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圓窓五百噺ダイジェスト 60 [松山鏡(まつやまかがみ)] |
越後新田の松山村に正助という男。正直正助と言われ大の親孝行。両親がこの世を 去って二十年の間、毎日、その墓参りを欠かした事がないという。 代官からご褒美がいただけることになり、代官所へ呼ばれた。 「正助。なにか欲しい物はないか? なんなりとも遣わすぞ」 「欲しい物はなに一つありませんが、望みが叶えられるのなら、死んだ父親に会わせ てもらいたい」 代官は困ったが、この親子は顔がそっくりで、父親が死んだのは今の正助と同じ歳 だと聞いていたので、思いついたことがあった。昔からこの村には鏡がなかった。代 官は京からこちらへ赴任するとき、銅の鏡を持参していた。奥からそれを取り寄せる と箱に入れて「子は親に似たるものぞよ亡き人の 恋しきときはこの鏡見よ」という 歌を添えて正助に遣わした。 正助は鏡に写る自分の顔を父親だと思って、泣いて懐しがった。これを持ち帰り、 裏の納屋のツヅラに隠して朝晩、挨拶をしていた。 女房が夫の様子がおかしいと、夫の留守に納屋に入って確認したところツヅラの中 の鏡に自分の顔が写り、女をかくまっていると思い、くやしがる。 帰ってきた夫との間で喧嘩が始まる。通り掛かった尼さんが仲裁に入り、私がツヅ ラの女に会ってとっくり話そうと、例の箱の蓋をあけて見る。 「喧嘩はするなよ。中の女ぁきまり悪いって坊主んなった」 (圓窓のひとこと備考) 新潟の松之山町には伝説が伝わり、謡曲には「松山鏡」、狂言には「鏡男」があり、 いずれも同系統の話である。 |
2006・7・9 UP |
圓窓五百噺ダイジェスト 22 [万病円(まんびょうえん)] |
傍若無人にも湯舟の中で褌を洗い始めた侍に、風呂屋の番台に座っていた者がおそ るおそる注意する。 と、侍は平然と言い返した。「男根陰嚢はつけたまま湯舟に入れるのに、それを包 む風呂敷にもあたる褌を洗ってなぜいけないのじゃ」と屁理屈。その上、湯銭も踏み 倒して悠然と湯屋を去る。 そのあと、侍は餅屋に立ち寄り、たらふく食べて、ここでも理屈をこねて餅一個分 の値段しか払わない。 次に古着屋に入る。店主が「ない物はない」と言うので、三角の座布団、綿入れの 蚊帳、衣の紋付きなどなど、変なものを聞いてからかう。 ところが、古着屋も負けずに言い返すので、この店は早々に切り上げる。 今度は紙屋をねらう。ここでは「貧乏ガミ、福のカミはあるか」というヒヤカシに対 して、店主は散り紙を震わして出して「貧乏ゆすりの紙」「はばかりで拭くの紙」と やり返す。 ふと見ると、この店では薬も取り次ぎをしているようで万病円と記した張り紙があ る。「これは万病に効く薬だ」と店主がいうと、侍は「昔から四百四病。病いの数が 万もあるはずはない」と責める。店主は「百日咳、疝気疝癪、産前産後」などと、数 の付く病いを言い立てる。 「それでも病いは万に足らんぞ」 「一つで腸捻転があります」 (備考) 明治時代の速記本をみると、演題が「侍の素見(さむらいのひやかし)」となって いる。 本来の落ちは「一つで脹満(兆万)がございます」というのであるが、今では「脹 満」はわからないので、圓窓は「腸捻転」に変えた。 江戸時代に「腸捻転」なんて言葉はないというお叱りもござろうが、まるっきりわ からない「脹満」よりはいいと思っている。他によい改良の落ちが誕生することを願 ってやまない。 |
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2001・6・21 UP |