圓窓五百噺ダイジェスト(な行)

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中村仲蔵(なかむらなかぞう)/長屋の花見(ながやのはなみ)/夏の医者(なつのいしゃ)/涙薬師(なみだやくし)

圓窓五百噺ダイジェスト 53 [中村仲蔵(なかむらなかぞう)]

 明和三年九月。葺屋町の市村座の狂言が「仮名手本忠臣蔵」と決まった。中村仲蔵
に振られた役が五段目の斧定九郎たった一役。仲蔵はがっかりした。
 四段目は判官の切腹、そして城明け渡しがあり、観客も真剣にならざるを得ないの
で、出物止めの幕と言いまして、芝居茶屋からの人や物の出入りは止められました。
 そのあとの観客にしてみると、どうしても一息入れるたくなる。それに朝から芝居
が始まってちょうど五段目あたりで空腹を覚え、そろそろ弁当の欲しくなる時間帯。
芝居茶屋から一斉に飲み食いの物が届けられる。客は飲み食いに気を奪われて、舞台
のほうはほとんど見ていない。ですから、五段目は弁当幕といわれた。しかも、定九
郎は家老の息子でお家断絶して山賊に身を落として、どてらを着て山岡頭巾の山賊姿
の冴えない扮装で、与一兵衛の懐の金五十両を奪い取る悪役。
 仲蔵は「座付き作者の金井三笑からのいじめだ。江戸はいやだ。上方へ行こうかし
ら……」と女房のお糸に愚痴をこぼした。
 お糸は「つまらない役だけど、仲蔵なら工夫してやるだろう、という神さまから与
えられた試練じゃないない」と力づける。
 思いとどまった仲蔵は柳島の妙見さまに願をかけて工夫を思案したが、なかなか掴
めないでいる満願の日。帰りがけ、報恩寺橋まで来ると激しい夕立になり、蕎麦屋へ
入って雨宿り。
 ちょうど店に入ってきたのが、尾羽打ち枯らした此村大吉という浪人。
「これだ」と膝を打った仲蔵はこの人物をモデルとして斧定九郎のなりを、顔は白塗
り、どてらを黒紋付に、尻っぱしょりをして、赤鞘の大小。月代を伸ばした頭に変え
た。
 いよいよ初日。お糸も客席の後ろから見ることにした。
 いよいよ、五段目。仲蔵は楽屋の風呂場で黒紋付のままで頭から水を浴びてから、
揚幕の鳥屋口へ回り、きっかけを待った。
 定九郎の登場。番傘を半開きにして水しぶきを立てながら花道から本舞台へ。
 客席はシーンと静まり返って、声もかからない。みんなのウーンという声がさざな
みのように聞こえるばかり。
 やり損なったと観念した仲蔵。舞台を下りると、早々に帰宅した。
 お糸「あたしはいい定九郎だと思って、惚れ惚れしながら見ていたが、江戸には仲
蔵の芸の工夫のわかる人はいないのかねぇ」
 仲蔵「だから、おれは上方へ立つ。あとはお前がみんなに謝って回ってくれ」
 お糸「おいよ。お前さんが顔を出せば、止められるだけだろうから、これはあたし
の役だよ」
 仲蔵が途中、親父橋のところへ来ると、四、五人が集って芝居のことをああだ、こ
うだと言い合っている声が耳に入ってきた。
「忠臣蔵、良かったね」「なにが良かったって、五段目だね」「弁当が旨かったの?」
「定九郎だよ」「定九郎弁当ってぇのが出来たのかい?」「そうじゃねぇや。定九郎
がやった仲蔵がいちばん良かったんだよ」「みんなに言って、明日見に行こう」
 仲蔵はせめてお糸にこのことを伝えよう、と小走りに家に戻ると、師匠の中村伝九
郎が」来ているという。
 叱責を食らうのかと思いきや、師匠は「仲蔵。お前はいい定九郎をこしらえてくれ
た。この形は後世に残るぞ。みんながそう言っている。『明日から四段目が弁当幕で、
五段目は出物止めの幕になるんじゃないか』って」と褒める。
 仲蔵「そうなると、五段目も大したもんですね」
 師匠「あぁ、そうだとも。今までとは、段違いさ」

