圓窓五百噺ダイジェスト(そ行)

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粗忽の釘(そこつのくぎ)/蕎麦稲荷(そばいなり)/蕎麦閻魔 金剛寺(そばえんま こんごうじ)/そば食い地蔵(そばくいじぞう)
/蕎麦清(そばせい)/ぞろぞろ

圓窓五百噺ダイジェスト 39 [粗忽の釘(そこつのくぎ)]

 女房はしっかり者だが、粗忽者の大工の八五郎。
 引っ越しをしようと、背負えるだけの家財道具を大風呂敷に包み、ドッコイショと
引越し先を目指したが、迷子になり、どこをどう回ったのか、戻ってきたのは元の長
屋。
 その間、女房は人の手を借りて大八車で荷物を運び、疾うに引っ越し先へ。
 空き家でぼんやりしているところへ大家がきて、やっと、引越し先まで案内しても
らう始末。
 八五郎は女房に脅かされてペコペコペコペコ、小さくなるばかり。
 女房に「箒を掛けるから長い釘を打ってくれ」と言われ、うっかりと長い瓦釘を壁
に打ち込んでしまった。
 女房に「釘の先がお隣へ出ているといけないから、様子を見ておいで」と言われ、
外へ出たが、路地を隔てた向こうの家へ入って「釘の先はでておりませんか」と言う
粗忽。
 今度は落ち着いて、左隣りの内に入る。 落ち着こうとばかりに煙草を一服やって、
女房の惚気まで語り出す。
「なにしにいらしたんですか」と言われ、我に返り「実は釘の先が」とことの顛末を
話し始める。
「一度、お宅へ戻って、釘を打ったところを叩いてください。見当をつけてみますか
ら」と言われ、その通りすると、「わかりました。すぐこちらへ来てください」との
こと。
 再び来て案内されて見ると、仏壇の阿弥陀様の頭の上に釘の先が出ている。
「困ったことになった。これからいちいち、ここまで箒を掛けに来なければならない」

(圓窓のひとこと備考)
 丁寧に演ると、とても長い噺になる。
 演者によってはこの落ちの先もあって、「お前さんは、本当にそそっかしい。家族
は何人?」と聞かれ、父親を前の家に忘れてきたことを思い出す。
「父親を忘れるとは粗忽な人だ」
「いや、父親はおろか、ときどき、我を忘れます」
2002・4・5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 76 [蕎麦稲荷(そばいなり)]

 伝通院の門前の町屋に萬盛という蕎麦屋があった。そこへ、ときどきやってきて、
天麩羅蕎麦を頼んでは旨そうに食べる若い坊さんがいた。
 ある晩、店を閉めてから主人がその日の売り上げを数えてみると、椋の木の葉が何
枚か入っている。その後、坊さんが来た日にきまって椋の木の葉が紛れ込んでいる。
 ある晩。天麩羅蕎麦を食べ終えて店を出た坊さんのあとを付いて行くと、傳通院の
東裏のほうへやってきた。別当である慈眼院の崖下にある澤蔵司稲荷の辺りで、その
姿が見えなくなった。主は「まさか……」と思い悩んだ。
 翌晩。坊さんはいつものように旨そうに天麩羅蕎麦を食べて、勘定を払おうとする。
主が受け取ろうとして手を出す。その手が坊さんの手にぶつかった。お鳥目が坊さん
の手から落ちた。その瞬間、主も驚きましたが、坊さんも思わず「あッ」という小さ
な声を出した。と、このお鳥目がひらひらぁと舞うように……、土間に落ちたときは
椋の葉に……。
 坊さんは正体を現して狐の姿になって、「われ、澤蔵司稲荷大明神のお使い姫の狐な
り」と、身の上を話し始めた。
 それはこうであった……。
 桓武天皇の頃、雨乞いのために千年功経る夫婦狐を狩り出だし、その皮で鼓を拵え、
天向かってポンポン打つと雨が降り出した。それは初音の鼓と名付けられた。その鼓
になった夫婦狐の子孫がこの狐であった。その鼓を見つけて先祖に会いたいと尋ねて
幾歳月。この店の裏を通ったとき、鼓の音が聞こえた。学寮の姿を借り、この店に入
ってみれば、鼓の音にあらず、蕎麦打つ麺棒の音。しかし、その音は先祖の声に聞こ
えるので、頻繁に店にやってきて天麩羅蕎麦を食し、蕎麦打つ音を聞いていた次第。
 この話を聞いて、意気投合した主は、狐と酒を飲んで深い契りを結んだ。萬盛から
の毎日のお供えの天麩羅蕎麦は評判となり、店もますます繁盛した。

