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圓窓系定例落語会

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恒例 圓窓商人噺を聴く会

 圓窓五百噺ゴールイン と 日本料理を楽しむ

(翌日 名古屋ドームで野球観戦)


主催 名古屋経営研究会・那古野塾
 2001・08・30(木)
夕 6:30
会場 料亭 蔦茂
出し物 [半分垢][戯れ地蔵]
聞いたぞ 見たぞ
文責 モテ

鯉の池にも雨が降る・・・師匠の落語会は料亭で

 空はすでに暗くなっていて、少し雨もぱらついて風も出てきた。
 名古屋は住吉町の繁華街。飲み屋やサロンの建ち並ぶ中ほどに昔ながらの構えの料
亭〔蔦茂〕がある。
 圓窓師匠の五百噺が終了して、すでに6ヶ月になろうとしている。師匠の落語を何
十年と聴きつづけてきた含笑寺の面々はどうしているだろうか。
「師匠、今度はいつ名古屋へおこしになりますか?」って尋ねて教えていただいたの
が、今回の〔圓窓 商人噺を聴く会〕であった。
 この会は、広く一般に開かれた会ではない。
 名古屋経営研究会と那古野塾の共催で、簡単にいえば経営者達の勉強会兼交流会と
いってよいだろうか。厳しい競争原理の世の中であるが、異業種の経営者達が集まっ
て勉強して研鑚を深める真面目な会である。
 この〔圓窓 商人噺を聴く会〕もすでに8回目になるそうで、私はこれが2回目の
参加。落語を聴いて美味しい食事を楽しもうという企画なのである。
 会場は、昨年と同じ大広間であるが、高座の向きは正反対にしつらえてある。昨年
は出入り口と高座が近くて、師匠もお客も落ち着かなかったからという。
 その高座は和室の感覚から見ると高いどころか、メチャクチャ上のほうにある。昨
年は鴨居に師匠の顔がかかって、まるで首を吊っているように見えたとか。今年は鴨
居はないけど、高座を上がるとき、頭が電球の傘にあたりそうになるほどだった。
 高座は赤い毛氈に覆われているが、いろんな箱を集めて作ったのが見えて、大変な
作業だったことがわかる。高座へ上がる段々は、ビールの空きケースであった。斜め
前に座った私には、師匠が所作をするたびに、ゆれているのが気になり、もし、高座
がガラガラッと崩壊したら、着地は上手く出来るか?などど妄想することしばしばで
あった。
 マクラで、声についてのエピソードをいくつか紹介する。今の子どもは大きな声を
出す必要がないし、そんな生活習慣がない。だから、若い落語家は声が小さい。
 大の付くものに大相撲や、大歌舞伎、大落語と並べ挙げて、本日第1席目の落語の
解説。
 名古屋の〔圓窓五百噺を聴く会〕の第1席は1の付く落語をしようと思ったが、1
より小さいものに0.5がある。[もう半分]とか[半分垢]である。今日は[半分
垢]で、「1年を10日で暮らすいい男」の相撲取りのお話。江戸時代の小噺を1席
にまとめたものという。このおかみさんは、狂言にもよく出てくるようなキャラクタ
ーで、その物言いが極端から極端に走って、大真面目なのがおかしい。
 2席目のマクラで、五百噺最終回は[五百羅漢]だったという話をされる師匠。は
はーん、今日は五百噺の最初と最後の出し物という趣向かなと思いきや、宮城の民話
「お地蔵様が閉じ込められた話」であった。
 お地蔵様を転がして遊ぶ村の子どもは元気いっぱい。「暮れ六つの鐘が、面倒臭そ
うにゴーンゴーンと鳴る」ときの手つき、「お天道様が重ったぁーるく沈み、カラス
が疲れ切ったようにカアー、カアーと鳴く」という声。昔話の挿絵の情景が音と色彩
つきで、目の前に浮かび上がります。
 時折、激しい雨音がするが、ここはまるで別世界。中部日本の経済を支える中小、
大の企業家たちも屈託なさそうに笑っている。サラリーマンより気苦労が絶えない社
長さんたち。しばし、経営のことは忘れられただろうか。
 会食の席では、自己紹介で名刺が行き交う。名刺の100枚は用意しておかなくて
はならない。
 名古屋経営研究会の会長は、この料亭〔蔦茂〕の若旦那で紳士服の経営もなさって
いる深田社長。人をそらさぬ明るい声で会を盛り上げる。
 師匠が長年コーヒーの小噺(ラジオCM)をしておられる富士コーヒーの塩澤社長
も研究会のメンバー。師匠の定宿は社長所有のマンション。
 そして、この会の相談役の小島社長。新内の語りをやっても司会をやっても渋くて
素敵なお方。
 このお三人と師匠とは、まるで太極の輪のようなお付き合いで、富士コーヒーは先
代社長時代から師匠の後援をし、深田社長と小島社長は、父上同士が友人で、まるで
兄弟のような仲なのである。含笑寺で、いつもお見かけしていた紳士の面々は気取ら
ず、さりげなくて優しい。
〔蔦茂〕の迷路のように入り組んだ建物で迷子になった。鯉が回遊する池にも、雨が
降りこんでいた。
 師匠や世話役さんのおかげで、私も異業種の方々とつかの間、交流出来た。収穫は
山ほどもあった会なのである。


