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 江戸落語風俗抄

風俗問答 1

時 蕎 麦 の タ イ ム

テキスト  落語[時蕎麦]


問答者 : 隠居(いんきょ)
: 跳半(はねはん)
跳半「こんちわ」 隠居「おお、跳半かい。お上がり、こっちィ」
跳半「ご無沙汰してます」
隠居「久し振りだな。なにか面白い話でもあるかい?」
跳半「噺を聞いてても、歌舞伎を見てても、そうなんですが、江戸時代の時刻ってぇ
  なァ、いってぇどうなってんだい、ありゃァ」
隠居「江戸時代は時刻を示す数字が、今とは逆さまに進んだのだ」
跳半「逆さ事かい? てぇと…、弔いみてぇだな、そりゃァ。忌中時計とかなんとか
  いったのかい?」
隠居「そんなことは言わないよ。江戸時代は午前午後とも、今の0時が九つ(ここの
  つ)、と呼ばれたな。九つから始まって、2時間置きに、八つ(やつ)、七つ(
  ななつ)、六つ(むつ)、五つ(いつつ)、四つ(よつ)と時を示して、九つに
  戻るんだ」
跳半「ちょいと待っておくれよ。数が減るのかい? そいつは縁起が悪いな。増やし
  ねぇな」
隠居「そうはいかないよ」
跳半「なぜ、九つから始まるんだい?」
隠居「中国では九つは満ることを現わす最高の数だった。で、九つから始めたんだろ
  うな、きっと」
跳半「今の時計は、『2時間経過したよ』『4時間経過したよ』ってぇこと言ってる
  ようですね」
隠居「そうも言えるな」
跳半「そこへいくと、昔は、『今日一日、時間はまだ八つあります』『七つあります
  よ』って、残り時間を示しているようなもんなんだ」
隠居「巧いことを言うな、半さんは」
跳半「縁起のいい九つから始めたのはいいが、あと、八つ、七つと減るのはいけねぇ
  な」
隠居「別に減らしたわけじゃないんだ。2時間経って、もう九つ足したんだ」
跳半「と…、十八になりますよ」
隠居「そう。だが、そうして増やして行っては、実際に時を数えるには数が大きすぎ
  て大変だから、十の位(くらい)は省略して、八だけ残して八つ」
跳半「ああ、可哀想に。片っぽそいじまうのかい」
隠居「その次は十八に九つ重ねて二十七。二十は取っ払って七つになったな。あとは
  その順で九つずつ重ねて十の位を取っ払って、六つ、五つ、四つ、と呼ぶことに
  したんだ」
跳半「まるで、判じ物だな、そりゃ。中国の縁起の良さを拝借した、という資料や証
  拠、残ってんですか」
隠居「う……ん、それはわからん」
跳半「中国でも時はそうやってたんですか」
隠居「う……ん、それはわからん」
跳半「その時計以外で中国の九つを重ねた、なんてこと、他にあるんですかな」
隠居「う……ん、それはわからん」
跳半「なんだ、みんなわからねぇんだな」
隠居「あとで調べておくよ」
跳半「じゃ、今日のところは勘弁してやろう」
隠居「そうしておくれ。話を元へ戻しますよ」
隠居「頼むよ」
跳半「2時間刻みで数字が減っていくんだから、八つてぇのは今の2時だ」
隠居「そうだよ。七つ(ななつ)が4時。六つ(むつ)は6時」
跳半「6時は六つで、同じ数だね。覚えやすいや」
隠居「明け六つとか、暮れ六つとか、言ったもんだ。五つ(いつつ)が8時で、四つ
  (よつ)が10時。そして、九つに戻って、これが0時」
跳半「じゃ、午前も午後も同じ呼び方なんだ」
隠居「そういうことだな」
跳半「寄席でよく聞く落語の[時蕎麦]に、やたらと時(とき)が出てきますね」
隠居「あれは、いわば、江戸の夜中に起きた詐欺事件だな」
跳半「屋台の蕎麦を食べた客が代金十六文を払う段になって『ひい、ふう、みい、…
  …』と言いながら銭を一文ずつ払っていくんだが、八文になったとき、突然『今、
  なんどきだい?』と時刻を聞くんだ。蕎麦屋が『九つで』と答えると、客は続け
  て『十、十一、……、十六』と、十六文を払って行っちまいますね」
隠居「うまく一文ごまかしたわけだ」
跳半「この蕎麦屋が言った『九つ』ってぇのは、今の…」
隠居「夜中の0時から2時の八つになるまでの2時間という時間帯になるな。この2
  時間を一っ時(いっとき)というんだ」
跳半「一っ時って、そんなに長ぇんだ。今の1時間と違うんだ」
隠居「一っ時の半分を半時(はんとき)という。これは1時間を表すかな。だから、
  九つ半というと、0時と2時の真中で1時ということだ」
跳半「じゃ、八つ半てぇと…」