 ある日、天麩羅蕎麦のお供えを新米のそそっかしい辰公へ言いつけた。
 案の定、辰公は行き先を度忘れしてしまい、蒟蒻閻魔へ行ったり福聚院の唐辛子地
蔵へ寄ったりして、やっと慈眼院の澤蔵司稲荷へやってきてお供えをした。
稲荷「これ、薬味がないぞ」
辰公「薬味……? あぁ、ほんとだ。忘れました。急いで取ってきますので」
稲荷「それには及ばん。福聚院から唐辛子を回して貰おう」

(圓窓のひとこと備考)
 萬盛という蕎麦屋は伝通院近くの春日通りに現存する。‘06年5月に慈眼院でこ
の噺の披露をしたときに店の方々が聞きに来てくれた。嬉しいことである。
2006・8・15 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 204[蕎麦閻魔 金剛寺(そばえんま こんごうじ)]

 千住の柏屋という蕎麦屋は連日、大勢の客でいっぱいになる。
 近頃、この店には日替わりで見知らぬ女が蕎麦を食べにくるようになったので、そ
れを見ようと男連中が集っているのだ。
 ある晩、その客を前にして講釈好きの建具屋の半次が「柏屋繁盛記の一席」を語り
始めた。
「柴又の長屋でオギャーを産声を上げたのが、幼名を熊次郎という、当店の大将。父
親は大工をしましたが、深酒が祟って早死に。苦労を重ねた母親も、熊次郎が十のと
きに他界しました。
 孤児となった熊次郎は拾われるように深川の呉服屋に奉公。ところが、番頭の悪事
から店は潰れてしまった。
 路頭に迷った熊次郎は死に場所を求めて、夜の深川をさまよった。と、どこからと
もなく『まだ早い』の声。また歩き出すと『まだ早い』の声。後ろを振り返ると、そ
こには閻魔堂。
『あぁ、死んではならぬという閻魔さまの声だったのか……。ならば、死んだ気にな
って生き抜こう』と熊次郎は考え直した。
 しかし、頼る当てもない。あっちへふらふら、こっちへふらふら。吾妻橋の近くの
石置き場までやってくると、ばったりと倒れてしまった。
 そこを夜鷹蕎麦屋の爺さんに助けられ、本所の達磨横町の長屋に住み込み、その屋
台の蕎麦屋を手伝うこととなった。
 熊次郎の蕎麦屋の口上が評判となり、爺さんの屋台も売り上げを伸ばした。
 しかし、風邪をこじらせた爺さんは『蕎麦の店を持ちたかった』と言い残して、あ
の世へ逝ってしまった。
 またもや一人になってしまった熊次郎は爺さんの夢を叶えてやろうと、奔走した。
 そんなある日、深川の閻魔さまにお参りをすると、『まだ早い』の声が聞こえてき
た。
『あぁ、そうか。今すぐでは無理。お礼奉公のつもりで屋台を続けろ、というお導き
に違いない』と、再び、屋台の蕎麦屋に精を出した。
 二年経ったところで、閻魔さまから『千住の閻魔を探せ』の声を受け、そこへお参
りした縁でこの千住の金剛寺の近くへ柏屋という店を出し、拾われた爺さんへの夢を
果したわけです。
 それからは金剛寺の閻魔さまに毎日、一番の盛り蕎麦をお届けするようになった。