師匠の名古屋の休日 ナゴヤドームで野球観戦


 翌日、夏休み最後の8月31日。プロ野球の生を見るのは初めて。
 師匠が「富士コーヒーの社長さんからいただいたボックスシート券があるけど、ど
う?」と、お誘いを受けたとき「野球、わかりませんので」と即座に断って師匠に説
教を受けた。「何事もトライすることが大事」というようなことを言われたような気
がする。
 仕事を終えて、ドームめがけてまっしぐらに駆けつけたが30分の遅刻。
 師匠はすでに着席されていて、その横にはKさんの姿がある。このKさんは、含笑
寺の五百噺の会を第2回から聴いているという女性である。女性の年は女の私にも計
れないが、賢そうで意思の強そうなまなざしをした姿は、大分前から承知していたし、
圓窓五百噺の打ち上げでもお会いしている。初対面ではないが、師匠は律儀に紹介を
してくださる。通路側から、モテ、Kさん、師匠と並んで座った。
 ドームは、飲物持ち込み禁止で、ゲートで荷物のチェックをする。席に座ってまず、
気づくのが、ユニホームを着た売り子達。弁当に、お菓子にビールにポップコーン。
師匠「飯、食うかい?」と弁当を買ってくださる。
 今日の試合は中日対横浜ベイスターズで、2回表で中日は2点入れられている。
 Kさんは、野球は好きだけど中日だけがキライという。中日が負けるなら、どこの
チームでも応援するといい、大層ご機嫌がよい。
「あなたはどこのファン?」と聞かれてもほんとに困る。しいて言えば「地元の中日
かなあ」と、にわかファンになりすます。
 ドームの構造は客席が上から下へ見下ろす格好で、バッターボックスに立つ選手が、
どれも意外に小さく、足が短く見えてしまう。「このネット裏のよい席でもそうなの
だから」とKさんに云うと、「横浜の選手は足が長いし、スマートだ」と逆襲された。
 横浜の石井が出ると「ブタロー、打てー」と声援。横浜、中日に限らず、実にシビ
アで辛らつなヤジを飛ばす。「あんな球、私でも取れるにィ」「球、体にあてたりゃ
あ」「ドンくさあ」「髭を剃れえー」などなど、ヤジといっても怒鳴るほどではなく
て、席でしゃべる程度の愛嬌のあるものであるが、初めて聞くヤジにちょっとしたカ
ルチャーショックがあった。
 どうしてそんなに口が回るのかと思えば、お二人は野球観戦の前に腹ごしらえをし
て、その際、Kさんは2合のお酒を2本あけたという。持ち込み禁止の目をかいくぐ
って、パック入りのお酒も持参していた。私にもお茶をくれて、「今日は師匠と二人
だけと思っていた」という。「スミマセンネ、お邪魔虫で」と精一杯の応酬。
 にぎやかで楽しいKさんの横の師匠は、まるで静かだと思っていたら、大あくびを
した。師匠はたった1杯のビールで赤い顔。時々「うん」、「ふん」といった反応を
示めす程度である。
 家族連れやカップル、こども同士でいっぱいの野球観戦は、ドームが広くて明るく
て開放感があるせいか、打っても、打たれてもワアーッと騒いでいたら、不思議にハ
イ(ビールは飲んでない)になって気分が発散されたようになった。野球の観戦はこ
れでいいのだ。
 師匠は、敗者濃厚の中日であったが、最後まで帰ろうとおっしゃられなかった。結
局ゲームセットまでドームにいて、立ち上がった。もしかしたら、Kさんと私を楽し
ませるために付き合ってくださったのが師匠のような気がする。初めての野球観戦で、
Kさんのレクチャー宜しきを得て、面白さに開眼してしまったのである。
2001・9・23 UP








