『圓窓五百噺を聴く会』の客席から

第159回〜164回/第155回〜166回/第168回-2/第168回-3

第168回 圓窓五百噺を聴く会 NO.1


客席から 聞いたり 見たり


2001・3・9(金)
名古屋・含笑寺


その498 古典落語  堪忍袋
その499 創作落語  救いの腕
その500 創作落語  五百羅漢


その1『 長くて短かった28年"ついにゴールイン" 』


文 モテ


 五百噺が始まったのも3月なれば、最終回も3月で、たそがれの名古屋は今にも雪
が降りそうな寒空となった。
 会場の含笑寺、5時過ぎ。
 すでにたくさんの人の姿があって、テレビ局の人、新聞社の人、お客さんと賑わっ
ている。
 受付の机の前には、紙袋がずらりと並べられていて、それを渡したり、挨拶をかわ
したりと忙しそうな大島さんご夫妻で、いつもとは違った華やぎのある受付風景であ
る。
 6時過ぎ、あっという間に満員となり、「えー、お膝送りをお願いします」という
横山さんの声。テレビ局の照明が立てられ、高座の両横には、含笑寺さんからの大き
な花が飾られているし、この本堂もいつもとは違う活気がみなぎり、寒さを感じない
ほどの熱気すら感じられる。
 6時半、お囃子の音も跳ねるように高く響いて気分も高揚してくる。
 司会の小林先生登場。五百噺の案内を長く続けてこられたお方。
「すごいですね。こんなにたくさんの人は、五百噺、最初で最後です。五百噺、なぜ
だか五百席目にきてしまいました・・・。実はこの3月で41年間の教員生活を終え
ます。人前で話すのも今日が最後となりました」
 小林先生が私に教えてくださった五百噺の会、師匠の落語に出会えて本当に感謝し
ています。


 師匠、黒の着流しで登場。
 現在、二つ目のお弟子さんで、師匠とは親子関係もある三男坊の窓輝さんをお供に
つれてきた師匠。ちょっと厳しい表情ながらも、「俺の背中を見ておけ」という親の
心情も見せて紹介された。
 今日は親子競演もあるし、お土産もたくさんある。色紙にお饅頭に小学校の教科書
に手拭い。師匠の感謝の心がいっぱい詰まった福袋。
 プレゼントコーナーでは「三男坊で3月生まれの人」という条件にぴったりのわが
家族の一人。いただいた”寄席文字”のポスターは欲しくて仕方がなかったもの。家
族を連れてきてヨカッタです。「いっつも貰うばかりで恐縮です」と言いながら受け
取ったポスターは家宝にいたします。


[壷算]窓輝
 二荷の壷をいかに安く手に入れるか?
 強気な買い手(実は値切りのプロ)に、押し切られる瀬戸物屋の主の困惑振りを明
るく演じました。


 窓輝さん、色白で髪の毛が少し立っていて誰かに似てるなあと思っていました。そ
う、似ているのは師匠ではなくて絵本の主人公でした。”タンタン”という少年探偵
の雰囲気に似ておられます。
 ベルギーで生まれた〔タンタンの冒険旅行〕(エルジェ作)は、りりしい少年とお
供の犬の冒険が、ほほえましいちょっと粋なマンガ風の絵本です。
 五百噺を達成された師匠を「偉大だ」と言い、「自分なら五百年はかかる」と言う
窓輝さん。そう言いながら、楽屋を覗き見る仕草を見せて笑わせる。


その498[堪忍袋]
 マクラに落語の世界には、離婚率が少ない。喧嘩はやってもお互いに仲直りの機会
を探っているのが落語の夫婦だからという師匠。派手な喧嘩をしても、決定的なこと
は言わないこと。ウンウン、これは大事・・・.


 いつも喧嘩している夫婦に、大家が授けた知恵は「腹が立つことを堪忍袋に思い切
り言って、袋の紐を堅く結べ」という方策。思い切り言ったら、後はニコニコできる。
評判を聞いて袋を借りに来る人、後をたたない。みんなの腹立ちを封じ込めた袋は、
パン パンに膨れてしまってついに・・・・


 喧嘩の最中、夫の浮気に腹を立てる妻が「もう、あげ潮のゴミみたいに方々の女に
引っかかって」という表現が可笑しくて笑った。こんな上手い言い方、誰が考えたの
かしら。


中入り


はなし 関山和夫
 関山先生は落語を話芸として研究されてきたことはもちろんですが、この28年の
歴史にもっとも深くかかわった師匠の最大の理解者であります。
 この短い数分の話のどこにも寸分の隙もない話し振りで、話芸研究家の話芸の妙を
体現なされました。
 また、この最終回にきて、関山先生のメクリが紛失するという椿事があって、それ
を踏まえての先生の話始めに爆笑も起こった。


