花半七・上]の関連は、圓窓五百噺付録袋/落語の中の古文楽習/古文楽習 教本と問答 その5
2000・7・2 UP