圓窓五百噺ダイジェスト落語はどこから | 圓窓五百噺考察集 | 落語の中の古文樂習 |圓窓落語歌謡 | 江戸落語風俗抄 | 狂言と落語の交わり | 噺のような話 No1〔 寝 床 〕トップページ

圓窓五百噺考察集

漱石の名作 「三四郎」 の名前の由来

筆  三遊亭 圓窓
2003・12・27 産経新聞朝刊に掲載したものです。


 漱石が落語好きであったことは多くの研究家によって書き尽くされているが、漱石
の代表作の一つ「三四郎」のその主人公の名前が落語に由来していることに気が付い
た識者はいないようなので、この紙上に発表することにした。
 まず、作品の導入部分を念頭に置いてもらいたい。



 三四郎が上京する車中、ちょいといい女と乗り合せた。汽車は名古屋留まりなので
下車して近くの宿を捜そうとすると、その女が「一人では気味が悪いから、どこか宿
屋へ案内を」と言って付いて来る。三四郎は妙な女だなと思いながらも宿屋を選んで
入った。宿の女中に気を回されて案内されたのが、二人一緒のひと部屋。
 このあと、三四郎が風呂に入ると、女が「ちいと流しましょうか」と声をかけて帯
を解き出したので、あわてて湯槽から飛び出す始末。
 女中が床を一つしか敷かないので、女は湯から戻ってくると、それへさっさと横に
なってしまう。三四郎は「蚤除けの工夫をやるから」と、敷布の端を女の寝ている方
へ捲き寄せて、白い長い仕切りをこしらえ、自分の領分には西洋手拭を二枚、敷いて、その上に細長く寝た。


 これと同じような同衾場面は[敵討札所の霊験](圓朝作)と、[お花半七]の中
にある。細かく比較すると[お花半七]の影響が強い。
 ついでに[お花半七]の粗筋を書く。


 お花と半七は隣同士の幼馴染。ある日、二人とも帰宅が遅くなり親から締め出しを
食らってしまった。半七が叔父のところへ行くと言うと、お花は嫌がる半七の後を追
っ掛けてきて、ついに叔父宅の中まで入ってしまう。気を利かせた叔父の言うままに
二階に上がることになった二人。蒲団は一組。二人は敷布に半ぶんこの線を引いて背
中合わせに寝ることになる。


 これを読めばもうおわかりだろう。汽車に乗り合せた女が積極的なのは半七を追っ
掛けるお花であり、また、三四郎が宿帳に住所と小川三四郎と書いてから、女のこと
を、なんと「同県同村、同姓花」と記しているのである。この名はまさに、漱石が[
お花半七]を聞いた上で筆に託したに違いない。漱石の隠し洒落と言ってもいいだろ
う。
 それのみならず、隠し洒落はまだある。宿帳に「花」と記したのなら、主人公は「
半七」的でなければならない。漱石はそのまま「半七」ではいかにも古臭いと思って
か、七を半分ずつにすることを試みた。二等分では「三・五郎(さんてんごろう)」
になってしまって変だ。博打で半目の七になる数字を二つにして並べた。六と一。「
六一郎」「一六郎」はピンとこない。「五二郎」「五二郎」では堅そうだ。あとは「
四三郎」「三四郎」、となると「三四郎」に落ち着くだろう。
 ということは「半七」イコール「三四郎」。だからこそ、「三四郎」という名前は
落語の「お花半七」をヒントにしたことが明瞭なのである。
 あたしはこの件を漱石研究の定説にしたいのだが……、一笑に付されてお終いかな
……。
 さて、その晩、蒲団に入った三四郎はどうしたろうか。