 落語家<三遊亭 圓窓>師匠に訊きました

QandA

「 創造力をからませて
蘇生させるのが 好きなんです 」


日 時/平成12年7月15日
ききて/藤間敏雄中山智雄
神谷良夫
場 所/        蔦茂
中法人会だより/2000 秋号(VOL.109)「この人」より転載


"27年間 名古屋で勉強会"


―― 名古屋へはよくお出でになるのですか。
圓窓 昭和48年から隔月に落語の勉強会を27年間続けさせていただいております。
  含笑寺での〔圓窓五百噺を聴く会〕です。その間にも行ったり来たりしますので
  月に1〜2度くらいは名古屋へまいります。
―― その〔圓窓五百噺を聴く会〕では今年の9月で491席の噺を数えるとお聞き
  しました。大変な数ですが、その都度、内容が違うのですか?
圓窓 同じだったら、苦労しません。(笑)
   時間も、15分のものもあれば、1時間のものもあります。
   私は名古屋のいい人に恵まれまして、ずっと会の世話人もやっていただきまし
  た。ありがたいですね。勉強会ですから、お金がからまないからいいんでしょう
  ね。(笑)
―― その会にいらっしゃるメンバーは何人ですか。
圓窓 百人程です。


"自分で描く力"


―― 落語界の現状はいかがですか。
圓窓 う〜ん。心細いですねぇ。我々芸人のほうの責任もあると思いますけど、落語
  業界が落語人口をどんどん失っていますんでね。
   私が噺家になった頃は、お笑い番組ってぇと落語を中心にした番組だったんで
  すが、今はお笑いタレントがやっていまして、落語は関係ないんですよ。若い人
  で落語を聞こうっていう人は少ないですよ。
―― 落語は見ていても楽しいと思いますけどねぇ。テレビで落語をやっているとき
  は必ず聴きますよ。
圓窓 でもね、今は日本全体が画像・映像の時代ですから、落語を聴いて自分でその
  場面、状況を描くっていうのは大変な能力が必要なんです。年配の方は過去にラ
  ジオで楽しんでいらっしゃるんで、落語を聴いて描くってことが普通に出来るか
  も知れませんが、映像の中で生まれ育った若いもんは、話だけでは描くことがで
  きないんですよ。だから落語人口が減るのは当然かも知れませんね。
―― 想像力みたいな描く力がないとダメでしょうね。
圓窓 そうなんです。それは落語だけでなく全部に通じることだと思いますね。
   こんな話をしていいかどうか、わかりませんが、不況がダラダラ続いてましょ?  結局は将来を描く日本のトップがいないからですよ。アタシ、そう思っています。
  今までになかったような不況でしょ。そうしたら、まるまる未来を描く能力がな
  いとダメなんですよ。トップに、それを描ける能力がほしいですね。


"六代目圓生師匠に入門"