(圓窓のひとこと備考)
 仲蔵の工夫した定九郎の形は今の忠臣蔵五段目に100%は残っていないが、その
後もいろいろ工夫されて今日の形になったことは実話のようだ。
 あたしは仲蔵の芸談もさることながら、女房お糸の内助の功にも魅力を感じるので、
それも合わせて表現したいと思っている。
 なお、落ちはいろいろ工夫されているが、故正蔵の「煙草入れ」や故圓生の「神さ
まだ」はテーマから離れたものとなっているので、あたしは避けた。そして、なんと
か「段違い」の落ちを工夫した。
2006・6・29 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 54 [長屋の花見(ながやのはなみ)]

 貧乏長屋の大家が店子を集めて「酒、肴を出すから花見をやろうではないか」と言
い出した。番茶を煮出した酒、大根をそれらしく切った蒲鉾、沢庵を卵焼き、とすべ
て「そのつもり食品」。筵(むしろ)を敷いて毛氈のつもりという貧乏花見。
 上野の山の花の下で宴が開かれる。大家に「月番から酔いなさい」と言われて順に
番茶を注いだり飲んだりして酔ったふりするはめになる。
 落ちにはいくつかあって、
「大家さん、飲みすぎました」「どんな気分だ?」「井戸に落ちたときのようだ」。
「大家さん、長屋に近々いいことがありますよ」「そうか」「酒柱(さかばしら)が
立ちました」。

(圓窓のひとこと備考)
 時代の流れで、代用品の大根や沢庵のほうが値段が高かったり旨かったりして、演
りにくさもあるのだが、知名度の高い作品である。
2006・7・6 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 44 [夏の医者(なつのいしゃ)]

 ある医者の所へ、医者のいない隣村から男が「父親が倒れたから」と往診を頼みに
きた。医者はその男に薬籠を持たせると「近道だからこの山を越そう」と先に立って
歩き出した。
 山頂に着いたとき、一休みしようと一服やっていると、突然、あたりが真っ暗にな
った。二人はこの山に年古く棲むウワバミ(大蛇)に呑まれてしまったのだ。
 脱出するために腹中に下剤を振りまいた。薬が効いて尻の穴から下って抜け出せた。
 医者は逃げるようにして病家先へ行って、まず問診。
 病人は「チシャ(萵苣)も胡麻和えをたくさん食べた」と言う。
 医者は「夏のチシャ(萵苣)は腹に障るもんだ。薬を調合しよう」と診断したが、
薬籠をウワバミの腹の中に忘れてきたことに気づいた。
 そこで薬籠を取り戻すために、再びウワバミに呑んでもらおうと山に登って、ウワ
バミを捜して頼み込んだ。
「まぁ一遍、おらを呑んでくんなせえよ」
 すると、ウワバミが「いやぁもういやだ、夏の医者は腹へ障るから」

(圓窓のひとこと備考)
 圓生のこの噺は昔話のようであり、田園風景が、のんびりとした医者がよく描かれ
ていた。この医者は農業が八分で医業が二分という人物なのであろう。
2006・6・23 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 131 [涙薬師(なみだやくし)]