 その晩は三四郎の手も足もこの幅の狭い西洋手拭の外へは一寸も出なかった。女と
は一言も口を利かなかった。女も壁を向いたまま凝として動かなかった。


 二人は清いまんまだった。翌朝、宿を出て駅で別れるとき、三四郎は女に「あなた
は余っぽど度胸のない方ですね」と言われてしまった。
 もっとも漱石自身も女遊びの噂もないくらい堅い人物だったようで、三四郎には漱
石の部分が窺がえて面白い。
 よく芸人が「女遊びは芸の肥やしだ」と言うが、「漱石は寄席通いを文学の肥やし
にした」と言っても過言ではない。
 往年の文学者には寄席へ通って良い落語を聞いて感動した人が多いようだ。最近の
作家はどうなのだろうか。素晴らしい文学者になるには、良い落語を聞くのも一つの
方法なのだが……。



[お花半七・上]の関連は、圓窓五百噺付録袋/落語の中の古文楽習/古文楽習 教本と問答 その5
[お花半七・上]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/お花半七・上
[お花半七・下]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/お花半七・下
[お花半七・上][お花半七・下]の関連は、
                              評判の落語会/圓窓系定例落語会/圓窓一門会/客席からの観賞記





圓窓説(「三四郎」 名前由来)は 一考に価する

文責  吉澤 貞(窓門会会員)
2004・1・吉日 年賀ファックス


 遅ればせながら、新年おめでとうございます。
 今年も、よろしくお願い致します。
 窓門会からのお年玉の高座扇子、有難うございます。
 保育園の孫娘がNHK幼児番組の影響で[寿限無]をソラで言える様になりました
が、この扇子はジジィの自慢です。
 「小窓情報」と新聞コピー(産経に載った「三四郎の由来」)を我が落友(落語の
友達で「らくゆう」という)の伊村元道君(元玉川大学教授、現拓殖大学大学院教授
・英文学)に送りましたところ、下記の様な返事を貰いましたので、お送り致します。
 伊村君は「英語教師としての漱石」の研究をしています。



 拝復、お手紙とコピー、有難うございました。
 「お花」については名前まで一致するので、圓窓説は大いに説得力がありますね。
このハナシ、私も前にどこかで聴いた覚えがあります。
 「三四郎」の三+四=半七、というのは如何なものでしょうか。
 私が聞いた話はこうです。
 戦前アメリカで左翼運動をしていて戦後、帰国した石垣綾子という評論家がいたの
を御記憶ですね。彼女は漱石と同じ早稲田南町で育ち、小学校で漱石の三女と同級生。
彼女(石垣綾子)の父は「田中三四郎」といい、その表札から漱石は主人公の名を思
いついた由。



 もう一人の落友、田所寛行君(前茨城キリスト教大学教授・国文学)は、私とほヾ
同意見で、「伊村君の手紙の通りかも知れないが、それは直接的ヒントであって、漱
石は『石を枕にし、流れに口を漱ぐ』から出た”漱石”なる言葉が気に入って自らを
”漱石”と号した位だから、圓窓説は面白い。一考に値する」ということです。


 この落友三人は東京教育大学文学部の卒業で、吉澤(昭和28年 英文科卒)、田
所(昭和30年 国文科卒)、伊村(昭和33年 英文科卒)共に落語聞き歩きを趣
味に持っている。


2004/3/15 UP




創作落語 [胸の肉]