「関山和夫は生きております。(笑)
 五百噺、最後の感動のシーンが刻々と近づいて来ました。もう、あとしばらくで終
わりです。28年というのは、あっという間に過ぎたものですね。本当にあまりの速
さに驚かされます。『まだ、先の長い話だ』となんど思ったかもしれませんが、とう
とうこの日がやってまいりました。


 三遊亭圓窓、還暦。
 関山和夫、古希。
 会を始めましたとき、圓窓さん、32歳。私は43歳。計算合うでしょ?(笑)
 奇数月に”圓窓五百噺を聴く会”がある。手帳に書き入れる。
 第2金曜日”圓窓五百噺を聴く会”。それは私の生活の一部である。
 それが、今日限りなくなってしまう。なんともいえない、寂寞感、寂寥感それが
湧き出てくるのを禁じえない。まだまだ、感動のシーンはもうちょっと後です。
 しかし、話芸の研究というものに、長年携わってきた私にとって、"三遊亭圓窓"
という特異な優れた噺家と出会ったことは、これは私の生涯の財産であります。
 最後にあたって、もう一回言いますが、皆さんと一緒に師匠にお礼を言いたい。


 さあ、今日は最後に[五百羅漢]があります。これはなかなか見事な選択だと思い
ますね。第一回が[半分垢]という噺で、そして最後が[五百羅漢]。
[五百羅漢]というのは、五百の阿羅漢(あらかん)と言う意味です。阿羅漢とは、
人に尊敬されるに足る人の意味です。煩悩を除去して、すべきことはし尽くした。学
ぶことは学び、修行することは修行した。もう、なにもすることがなくなった境地に
到達した人のことを阿羅漢という。それを略して羅漢というのです。
 十六羅漢とか五百羅漢とかいいます。釈尊が入滅されてその後、お釈迦様の教えを
受けたものが、その教えを整理して成文化しよう、文章にしようというので直接、教
えを受けたものが集まって来ました。それを結集(けつじゅう)といいます。
 第一結集と第4結集のときに、五百人の阿羅漢が集まり、そして今日の仏教の基礎
が作られることになりました。
 阿羅漢とは、そういう悟りではないが悟りに近く、多くの人々から十分に尊敬され
るにところに到達しえた人を言う。



 三遊亭圓窓は、そこまでいかれたのでしょうか。
 五百噺をやって、何を得たのか?
 あなた方は何を得られましたか?
 僕は得たものは、沢山ありますね。


 落語の歴史を通じて、歴史に残るような偉業を成し遂げた人はそんなにはいない。
 三遊亭圓朝という人は、天保10年生まれで明治33年8月11日に62歳で没し
ております。前半30年は江戸時代で後半32年は明治時代で、そしてそこで残した
ものは〔圓朝全集13巻〕です。全集物を残したという偉業です。これは画期的なこ
とであります。
 圓窓師の師匠の六代目三遊亭圓生。この方は、〔圓生全集10巻〕と〔別巻3巻〕、
それと別に〔追悼1巻〕も出来ていて、これも歴史に残る大きな仕事であります。
 大阪では米朝師が〔桂米朝全集〕。これもやはり全集を残しております。
 そして〔五百の噺〕を28年かけて成し遂げていったということ、これは三遊亭圓
窓が残した偉業といってよい。


 これは圓窓さんが一人でやった、努力をされたのはもちろん。
 しかし、自分一人では出来ないということをよく知っておられて、今度の案内状に
も「大勢の方々がお世話をしてくださった」とお礼を書いておられます。そのとおり
ですね。
 28年の間にはさまざまなことがありました。外から見ていらっしゃるほど、楽な
ことではありません。世話をするほうも、お世話をさせていただくほうも、そして圓
窓と言う人の性格もあります。
写真(ハガキセット)に書いてありますが、「自分(圓窓)は寿命を60歳前後と踏
んだ」と書いてあります
 が、実際、私が承った時には、「自分は寿命は60歳である。その間に、やれる噺
をいろいろ取り出して、努力をして、新しいものを作って工夫と創意を加えながら、
五百やってみたい」という決意を述べられたとき、32歳でした。
 これからの落語界を背負ってやっていこう、という落語界のホープでありました。
 その若手真打の圓窓という噺家が、五百をやろうという。まず普通では不可能に近い。
それをどういう風に、皆さんと励ましながらやりぬくかということですね。
 それは大変なことであります。
「なぜ、圓窓一人のためにそういうことをするのか」と言った人もある。
 しかし、それをやりぬかなければならない。私も引き受けた以上やりぬきたいと思
った。
 ただ、健康が続くかどうかということです。数年前、私が体調を崩してもう駄目か
と思った。そしたら、この会場の中にいるある方が「一番危ないのが先生だ」と言わ
れた。まともに言われるとますます、どうも…。そうこうしております内に、昨年4
月に私は思わぬ怪我をして、入院して手術をすることになった。ますますもってもう
ダメだと思った。
 やはり、寿命というのは、本当に不可思議なものである。
 私はよみがえった! 多年の宿願であった”圓窓五百噺”の完結の日まで生き延び
た!
 こんな嬉しいことはないですね。皆さんもようこそ協力してくださいました。あり
がとうございます。