―― 師匠が噺家になろうとしたきっかけは?
圓窓 勉強が嫌いだったからです。それだけです。どこに逃げるか? 好きな道に入
  ったということです。
   私は噺家になってスターになりたいとか、金を稼ぎたいとか、売れっ子になり
  たいとかは思わなかったんです。
―― お子様のときから、皆を笑わせていたとか……。
圓窓 そんなことはなかったですね。私は噺家になるまで落語をやったことがなかっ
  たですが、聴くのは好きでしたから、人一倍、聴いていました。私は芸人向きの
  性格ではないんだけれども、人一倍、聴いていたのが、噺家になってから随分と
  役に立ちました。未だに自分で落語をやるよりも他の噺家の高座を聴いているほ
  うが好きですよ。
―― 最初は昭和34年に春風亭柳枝師匠に入門されていますね。
圓窓 子供どもの頃から寄席へ通っていて、分かりやすい、面白い、そして、踊りを
  踊ったりして、私にとって好感度が良かったんですね。しかし、柳枝とは半年で
  死別しました。 
―― それから、六代目三遊亭圓生門下に入門されましたね。
圓窓 噺家になってみると、芸の見方も変わってきましてね。次の師匠には敢えて一
  番厳しい昭和の名人と言われていました圓生を選んだんです。
―― 圓生師匠は稽古が厳しかったそうですね。
圓窓 厳しかったですね。我々には台本というものがありませんですから、師匠が目
  の前でやってくださるのを聴いて見て、覚えるのが稽古の基本です。口伝です。
  三遍稽古といいまして、3回やってくれるんですよ。それで覚えなさいと。
―― 1対1で教えていただくのですか。
圓窓 基本的にはね。ときには「ついでに、お前も覚えなさい」と2〜3人になるこ
  ともありましたが。大勢で覚えようとなると、気が散ってしまっていけません。
   それに、ぼんやりしてしまっても、後で仲間に聞けばいいでしょ。それが癖に
  なっちゃうと真剣さ、集中力がなくなってくるんです。
―― 真打ちになられるまでには、いろいろとエピソードもおありだと思いますが。
圓窓 毎日がエピソードでしたが、どの業界に入っても同じだと思います。私は高校
  を卒業して、すぐに噺家になったので、他の社会を全然知りませんし。これしか
  ないと思っていましたから、辛いとか他のことは何も考えなかったですね。
―― 昭和34年に真打ちになられましたが、「前座」「二つ目」というものは? 
圓窓 前座というのは修行を兼ねていますから、師匠や先輩の世話をしなければなり
  ません。付き人みたいなものです。3年ほどすると二つ目になるのですが、これ
  で一人前だよということで、相撲でいうなら、二つ目は十両、真打ちが幕内です
  ね。
―― 今、真打ちといわれる人は?
圓窓 三百人〜四百人いますよ。
―― 圓窓というお名前の由来は?
圓窓 私は六代目ですが、圓という字のルーツは圓生の流れです。三遊亭圓朝という
  中興の祖が三遊亭の中では最高の噺家ですね。
―― 非常に多くの演題をお持ちですが、記憶する方法みたいなものがあるのですか。
圓窓 我々は丸暗記しているわけではないんですよ。落語は江戸時代は「噺」と言っ
  たくらいですから、原点は「話」なんです。ストーリーを頭の中に入れ、骨組み
  を入れて仕上がると、聞き手の反応を見ながら臨機応変に演じてきたのです。だ
  から同じタイトルでも、人によって違うんです。


"創るってぇことは"


