圓窓五百噺ダイジェスト(こ行)

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甲府い(こうふい)/紺屋高尾(こうやたかお)/後生鰻(ごしょううなぎ)/五百羅漢(ごひゃくらかん)/子褒め(こほめ)/権兵衛狸(ごんべえだぬき)

圓窓五百噺ダイジェスト 40 [甲府い(こうふい)]

 ある朝の江戸の豆腐屋。店頭の卯の花を盗ろうとした若者がいた。
 主人が咎めると「昨日、甲州から出てきて、スリに財布を盗られてしまった。腹が
へって、悪いとは知りながら卯の花に手を出しました。すいません」と詫びる。
 人柄が良さそうなので、主人は「うちで働かないか」と優しく言う。
 喜んだ若者(猪之吉)はその日から住み込みで働くことになった。
 主人から教わった通り「豆腐〜ィ 胡麻入り〜ィ ガンモド〜キ」の売り声で外を
売り歩き、陰日向なく実によく働いた。
 あっと言う間に三年がたった。
 この豆腐屋の一人娘のお花が、どうやらに猪之吉に惚れているらしい。二人を添わ
せて店を譲ることにした。
 また二年たったある日のこと。猪之吉が「実は江戸へ出るとき、途中に身延に寄っ
てお祖師さまに五年の願掛けをしました。その願ほどきをさせていただきとう存じま
す」と申し出た。
 豆腐屋も宗旨は法華宗なので喜んで「お花も一緒に行って来い」と赤飯を炊いて送
り出すことにした。
 出立の朝、長屋のかみさん連中から二人に声がかかった。
「ご両人、どちらへ?」
 猪之吉が売り声の調子で「甲府〜ィ お参り〜ィ 願ほど〜き」

(圓窓のひとこと備考)
 堅物の田舎者(猪之吉)が落ちのところでいきなり洒落を言い出すのはどう考えて
も不自然だ、と稽古をしはじめてすぐ気が付いた。
 このことを仲間に話すと「落語だからそれでいいんだよ」と軽くいなされた。
 落語という話芸はいわば虚構の世界であろうが、虚構の中にもそれなりに理屈はあ
る。
 この噺の落ちはそれからはみだしているような気がしてならないのだ。
 そこで、あたしは、豆腐屋の主人に「猪之吉よ。堅いのはいいが、堅すぎるのはよ
くない。商いのときに洒落の一つも言えるようになれ。たまには落語を聞け」なんと
いう小言をいわせている。
 その効果が現われたか、猪之吉が赤飯を食べて「もう入りません」と箸を下ろすと、
豆腐屋が「立って二、三遍はねてみろ。上のほうに隙間ができるから」と言うのだが、
すかさず猪之吉が「茶袋じゃありませんよ」と返す。豆腐屋は「洒落がわかってきた
な」と喜ぶ。
 そんな場面を挿入して、落ちへ継げるという演出をして、不自然さをカバーしてみ
たのだが、また仲間から「すぐにそんないい洒落が言えるわけがないよ」と皮肉を言
われたこともあった。
 話芸という虚構の世界は難しい。

[甲府い]の関連は、評判の落語会/各地の定期落語会/含笑長屋/圓窓独演会
2002・4・5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 81 [紺屋高尾(こうやたかお)]