 五百の噺の中に古典といわれるものと、それに新鮮味を盛り込みながら工夫を見せ
る圓窓さん。そして、あちらこちらで話を取材して、作り上げていくその優れたセン
ス、才能というもの。それに導かれながら、感心しながら聞かせていただくことはし
ばしばであります。
 しかし、圓窓師は性格的に誠に個性的でプライドが高く、そして高い水準をいこう
とする。
 私も落語、講談を話芸としてとらえて、ただ笑うだけではない。笑わせるというの
は、聞かせるための一つの手段である。笑わせながら、聞かせて感動させなければな
らない。そこに日本の話芸の優れた特質がある。それを皆さんと一緒に日本文化史の
中に見極めて、その本質を追求してくことが私の仕事である。
 そこへ圓窓師匠が現れて、その高いレベルの中で日本の話芸をさらに再創造してい
こうとする努力を見せる。そこで私と呼吸が合うんです。そういうものに皆さんが、
どこまでついて来て下さるか、これも戦いでありました。しかし、本当によくついて
きてくださいました。


 ありがたいことであります。さあ、これから、60歳はきてしまいましたので、師
匠はさらに長生きをして、もっともっと円熟した新しいものを作っていただかなけれ
ばならない。皆さんはそれを見届ける義務がある。死んじゃあダメですよ。さあ、最
後にみんなでワアーッとやって終わりましょうなんて、甘いことを考えてきた人はダ
メなんです。
 心を引き締めて、最後はみなさんとご一緒に手締めをいたしますが、しかし、圓窓
師のこれからの生き方に皆さんは大いに期待をしていただきたいと思います。
 とくに圓窓師は、ひたむきに一途に生きる人ですね。だから、普通の人では言いに
くいことでもズバズバ言う。そこが彼の魅力でもあります。
「あんなことを言って」と腹を立てる人も、しばしばありました。
 そこが三遊亭圓窓の魅力であります。それに惹かれて、世話人の方がたも私どもも、
結局、落語が好きだ、圓窓が好きだと言って。なにかこう、思うことを叱りつけるよ
うに言う圓窓が好きだ。だから今日までこれたんですね。いつまでも圓窓師匠は変わ
ることなく、そういう圓窓であってほしいと思います。
 そして、個性豊かな優れた芸をさらに作り上げていっていただきたいと願ってやま
ないですね。
 もう一度申します。三遊亭圓窓という優れた噺家に出会えて、喜んでおります。


 まだ、あと2席あります。
 どうぞ、最後までしっかりと聞いていただいて、心の声援を贈ってあげてください。
 べつに声をお出しになる必要はありませんので心で結構です。その含笑寺における、
皆さんの座っていらっしゃるその場所から、高座に向かって迫ってくる力、それがこ
の高座を盛り立てます。
 あと2席、よろしくお願いいたします」(拍手)


その499[救いの腕]
 姉妹の会話から始まる。姉にライバル意識を燃やす妹。姉の持ち物なら(亭主もか
?)、なんでもうらやましい。それにひきかえ自分の亭主は、地味でさえないとぼや
く。原作(唯川恵)は読んでないが、現代にも通じるお話(現代のお話を昔に置き換
えたのだから当たり前か)で、亭主の内面を理解できない妻のジコチュー振りが発揮
されている。


[堪忍袋]で夫婦の心理、[救いの腕]で姉妹の葛藤と夫婦の心のすれ違いを描写す
る師匠は、女性心理を相当深く勉強したか、はたまた実体験からきてるのか?