知らなくても 知ってても いいこと

難 語 散 策

                                    文 圓窓
 
胸の肉(むねのにく) 女の乳房ではなく、男の胸板を示す。ただし、乳房を想像して読
 み始めても人格に傷は付かないが、読後「裏切られた」といって怒ると、傷が付く。
シェイクスピア  シェイクは振る、スピアは槍。このことは、シェイクスピアの先祖が
 屋敷の門番だったという説を証明するらしい。因みに圓窓の先祖は、窓拭きか。
ベニスの商人(しょうにん) あきんど、とは読まない。「中州(なかす)の商人」とい
 う語呂合わせのタイトルも考えたが、推敲を重ねるうちに商人を医者に変えたので、[
 胸の肉]といういタイトルにした。
小田島雄志(おだじまゆうし) シェイクスピアの作品を新しい感覚ですべて訳し、業界
 をアッと言わせた学者。落語好きが読むと、洒落沢山で感涙にむせぶはず。圓窓は「シ
 ャレ(洒落)イクスピア」との渾名を勝手に付けた。[胸の肉]には小田島先生の許可
 をいただいて小田島訳の名台詞をふんだんに採り入れた。
清六(せいろく) [ベニスの商人]の金貸しのシャイロックの変換名。
安藤似蔵(あんどうにぞう) [べニスの商人]の船主のアントーニオの変換名。この[
 胸の肉]では医者。
町奉行(まちぶぎょう) 今でいうと、都知事、消防長、警視総監、裁判長などなど、多
 くの権力を抱えていたようだ。
大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ) 文献の上に残る大岡奉行の裁いた事件は白子屋
 事件(落語の[城木屋])だけであり、俗にいう大岡政談は後世の者のフィクションで
 、他の奉行の裁いた事件を大岡越前守の扱いにしたり、外国(中国)の話を導入したり
 、相当に名を無断借用している。それだけ、人気があったということだろう。
大家(おおや) (たいけ)と読むと意味が異なるので注意。大家、家主、家持ち、地主
 、それぞれ違うらしいが、混同されてきている。地主は土地の所有者。家主、家持ちは
 家屋の所有権を持っている人で、大家は所有権はなく、所有者から託されて長屋の管理
 にあたっている人のことらしい。
志兵衛(しへえ) 大家の名前はなんでもいいので、小田島雄志先生の一字をとって、志
 兵衛。金に絡んだ事件なので「志兵衛(紙幣)か」と無理矢理にこじつけて喜んでいた
 ファンがいたが、考え過ぎだ、そりゃ。
詰将棋(つめしょうぎ) 昔は「図式」といって、秀忠の時代に初代大橋宗桂(そうけい
 )名人の著わした[図式五十番]がもっとも古く、七世名人であるの伊東宗看の[将棋
 作者詰書]の百題は「詰むや詰まざるや」の名で知られている。宗看の弟の看寿の[将
 棋図巧百題]は傑作であり、「煙り詰」「六一一詰」は名高く、[胸の肉]の中で扱っ
 た詰将棋はその第七番から採用した。
  将棋の出てくる落語には[将棋の殿様][浮世床][将棋の遊び]などがあるが、平
 成11年現在、落語協会の興行する楽屋では将棋を指す風景は見当たらない。そもそも
 、楽屋将棋がすっかり下火になったのは将棋好きの志ん生の死後からで、つまり、そう
 いう楽屋の中のブームもヨイショ精神から出発するということが、よくわかった。
金子(きんす) (かねこ)でもなければ(きんこ)(かなこ)でもなく、(きんす)が
 正しい。辞書(三省堂新国語中辞典)によると「子(す)は接尾語で、唐音で(す)と
 発音する。漢語に添えて語調を整える。金子、扇子などあり」と記されている。だから
 、子は小さいとか、子供とかを表しているわけではない。こういう字を捜してみると、
 まだある。椅子、茄子。子(す)とは発音しないが、帽子、面子、餃子なども同類なの
 か。
五両(ごりょう) 貨幣の価値は江戸時代でも相当な変化があるので、一概には言えない
 が、平成11年の今日、一両を6万円と換算しておこう。五両だから30万円になる。