―― 「インターネット・ホームページ」で拝見しましたが、「古文落語」「西行伝
  説落語」「芝居落語」「演劇落語」など多種多様の分野に入り込んでご活躍です
  が、どのような気持ちがそうさせるのですか。
圓窓 古典落語は名作が多いだけに演じられる機会も多く、お客様も古典でなくちゃ
  と求めます。巧い人は自分の思想を入れるということがありますが、でも、再現
  するだけで終わってしまう可能性が非常に強いんですよ。
   私には名作を平成の今日にこしらえてもいいのではないかという発想がありま
  して、圓生もその一人でした。
   音楽だって、昔の名曲がいっぱいありますが、でも、現在、演奏されるクラシ
  ック音楽なんだから、現在、作曲する名人がいてもいいと思うのですよ。しかし、
  現代、新しいものを聴こうとする積極的な姿勢のお客様も少なくなりましたね。
   客が求めなければ、創作、作曲する名人も育たないでしょうね、たぶん。
   創造の喜びは人間として持っているはずなんですが、人は楽な方に身を寄せる
  ところがあります。それがイヤだったものですから、私は敢えて自分で創作しま
  す。
   創造には喜びばかりでなく、痛みや苦しみのほうが多いですね。"創る"に苦し
  みがあるのは当たり前で、絆創膏、満身創痍の創、キズという字なんです。
   ものを創るというのはキズをつけることなんです。家を建てるにも山の木を削
  ってキズ付けるのですから、木にとってみれば、いい迷惑ですよ。
   そうやってキズ付けて創られるときに自分自身もキズ付くかも知れません。そ
  のことを身に感じながら、創造することに感謝の念を持ったり喜びを表現するの
  であって、創造は喜び・悲しみ、共に合わせもつものです。
   これを忘れてしまうと、人間、バカになってしまうんじゃないですかねぇ。
   徳川は長いこと鎖国という制度をとっていましたから、明治になってから外国
  に負けちゃぁいられねぇってんで、外国のいいものの真似をして、応用するよう
  になったのはいいのですが、改めて新しいものをこしらえるというまでには日本
  人はいってないんです。
   それは日本人の体質がいけないんです。新しいことをやろうとすると止めに入
  る人がいっぱいいて。「失敗したらどうする!」「誰が責任をとるんだ!」と言う。
  お役人は「前例がありません」と言いますが、そんなことを言ってたら新しいも
  のは何も出来ません。
   アメリカ人は「バカバカしいことに挑戦しているなぁ」といって喝采するでし
  ょ。日本人は許さない。これは封建的な縦の社会の悪癖で、残念なことですよ。
―― 新作落語はどのくらいのペースで創られますか?
圓窓 年間20本くらいです。今は地方の民話をアレンジしたものが多いですね。
―― 「古文落語」と「古典落語」とは違うんですね。
圓窓 「古文落語」というのは私が作った言葉で、造語です。西行法師の歌が入った
  り、平家物語の名場面が入っていたり、日本の古文が入っている落語を「古文落
  語」と称しています。私が新たに創作したものもあります。
―― 「演劇落語」というものも演じておられますが、どんな内容でしょうか?
圓窓 現代演劇や歌舞伎を観に行って、面白いとな思ったものを作者にお願いして台
  本をいただいて、落語にアレンジしたりしています。
   まぁ、シェークスピアの「ベニスの商人」を「胸の肉」と題して演りました。
  作者に面識はありませんが。(笑い)


"教科書に載る落語"