 上州富士見村の石工の政吉はある晩、夢を見た。
 薬師瑠璃光如来が夢枕に立ち「吾は元々京で彫られ、東北へ運ばれる途中、この富
士見村へ差し掛かった折、播磨坂において大地震にあい、大きな地割れに嵌り込んで
埋もれてしまった。その後、六百年の間、地中より出してもらおうと、声を掛けると
人は転び、馬は暴れ出す始末。誰言うともなく〈人転び坂〉〈落馬坂〉。吾に悪気は
さらさらない。吾は菩薩の折、十二の願を立て、中にも人々の病や怪我を癒すことに
励んできた。にも関わらず、怪我人が増えるだけで治すことも出来ず、地団駄を踏ん
でおる。地団駄は地の上で踏むものであるが、地の中で踏むのは恥ずかしながらこの
薬師のみじゃ。世のため人もために働きたい。地中より出してもらいたいのじゃ。幸
い、そのほうは石工。何かの縁じゃ。吾を助けよ、吾を助けよ」
 政吉は目を覚まして、このことを女房のふじに言うと、ふじも同じ夢を見たという。
 すぐに村人に声を掛け、大勢で播磨坂を掘り起こし、三七、二十一日目に二尺ほど
の薬師坐像を掘り起こした。そして、小さな薬師堂を建てて祀った。
 ある日、政吉は仕事中に跳ねた石が左眼に入ったため、失明してしまった。
 すぐに、女房と一緒に薬師へ三七、二十一日の全快祈願を掛けて通った。今日は満
願の日。二人で必死になって拝んだが、目は明かなかった。
 怒った政吉は「この目が直せないのか! 地の中から掘り起こしたのは俺だぞ!」
 と、いきなり石鑿を取り出すと、薬師の左目を打った。「あなた。なにするの!」
 と止める女房の手を振り切って、何度も打った。薬師の左目から血が流れてきた。
それでも政吉は打ち続けた。
 そのうちに政吉の明いている片方の右の目が見えなくなった。政吉は我に返った。
「罰が当たったか……。薬師さまに申し訳ないことをしてしまいました。面目ない…
…。それに村の人たちにも合わせる顔もない……。この村にもいられない……」
 政吉は女房に手を引かれて、村を出ました。
 薬師さまの目から出る血は止る様子もなく、そのうちにお参りする人も途絶えてし
まった。
 村を出た政吉夫婦は江戸へ行って、番町の塙保己一の元で学問を学び、揉み療治と
針治療を身に付けました。
 五年の修行をして村へ帰ってきて、播磨坂の薬師堂へ。堂もすっかり古びて崩れか
かっていて、見る影もありません。薬師さまの左目は相変わらず、血を流している様
子。
 政吉は涙ながらに詫びをして、「これからは世のため人のために役に立つよう、こ
の村に骨を埋める所存でございます」と拝んだ。
 一緒に拝んでいた、女房が気が付いて言った。「お前さん。薬師さまの左目の出血
が止った。今は涙を流しているよ」
 言われた政吉が喜んで泣き出した。すると、自分の目が明いていることに気が付い
た。
 二人はすぐにこのことを長桂寺の住職に話をして、新たに境内に立派な医王閣を建
ててもらってお祀りをした。
 この評判が評判を呼んで、寄ると障ると薬師さまの噂で、毎日、大変な参詣人。

 この噂はこの世だけではなく、あの世でも大変な噂で、薬師さまの評判もいやが上
にもあがっていった。
 と、この薬師さまが風邪を引いたようで、ヤックシ(薬師)、ヤックシ。これがな
かなか治らない。困った薬師さまは、とりあえず阿弥陀さまの所に相談しに行った。
 ところが、阿弥陀さまも「花粉症で阿弥陀(涙)が止らないんだよ」と愚痴をこぼ
している始末。
 お釈迦さまの所へ行くと、「シャック(釈迦)リ、シャックリ」と、シャックリが
止らないようで、話もできない。
 そこで、弥勒さまの所へ行って相談した。
 弥勒さまはニコニコ笑いながら「そのクシャミは薬師さまの評判がいいもんで、み
んながあなたの噂をしているからですよ」
「褒められるのは嬉しいんですが……、ヤックシ、ヤックシ。このクシャミを治した
いのだが」
「なぁに、七十五日待てば治るさ」

(圓窓のひとこと備考)
 この伝説を長桂寺の住職から聞いたのが、平成18年。その一年後、創作噺として
そのお寺で披露できたのだから、噺家冥利につきるというもの。練り上げて一席物に
するつもりだ。
2007.3.11 UP