 そして、近頃ではこの店には日替わりで見知らぬ女が蕎麦を食べにくるようになり、
また、それを見ようとこうして助平な男連中が集っている次第であります。
柏屋繁盛記のお粗末。今日はこの辺で」
 店の中はやんやの喝采で、客もここいらが尻の持ち上げ時とばかり、帰って行った。
 店の若い者も片づけを始めている様子。大将は疲れから、帳場でコックリコックリ
と居眠りを始めた。
 そのうちに、「起きよ、柏屋。起きよ、熊次郎。我は金剛寺の閻魔大王であるぞ」と
夢枕に立ったのが、閻魔さま。
「柏屋。そのほうとは昔から縁があるようじゃ。深川の閻魔堂の修理をしてくれたの
はそのほうの父親であった」
「そうでしたか。知りませんでした。閻魔さまには迷ったときに何度も『まだ早い』
との声をいただきました。おかげさまで、爺さんの夢も叶いました」
「この閻魔からも礼を言わせてもらう。毎日、盛り蕎麦を供えてもらって、すまんの
ぅ。参詣する者の噂から柏屋という蕎麦屋の評判も耳にしておった。風向きのよって
旨そうな蕎麦汁の香りが漂ってくる。出前ではない蕎麦を食したいと思ってな。しか
し、この閻魔の姿で店へ出向くわけにはいかぬ。
 そこで考えたのは、天保の大飢饉のとき、この千住の危篤家、永野長右衛門が飯盛
女を抱えた遊女屋で死んだ遊女たちを供養して、天保八年に金剛寺に無縁塔を建立し
た。その遊女の姿に変身して店に通ったのじゃ。はなは一日に一度であったが、あと
を引いてその日の内に二度、三度と通ったこともあった。旨かったのぅ。店の蕎麦は。
 そこで、この先もこの店の商売繁盛、家内安全、無病息災を守ろうぞ。努々、疑う
ことなかれ」
 夢から覚めた柏屋は翌朝、盛り蕎麦を二十枚ほど拵えて、金剛寺へお供えに行った。
これには閻魔さまも驚いて言った。
「いくら好きでも二十枚は食えんぞ。深川や小石川の蒟蒻閻魔に届けてやるかな。
 ところで、柏屋。打ち明けたいことがある。このところ体調を崩してな。薬師さま
に診てもらったら『過労気味だ』と言われた。遊女に変身するには神通力がいるのじ
ゃが、このところそれが辛くてな。『日に二度も三度も変身した祟りかもしれない』
と薬師さまに笑われた。この歳で変身するのも辛いのじゃ。
 そこでじゃ。爺さんの夢も叶い、店も繁盛しているようだし、この辺で遊女に変身
して柏屋へ通うのはもう仕舞いにするつもりじゃ」
 すると、柏屋が「閻魔さま……、まだ早い……」

(圓窓のひとこと備考)
 ソバリエからのリクエストに応えての三作目。遊女をどう扱おうかと未だに迷って
いる。遊女そのものの悲劇は出さずとも、柏屋の苦労を表現できればいいのではない
かと、今のところは考えている。

《原話》 千住の金剛寺の伝説。
《掲載本》「圓窓高座本(まるまど文庫)圓窓(6)」
《演者》 圓窓(6)
《落ちの要素》 逆転 繰り返し
2007.6.16 UP




圓窓五百噺ダイジェスト32[そば食い地蔵(そばくいじぞう)]