隠居「2時と4時の間で、3時だ。昼間の3時はちょうどお腹が減る時分。今だと『
  三時にしましょう』なんて言うが、昔は『お八つにしましょう』と言ったもんだ」
跳半「なるほど。してみると、あっしがここへ来て、未だに食い物はなにも出でてこ
  ねぇから、まだ3時じゃねぇな」
隠居「催促をされたようだな」
跳半「そういうわけではありません。ちょっとした皮肉です」
隠居「そのうちに、ばあさんがなにか出してくれるだろう」
跳半「『そのうち、そのうち』って言ってて、三日たってもなにも出なかったら、ど
  うしよう」
隠居「そんなに待たせやしないよ。ほんの四半時(しはんとき)、待ちなさい」
跳半「しはんときって?」
隠居「半時の半分を四半時(しはんとき)といったな」
跳半「てぇと、30分」
隠居「そうだ」
跳半「と、1時30分は、九つ半々といったのかね」
隠居「そんな言い方はなかったようだ」
跳半「じゃ、1時30分はなんて言ったんだい?」
隠居「なんといったかな、わからない」
跳半「隠居さんでもわからねぇことあるんですか」
隠居「そりゃ、あるさ。そんなことより、[時蕎麦]の続きをしましょう」
跳半「口調が鮮やかなので蕎麦屋も気がつかねぇ。これを脇で見ていたのが日当たり
  の悪いところでポーッと育っちまった、ごく安直な野郎だ」
隠居「お前さんと似ているんじゃないかな」
跳半「冗談言っちゃいけねぇやな。あっしゃァ、日当たりのいい所ですくすくと育ち
  過ぎて」
隠居「やっぱり、ポーッと育っちまったな」
跳半「どうも、そうらしい」
隠居「だらしがないな」
跳半「この手口を自分でもやってみようてんで、翌晩、蕎麦を食べて勘定だ。代金を
  八文まで払って『今、なんどきだい?』と聞くと、『四つで』と言われて、『い
  つ、むう、なな、やぁ……』と余計に払わされた、というのが落ちでしたね」
隠居「よく覚えているな」
跳半「このボーッと育っちまった江戸っ子は、今の時間でいうと、何時頃に出かけた
  ことになるんです?」
隠居「蕎麦屋が『四つ』と言ったのを信じれば、午後の10時から、九つになる0時
  までの間ってことは、確かだろうな」
跳半「てぇと、2時間……」
隠居「蕎麦屋に『九つ』と言わせたかったんだから、九つの鐘を聞いてから出掛けれ
  ばよかったんだが…」
跳半「四つの鐘を、九つと聞き誤ったのかな」
隠居「それも考えられる。あるいは、九つに近い刻限だから、食べているうちに四つ
  になるだろうと思ったんだが、早く食べてしまったのかもしれないな」
跳半「不味い蕎麦だけに、つなぎ切れなかったかな」
隠居「時を訊かれた蕎麦屋が、九つの鐘を聞き忘れていて、うっかり『四つ』と言っ
  たのかもしれない」
跳半「なるほど。ことによると、蕎麦屋は九つを知ってて、儲けようと思って、あえ
  て『四つ』と言ったかもしれねぇぞ」
隠居「蕎麦屋の悪意が生々しいな」
跳半「こねぇだ、ある噺家が演ってたんだが、『翌日、嬉しくて、まだ、夕方の明る
  いうちから家を出て、深夜になるのを待った』てんだが、これは間抜け過ぎます
  ね」
隠居「ちょいと、大仰だね、それは」
跳半「九つになる2時間前に家を出たってんなら、まだ勘弁できますがね」
隠居「そう思っている落語ファンが多いんだ。『その間抜け野郎は、二時間前に出か
  けたんだろう』って」
跳半「あっしもなんとなくそう思いましたが…」
隠居「単純に、四つと九つの間という、それも、現在流の時の数え方で律しているか
  ら、そう考えるのだ」
跳半「じゃ、隠居さんは、二人の客はそれぞれ何時ごろ、蕎麦を食べたと思うんです
  ?」
隠居「最初の客は、九つ打って直ぐだ」
跳半「てぇと、0時10分頃かい?」
隠居「そうだ」
跳半「そのあとの真似をした客は?」
隠居「九つちょいと前だ」
跳半「てぇと?」
隠居「23時45分としておこおうか」
跳半「なるほど。すると、二人の時間差は長くて、20分てぇことですか」
隠居「そうだろう」
跳半「あっしもこの手口をどっかでやってみてぇな」
隠居「およし、およし。この落語はな、人を陥れようとすれば、自分に振りかかって
  くる、という教訓を含んだ話なんだから、成功はしないよ」
跳半「そう言うところをみると、隠居さん、やって失敗したな」
隠居「バカなことを言うな!」
跳半「いけねぇ、怒らしちゃった。じゃ、そろそろ、帰ろう」
隠居「もう帰るのかい?」
跳半「今日も、食い物の出ねぇうちに帰ります」
隠居「なんだい、『今日も』ってぇのはッ」
2000・5・23 UP