 神田紺屋町の染物屋の奉公人の久蔵は、げっそりと痩せてしまい、床にふせってい
る。かかりつけの医者、お玉が池の竹之内蘭石が診たが、どうも可変しい。
 やっと、久蔵は蘭石に白状する。
「竹の塚の叔父に誘われて、生まれてはじめて吉原へひやかしに行きました。そこで、
花魁道中を見てびっくりしました。中で、高尾太夫の美しさには惚れぼれしてしまい、
それからは、恋いわずらいのありさま…」
「そうか。では、なんとしてやろう。陰では、お幇間医者と言われているこの蘭石、
吉原には顔が利く。経費としての金を十両ためなさい。吉原の松葉屋へ連れてって、
入り山形に二つ星、松の位の太夫職といわれる高尾花魁に会わせてやろう」と、久蔵
に約束をして、元気づけた。
 三年働いて、なんとか十両できた。紺屋の職人では、向こうもいい扱いをしてくれ
ないだろうからと、流山の大尽という触れ込みで行くことになった。
「あたしが、流山の大蛇になるの…?」
「大蛇ではない、大尽だ」
 てな、トンチンカンなやりとりが随所にあって、吉原へ乗り込んだ。
 盃のやりとりがあって、花魁が一通りの挨拶。
「ぬしは、今度、いつ来てくんなます」
「…、三年立たなければ…、こられません」
「なぜに…?」
 ここで、久蔵は涙ながらに「流山の大尽」と偽ったことを詫び、「紺屋の職人」で
あることを述べ、三年前の恋いわずらいからのことを正直に話した。
「源平藤橘四姓の人に枕を交わす卑しい身を、三年という長い間、恋していてくれた
とは、なんと情けのある方か。こういう人と連れ添っていたなら、よし、患っても捨
てられるようなことはあるまい」と、こう思った高尾は「来年の三月に年期があける
んざます。わちきのほうから、訪ねて行きんすによって、女房にしてくんなますか?
」久蔵は泣いて喜んで承知した。
 翌年三月、約束通り高尾太夫が紺屋町の店へやってきた。めでたく、親方夫婦の仲
人で夫婦になる。
 さぁ、吉原で全盛だった花魁が店で働くというので、江戸中のえらい評判。それに、
早染めというヒット商品を開発した。客にちょいと待ってもらう間に、手拭いを浅黄
色に染めて出す。これが「瓶覗き」という異名をとった。
 というのは、土間には染料の入った瓶がいくつも、いけ込んである。その瓶に花魁
が跨って仕事をする。今と違って、Gパンは履いておりません。着物ですから、チラ
ッ、チラッと写るんですよ、着物の中が。だから、客は誰もが瓶の中を覗くんで、「
瓶覗き」という…。
 通い詰めた江戸っ子は、うちでかみさんと喧嘩ばかり。
「おっかあ。なんか染めるもんねぇか」
「ありゃしないよ。白い物は残らず染めちまったんだから。あたしの腰巻きまで染め
たんだよ、お前さんはッ」
「なんか、ねぇかな…? あったッ。猫を染めようッ」

(圓窓のひとこと備考)
 固有名詞が違うだけという噺がある。[幾代餅]がそれだ。 [紺屋高尾]を圓生が演り、
[幾代餅]を志ん生が演っていただけに、門下の者もそれに倣ってか、師の演ってたも
のを継承している。だから、あたしは、[紺屋高尾]のほう。花魁が久蔵の純真さにホ
ロッとする場面の唱い上げる調子が演りたくて、早くから高座にかけた。
 花魁の「久蔵さんの愛(藍)に染まりました」という言葉を落ちにしたのが栄馬さ
ん。なかなかいい落ちだ。
2006・8・20 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 37 [後生鰻(ごしょううなぎ)]

 隠居の毎日の楽しみは神社仏閣をお詣りして歩くこと。その道すがら生き物が殺さ
れようとしていると、どんなことをしても助けていた。
 浅草の観音さまの帰りがけ、鰻屋の前を通ると、親方が鰻をまな板の上へ乗せて包
丁を入れようとしているところ。
 慌ててこれを言い値で買って「これ、鰻よ。これから先は決して人につかまるとこ
ろで泳ぐんじゃないよ。わかったかな。南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ」と言って前
の川へボチャーンと放り込み、「ああ、いい後生をした」と晴々とした気持ちで帰っ
た。
 翌日もお参りの帰り、鰻屋の前を通り、同じように鰻を買って放してやる。
次の日も同じ。何日も続いた。
 その度に鰻屋は隠居の足元を見て値段を吊り上げるから、隠居も「金が掛かりすぎ
るわ」と悩んで、ここしばらく、鰻屋の前を通らずに帰るようにした。
 そんなある日、鰻が切れて鰻屋は商売を休んでいるところに、隠居がやってきた。
 鰻屋は一儲けしようとするが、肝心の鰻がない。生き物ならなんでもいいだろうと、
発作的に赤ん坊をまな板の上に乗せて、頭の上で出刃包丁を振り回した。
 これを見た隠居は店へ飛び込んできた。
 金を払って赤ん坊を引き取り「これ、赤ん坊や。こういう家に再び生まれてくるん
じゃないぞ、わかったな。南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ」てんで、前の川へドボー
ン!