 安藤似蔵は薬を購入するために30万円の借金を申し出て、それを清六は60万円にし
 て貸したことになる。
塩梅(あんばい) いい味付けをするには塩と梅酢のほどのよい加減が必要で、塩梅とい
 う言葉ができたというが、本当か。「塩梅、按配、按排は本来、別の語」と広辞苑に。
嵩んで(かさんで) こういう字があると知ったとき、びっくりした。もっと頻繁に使え
 ばいいのに、なんて思ったりして…。知人に嵩原さんという人がいたっけ。
五百匁(ごひゃくもんめ) 一貫目の半分が五百匁。一貫目は3.75Kgだから五百匁
 は87Kg。となると、ちょっとありそうだぞ。
工面(くめん) この語源を知りたい。誰か、教えてください。
九つの鐘(ここのつのかね) 今の午前0時に打った時の鐘。”七つの鐘(午前4時か、
 午後の4時)を六つ聞いて残る一つは未来へ土産”という唄の文句が落語の[小言幸兵
 衛]の中にある。
証文が口を利きます(しょうもんがくちをききます) 筆者が講釈から落語にアレンジし
 た[匙加減]も大岡政談であり、「書いた証文が口を利くぜ」「紙だけにぺらぺらと喋
 るかい」という会話があり、それに因んだ言葉が落ちになっている。
逐伝先生(ちくでんせんせい) 実在の人物名ではない。筆者が勝手に付けた名。由来は
 、清六が尋ねてもいなかったので、不在、留守、あるいは逐電…、それから思い付いて
 、逐伝…。ふざけ過ぎなり。
半里(はんり) 尺貫法で一里は4kmだから、半里は2km。”急行列車の便所に入りゃ
 しゃがんだばかりで尻(4里)端折る(走る)”という都々逸があったっけ。ばかばか
 しいけど、いいね、こりゃ。
辿り着いた(たどりついた) 「沢づたいの細い道を辿っていくと」なんて書くと、山と
 いう字がふさわしく見える。余談だが、這う(はう)、という字はどうだろうか。「音
 をさせぬよう、暗い廊下に出ると、這うように奥の部屋に向かった」。這いながらぶつ
 ぶつ言うさまを形にしたのが、這うという漢字なのだろうか。夜這いのさまからとった
 のか。あるいは、這う子を見てのことか、
うな垂れる(うなだれる) うなじを垂れる、ということは頭を垂れる、ということは、
 うつむくこと。鰻が垂れるわけではなかった。「うな垂れる、は口語の下一で、うな垂
 る、は自動詞の下ニ」と広辞苑にあるので、次いでに記す。
泥酔(でいすい) 正体なく酔うことで、それがどうして泥と? ヘベレケ、とはギリシ
 ャ神話の中の某神様の名前からきた、という説を読んだことあるが…。
観音(かんのん) 観音は各種あるが、どれも菩薩である。菩薩で修業を重ねて単位を得
 て、卒論を提出して、初めて仏になるそうだ。仏が真打ちとすると、菩薩は二つ目か。
 こんな書き方をすると、仏教会から「そんな甘いもんじゃない」とクレームがきそうだ
 が……。阿弥陀如来という仏様も菩薩で修行した時代もあったそうだ。
不徳の至すところ(ふとくのいたすところ) 世のお偉方はなにか発覚すると、この言葉
 を使って謝っているが、そもそも[徳不徳]ということを心得ているのか。[得不得]
 のつもりでいるのではないのか。
  いたす、は至す? 致す?
店子(たなこ) 店(みせ)と書いて、たな、と読む。長屋のことを店といい、そこに住
 む人を店子という。「店立て食わせる」「店賃」という言葉もあり、「長屋から出て行
 けと宣言する」「家賃」のこと。ただし、商店のことも店ともいい、「大店(おおだな
 )の若旦那」と言えば「大家のジュニア」のこと。おっと、大家も(たいけ)とルビを
 振らないと(おおや)と読まれる可能性もあるから気を付けよう。
  店の語源は、どうやら、棚と関連があるらしい。
南町奉行所(みなみまちぶぎょうしょ) 町奉行所は南町と北町(中町が置かれた時期も
 あった)があって、一ヶ月毎、交互に門を開けて受付け業務をしていた。南町は今の有