その500[五百羅漢]
 五百席目にちなんだ[五百羅漢]という落語で最後を飾る。
 大火事で迷子になった女の子は、ショックで口が利けない。長屋の夫婦が、面倒を
見ながら親探しをするがなかなか探し出せない。女の子は、いささか行儀の悪い水飲
みの習慣があるらしい。そこから、親の仕事に結びつき親子の対面も無事に果たせる。


 この長屋の夫婦は、きっと喧嘩しませんね。
 最後の最後まで、冷静に話し終えた師匠の五百席目だった。このよく通る声、豊か
な表情を含笑寺という空間で、皆さんと一体になって聴けた幸せを心から感謝します。


[五百羅漢]を終えた師匠は、きれいに手を揃え、頭を下げて高座で礼をしている。
いつまでも鳴りやまない拍手。
 師匠と関山先生に、花束を贈呈したい仮名さんとモテ(私)。でも、すんなりとス
マートに渡せないところがとても落語的だった。


 最後に、全員で3本締め。


 五百噺を決意して始めたとき、圓生師匠のおかみさんがなかなか理解してはくれな
かったというエピソードを最後に披露する師匠。
 師匠と関山先生とが固い握手を交わして、お開きとなりました。

2001・5・4 UP








第167回 圓窓五百噺を聴く会


客席から 聞いたり 見たり


 2001・1・12(金)
名古屋・含笑寺


その495 古典落語  笠碁
その496 創作落語  ミシンの涙
その497 民話落語  戯れ地蔵


その1『 泣いても 笑っても あと一回 』


文 モテ


 残すところ、あと一回となってしまった五百噺。少し早めに含笑寺へ。
 受付では大島さんご夫妻が、すでにスタンバイ。ご主人はノートパソコンを開いて
なにやら打っておられます。
 そういえば、最近、大島さんちの愛犬見ないなあ。寒いからお家で留守番かな。あ
のワンちゃんの五百噺への参加はかなり古いと、師匠が紹介なさっていたことがある。
 壁際を確保してから、楽屋へ。


 師匠はお一人で、サリアさんから差し入られた饅頭の箱の包装紙をベリベリとはが
している最中でした。
 ”栗どら”(栗入りどらやき)が3箱もある。師匠、箱を全部空けちゃってどうす
るおつもりかなと思ったけど、その謎は会が始まってすぐに解けました。
 ところで、師匠は日常の些細なことは、まったく意に介さない方だなと思ったのは、
饅頭の包装紙は3枚、それを3枚ともくしゃくしゃにして丸めてサッカーボールぐら
いの大きさにしてしまいました。サッカーボールは、所在なげに畳の上に転がってい
ます。
 「あの、これ捨ててきます」
 と、私が言うと、
 「ああー、あのごみ箱へ入れてくださいな」
 と、部屋の隅を指差す師匠。
 その先には古風で上品な木製の小さなちり箱。その大きさはテイッシュ箱くらい。
 一瞬の思案の末、サッカーボールを抱えて退出する私。


 恒例の"落語情報"は三木助師匠の死にも触れました。
「人間には二つの自分がいて、常にそれとの葛藤である。弱い自分か強い自分か。
そのどっちかに負けたんでしょうねえ」
 つい最近、お亡くなりになった含笑寺のおばあさんとの交流のエピソードにも、師
匠らしさが現れていました。
「親切にしてもらったり、好意を受けたときは素直に受け止めたほうがよい。些細な
お年玉や洒落の大入袋を貰って「あたしゃ、お金に困っているわけではない」とむき
になる人がいる。電車だって席を譲られたら、素直に受けた方がいいと思いますよ」
 おばあさんは、いつも素直に喜んで下さったそうで、師匠が毎年、お渡ししていた
 ”手拭い”を10枚ためて、浴衣を縫うとおっしゃっていたと言う。


 さて、今回のお約束のお客様への記念品は、あの”栗どら”と”手拭い”でありま
した。
 饅頭と手拭い欲しさに、恥も外聞もなく手を上げた私である。ほしいという誘惑に
は抗しきれません。


その495[笠碁]
 小さん師匠がよくやる噺だが、師匠は円朝の流れを汲む小円朝師匠に習った。
 背の小さいその師匠の[笠碁]は短くても淡々としていて好きだったそうだ。
 勝負事に熱くなる人は昔も今も変わらない。「碁将棋に凝ると親の死に目に会われ
ない」という。
 私、この[笠碁]とっても共感をもって聴きました。
 勝負事に夢中になる心理描写が、真に迫っていて、碁敵がなくてはならぬ存在にな
っているところ。お互い意地は張っていても、相手の気持ちの有りようは手にとるよ
うにわかっているところが好き。
 八つぁんが、ご隠居と喧嘩別れして、寝床でうだうだしている時、つい手が碁を打
つ仕草をしてしまうシーン。隠居が、通りをウロウロする八つぁんの動きを目で追っ
て、「早く入ってくればよいのに」と、じれったがるところが秀逸。
 「まったなし」を提案しておきながら、待ってくれないことで、昔の恩を着せる隠居
は、ちょっと嫌味ではあるけど。
 碁の力量が同じのヘボ同士、こんな相手がいたら、そりゃあ熱くなります。
 笑いの絶えない高座でした。