 北海道小樽の近くの古平の外れに沢江の地蔵を信仰するばあさんと、「お参りなん
ざ、やなこった」というじいさんの二人がやっている、的場屋というつぶれそうなそ
ば屋。
 ばあさんが風邪をひいて寝込んでしまったある日。見知らぬ若い男が盛りそばを食
べにきた。
 じいさんは自慢そうに薬味の葱をどっさり添えて、盛りそばを出した。
「盛りそばなのか、盛り葱なのか、わからないね」と男は冗談を言いながら、ばあさ
んに見舞いの言葉もかけて帰った。
 翌朝、じいさんが戸を開けてみると、店の前に地蔵が立っているので、びっくり。
 ばあさんも起き出して、見てびっくり。
 じいさんは「どうせ、酔っ払いのいたずら」と思ったが、ばあさんは「お地蔵さま
がそばを食べにいらっしゃった」と言って、そばを供えるやら、坊さんに経をあげて
もらうやら、大騒ぎ。供養のあと、大勢で地蔵を沢江へ運んだ。
 これが評判になって、店は大繁盛。
 地蔵が来たこと、店の繁盛、ばあさんの床上げなどを喜び、「盛り葱をもう一枚」
などと洒落を言いながら四枚たいらげて引き上げた。
 そのあと、ばあさんが気がついた。男の座っていた所に、赤いよだれ掛けが落ちて
いるではないか。
「あの方は人間に姿を変えたお地蔵さまに違いない。店の前に立っていたお地蔵さま
も、酔っ払いのいたずらではない。お地蔵さま自ら、おいでになったのだ」
 ばあさんはそう思ったが、じいさんは「そんな馬鹿な」と言って信じない。
「ならば、沢江へ行ってみましょう」とばあさんはいやがるじいさんを引っ張ってや
ってきて見ると、立っている地蔵、よだれ掛けをしてない。
「ごらんなさい、おじいさん。お地蔵さんが店にきて、落として行ったんですよ」
「そんな馬鹿なことがあってたまるかい」
 じいさんがぶつぶつ言いながら、地蔵によだれ掛けを付けようとする、
「ああ……、葱の香り……」

(圓窓のひとこと備考)
 原話は北海道の昔話研究家の阿部敏夫先生の再話として〔北海道昔ばなし道央編〕
に載っている昔話。これを北広島市のステージで、役者の青坂章子さんが朗読、あた
しが落語にアレンジした物を続けてやったのが初演だった。
2002・4・5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 58 [蕎麦清(そばせい)]

 十枚のもりそばをペロッと平らげて、「どーも」と言ってそば屋を出て行った男が
いた。それを見ていた常連客たちが、翌日、二十枚で二分という賭けをもちかける。
 男はあっという間に二十枚を平らげて二分を懐に入れる。翌日は三十枚で一両とい
う賭けになったが、三十枚もペロッとやってしまい、「どーも」と店を出て行った。
 一人の常連客が「あの男はおそばの清兵衛(せいべい)さん、略して『そば清』と
いって、普段は四十枚までは食べる。そばの賭で家を一軒建てた人だ」と言う。
 悔しいとばかりに、その翌日は五十枚で五両の賭けをもちかける。
 清兵衛は、五十という数には自信がなく、「日を改めまして」と逃げるように店を
出た。
 その清兵衛さんが仕事で信州へ行き、その帰途、山中でウワバミが猟師を呑み込む
のを目撃した。そのウワバミは大きくふくれあがった腹を引きずるようにして岩陰を
回って姿を消した。
 清兵衛が後を付いて岩陰を回って見ると、一面の大花野。ウワバミを見ると、白い
花だけを選んでペロペロとなめている。と、スゥーーッと腹が元に戻った様子。清兵
衛は「これはいいものを見つけた」とその白い花を摘んで江戸へ持ち帰った。
 早速にそば屋へ。今度は自分の方から「五十枚で五両の賭を」と申し出た。四十枚
を越すとさすがにペースが落ちたが、なんとか四十九枚まできて、あと一枚のところ
で、これ以上は入らない状態になってしまった。
 そこで清兵衛は「障子の外の縁側へ出させてくれ。風に当たりたい」と頼む。みん
なに腰を押してもらって縁側に出ると、障子を閉めるように頼んだ。
 常連客が待っていると、やがてペチャペチャとなにやら舐めている音が聞こえてき
たが、やがて静かになった。不審に思って、障子を開けてみると、なんと、そばが羽
織を着ていました。