 楽町のマリオン付近、北町は東京駅八重洲口にあり、大岡越前守は南町、ご存知の遠山
 金さんは北町のお奉行様である。
慈悲(じひ) シェイクスピアの作品の中には慈悲という言葉が盛んに出てくる。「頑な
 に正義ばかり求めれば、人間だれ一人、救いには預かれまい。そこで、我々は慈悲を施
 せと教えるのではなかろうかのォ」は聖書に出てくる有名な言葉だそうだ。
  日本では慈悲となると観音様が思い出されるので、筆者はこの[胸の肉]に観音菩薩
 を挿入した次第。
三種の神器(さんしゅのじんぎ) 皇位の標識として歴代の天皇が受け継いだ、八咫鏡(
 やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八坂瓊曲玉(やさかにのまが
 たま)の三種の宝物。
  下々ではテレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器と言われた時代がある。「そんな物を
 三種の神器と唱えるのは不敬である」と怒った老人がいたが、某噺家が「いいじゃあり
 ませんか。三つとも殿下(電化)のおかげです」と言って事なきを得たという伝説が楽
 屋にはある。が、真偽のほどは未だにほとんどわからない。
  ところで、噺家の三種の神器とは「扇子」「手拭い」「座布団」かな? しかし、座
 布団はなくても立って演ることはあるし、扇子や手拭いを忘れて人から借りる輩も大勢
 いるので、三種の神器とはおこがましくて、とても言えないはず。
錦の御旗(にしきのみはた) 日本では天下の覇者を狙う者、だれもが必ず天皇を担ぎ出
 し、錦の御旗を振りかざした。ところが、世の中が泰平(徳川時代)になると、縁遠く
 してしまい、それがために、宮廷は大いに貧に苦しんだようだ。江戸の貧乏長屋のよう
 な生活レベルにまで落ちたこともあったという。
玉座(ぎょくざ) 天皇を玉と言い表し、天皇の座る所をいう。玉体となると天皇の体の
 こと。下々では「玉のような男の子」というように「ような」を付けなければいけない
 。
頑なに(かたくなに) 強情な意。
否(いな) 「違う」ということ。
憎体(にくてい) 「にくてい」と言うと、ほんとに「憎体に」感じるから不思議だ。
板倉重宗(いたくらしげむね) 京都の所司代を勤めた人で、「名」を付けてもいい人物
 である。誓願時の住職の安楽案策伝は自ら編纂した日本で最初の小咄本[醒酔笑]をこ
 の板倉重宗に献上している。所司代とは町奉行のような職務だが、京都では天皇の御所
 を抱えているので、格別に所司代という。日本の三名奉行の一人で、他に大岡越前守、
 遠山金四郎がいる。
柱石(ちゅうせき) 柱や礎のこと。そんなことから、たよりになる大切な人のことをい
 う。琴の弦の下に立てて調子を整える部品を琴柱(ことじ)という。(ことちゅう)じ
 ゃないてんだから、日本語は厄介だ。
則って(のっとって) 規則の則の字を書くのだから、当て字でないことがわかる。耳か
 ら入れると「飛行機を乗っ取って」という感じに聞こえるというから、物騒な時代だ。
抵当(ていとう) どうも、胡散臭さを感じてならない言葉である。金、土地、家屋とは
 切っても切れない仲。抵当証券なんてぇものが世間を騒がせたこともあった。噺家が口
 にする「するってぇと」はこの抵当とは一切関係がない。念のため。
白州(しらす) 奉行所の中庭に敷き詰められる白い砂の上に、加害者と被害者、あるい
 は原告と被告が並んで座らされるが、そこを白州という。ちょっと心配になるのだが、
 猫の糞尿場にはならなかったのか。現在では公園の砂場を猫が大いに利用をしていると
 いう。
莚(むしろ) 落語[長屋の花見]で長屋の一人が毛氈のつもりで持たされたのが、これ
 。しかし、そのつもりを忘れて大家に怒られるトラブルが発生する。
屋財家財(やざいかざい) Eメールでこの字を使ったら「なんですか?」という質問が
 あった。死語に近いのだろう。筆者も言葉として口にしていたが、漢字では書いたこと