 私、碁はまったく打てないけど、将棋なら子どものころに指していました。父が長
期療養していた頃、病院でよく相手をさせられて自然に覚えたのです。
 長じて、将棋の対戦を見るとむずむずしてきて、下手なくせによく指しました。
 結婚してからは、連れ合いがあまり将棋が好きでないこともあり、何年もやってい
なかったのです。
 が、あるとき、ひょんなことで将棋を指すクラブがあって、混ぜてもらったのです。
下手な将棋を指し、10分くらいで簡単に負けてしまう。悔しくて何度も挑戦してい
て、ふと気づいたら、とっくに夜中の12時を回っていた!!!
 実はその日は、結婚記念日で連れ合いはワインを用意して待っていたのです。
 記念日も忘れるほどの勝負のチカラ・・・・
 あたしはまさに、落語[お花半七]の将棋好きの半七でした。
 深く反省をした私は、以後2度と駒をにぎっていません(笑)。


 中入り後、関山先生、にこやかに登場。


 高座の座布団を持ち上げて、
「この座布団もこんなに古くなりました。前はきれいだったんですよ」
「あと、残り一回となりました。でも、己れの体調を考えて、何度も最後まで行け
ないと思いました。でも、ここまで来ました。最後はみなで手をたたいて終わりまし
ょう」
 と。
 昨年、思いがけず怪我をされて、入院されていた関山先生の口調には実感がこもっ
ています。先生の声は静かで、あまり大きくないのがちと残念! といつも思ってい
ました。昨年の暮れ、名古屋は大須の阿弥陀寺であった噺塚の落語会に参加した際、
何人かの落語家が、高座で異句同音に言ってました。
「関山先生の声は大きくて美声だったですよ」
 って。
 先生は、いつも解説を時間どおりにピタリと収めます。時計を見るともなく見なが
ら。これにはいつも感心させられます。


その496[ミシンの涙]
 質屋が舞台の人情噺。
 貧しい噺家の家計を支えるけなげな女房。ミシンで内職をしていたが、どうしても
まとまった金が入用となり、ミシンを質草にもっていく。
 質屋の主は厳しいと評判の人だが、その日は留守で、番頭さんがいて内緒でいい値
で貸してくれた。
 質屋の主人が、寝ていると質草の入っている蔵の中から音がする。カタカタカタカ
タカタ・・・・それが毎晩。そのうちミシンの姿が浮かぶようになる。
 事情を知った主人の人情のある計らいで、ミシンは女房の内職の手助けができるよ
うになった。まだ質草なので、女房は蔵の中でミシンを踏むこととなったのだ。
 質屋の亭主はただの強欲な人ではなかった。少し昔のまだ人々に人情の機微が残っ
ていた頃のほろりとする話。


 ミシンがカタカタカタ・・・・と鳴るところはゾクッとしました。日本の家庭に1
台はあった蛇の目ミシン。このミシンで、家族の服を縫ったり、つくろったりしたの
はそんな大昔ではなかった筈。今は消費奨励で衣類は買ったほうが安くて、ミシンの
出番はほとんどありません。
 愛情をかけた物には魂が宿るのかもしれない。


その497[戯れ地蔵]
 お地蔵様が閉じ込められるお話。
 村の子供達はいたずらが大好き。お堂の中に入ってお地蔵様の首に縄をかけて引き
ずり出し、転がしたり乗ったりしてさんざ遊んでそのままにして子供らは帰ってしま
う。
 信心深い年寄り夫婦が、いつもお地蔵様をきれいに洗ってお堂に入れてやっている。
ある晩、お地蔵様が夢にあらわれて、お礼に「洗ってつかわす」という。
 風呂に入ると、しわ(32本!)が取れて若くなっている。
 と、ここに、意地悪な老夫婦がいて、子供達がお地蔵様と遊ぶ声がうるさいと、お
堂に入れないように板を打ち付けてしまう。
 その晩、夢にあらわれたのは閻魔様。閻魔様の念力で首が回らなくなった二人に、
やさしいお地蔵さまがとった方法は?
 