―― ご趣味は?
圓窓 インターネットを使っていろんな文化を知ることかなぁ。未知の人たちに会っ
たり、知らないことをいっぱい知って、楽しいですね。ホームページももってい
ます。《 圓窓落語大百科事典 http://www.dab.hi-ho.ne.jp/ensou/ 》
―― ご自分の性格をどのように分析されますか?
圓窓 アタシ、落語は好きだけれど、落語家が好きじゃないんです。自分自身は芸人
  には向いてないナ、と思っているんです。向いていないからこそ、他の仲間の人
  のやらないようなことも出来るのかナ、と思います。
―― 健康法は?
圓窓 特にありませんが、体重を減らそうと思って、エレベーターやエスカレーター
  には乗らないようにしています。減量のためには何でもすぐやるんですが、3日
  で止めちゃうんですよ。でも、これだけは今でもやっています。
―― 今、一番、力を入れてることは?
圓窓 今年から小学校4年の教科書にあたしの落語が載るんですよ。私は10年くら
  い前から「話す・聴く・描くことができる日本人を増やそう」と高座から落語の
  マクラで言ってたんです。
   それにはやっぱり子供のときからやってないとダメだということなんです。べ
  つに英才教育ということではありません。「落語を小学校の教科書に載せて正科
  として扱え!」って文部省に掛け合ったわけじゃないんですが、教育出版という
  教科書の出版社が取り上げてくれたんです。アタシは本当に嬉しくて。
―― 教科書に載れば子供が立派な文化に触れられるわけですからね。
圓窓 そういう見方をしてもらえれば嬉しいです。落語から遠ざかっている先生方も
  改めて勉強していますよ。(笑)
―― 一般論として世間に物申したいことは。
圓窓 落語を聴いてください、ということですかね。落語を「見る」と言っているう
  ちはダメなんですよ。テレビに犯されていた後遺症です。
   落語は江戸時代から「聴く」んです。寄席へ行って落語家を見ても「落語を聴
  いた」と言わなくてはダメなんです。落語を見たという人は、落語を描くまでに
  なってないんですね。
   国語の授業で落語のライブを楽しむ方向へもっていってくださると、嬉しいで
  すね。
―― 我々も期待いたしますので。
   今日は、お忙しいところをありがとうございました。これからも益々ご活躍く
  ださい。
圓窓 よろしく、お願いします。
2000・8・4 UP








恒例 圓窓商人噺を聴く会

 圓窓五百噺と日本料理を楽しむ会

主催 名古屋 中 法人会
 2000・07・15(土)
夕 5:30
会場 料亭 蔦茂
出し物 [夕立屋][飛ぶ鉄鉢]


『 高 座 が 講 座 に な っ た 』

文責 辻本昌孝(名古屋中法人会栄東支部)


 圓窓師匠。
 この度は〔蔦茂〕の深田さんのご紹介をいただき、料亭でやっていただき、ありが
とうございました。
 私は法人会の栄東支部の支部長という役を頂いております。
 私たちの支部は通常はバス研修旅行にゆきます。そして税金の使われ方等のビデオ
を見ることにより、研修旅行となるのであります。
 本部から支部へ助成金がまいりまして、そのお金を消化しなければなりません。自
分のお金を使うのは簡単であり、すぐになくなってしまうのですが、決算報告をしな
ければならない公金を使うのは難しいものでありまして、副支部長の深田さんに相談
しましたら、すぐに提案がありました。
 その提案とは「初夏の教養講座」というものでした。
 内容は圓窓師匠の落語を聞いて、日本の文化に触れ、〔蔦茂〕の料理を食して頂き、
日本の食文化に触れていただこうというものでした。
 結果は大成功でした。
 7月15日当日、〔蔦茂〕の大座敷に臨時の高座をつくり、緋毛氈を掛け、そして、
その後ろには金屏風を立てました。
 そろそろ時間なのに、司会の深田さんも来てないし、師匠も見えてないが、どこに
いらっしゃるのやらと思い、金屏風の後ろをのぞき込みましたら、師匠がガラス戸か、
障子か忘れましたが、50p程しかない隙間に立っていらっしゃいました。
「師匠。こんな狭いところで失礼いたしました。前の座布団のところで休んで頂いて
は」
 と申し上げましたら、
「楽屋裏だから、裏で良いんです」
 と仰いました。
 時間になり、高座に上られました。
 私は高過ぎて危ないのではないか、と思っていましたら、師匠はその高座でこうお
っしゃいました。
「落語というのは、座布団の上に座った噺家の動きすべてを見てもらって、初めて理
解できるのです。低い高座では、後ろの席の方は見にくくなります。下見したとき、
低くかったので、お膳をもう一つ重ねて高くしました」
 楽屋裏にしても、高座にしても言葉にはしっかりとした意味があるのに、日頃の会
話に言葉をいい加減に使ったり、意味をしっかりと把握していなさすぎるのではない
かと反省させられました。
 また、息子や娘が見ているテレビ番組を私が見ても何にも面白くないのに、子供は
げらげら笑っています。これはどういうことなのでしょうか。私の老化も確かにある
のでしょうが、くだらないと思うネタでげらげら笑っている息子が馬鹿に見えること
があります。そう思う私が馬鹿なのでしょうか? 笑いのネタというものが最近は変
わってきているのでしょうか?
 私は、今56歳です。
 私の話は長すぎると言われます。そういわれるのに、自分では、短く努力している
のに、長くなってしまっているようであります。
 私は生の落語はこの年になって初めて聞きました。
 これからは聞く機会を増やすようにしてみたいと思いました。
 法人会でも毎年定例化できたら、よいと思いました。
 これからも宜しくお願い申し上げます。