 ない。PCのワードには、家財はあったが、屋財なかった。広辞苑でこの漢字を確かめ
 たから、間違いはなかろう。PCだって、国語の勉強のきっかけになることもある。た
 だ、ガチャガチャとキーボードを叩けばいいというものではない。
手鎖(てぐさり) 楽屋で右朝に「今でいう手錠を掛けられて入牢することなのか」と問
 い掛けると、「たぶん、そうでしょう」と言う返事だったが、その晩、書物を紐解いた
 彼は翌日、「受刑者は手錠を掛けられたまま家に帰されるが、何日かは手錠を外すこと
 はできない」ということを教えてくれた。長屋の住人である連帯責任者の監視下に置か
 れるわけで、仮に受刑者が逃亡すれば長屋の責任者も咎めを受けることになる。人手と
 施設の足りない体制側の知恵であろう、見事に人におっつけている。
  手鎖の一件が理解できて、ふと、落語の[帯久(おびきゅう)]を思い出した。奉行
 が悪人の帯久を懲らしめるために、右手の人さし指と中指の二本を細い和紙で巻き付け
 て封印し、「とったら、死罪」と脅かして家に帰す件りがあるが、これは手鎖からの発
 想であり、決して突拍子もないことではなかったのだ。この謎も解けて、儲かった。雑
 談が芸談になったことが嬉しい。
 解できないのが悔しい。
百叩き(ひゃくたたき) いくら悪さをしたって、百も叩かれるのはまことに辛い。しか
 し、お役人にも情けがあって、叩くとき口では正確に数を言うが、叩く手はいくらか間
 をあけて下ろされ、正味、三〇だったり、五〇だったりしたそうだ。よく聞くのだが、
 下手なゴルフで「100叩いちゃった」なんというのは過少気味だと疑ってもいい。実
 際にはもっと叩いていることが多いからだ。
所払い(ところばらい) 「どこそこから離れなさい」という刑。最近では「あなたは歌
 舞伎の市川猿之助から400M以内に近付いてはならない」という判決があったが、あ
 れも一種の所払い。
遠島(えんとう) 遠くの島に流される刑罰。江戸の咄家の元祖といわれる鹿野武左衛門
 は伊豆の大島に流されたと伝えられる。
磔(はりつけ) 一段高いところに縛られるだけではなく、左右から錆びた槍で突かれる
 のだから、痛いのなんのって。義賊と称せられて人気のあった鼠小僧という泥棒もこれ
 で刑場の露と消えたが、歌を残している。「今までに盗みし金は多けれど 身に付く金
 は今の錆び槍」。
胡散臭い(うさんくさい) 楽屋の学者と称される右朝に調べてもらった。
  胡(こ)とは元来、髭の意。従って、髭が顔を覆い尽くすことから「全体に大きく被
 さる」「うわべを誤魔化す」「いい加減」という意味が派生。
  胡人(こじん)とは胡(こ)の国の人のことで、中国北方、モンゴル、匈奴(きょう
 ど)、ウィグル人に対する蔑称に近い総称。その胡で使われていた、胡弓、胡椒、胡座
 (こざ。日本読みで、あぐら)、胡粉(呉音で、ごふん)は現在の日本でも使われてい
 る。
  胡乱(うろん)は唐音、宋音で、正しい法に従わず、でたらめに行なう意。(朱子に
 言う)。胡散(うさん)は怪しい、疑わしいの意で、中国にはなく、日本で使い出した
 らしい。糊塗、胡塗は(こと)と読み、うわべをぼやかすこと。
  湖は、地表を水で覆い尽くすの意。糊は、表面を塗り隠すの意。
公的資金(こうてきしきん) 何人かの銀行家が一般の者にはできない、とてもとても立
 派なことをなさってくださったおかげで、覚えた言葉の一つ。公的、なんてぇと、八公
 か、熊公のような気がして……。
四半分(しはんぶん) 一つの物を半分にして、その上、また半分にすると、四分の一が
 四つできて、その内の一つを四半分という。つまり、25%のこと。昔、ある人が「四
 つに切って、それをまた半分にするから、八分の一になる」と強情に言ってたが、どう
 しているだろうか、その人…。
道成(同情)寺(どうじょうじ) 安珍に惚れた清姫が道成寺へと逃げ込んだ安珍を大蛇