 各地の民話を脚色して落語に仕上げる師匠。民話落語はいったい幾つになったので
しょうか。このお話は宮城の民話を即席で落語に仕立てたという。
 首がまわらなくなった年寄りが、なんとかして首を回そうとするときの動き。
 これは実際、首が回らないのを体験した人には共感を得るところ。


 今回の3席は、明るい話が多くてよく笑い、しわが32本増えました。
2001・4・15 UP

その2『 東京からトコトコやって きてよかった 』


文 弥助


 冒頭、栗どらのサービスがありまして、それから高座がありました。
 いよいよ師匠の登場です。
 チャンチャン チャンチャカ チャカランリン♪(新曲浦島のつもり)


その495[笠碁]
 勝負ごと。あまり円窓師匠には似合わない、と思うのは私だけ? でも、将棋、小
さん師匠を相手に全勝(1勝0敗)ということでちょっとご自慢(笑)。「俺の負け
でいい」と言わせたのだからたいしたもの。
 楽屋将棋から、師匠がコンピュータ相手に碁を打つ話。本来、敗者が「まいりまし
た」といって勝負がつくはずなのに、「あなたの負けです」という表示での決着が気
に入らないという、、、。
 いつのまにか本題に入っていました。


 噺は、仲のよい碁打ちの喧嘩。お金を貸した昔話まで持ち出しての大騒ぎ。
 喧嘩の場面、表情の一変が、「プロの芸だなー」と感じました。
 それから雨降りが続き、退屈になって仲直りするのですが、それがまた一大事。笠
を被って店の前を行ったり来たり。お互いに気づいてはいるけど、声をかけられない。
たまらず隠居が碁石を放り出してぶつける。八つぁんは、それをつかんで店の中に入
ってくる。
 あとできいたのですが、この石をぶつける場面は円窓師匠、東京のコミカレの高座
においてアドリブでこしらえたそうです。おそるべし、、、。
 で、パチリ、パチリと始まって、「首を取られる前に、笠を取りな」というオチ。
 小さん師匠の型では、「笠を被っているよ」という情景描写だけでさげていて、落
ちがない。それを今回、円窓師匠が独自にこしらえたそうです。
 あとで「どうだった」と師匠に聞かれて、「しぐさが」と答えたところ、この新し
いオチに注目してほしかったようで、ちょっとご不満なようでした(笑)。
 やっぱりオチがあっての落語。古典に新しいオチを考え出すというのはすごいこと
です。無理に作り出したオチではなく、噺の流れの中からすんなりと出てくるオチ、
流れを断ち切らないのは、それだけすぐれているからでしょう。


   碁石持つ 隠居の姿 見えてくる  弥助


その496[ミシンの涙]
 実際に名古屋へ行った報じ手としては、重要なことをまず。
[笠碁]のあと中入で、トイレに立つ方が多かったです。で、私もトイレへ、、、。
この日は雪にはなりませんでしたが、とても寒かったです。
 で、時間がきて師匠の出なんですけど、高座着をさりげなく替えているという、、
、。
独演会に行ったのは實は初めてで、そういうところに気配りの細かさを感じました。
喧嘩とか勝負ごとが中心の噺と、人情物とでは、着物の色も変っていた方が雰囲気が
出るような気がいたします。


 さて、去年の暮れ、国立演芸場での[音曲質屋]に続いての質屋物。
 まくらでは、円生師匠の思い出。「くしくも、今日は亡き円生の……、何でもない
日ですが」というくすぐり、うけていました。
 二つ目の噺家さん、仕事がなくて奥さんが内職をして支えてくれている。ところが、
まとまったお金が必要となって、内職用のミシンを質におくはめに、、、。
 質屋では旦那が不在、番頭さんがお金を融通してくれる。そのことを知らない旦那
は、毎晩、ミシンの音にうなされる、、、。
 蔵を調べた旦那はミシンを見つけて、ミシンから愚痴を聞く。
「今までこの俺が動くから人は食えるんだ、というおごりがありました。こうして、
蔵にいると単なる物。夫婦のために動いて仕事をしたい」とミシンは泣き出す。
 そして、あとで、番頭さんから事情を聞く。鬼とあだ名される旦那だが、じつは旦
那は人情家。蔵の中でミシンを使うぶんにはかまわないということで、一件落着。「
鬼の目にも涙」「蛇の目にも涙」。


 この噺、聞いててしんみりしてました。ただ、「質物として値を踏む」と「ミシン
を踏む音」ということでオチをつけたほうがいいようにも思いました。素人のかって
なアイデアですが、、、。