辻本さんへ 返シ〜〜ン(圓窓 記)


>私は、今56歳です。生の落語はこの年になって初めて聞きました。


 よかったですね、辻本さん。
 この企画がなかったら、未経験のまま一生を送ることになったかもしれません。


>私の話は長すぎると言われます。


 我々、噺家は同じ落語を30分で演ったり、10分で演ったりすることがあります。
 つまり、両方の演り方ができなくてはいけないということです。
 といって、時間だけ合っていればいいというものでもありません。
「長い」という中味には無駄が多いのかもしれない。「短い」ときには、肝心なこと
が抜けているかもしれない。
 話って、難しいもんです。しかし、上達法がないわけではありません。
 巧い話し手を見付けて、その話を積極的に上手に聴くことです。
 巧い話とは、落語だけではありません。普段の会話の中にでも、巧い話し手を見付
けることも出来ます。
 聴き上手が、話上手になるのです。
 聴き下手は、話上手にはなれません。


>法人会でも毎年定例化できたら、よいと思いました。


 是非、実現させてください。よろしく。

2000・8・4 UP








恒例 圓窓商人噺を聴く会

 圓窓五百噺と日本料理を楽しむ会

主催 名古屋 中 法人会
 2000・07・15(土)
夕 5:30
会場 料亭 蔦茂
出し物 [夕立屋][飛ぶ鉄鉢]
文責 モテ


 含笑寺の五百噺を終えた師匠は、翌日も落語会を予定されていた。師匠の世話人さ
んからお誘いを受けて、会の趣旨もよく知らぬまま、師匠の落語を聴けるならと、来
名中の仮名さんと一緒に話に飛びついた。


 名古屋中法人会主催の落語会は夕刻に料亭〔蔦茂〕で行われる。名古屋に棲息して
いても、とんとご縁のない高級料亭である。その日の午後は、師匠と仮名さんと徳川
美術館へ出かけ日本史のお勉強。


 師匠は着替えと打ち合わせがある。そのため、3時過ぎに宿舎の前で一端、お別れ
する。
 師匠「じゃあ、4時半頃にアタシの携帯に連絡をおくれ」


 栄のど真中、繁華街の中に黒塀で囲まれた一角が〔蔦茂〕である。約束の4時半、
その料亭の近くまで行って、師匠の携帯を呼ぶ。が、電源が入っていない。時間を置
いて、また入れるが同じである。4,5回やっても同じである。よく見ると周りはピ
ンクサロンや飲み屋がずらりと並んでいる。
「妙齢の女をこんなところに立たせておいてエー」と、二人でぼやく。
 結局5時前になって、二人で〔蔦茂〕に突入するか、どうか、という相談をする。
 モテ「なんて言って入る?」
 仮名子さん、小指を出し「『師匠のこれです』って言う!」


 玄関先には打ち水、植え込み。道路を一歩入っただけで、スッと別の世界へ。
 法被を着たおじさんが出迎えてくれる。
 受付で「師匠のファン」と名乗り、「突然ですが、参加してもよいか?」とたずね
る。
「師匠はただいま、インタビュー中でして、取次ぎできないが・・・・」の答え。
 電源が切れていた原因が判明。
「飛び入りなれど、参加可能」と言う。その時、てきぱきと指示してくださったのが、
若主人の深田さんである。