 となって追い駆ける、というストーリ。歌舞伎ではこの道成寺と勧進帳がよく演目にな
 る。常連の口うるさは、道成寺を「往生(うんざりの意)寺」、勧進帳を「またか(安
 宅)の関」と囁(ささや)いている。
0. 00%  銀行では預金、郵便局では貯金。その違いはどうなのか、細かいことは知
 らないが、文字から判じると、銀行は今でこそ、預金者に0.00%という限りなく0
 に近い利子を払っているが、この先は預金者からいくらか取るのではなかろうか。その
 ときの銀行の言い分は慇懃無礼な言葉遣いでこうである。「駅の荷物一時預かり所に物
 をお預けになれば、どなたでも預かり賃をお払いになっているはずです。それと同じな
 のです。銀行に大切なお金をお預けになるんですから、お預かり賃をいただくのです。
 ご理解くださるようお願いいたします」って。なにを言やがる。
 「0.00%」を使ったクスグリはこのことを預言してあまりある。エッヘン。
九二銀(きゅうにぃぎん) 指した手を座標で表した、とでも言おうか。将棋指しはこれ
 を聞いたり見たりして、その駒の位置がわかる。将棋の棋譜は上の右隅から横の道筋を
 示すために下へ一から九、縦の道筋を示すために増すために左に1から9の数字が記さ
 れており、洋数字、漢数字、駒名の順で示す。昔は洋数字はなかったので、両方とも漢
 数字。
  ことの次いでに、囲碁は将棋とは逆で上の左隅から数字を記す。どうしてだろうか。
 そんなに深い意味はないのかもしれないが、知りたい。これも笑涯楽習。
暗闇将棋(くらやみしょうぎ) 盤を置かずにお互いに口で棋譜を言って指す将棋のこと
 。筆者は「盲将棋」と覚えていたが、差別用語云々があって「暗闇将棋」という言い方
 になったのか、あるいは昔からあった言葉なのか。ここのところを知りたい。
三回忌(さんかいき) 三回目の法事のこと、と思っている人が割合いるので、老婆心な
 がら、ちょっと書き込んでおく。「命日」とは死んだ日のことだから、年に12度ある
 。「祥月(しょうつき)命日」となると、死んだ月日のことを指すので、年に一度しか
 ない。死んでから最初の祥月命日を「一周忌」という。しかし、次の祥月命日を二周忌
 とはいわないで「三回忌」という。法事ってものは、一からいきなり三に飛ぶから油断
 できない。つまり、一周忌から後の法事は死んだ日を数えて一回に入れて「三回忌」「
 七回忌」「十三回忌」となる。
  面倒でもこういうことはちゃんと覚えておきましょう。人より長く人生を送っている
 と、故人を指を折って勘定するときが度々あるのです。
妙手(みょうしゅ) 巧みな技量のこと。あるいは、その人。将棋、囲碁では盛んに使わ
 れるが、落語界はほとんど使わない言葉。
骨髄にまで徹して(こつずいまでてっして) 以前「骨髄に通ず」と覚えていたら「骨髄
 に徹す」ですよ、と教わったことがあったので、ちょいと載せました。
罪(つみ) この[胸の肉]は「白州は肉を捌く所ではない」「人を裁く所です」という
 言葉で落ちを付けたのが初稿。そこへEメール仲間の無銭さんより「罪を憎んで人を憎
 まず、の精神を落ちに絡ませたらどうでしょうか」と送信があり、その日から筆者の苦
 労が始まった。
  結局、「罪(詰み)を裁いた」に持っていくために、清六、安藤似蔵、大岡越前守を
 将棋好きに設定したので、少々、無理矢理の感もあるが、小田島先生の名訳台詞に助け
 られて、気持ちのよい高座を続けていられるようになった。




講釈の[ベニスの商人]を発見

 昭和五年、講談社発行の「評判講談全集・第一巻」に西尾麟慶の口演として載っている。
 もちろん、講釈である。ストーリーは原作をなぞるように進行して、舞台もそのままベ
ニスにしてあるが、名前はシャイロックが賽六、アントーニオが安藤仁蔵としてあるのが
面白い。
 それを踏まえて、あたしも二人の名前は、清六、安藤似蔵とした。