その497[戯れ地蔵]
 この噺が始まるときには、すでに終演予定時間の9時近くなっていて、それでも、
「昔の名人は終演時間なんて気にしていなかった」という師匠のご説明で、ミシンの
涙に引き続いてそのまま噺に入る。
 この噺は先日の放送で、全国的に知れ渡っているけれども、もともとは矢本町の民
話。ただし、今席は、放送とは演出を変えていました。
 地蔵様がばちを与えるのではなく、閻魔さまの登場です。それから、「児童(地蔵)
手当て」でさげるのではなく、「金が入れば首は回るのじゃ」でさげていました。
 あとで師匠にうかがったところ、「地蔵は罰を与えないので、考えて閻魔にした。
児童手当は、民話風の噺のオチに使うのはよくないのでくすぐりにまわした」とのこ
とでした。
 放送で聞いたときにはわからなかった、首が回らないじいさん、ばあさんのしぐさ、
とても面白かったです。


  じいばあが体洗ってご信心  弥助


その3『 突如 超ミニ歌仙 』


   碁石持つ 隠居の姿 見えてくる   弥助
      うなずく客の 顔も笑って   無銭
   天むすと まるゆ栗どら 頬落ちる  明
      名古屋含笑 心残して     もて


その4『 [笠碁]の落ち 』


文 無銭


う〜〜〜ん、なぁるほど。
 さすがは圓窓師匠、
 パチリ、パチリと始まって「首を取られる前に、笠を取りな」というオチ。
 やっぱり圓窓師匠。
 どのようなオチか、気になっていました。弥助さん有り難う。
 私が圓窓師匠に惚れ込んでいる理由の一つが、新しいオチを考える、そこの姿勢。
少しでも良いものにしよう、納得の行くものにかえようという姿勢。そこです。
 この[笠碁]のオチも凄い、後世に残るでしょう。


その5『 [ミシンの涙]の落ち 』


文 棒茄子


 弥助さんが考えたという、[ミシンの涙]の「質物として値を踏む」と「ミシンを
踏む音」というオチ。これもいいオチですね。
 当然のことながら、圓窓師匠の頭の中にはこれもあったことと思います。
 が、あたしは次の2点から師匠のオチでいいのでは、と思います。
 1) 噺の主題はミシンではなくあくまで「売れない噺家」であり「頑固そうな主
    人」にあったことです。その主人が意外にも「涙もろい人情家」だったこと
    を強調するならば、「蛇の目にも涙」は理解できます。ただ、演じ手からす
    ると「蛇の目ミシン」がどこまで聴衆の記憶に残っているか、が勝負ドコで、
    充分に「蛇の目」を振っておく必要があります。
 2) 「ミシンを踏む」というのがどこまで理解されるか、という懸念もあります。
    今の方は「ミシンをかける」であり「ミシンのスィッチを入れる」ではない
    でしょうか。


 オチは「落語の命」ともいえますよね。客の側からすれば最後のオチに疑念がある
と、なんかスッキリしませんし、演じて側にすれば、オチに向けて着々と仕込んでい
く訳ですから、仕上げが「ストン!」と決まれば、こんな快感はありません。


その6『 終演後 師匠と同じ屋根の下 』


文 弥助


 私は、師匠と夜を過ごした感想を……。
 打ち上げのあと、富士コーヒーさんのマンションを宿としてお世話いただき、なん
と、円窓師匠と夜をともにする、という幸運に恵まれました。
 このときばかりは、自分が男でよかったと思いました。ちゃきさんとかもてさんで
あれば、事件です(笑)。東京新聞がすぐに取材に来ます(笑)。 あっ、名古屋は中
日新聞か(笑)。 
 師匠と話をしていて思ったのは、すごく食欲旺盛な人、という印象でした。以前に
浅草演芸ホールで稲荷寿司を差し入れしたとき、3人前持っていったのですが、全部
お一人で召し上がった、ということを聞いてはいたのですが、実際に身近でみている
と、師匠は本当によく食べる方です。
 ”てんむす”の差し入れ、私の折りも別にいただきましたが、師匠の分もだいぶあ
ったんですよ。お一人で召し上がりました。さらに、湯上りに、私が差し入れた稲荷、
これも召し上がっていました。打ち上げで飲み食いした直後なんですよ!!!。私は、
てんむすでギブアップ。稲荷は翌朝でした。食べることが、あれだけの熱演を支えて
いるのでしょうね。


 食べながら、師匠と落語談義。
[笠碁]、熱演でした。関山先生がおっしゃっていたように、表情のつけ方、しぐさ、
絶品です。それだけでなく、笠碁といえば、現小さん師匠の印象が強く、被りものか
ら水の垂れる情景描写で終わるものと思っていたのですが、円窓師匠は自分でオチを
作ったということ。「落語としてオチがしっかりしていないといけない」ということ
で、不自然ではなく、噺のながれにそった見事なオチです。
 くすぐりも、小さん師匠にないものをいろいろと考案されており、その中のいくつ
かは、高座でアドリブ的に出てきたとのこと。
「毎日やってるから」と師匠はおっしゃいますが、その場で作り上げる、これは「戯
れ地蔵」もそうですが、すごいことだと思いました。
「落語は生き物」という話は、その通りと思いました。放送よりも、やはり、この含
笑寺の会のように、ライブで聞くほうが、演者にも聴き手にも安心感がありますね。