(圓窓のひとこと備考)
 これで、立派な落ちになっている。が、わからないお客が多いときなどは、あえて
蛇足ながら落ちのあとに解説をつけることがある。
「これは不思議でもなんでもないのです。山の中でウワバミの舐めた白い花は人間だ
けを溶かす花だったんです。しかし、清兵衛さんは食べた物ならなんでも溶けるんだ
ろうと思って舐めたもんですから、清兵衛さんが溶けて、そばが羽織を着ていたとい
う」
 あたしはこの噺を二つ目の頃、小圓朝、馬生の両師に教わって盛んに演り始めた。
普段は解説なしで高座を下りていたのだが、世の趨勢か、年々、解説付きで演ること
も多くなった。
 しかし、ある日、解説の長ったらしいことが気になったので、半分にして「これは
不思議でもなんでもないのです。山の中でウワバミの舐めた白い花は人間だけを溶か
す花だったんです」と言って高座を下りてみた。そしたら、楽屋で聞いていたんでし
ょう、正蔵師が「さすが、圓窓だね」と言ってくれたのです。嬉しかったですよ。
 お客だけではなく、楽屋でも聞いている人がいるって、とてもありがたいもんです。
 ついでに白状します。
 ウワバミの舐めたものを連中と同じように「葉っぱ」でやってましたが、平成14
年の夏ごろ、「白い花」にしてみたのです。「岩陰を回ると一面の大花野」という表
現にしたのもあたしなんですが、なら、葉っぱより花のほうがよかろうということで
す。やり始めた俳句の影響もあるかもしれません。
 大蛇さんが「飯島友治氏は昭和34年に出した落語全集で『近き将来必ず湮滅(い
んめつ)することであろう』と予言しているが、飛んでもない見込み違い、新しい演
出の工夫で、見事に生き続けている」と飯島氏の予測が外れたことを指摘している。
 たぶん、飯島氏は解説のある噺を嫌って、そう予言したのであって、仕種の面白さ
が時代に受けるとは思いたくはなかったのであろう。
2006・7・6 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 3  [ぞろぞろ]

 浅草田圃の中ほどに小さな寂れた稲荷の祠。すぐ近くに流行らない茶店があった。
 ある日、その茶店の主が稲荷をお参りをして帰ってくると、まもなく夕立。
 珍しいことに客が飛び込んできて、雨宿り。雨も上がったので店を出ようとした客が、
道がぬかっているので、主に「草鞋はないかい」と訊いた。
 主は「一年前から一足売れ残って、天井からぶる下がっている草鞋」を薦めた。
「いくらだい?」
「八文です。引き抜いてくださいまし」
 客は八文置いて、草鞋を引き抜いて、履いて店を出て行った。
 と、また客がきて「草鞋をおくれ」。
「一足の草鞋が今しがた売れたところで、もうありません」
「なにを言ってんだい。一足ぶる下がっているじゃねぇか」
「あれ?」
 と思いつつ、売る。
 客は八文置いて、草鞋を引き抜き、履いて店を出て行った。
 と、またもや客。断わると、客は「一足ぶる下がっているじゃねぇか」
 主は「あれ?」と思いつつ、売る。
 よく見ていると、客が草鞋を引き抜いて、履いて出て行くと、天井裏から新しい草鞋が
ゾロゾロッと出てくるのだ。
「こりゃ、稲荷のご利益に違いねぇ」と大喜び。これが評判となって、毎日毎日、えらい
行列。
 と、この店の前に流行らない床屋。ゾロゾロ草鞋のことを聞いて、早速、稲荷へ飛んで
行って、「床屋も草鞋同様、ゾロゾロ繁盛いたしますように」と拝んだ。
 自分の店に戻ってみると、客が待っている。
「急いでいるんだ。髭をやっておくれ」
「ありがてぇ。ご利益覿面だ。この客が帰ると、あとから新しい客がゾロゾロッ。その客
が帰ると、また新しい客がゾロゾロッ。ゾロゾロ、ゾロゾロと客がやってくるなんて、こ
んな嬉しいことはねぇ」
 親方は腕によりをかけて、客の顔をツーッと剃ると、あとから新しい髭がゾロゾロッ。

1999・11・13 UP