(圓窓のひとこと備考)
 タイトルにある"後生"とは、死んでから極楽に行くために、この世で人助けなど
のいいことをすることだそうだ。
 この噺は考えようによっては残酷な話である。
 廃業して落語協会の事務員になった三遊亭市馬が「これでは赤ん坊が可哀想だ」と、
猫にして演ったがほとんどうけなかった。
 確かに実際に赤ん坊を買い取って川に投げ込むような人がいたら、誰だって許さな
いだろう。だが、落語の世界でこれを演じると、聞き手は隠居のなしたことを許すわ
けではないが、「馬鹿なやつがいるもんだ」と笑って、どこかで優越感を味わってい
るのかもしれない。
 猫ではそこまでいかないのであろう。やはり、残酷のようだが、赤ん坊でなければ
いけないのだ。
 残酷であって、残酷でないという妙な噺でもある。
2002・4・5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 28 [五百羅漢(ごひゃくらかん)]

 八百屋の棒手振りの八五郎が迷子(六つくらいの女の子)を連れて商いから戻って
きた。
 その子はかみさんが問い掛けても口を利かない。どうやら、先だっての大火事で焼
け出されて親とはぐれしまい、驚きのあまりに言葉を失ってしまったのであろう。
 とりあえず、まい(迷子のまい)という名前を付けて、親が見付かるまで手許に置
くことにした。
 翌日から、八五郎は商いをしながら、女房は外へ出て用足しをしながら、「こうい
う子を預かってます。親御さんを知りませんか」と尋ね回るが、一向に手がかりはな
い。
 四日目。かみさんは八五郎に言う。
「このまいは、いやな子だよ。薬缶を持って口飲みするよ」
「親の躾が悪いのかな。親が見付からなかったら、うちの子にしてもいいと思ってい
たのに……。手がかりがねぇんだから、探しようがねぇ」
「この子を旦那寺の五百羅漢寺へ連れってって、羅漢さんを見せたらどうだい? 五
百人の羅漢さんのうちには自分の親に似た顔があるというよ。それを見つけて、なん
か言おうとするんじぇないかい。それが手がかりになるかもしれないよ」
 翌日、五百羅漢寺へ行ってら感動の中の五百の羅漢さんを見せる。上の段の一人の
羅漢をじーっと見つめて、指差しをした。
「この子の父親はこういう顔か。これも何かの手がかり」と合点して、境内を出たと
ころで、住職とばったり。
 迷子のことを話すと、住職が「今、庫裏の畳替えをしているんだが、その職人が『
火事でいなくなった子供がまだ見付からない』と来る度に涙ぐむんだ」と言う。
 と、子供が庫裏を前の畳の仕事場になっている所へ駆け寄ると、小さい薬缶を持っ
て口飲みを始めた。
 これを見た八五郎「畳屋の娘だ! 躾が悪かったわけじゃねぇ。親と一緒に仕事に
行って、見てて覚えたのが、口飲みだったんだ」
 ちょうど庫裏から畳を運び出してきた職人が、子を見付けて「よしィ!」と絶叫。
 はじかれたように立ちあがった子が、「ちゃーん!」と声を出して、吸い寄せられ
るように跳び付いていった。
 職人は泣きながら、その子を両手で包むように抱きしめた。
 この様子を見ていた八五郎「やっと声が出た…。本物の親にゃ敵わねぇ…」
 住職も涙を拭きながら「畳屋に言って、お前さんに礼を言わせるから」
 八五郎も涙して「しばらく、二人切りにさしておきましょうや」
 二人が手をつなぎながら、親が大きな薬缶を持って口飲みをして、プーと霧を吹き
出すと、畳ほどの大きな虹が立った。子供が小さな薬缶で口飲みして、ぷーっ小さく
霧を吹くと、可愛い虹が立った。この二つの虹と虹の端が重なった様は、親子がしっ
かりと手を握り合って「もう離さないよ」と言っているようだ。
八五郎「こちらへ来てよかった。さすが五百羅漢のおかげだ」
住職「なあに、今は親子薬缶だよ」

[五百羅漢]の関連は、評判の落語会/単発の落語会/五百席達成記念落語会/ぷろぐらむ
[五百羅漢]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/客席からじっくりと
[五百羅漢]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/まどべの楽屋レポ
2001・7・14 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 21 [子褒め(こほめ)]