 開演までの時間を会場になる広間で待つことにする。一番乗りだ。
 料亭の2階、座布団がずらりと並べられて、高座の後ろには金屏風。高座も一段と
高くしつらえてある。雪洞(ぼんぼり)のような照明が左右に立っている。
 赤い毛氈を敷いた高座を見に近付き、高座に上がる段を探すが見当たらない。
「師匠はどうやって上がるんだろう?」
「昨日の圓窓五百噺を聴く会で演った[紺屋高尾]に同じようなとこがあった」
「そうか…、花魁の部屋の夜具を前にした久蔵みたいに、助走して飛び乗るんだよ」
 と、くだらない話をしていた。


 次々と現れるお客さん達は、華やかで余裕のある風情、ちょっと居心地の悪い二人
である。
 でも、落語が始まれば、もう噺の中にどっぷり。演題は「夕立屋」と「飛ぶ鉄鉢」
だ。内容は以前、聴いた話と若干違っている。いつも工夫、改定、改良を加える師匠
のことだから、サゲも以前のとは違っていた。
 前日の含笑寺での会では浴衣姿の師匠が、今夜は着物に羽織をつけている。昼間、
私達と一緒のときはあんなに欠伸、ため息ばかりついていた師匠なのに、落語をやる
ときは見事に変身。噺もよく練れていて、お客さんたちが聞き入っている様子がよく
わかる。


 落語のあとは会食。
 我々二人は法人会女性部の方々の席に混ぜていただく。仮名さんのこと、「九州か
らの追っ駆け」という紹介をされたので、みなさん、眼を丸くして驚かれる。法人会
の女性達はどなたも華やかで、黄金色のオーラを発している。


 夏の会席料理は見た目も美しく、器も素敵だ。もちろん美味! 料理は次々と運ば
れて、奥様達との会話も弾む。


「伝統の芸を大事にしないから、日本はだめになった」とか、「趣味で琵琶を習って
いる」とか、「都々逸を唄っている」とか、多趣味で優雅である。一人の奥様は「最
近、手術をしたが、今はとても元気よ。私は巨乳だから・・・」とおっしゃる。
 圧倒される追っ駆け二人……。


 師匠は着物を脱いで、よれよれ(!)のポロシャツで登場。
 服装なんか、全然構わない師匠である。そこが師匠のいいところ。自己を飾るとい
うことから超越していると、見た! 緑色のポロシャツ、昨年の〔圓生物語〕の時に
も見たなあ。
 法人会の方々は皆、元気。師匠も元気。
 なぜだか、「日本の経済は大丈夫だ」と思ってしまった会である。


モテさんへ 返シ〜〜ン(圓窓 記)


>師匠は着物を脱いで、よれよれ(!)のポロシャツで登場。服装なんか、全然構わ
>ない師匠である。そこが師匠のいいところ。自己を飾るということから超越してい
>ると、見た! 緑色のポロシャツ、昨年の圓生物語の時にも見たなあ。


 熟読すると、あたしのファッション(なにがファッションだ!)に関することが記
されているが……。(笑)
「よれよれ(!)の」と言わずに、「ダブダブの」って、言ってくれないかな。(笑)
 お説の通り、あたしはなにごとにおいても、自己を飾るってこと考えない質。とく
に、服装はそうなんです。服装とは、「下半身が隠れていればいいや」という単純な
考え。ま、あるのを着るという、無精なんです。
 だから、女房が一緒に歩くのを嫌がること。ほとんど、一緒に歩いた記憶がないの
が、両者の自慢。(笑)
 ネクタイが大嫌いで、スーツなんて、笑っちゃいます。(笑)
 でも、ないと困ることが、年に何度かはあるから、厄介だ。(笑)
 作るとまもなく着られなくなる経験を何度もしてまして、洋服を信じなくなっちゃ
って。(笑)
〔蔦茂〕の若旦那は洋服屋なんだよね。
2000・7・29 UP