 話は、落語そのもののあり方とか、芸人さんの裏話みたいなことまで、尽きること
なく続いていました。よく考えたら、あれだけの熱演のあとでお疲れなのに、私のよ
うなものを泊めてくださったばかりか、貴重な芸談をいろいろ聞かせていただき、師
匠のやさしさを痛感しました。私は、弟子でもタニマチでもなく、ただの客としての
立場でありながら、幇間もちみたいに(笑)、師匠をはじめ皆様のご好意に甘えさせて
いただきました。
2001・4・21 UP


その7『 実家の和菓子の宣伝までしていただいて 』


文 さりあ


 師匠、そして名古屋までいらしたみなさん、お疲れさまです。


 師匠のライフワークである五百噺の会に参加できて、いやはや、もう、ホント、大
満足です(^^)
 しかも、うちの実家の和菓子の宣伝までして頂いて、大変恐縮です。m(_ _)m
 師匠、誠にありがとうございました。


 私は、すっかりいい気分で實家に帰り、よっぱーなまま着替えもせず、化粧も落と
さず、布団も敷かず、そのままコタツで寝込んでしまいました。
 おかげで朝起きた時、顔はつっぱる、身体は痛い、と散々な目に!
 うぅぅ・・・自業自得ですが(^^;
 実は、仕事も持ち帰りにしていたので、今日は実家でずっとパソコンに向かってお
りました。
 明日は東京へ戻りますが、天気予報は「大雪」と言うておりますなぁ・・・、大丈
夫かなぁ・・・新幹線止まらないかなぁ・・・、新幹線の中で泊まりたくはないなぁ
・・・と不安・・・
 ・・・といっても、もしものために、火曜提出の原稿も書けるように資料を持って
きた用意周到なあたくしなのでした(^^)
 もう、すっかりワーカホリックです(^^;


 ・・・なので、とてもとても、仕事以外の原稿など書けません。
 ここで「書け」と言われたら、あたしは落語が嫌いになってしまいます!
        (仕事以外で、仕事のようなマネをしたくない、心の叫び!!!)
 そんなわけで、レポートは、「やさしくて好青年」で「几帳面なしっかり者」の弥
助さんにお任せしますわ(^^)
 お姉さんのお願い、聞いてね(^^)うふ


 ・・・とはいえ、ズルイと言われてもなんなので、落語以外の感想を書きます。
 つまりは落語の基礎知識が無いから書きたくない、ってわけで(^^;)
 関山先生もおっしゃってましたが、落語はあのくらいの箱で聴きたいもんですね。
ホールで聴くよりもずっと、噺にのめり込めました。
 近くで聴くと、お声の出し方の緩急がよくわかり、なるほど、噺家一流の「話芸」
というのはこういうものか、「芸」とつくだけあるなぁ、と感心しきり。
 しかしながら、あんまり正坐やじっとしてることに慣れていない現代っ子のミーハ
ー娘(といえる年を越したのは承知の上)としてはちと、あの座席は辛うございまし
た(^^;
 その点だけは、椅子席のホールがいいなぁ・・・と。すみません、軟弱者で(^^;
 連れていった友人のえりちゃんは、何より師匠とみなさんのパワーに感心しまくっ
ておりました。
 齢60におなりの師匠が五百噺を28年も続けてらした、ということは33歳の時
に、還暦のご自分を想像されたわけですよね。
 そこに向かって一大事業を成し遂げようと邁進されてきた。
 継続は力なり、と申しますが、そこには底知れぬパワーを感じます。
(なんせ、あたくしたちも、もう五百噺を始めてなきゃイカン年なので(^^;)
 そして、その師匠渾身の高座を一目見ようと、全国各地から駆けつけたみなさんも、
かなりパワフル。
 彼女の家は寺から徒歩15分ほどのところにあるのですが、
「こんな近場でこんなすごいことが行われていたなんて、知らなかった!」
 とビックリしておりました。
       (ってことは、広報活動が不十分かもしれませんね、師匠(^^;)
 3月のゴールに駆けつけられるかどうかはわかりませんが、滞り無く、大団円を迎
えられるよう、お祈りいたしております。

2001・5・4 UP