 八っつぁんは隠居さんを訪ねて、商人の褒め方、歳を若く言う褒め方、それに赤ん
坊の褒め方まで教わる。
「『失礼でございますが、このお子さんはあなたのお子さんでございますか。このよ
うなお子さんがおいでになるとは存じませんでした。昔から親に似ぬ子は鬼っ子なぞ
と申します。額の辺り、眉目の辺はお父っつぁんそっくり。口もと鼻つきは、おっ母
さん生き写し。総体を見渡したところは、先年お亡くなりんなったご隠居さまに瓜二
つ。長命の相がございます。[栴檀は双葉より芳し][蛇は寸にしてその気を現す]。
私もこういうお子さんにあやかりたい、あやかりたい』とでもおやり」と。
 早速、外へ飛び出した八っつぁんは往来で三河屋の番頭をつかまえると、商人の褒
め方をぶつけてみるが失敗、歳を訊いて褒めようとするが、これまた失敗。
 今度は赤ん坊を褒めようと、竹さんを訪ねて、生まれたばかりの赤ん坊を前にして、
褒め始める。
「失礼でございますが、このお子さんはあなたのお子さんでございますか」
「当たり前だ、俺の子だ」
「このようなお子さんがおいでになるとは、存じませんでした」
「知っているから来たんだろう」
「昔から親に似ぬ子は鬼ごっこをする」
「赤ん坊が鬼ごっこをするかよ」
「額の禿げあがってるとこ、眉目の下がっているとこはお父っつぁんそっくり。口の
大きいとこ、鼻の低いとこはおっ母さん生き写し」
「わるいところばかり言うなよ」
「総体を見渡したところは、先年お亡くなりんなったお婆さんに瓜二つ」
「婆さんはそこで昼寝をしているよ」
「お亡くなりんなったお爺さんに瓜二つ」
「爺さんはタバコを買いに行ってるよ」
「洗濯は二晩で乾きますか。蛇はスマトラで南方だ。私もこういうお子さんにあやか
りたい、首吊りたい」
「馬鹿なことを言うなよ」
「ときに竹さん、このお子さんはおいくつで?」
「生まれて七日目だ」
「ああ、初七日」
「縁起でもねぇこと言うな」
 赤ん坊の枕元に祝いの句を書いた短冊があって、「竹の子は 生まれながらに 重
ね着て」とある。
 八っつぁんは「これに下の句を」と言って付ける。「育つにつれて 裸にぞなる」


(備考)
 落ちはいくつかあるようで、「ときに竹さん、このお子さんはおいくつで?」「生
まれたばかり、一つだ」「一つとはお若い」「一つで若けりゃ、一体、いくつに見え
る?」
「どう見ても、タダだ」。あるいは「半分です」というのもある。
 しかし、今の満年令の数え方だと、ピンとこない落ちになる。
 落ちまで演らずに途中のクスグリで下りることもある。

[子褒め]の関連は、評判の落語会/単発の落語会/五百席達成記念落語会/ぷろぐらむ
2001・5・31 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 41 [権兵衛狸(ごんべえだぬき)]

 山里の床屋の主の権兵衛。夜は近所の人が集まって四方山話で過ごす。
 みんなが帰ってそろそろ寝ようかと思うと、表の戸をたたき「ごんべえ、ごんべえ」
と呼ぶ声。
 戸を開けてみると誰もいない。
「さては狸のいたずらか。今度きたらつかまえてやるべ」
 しばらくすると、「ごんべえ、ごんべえ」ときたから、権兵衛はそーっと戸に近付
いて手をかけてタイミングをうかがった。
 狸が戸をたたくときは、背中を戸に付けて後向きになって後頭部で叩くそうで。
 それを知っている権兵衛が叩いているところをさっと開けたもんだから、狸が後向
きに倒れ込んできた。それを捕まえると縛って天井に吊した。
 翌朝、村の衆が来て狸を見て、「皮を剥ごう」「狸汁にしよう」と相談ごと。
 権兵衛は「今日は父親の命日、殺生はしたくねぇ。ちょいとお仕置きして放してや
るだ」と、鋏で頭を丸坊主にして逃がしてやった。
 と、その夜また、戸をたたく音。今度は「ごんべさん、ごんべさん」とさん付けで
呼んでいる。
 カンカンになって怒った権兵衛が「なにしに来ただ!」と戸を開けると、昨夜の狸
が「親方。今晩は髭をやってください」

(圓窓のひとこと備考)
 ほのぼのした民話調の噺だが、「髭をやってくれ」という落ちはいかにも落語。
 蕪村の句にも「戸を叩く狸と秋を惜しみけり」という名作がある。
2002・4・5 UP